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夏の宵編
第32話
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八月十四日。曇り空の下、怜史は真剣になって自転車を走らせていた。
手前のかごには町の商店で買った向日葵の束が入っていて、自転車の揺れに合わせて動いていた。
雨はまだ降っていない。だがそこら中に湿度の高い重たい空気が漂っている。ただでさえ高温の日中だというのに、その雲のせいで蒸し暑さに拍車がかかっている。
それでも怜史は足を止めることなくペダルを漕いだ。今日は大切な墓参りの日だった。
『新盆だし、行くよな?』
「え、」
『出琉さんの……怜史が行く時に俺も行くよ』
刹那からそんな電話がかかってきたのは一週間前のことだった。怜史は即答できなかった。
出琉の墓参りに行くこと事態に異論はない。むしろ怜史としても行かない選択肢はない。
だが問題は場所だった。墓地は刹那の家の側、すなわち盛谷の家ともごく近い場所にある。その近くに向かうことを怜史は渋っていた。
そんな怜史を見透かすかのごとく、刹那は自身ありげに鼻を鳴らした。
『盛谷の家は本家と分家総出で十三日に墓参りするんだと。次の日は旅行に出るって行ってたから十四なら会わねえよ……どうだ?』
「……うん。空いてる」
『じゃあ決まりな。駅で集合して……』
「いや、俺一人でそっちまで行くよ」
「え? ……まじ?」
怜史の申し出に刹那は必要以上に驚いた声を上げた。
一人で行くというのは思いつきだった。町中に家のある怜史にとって、刹那の実家の方面に行くためにはそれなりの長距離を走らざるを得ない。
それでも所詮は町の中に過ぎない。怜史はその程度の距離くらい、一人で乗り越えなければいけないと思い至っていた。
(町の中でくらい……刹那を頼らないようにしなくちゃ)
同じことを自転車を漕ぎながら、なお考える。
今刹那は下宿先から実家に戻っている。夏休みの間はもうずっとそうするらしく、怜史と二人で町の外には出ていない。
つまりあれ以来、刹那とのイレギュラーは発生していない。
(刹那、結局付き合うとかそういうことは言わなかった……俺もだけど……)
怜史は刹那の好意をありのまま受け入れていた。悩む隙すらなかった。思い出せばその時の熱がぶり返したように全身を火照らせる。
だがその一方で依然として自分の気持ちには整理がついていなかった。
(流生のこと、どうでも良いなんて思ってなかった……むしろ好きで好きで仕方なかった。でもどんどん遠のいてく。昔の話になっていっちゃう。刹那と『ああ』なってから、それがもっと分からなくなった)
頭を働かせすぎて自転車に力が入らなくなる。坂道に差し掛かって踏ん張る気力が起きず、怜史は自転車を押して歩くことにした。
(刹那はそれが分かってるんだ……こんな中途半端な俺じゃ好きって思ってくれてても、ずっと一緒にいたいなんて考えられないよな)
刹那が好意を伝える以上に何も言わなかったことを、怜史は自分の中でそう結論付けていた。自分のその半端さをここに来て恥じる。これでは刹那と対等にはなれないと、自分に対して怒りの矛先を向けていた。
(見つけなくちゃ……俺がどうしたいのか)
決意を込めて自転車を押す。坂のてっぺんに登り切ると、開けた田園風景が一面に広がっていた。草の緑と曇天の灰色に挟まれる間で、怜史はほんの数秒立ち尽くす。青々とした緑が怜史の目を奪う。
「……」
次の瞬間、自転車のサドルを跨いでその崖を一斉に駆け降りた。静かな風に包み込まれる感覚は、優しい誰かのようで心地よかった。
