【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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夏の宵編

第31話

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 終わった、と思いながら怜史の顔を見る。刹那の顔が青ざめていくのと反比例するように、怜史の頬が赤く染まっていく。
 予想外のリアクションに冷や汗とは別に体温が熱っぽく上昇していくのが分かった。

「……ご、ごめん」

「……いや、だいじょうぶ」

 どちらともなく手を引っ込めて、ソファの上で硬直する。遠くでは防災放送のスピーカーから、花火が終了したというアナウンスが聞こえてきた。

「や、やっぱ帰れ……電車まだ間に合うと思うし」

 刹那は怜史の肩を叩いて帰宅を促す。
 だが怜史は膝を抱えて座り直すと、その膝の上で頭を左右に振った。

「……帰らない」

「……なんで」

「刹那が帰らないでほしいって言ったんだろ」

「それは……だって、こんなつもりじゃ……」

 今では自分の衝動性が恐ろしい。ここに怜史を留めておく訳にはいかなかった。
 それでも怜史は頑なに立ちあがろうとしない。膝を抱えたまま、ちらりと刹那を一瞥した。

「……知らなかった。刹那の気持ち」

 怜史の目尻にじわりと涙がうかんでいる。
 本当は叩き出してでも親友を自分から守るべきと分かっているのに、自分の想いに向き合おうとしてみせる怜史に寄りかかりたいという甘えが浮かび上がってくる。

「知られててたまるかよ……」

「……俺、最悪だよほんと」

「何が?」

「……何もかも」

 いよいよ声にも涙が滲み出す。刹那は狼狽えそうになりながらも冷静に、一旦部屋の窓を閉めてから怜史の隣に座り直した。

「俺からすれば、べつにそんなごど無いんだけど」

「刹那が知らないだけ……花音に頼んだんだ、俺」

「何を?」

「タイムマシン試乗会の応募」

 怜史が目元を手の甲で拭う。涙は次々に落ちて掬いきれなくなる。刹那がそれに手を伸ばそうとすれば、怜史は顔を伏せて拒んだ。

「花音は絶対に俺の提案に乗っかってくれるって分かってた。花音がいつもの勢いになってくれれば悠も美彩季も巻き込んでくれるだろうし、刹那も……俺のこと否定するはずないって思ってた」

「……」

「俺みんなのこと自分のために利用して……そうまでして、タイムマシンに乗って……」

「……流生や出琉さんに会いに行きたかった?」

 怜史が驚いた目で顔を上げる。ばれていないと思っていたらしいその表情に、刹那は目を細めて笑った。
 やがてゆっくりと首を縦に振った。

「……でも俺、刹那の気持ち知ってたらそんなことしなかったよ」

「……何言ってんだよ。タイムマシンに乗りたいって思うのは怜史の自由だろ」

「自分のことしか考えてない自分が恥ずかしい……刹那はちゃんと俺のこと考えてくれてたのに……」

「っはは、お前、結構自意識過剰だよなぁ」

 塞ぎ込もうとする怜史の頬を掬い撫で、そこに集まった温度を感じ取る。これだけ触れても拒まれない。それだけ深いところに自分の存在を置いてくれているのに、この手が望むのは怜史の願う穏やかな関係とは程遠い。

「俺がお前のこと考えるのは俺のためだ。怜史のこと大事にしたくて、怜史になんでもしてやりてえって思うからしてるだけ……ものすごい自分勝手なんだ」

「刹那……」

「なぁ。嫌ならさ、俺の気持ち全部否定してくれよ。俺本当に、お前に嫌な思いさせたくないんだ」

 額をこつんと怜史にぶつける。驚いた怜史がまばたきをしながら刹那を直視する。肌を汗ばませるのは窓を開けて花火を見ていたせいか、それとも頭の奥が火照っているせいか、刹那にはもう分からなかった。