***
「お、来た来た」
「おまたせ……」
田園風景を直進した先の森林に差し掛かる手前で刹那が待っていた。右手にバケツ、左手には新聞紙に包んだ花束を携えている。
怜史は自転車を降りる。何となく刹那の顔を正面から見るのが恥ずかしい。赤くなってしまいそうな頬を隠したくて、手の甲で流れた汗を拭うふりをする。
「迷わなかったか?」
「途中で回線繋がらなくて地図消えた時は終わったかと思った」
「はは、あるある。まあ無事に着いたんだから大したもんだよ」
「刹那ん家ってここ?」
「そうだよ」
怜史は目の前にある大きな家を指差す。黒く塗られた外壁が重々しく聳え立っている。三階建ての真四角な家は大自然の中では余計に際立っていた。
さらにその奥には刹那の家を大きく上回る土地を、ぐるりと囲む塀を構えた日本建築の家がある。表札には『盛谷』と名前が書かれていた。
怜史はそれを無意識に睨みつけていた。
「……行こうぜ。向こうだ」
刹那は左手方向を指差して歩き始める。怜史がその家に気を取られないように誘導しているようだった。
怜史は黙って刹那に従う。誰もいない家など睨んでも無意味だと自分に言い聞かせて歩いた。
家を通り過ぎて程なくすると、墓地が見えてきた。お盆故にどこの家の墓も色とりどりの花が手向けられていた。
見ず知らずの墓地を前に怜史は背筋を伸ばす。敷地の中の砂利道を刹那に続いて歩いた。
入り口からほぼ対角線上の位置まで歩いてきて、刹那はようやく足を止めた。そして『盛谷』と大きく掘られた墓石の前で片膝をついてしゃがんだ。
「ここが……」
「そ。ほら」
刹那に手招かれて怜史は彼の隣に並ぶ。
墓標を一瞥すると見知った名前を見つけた。
盛谷出琉。随分と時間が経ったにも関わらず未だに胸を締め付けられる事実が、再び怜史を苛む。
「あれ、この花……」
「? どうかした?」
「あのばあさま、好きじゃねえはずなんだよな」
刹那は花立に刺さったなでしこを見て顔を顰める。怜史が覗き込むと何事もなかったようにバケツから線香の箱を取り出す。
「……いや、やっぱなんでもね」
「うん……?」
「花、供えてやって」
刹那の態度が気がかりだったが、怜史は気にしないふりをして自分の持ってきた向日葵を花立に加えた。そのうちの一輪が、花立の隙間を回って傾き盛谷家の名前に被った。
「これも」
「ん」
刹那が持ってきた花も同じように怜史が供える。それを終えると刹那はガラスの風よけ窓のついた蝋燭立てに蝋燭を灯し、線香の先端に一斉に火をつけた。火がついたことを確認して、そこから数本怜史に分けて渡す。
「はい」
「ありがとう……」
線香を受け取った怜史の手は緊張で震えていた。それを見越してか刹那が先に線香立てに持っていた線香を置いた。じっと墓石の方を見つめて、ふ、と息を吐く。両手を合わせて、静かに目を閉じる。
「……」
刹那を横目に見ながら、怜史もそれに習って線香を置く。先端から出る煙が、白梅の香りを立てながら登っていく。風といっしょに流れて、怜史の向日葵にまとわりついた。
「出琉さん、久しぶり……」
ついそう声に出る。久しぶりに呼んだその名前は、怜史の目の奥を熱くさせる。それを塞ごうと目を閉じながら手を合わせた。
手を合わせて故人と会話ができるのだと、幼い頃に怜史は家族に教わったことがある。頭の中で出琉への言葉を紡ぐ。出琉がいなくなった後のことを報告しようと思ったがやめた。到底出琉に聞かせるべき話ではないと苦笑した。
自分のことを伝える代わりに、怜史は出琉に問いかける。
(ねえ、出琉さん。出琉さんは、家族のことをどう思っていましたか。流生のこと、どんなふうに思っていましたか……?)
どれだけ待ったとしても返事は来ないと分かっていた。それでも問いかけずにはいられなかった。
流生にとって窮屈な家庭の中で出琉だけが拠り所だったと、流生に打ち明けられたことを思い出す。
もしも今出琉が生きていたら、流生の世界は、あるいは自分な刹那の世界はずっと違うものだったのではないかと思えてならなかった。
閉じた目を開く。だがそこに映るのはあの優しい出琉の姿ではなく、沈黙を貫く墓石と冷たく掘られた出琉の名前だけだった。
「怜史」
刹那の柔らかい声が怜史を現実に引き戻す。はっとして振り返ると刹那は心配そうに怜史を見ていた。
「汗すごいぞ」
「……うん。暑いから」
ひと足先に立ち上がった刹那が、怜史に向かって手を伸ばしてくる。その手を頼りに立ちあがろうとした時、不意に怜史の身体が砂利でよろめいた。刹那は怜史を抱き寄せて、自分が支柱になって怜史が地面に倒れるのを防いだ。
「……ごめ、」
「……大丈夫か?」
「うん……大丈夫」
触れられているところからどんどん身体が熱くなっていく。怜史は慌てて刹那から離れると、腕を後ろで組んで刹那から目を逸らした。
所在をなくした刹那の手は静かに引っ込められて、腰に置かれた。何事もなかったように刹那は空を見上げた。
「……一雨来そうだな」
「だね」
同じように見上げてから刹那の顔を見る。全く同じタイミングで刹那も怜史を見た。偶然目があったところで気まずい空気が流れて、怜史は再び目を離す。
(ごめん、刹那……今なんか、全然顔見れない……)
きっと刹那は自分のぎこちない態度を不審がっているだろうと思い、胸の中で謝罪をした。
その時になって、怜史ははたと気が付く。
刹那の想いを聞いて以来、怜史はあれから一度も流生や出琉のことで悲しんでいなかった。今こうして出琉の墓標を見て偲ぶ気持ちはあれど、かつてのように出琉に依存する自分はいなかった。
そして胸の中にできた余裕のような隙間は、速攻で埋まりつつある。それが一体誰がそうさせているのかも怜史が気付くのに時間はかからなかった。
怜史は勝手に身体が動いて、刹那の肩を叩いていた。刹那が振り返る。その顔が妙に眩しくてやはり直視し難い。思い切り息を吸い込んで、息を整える。
「ねえ、刹那。俺、ちゃんと言えてなかったんだけど……」
その怜史の言葉をかき消すように、どこからともなく車の音が聞こえてきた。怜史も刹那も自然と同じ方向を向く。
白いファミリーカーを目撃した途端、慌て始めたのは刹那だった。
「……まずいっ」
「刹那?」
「盛谷ん家の車だ……向こう走れ」
「なんで、」
「いいから! お前をあの家と関わらせたくないんだよ」
その言葉を聞いて、怜史は到底走り出す気にはならなかった。砂利を踏んだままそこから動かずに、刹那の手を静かに掴む。
「怜史!」
「大丈夫」
「なにがっ」
「……大丈夫、だから」
刹那を安心させようと怜史は大きく頷いてみせる。刹那はまだ納得した顔をしなかったが、それでも怜史は留まることを選んだ。
「刹那が逃げないなら俺も逃げない。一緒にここにいる」
怜史の言葉に刹那が目を見張る。たった今伝えたいと思っていたことがそんな形で怜史の勇気を促した。その想いを分け与えるように、怜史は刹那の手を握りしめる。
やがて、二人の前で車のドアが開いた。
手前のかごには町の商店で買った向日葵の束が入っていて、自転車の揺れに合わせて動いていた。
雨はまだ降っていない。だがそこら中に湿度の高い重たい空気が漂っている。ただでさえ高温の日中だというのに、その雲のせいで蒸し暑さに拍車がかかっている。
それでも怜史は足を止めることなくペダルを漕いだ。今日は大切な墓参りの日だった。
『新盆だし、行くよな?』
「え、」
『出琉さんの……怜史が行く時に俺も行くよ』
刹那からそんな電話がかかってきたのは一週間前のことだった。怜史は即答できなかった。
出琉の墓参りに行くこと事態に異論はない。むしろ怜史としても行かない選択肢はない。
だが問題は場所だった。墓地は刹那の家の側、すなわち盛谷の家ともごく近い場所にある。その近くに向かうことを怜史は渋っていた。
そんな怜史を見透かすかのごとく、刹那は自身ありげに鼻を鳴らした。
『盛谷の家は本家と分家総出で十三日に墓参りするんだと。次の日は旅行に出るって行ってたから十四なら会わねえよ……どうだ?』
「……うん。空いてる」
『じゃあ決まりな。駅で集合して……』
「いや、俺一人でそっちまで行くよ」
「え? ……まじ?」
怜史の申し出に刹那は必要以上に驚いた声を上げた。
一人で行くというのは思いつきだった。町中に家のある怜史にとって、刹那の実家の方面に行くためにはそれなりの長距離を走らざるを得ない。
それでも所詮は町の中に過ぎない。怜史はその程度の距離くらい、一人で乗り越えなければいけないと思い至っていた。
(町の中でくらい……刹那を頼らないようにしなくちゃ)
同じことを自転車を漕ぎながら、なお考える。
今刹那は下宿先から実家に戻っている。夏休みの間はもうずっとそうするらしく、怜史と二人で町の外には出ていない。
つまりあれ以来、刹那とのイレギュラーは発生していない。