 硬直してしまった怜史を見つめて数秒、考える間も無く刹那はもう一度口付けていた。怜史の肩がぴくりと震えた。

「ん……っ」

 離れ難くて啄むのようにキスを重ねる。唇から伝染した熱が喉奥へ、体の奥底へと伝染して、こわばった怜史の身体が溶けていく。

 刹那の警告虚しく、怜史が拒絶を見せることはなかった。それどころか宙を彷徨っていた刹那の手に触れて、自ら指を絡ませて自分に引き寄せてくる。

「……なんで、嫌がってくれないんだよ」

「……」

 怜史は惚けた顔を向けて無言を返す。今の怜史の目には刹那しか写っていない。そんな状況で涙ぐんだままに頬を赤らめさせたその顔は目に毒だった。

「流生のこと……今だって好きなんだろ……っ!?」

「……わかんな、い」

「分かんないって……」

「おれ、今だめだ……流生のこと、頭から離れないのに、刹那に好きって言われたの……すごく嬉しかったから、分かんない……」

「っ! お、お前な……」

 いよいよ涙を浮かべる親友の顔を見て、そのあまりの愚かさに呆れた。だが自分の思いに応えようとしてくれている。ワンチャンある、などと思い浮かべる自分の現金な面にもため息が出た。

「刹那こそだめだろ……? こんなはっきりしない、自己中な奴のこと好きになったら……」

「……いいんじゃね」

「え、」

 刹那がゆっくりと怜史の身体を押す。大した力も必要とさせず、細い身体はソファの上に倒された。

「お互いだめなやつ同士ってことだろ……? だったら、もう……どっちのせいでもあるよな……?」

「せつ、な」

「今だけ……今だけだから、俺のこと許してくれよ……俺も、怜史のこと、なんだって許すよ」

 怜史の上に覆い被さると、刹那はまたその頬にてをあてがった。外から差し込むほんのわずかな光が怜史の顔を照らす。暗がりの中でぼんやりと浮かぶその顔は、刹那の目にはやはりどこまでも綺麗で眩しいものに映った。

 怜史はゆっくりと頷く。大きな目を細めて呼吸を少し荒げて、扇情的に刹那に手を伸ばす。その顔を自分が引き出したと思うと、刹那にはもう怜史を手放せそうになかった。

***

 朝焼けの光が刹那のまぶたに突き刺さる。その眩しさでゆっくりと目を開く。エアコンが駆動する音が静かに部屋に響いている。

 開いたままの窓。着替えもしなかった服。それらがこの朝は昨日の祭りから地続きであることを証明しているが、刹那は長い夢を見ている気分だった。

 身体を起こそうとすると、いつもは無い重みが足を拘束していることに気付く。視線を向けてみるとまだ眠っている怜史が、がっちりと足を絡めていた。刹那の真横ですやすやと寝息を立てている。

「……」

 刹那は兄弟にするのと同じように怜史の頭を撫でた。柔らかい髪が少し汗ばんでいた。何度撫でても起きる気配はない。

「……ごめん」

 その言葉とは裏腹に刹那は微笑んでしまう。怜史と今日のような朝を迎えられた喜びが、腹の底の罪悪感を上回っていた。そして昨晩はやっぱり夢に等しい時間だったと実感する。

 現に覚醒した頭は刹那の心を現実に引き戻すが如く動き出している。蔦江にしてしまった約束のこと。怜史が本当に好いている人間のこと。

 それらを想起すると同時に、刹那は頭の中からすっかり抜けていたことを思い出した。

「……やべ。応募用紙」

 盛谷の家を訪ねるのを優先してしまい、その後も結局怜史との約束に間に合わせるためにすっかり頭から遠のいていしまっていた。

 刹那は名残惜しくも怜史を剥がし、ソファから降りる。すぐ近くに落ちていた自分のバッグを探った。が、そこに応募用紙は入っていなかった。

「……あれ、ない?はなんでだ」

 バッグをひっくり返してもそれは見つからなかった。
 急いで茅雪に、実家に置き忘れていないか確認のメッセージを送る。早朝という時間を気にしたが、茅雪からの返事は早かった。

『あるよ』

 その一言を見て大きなため息をつく。締切は明日。まだ間に合うと安堵しながら、以前眠っている怜史を揺り起こす。

「怜史、起きろ」

「んー………」

 寝返りを打って刹那の方に顔をつけると、うっすらとまぶたを開いた。刹那の顔を見てにこりと微笑むと、そのまぶたを閉じて再び眠りの世界に戻ろうとする。
 刹那は笑いながらも怜史の頬をぺちぺちと軽く叩いた。