(刹那、結局付き合うとかそういうことは言わなかった……俺もだけど……)
怜史は刹那の好意をありのまま受け入れていた。悩む隙すらなかった。思い出せばその時の熱がぶり返したように全身を火照らせる。
だがその一方で依然として自分の気持ちには整理がついていなかった。
(流生のこと、どうでも良いなんて思ってなかった……むしろ好きで好きで仕方なかった。でもどんどん遠のいてく。昔の話になっていっちゃう。刹那と『ああ』なってから、それがもっと分からなくなった)
頭を働かせすぎて自転車に力が入らなくなる。坂道に差し掛かって踏ん張る気力が起きず、怜史は自転車を押して歩くことにした。
(刹那はそれが分かってるんだ……こんな中途半端な俺じゃ好きって思ってくれてても、ずっと一緒にいたいなんて考えられないよな)
刹那が好意を伝える以上に何も言わなかったことを、怜史は自分の中でそう結論付けていた。自分のその半端さをここに来て恥じる。これでは刹那と対等にはなれないと、自分に対して怒りの矛先を向けていた。
(見つけなくちゃ……俺がどうしたいのか)
決意を込めて自転車を押す。坂のてっぺんに登り切ると、開けた田園風景が一面に広がっていた。草の緑と曇天の灰色に挟まれる間で、怜史はほんの数秒立ち尽くす。青々とした緑が怜史の目を奪う。
「……」
次の瞬間、自転車のサドルを跨いでその崖を一斉に駆け降りた。静かな風に包み込まれる感覚は、優しい誰かのようで心地よかった。
***
「お、来た来た」
「おまたせ……」
田園風景を直進した先の森林に差し掛かる手前で刹那が待っていた。右手にバケツ、左手には新聞紙に包んだ花束を携えている。
怜史は自転車を降りる。何となく刹那の顔を正面から見るのが恥ずかしい。赤くなってしまいそうな頬を隠したくて、手の甲で流れた汗を拭うふりをする。
「迷わなかったか?」
「途中で回線繋がらなくて地図消えた時は終わったかと思った」
「はは、あるある。まあ無事に着いたんだから大したもんだよ」
「刹那ん家ってここ?」
「そうだよ」
怜史は目の前にある大きな家を指差す。黒く塗られた外壁が重々しく聳え立っている。三階建ての真四角な家は大自然の中では余計に際立っていた。
さらにその奥には刹那の家を大きく上回る土地を、ぐるりと囲む塀を構えた日本建築の家がある。表札には『盛谷』と名前が書かれていた。
怜史はそれを無意識に睨みつけていた。
「……行こうぜ。向こうだ」
刹那は左手方向を指差して歩き始める。怜史がその家に気を取られないように誘導しているようだった。
怜史は黙って刹那に従う。誰もいない家など睨んでも無意味だと自分に言い聞かせて歩いた。
家を通り過ぎて程なくすると、墓地が見えてきた。お盆故にどこの家の墓も色とりどりの花が手向けられていた。
見ず知らずの墓地を前に怜史は背筋を伸ばす。敷地の中の砂利道を刹那に続いて歩いた。
入り口からほぼ対角線上の位置まで歩いてきて、刹那はようやく足を止めた。そして『盛谷』と大きく掘られた墓石の前で片膝をついてしゃがんだ。
「ここが……」
「そ。ほら」
刹那に手招かれて怜史は彼の隣に並ぶ。
墓標を一瞥すると見知った名前を見つけた。
盛谷出琉。随分と時間が経ったにも関わらず未だに胸を締め付けられる事実が、再び怜史を苛む。
「あれ、この花……」
「? どうかした?」
「あのばあさま、好きじゃねえはずなんだよな」
刹那は花立に刺さったなでしこを見て顔を顰める。怜史が覗き込むと何事もなかったようにバケツから線香の箱を取り出す。
「……いや、やっぱなんでもね」
「うん……?」
「花、供えてやって」
刹那の態度が気がかりだったが、怜史は気にしないふりをして自分の持ってきた向日葵を花立に加えた。そのうちの一輪が、花立の隙間を回って傾き盛谷家の名前に被った。
「これも」
「ん」
刹那が持ってきた花も同じように怜史が供える。それを終えると刹那はガラスの風よけ窓のついた蝋燭立てに蝋燭を灯し、線香の先端に一斉に火をつけた。火がついたことを確認して、そこから数本怜史に分けて渡す。
「はい」
「ありがとう……」
線香を受け取った怜史の手は緊張で震えていた。それを見越してか刹那が先に線香立てに持っていた線香を置いた。じっと墓石の方を見つめて、ふ、と息を吐く。両手を合わせて、静かに目を閉じる。
「……」
刹那を横目に見ながら、怜史もそれに習って線香を置く。先端から出る煙が、白梅の香りを立てながら登っていく。風といっしょに流れて、怜史の向日葵にまとわりついた。
「出琉さん、久しぶり……」
ついそう声に出る。久しぶりに呼んだその名前は、怜史の目の奥を熱くさせる。それを塞ごうと目を閉じながら手を合わせた。
手を合わせて故人と会話ができるのだと、幼い頃に怜史は家族に教わったことがある。頭の中で出琉への言葉を紡ぐ。出琉がいなくなった後のことを報告しようと思ったがやめた。到底出琉に聞かせるべき話ではないと苦笑した。
自分のことを伝える代わりに、怜史は出琉に問いかける。
(ねえ、出琉さん。出琉さんは、家族のことをどう思っていましたか。流生のこと、どんなふうに思っていましたか……?)