「ハガキ出すの忘れてた。朝イチで向こう戻って出しに行くべ。お前もどうせ帰るだろ?」

「……出さなくていいよ」

「……はぁ?」

 刹那には怜史が寝ぼけているのか、もしくは今ここから起きたくないという惰性が働いているのか判別が付かなかった。

「おいおい……胃にありえねえ量のパンを何日詰め込んだと思ってんだ? 俺たちの努力はどうなる?」

「出世払いで返す」

「意味わかんねえこと言ってねえで……起きろよ」

 呆れる刹那を前にしても、怜史は梃子でも動かない。それどころか気だるく腕を伸ばして、刹那の首の後ろに静かに絡めた。

「本当に良いんだ。タイムマシンなんか」

「何言って……」

「乗りたく、なくなったんだ」

 今度は怜史はしっかりと目を開いて訴える。怜史に頭を引き寄せられると、刹那はされるがままに怜史の胸に着地した。

「……んなの、駄目だろ」

「みんなには俺が謝るから……」

「そうじゃなくってさ……っ」

 昨日まではそんなことを一言も言っていなかった怜史の変わり様に、刹那の中で一方的な期待が膨らんでいく。
 もしも怜史を心変わりさせたのが、昨日の晩のせいだとしたらと、思わずにはいられなくなる。

「何でそうなったんだよ……?」

 理想の答えを信じて問いかける。身体を起こして正面に怜史を見据える。怜史の表情は慈愛に満ちている。だがその目尻に小さな涙が浮かんでいる。

 怜史は刹那の両頬に触れた。そのまま引き寄せて、まるで言葉で返事をする代わりかのように口付けをする。

「――っ」

「……」

「それが……答えだっていうのかよ……っ」

 刹那はどんな顔をしたらいいのか分からなかった。せめて言葉で分かりやすく教えてほしいと願った。

 だが怜史は、誰がどう見ても美しいと思う透き通った唇で弧を描いて微笑むだけだった。

「馬鹿だな……お前」

 怜史がそう言うのなら、それで良いのだろう。刹那は考えることを放棄した。

 起き上がるのも億劫になって、ベッドに再び横たわる。同じように寝そべった怜史の顔を見て、刹那は再び夢の世界へと旅立った。

***

 日の沈みかけた頃になってようやく二人は町へと向かうくだり電車に乗っていた。

 たった二車両しかない電車の中に、怜史と刹那以外はいない。ボックス席を選んで座ると、怜史は正面ではなく刹那の真横に腰を下ろした。

 怜史はいたずらに刹那の手に触れてくる。甘えるように頭ももたれかからせている。ほとんど丸一日一緒にいたというのに、刹那の胸はまだ疼いた。それをどうにか耐えようとして、こそばゆい感覚を自分の手のひらに閉じ込める。

「……なんか変な感じ」

「変言うなよ」

「だって本当に変だもん。刹那と、こんな……」

 意味深に言葉を濁すと、怜史は自分の唇を指先で触れた。そのまま上目遣いを向けてくる怜史を前に、刹那は思わず息を呑む。咄嗟に目を逸らせば手のひらの中を怜史の指がそっと撫でてくる。

 戯れあいの形が少し形を変えたようで嬉しい。だが刹那は単純に喜びに浸って良いのか分からなかった。
 
 ここで恋人になることを提案することは簡単だろう。できることならそうしたいと刹那も思っている。だが刹那の頭の奥にはずっと盛谷の一件が引っかかっている。一瞬でも浮かれ長期になれば、手酷く噛みついてこようとする。
 それが自分の選択だと、そのしがらみを刹那は受け入れようと思った。

(ばあさまに余計なことを考えせるのは駄目だ……今は、怜史を守ることだけ考えなぐちゃ)

「……何うかれてんだよ」

 刹那は怜史の額を小突く。その時怜史ははっとした表情に変わって、困った顔で微笑んだ。刹那の言葉に傷付いたことを隠さない。それが分かっていながら、刹那は怜史を突き放す言葉をぶつけた。

「……意地悪」

「意地悪してるつもりはねえよ」

「じゃあ、いつまでこうして居られる?」

 繋がった手に怜史が力を込める。それに応えるように刹那も同じ動作を繰り返す。

「……町に着くまで」

「町に……」

「町の中では、今までの俺たちでいよう。その方がいい」

「……」

 黙りこくる怜史から視線を逸らし、刹那は窓を見た。電車はトンネルを潜る。そこを抜けたら二人の故郷に入る。

 怜史は静かに頷いた。窓に反射したその姿が刹那の目にも映った。

 電車の中が再び夕焼けに包まれた時、二人は静かに手を離した。誰が見ているわけでもないはずなのに、二人とも自然とそうした。離した互いの手は所在なさげに椅子の座面に留まっていた。
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