どれだけ待ったとしても返事は来ないと分かっていた。それでも問いかけずにはいられなかった。
流生にとって窮屈な家庭の中で出琉だけが拠り所だったと、流生に打ち明けられたことを思い出す。
もしも今出琉が生きていたら、流生の世界は、あるいは自分な刹那の世界はずっと違うものだったのではないかと思えてならなかった。
閉じた目を開く。だがそこに映るのはあの優しい出琉の姿ではなく、沈黙を貫く墓石と冷たく掘られた出琉の名前だけだった。
「怜史」
刹那の柔らかい声が怜史を現実に引き戻す。はっとして振り返ると刹那は心配そうに怜史を見ていた。
「汗すごいぞ」
「……うん。暑いから」
ひと足先に立ち上がった刹那が、怜史に向かって手を伸ばしてくる。その手を頼りに立ちあがろうとした時、不意に怜史の身体が砂利でよろめいた。刹那は怜史を抱き寄せて、自分が支柱になって怜史が地面に倒れるのを防いだ。
「……ごめ、」
「……大丈夫か?」
「うん……大丈夫」
触れられているところからどんどん身体が熱くなっていく。怜史は慌てて刹那から離れると、腕を後ろで組んで刹那から目を逸らした。
所在をなくした刹那の手は静かに引っ込められて、腰に置かれた。何事もなかったように刹那は空を見上げた。
「……一雨来そうだな」
「だね」
同じように見上げてから刹那の顔を見る。全く同じタイミングで刹那も怜史を見た。偶然目があったところで気まずい空気が流れて、怜史は再び目を離す。
(ごめん、刹那……今なんか、全然顔見れない……)
きっと刹那は自分のぎこちない態度を不審がっているだろうと思い、胸の中で謝罪をした。
その時になって、怜史ははたと気が付く。
刹那の想いを聞いて以来、怜史はあれから一度も流生や出琉のことで悲しんでいなかった。今こうして出琉の墓標を見て偲ぶ気持ちはあれど、かつてのように出琉に依存する自分はいなかった。
そして胸の中にできた余裕のような隙間は、速攻で埋まりつつある。それが一体誰がそうさせているのかも怜史が気付くのに時間はかからなかった。
怜史は勝手に身体が動いて、刹那の肩を叩いていた。刹那が振り返る。その顔が妙に眩しくてやはり直視し難い。思い切り息を吸い込んで、息を整える。
「ねえ、刹那。俺、ちゃんと言えてなかったんだけど……」
その怜史の言葉をかき消すように、どこからともなく車の音が聞こえてきた。怜史も刹那も自然と同じ方向を向く。
白いファミリーカーを目撃した途端、慌て始めたのは刹那だった。
「……まずいっ」
「刹那?」
「盛谷ん家の車だ……向こう走れ」
「なんで、」
「いいから! お前をあの家と関わらせたくないんだよ」
その言葉を聞いて、怜史は到底走り出す気にはならなかった。砂利を踏んだままそこから動かずに、刹那の手を静かに掴む。
「怜史!」
「大丈夫」
「なにがっ」
「……大丈夫、だから」
刹那を安心させようと怜史は大きく頷いてみせる。刹那はまだ納得した顔をしなかったが、それでも怜史は留まることを選んだ。
「刹那が逃げないなら俺も逃げない。一緒にここにいる」
怜史の言葉に刹那が目を見張る。たった今伝えたいと思っていたことがそんな形で怜史の勇気を促した。その想いを分け与えるように、怜史は刹那の手を握りしめる。
やがて、二人の前で車のドアが開いた。
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