【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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夏の宵編

第33話

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 二人は車に向かって歩き出した。そこへ辿り着くより先に、車から小学生のような背格好の少女が降りてくる。扉をばたんと閉めてキョロキョロと辺りを見渡す。しばらくしてようやく怜史と刹那を見つけると、渋い顔をしながら二人のいる方に向かって歩いてきた。

「……誰?」

「出琉さん達のいとこ」

「それって」

「そ。ばあさまが俺の婚約者とか騒いでるやつ」

「その話って無くなったんだよね?」

「……」

 何も言わない刹那の手をより一層強く握る。前に踏み出そうとする刹那の足枷になろうと、両足に深く力を込めた。

 戸惑う刹那の元に、少女仁奈がやってくる。仁奈は刹那の前で俯いて、両足のつま先を擦り合わせた。
 刹那は膝を曲げて仁奈に目線を合わせる。

「……」

「仁奈、来てたんだな」

「うんー……」

「ばあさまたちと旅行行ってたんじゃないのか?」

「あのね……刹那お兄ちゃんも一緒にって。だから連れに来たの」

「は?」

 ぎこちなく呟かれたその言葉を疑ってか、刹那は怜史の方を向く。怜史は自分にも同じことが聞こえたと告げるように、大きく頷き返す。

「俺は親戚じゃねえだろ?」

「でも、刹那お兄ちゃんは仁奈のお婿さんだから、だから一緒に着いてきてもらいなさいって」

「……」

 仁奈は恐らく分かって物を言っていない。誰かに用意された台詞をそのまま口に出しているだけだと、怜史でも分かるほどの棒読みだった。
 仁奈の背後にはまだ幼い少女すら自分の意のままに動かそうとする者が間違いなくいる。怜史は自分の頭に燃え盛るような熱が登っていくのを感じ、はらわたが煮え繰り返るとはこういうことかと理解した。

 怜史は刹那の横で同じように屈んで仁奈の顔を見た。知らぬ顔がじっと見つめてきて、仁奈は怯えたように硬直する。そんな彼女に向けて、怜史は精一杯甘い微笑みを浮かべた。

「になちゃんっていうの?」

「……お兄ちゃん誰?」

「刹那お兄ちゃんの好きな人」

「はっ!? おま……っ、仁奈に何言って……!?」

 動揺する刹那をよそに怜史は仁奈を直視する。仁奈は依然として理解している様子がない。ただ首を傾げて「お友達なの?」と問いかける。怜史はそれを曖昧に笑ってかわした。

「仁奈ちゃん、刹那お兄ちゃんのこと好き?」

「……よく分かんない。金髪で怖いし」

「俺は刹那の金髪好きだし、刹那のことも好き」

「怜史っ」

「ねえ仁奈ちゃん、仁奈ちゃんが好きじゃないなら俺に刹那お兄ちゃんちょうだい?」

 仁奈はしばらくうーんと唸ってからすんなり頷いた。その容易さに、怜史はますます盛谷を仕切る人間への侮蔑を深めた。

「それじゃあおばあちゃんに言ってきて。私は刹那お兄ちゃんのことお婿さんにしたくないって」

「うん、分かったー」

「っおい、仁奈!」

 仁奈は怜史の言葉ににこりと頷くと、刹那の制止も聞かずに車のほうへと走っていった。その足取りは来る時よりも力強かった。
 刹那は慌てて怜史の肩を掴む。あんぐり口を開けたその顔の前で、怜史はわざとらしくどこ吹く風という様子を演出した。その途中で思わず笑みがこぼれる。刹那は怜史のしたり顔を呆れた目で見つめた。

「何やってんだよ……」

「あんな子をわざわざ使うなんて間違ってる。俺はそれをあの子に教えただけだよ」

「お、俺がどんな思いでお前をばあさまから……!」

「え、なに?」

「……いや、とにかく! ばあさまがどんだけ怖いか知らねえからそんなことができんだよ……っお前このままじゃ……」

 刹那の顔色が青ざめていくのと同時に、遠くで再び車が開く音がした。そこには車を降りた蔦江の姿があった。草履を地面に擦りながらゆっくりとやって来る。
 あれが自分達の環境を掻き回す元凶だと、怜史は直感する。そして体が動くままに刹那の前へと躍り出た。胸に抱いた怒りを爆発させながら、蔦江へと立ち向かっていく。

 一メートルほどの距離まで迫ったところで蔦江が足を止める。

「……おや、浅賀さんのところのお坊ちゃんじゃないか。どうしたんだい、こんな山奥のお墓なんて来て」

 蔦江はわざとらしく高い声で問いかけてきた。猫撫で声だが目は笑っていない。怜史は淡々と、静かに答える。

「出琉さんの後輩で、怜史と言います。今年は新盆なので、挨拶しにきました」

「まあ殊勝なことで。ゆっくりお話ししていって頂戴……それよりもね、ちょっと奥の刹那に用があるんだよ。道を通してくれないかい?」

「嫌です」

 怜史の即答に蔦江の眉毛がぴくりと動く。それを意に介することなく、怜史は自分の主張を続ける。いつもなら物怖じして刹那の背中に縋っているところ、今は自分の中の一心が明確に怜史を突き動かしていた。

「おばあちゃん、刹那を連れにきたんですよね。でも駄目です。刹那は俺と出琉さんのお墓参りにきたので、予定があります」

「屁理屈で大人を困らせるんじゃないよ。何時間墓参りするつもりだい」

「刹那や出琉さん……、それに流生を困らせてた人がそれを言うんですか?」

 流生の名前を聞いた途端に、蔦江は目を見張った。そして突然、山に反響しそうな金切り声をあげる。

「何を知ったような口を聞いているんだい!? おらはな、なーんも知らねえ子供達に一番良い生き方を教えてやってるんだよ! 他所者の、本当に何一つ世の中を解っちゃいないお前が、文句を言える場所じゃないんだよ!」

「でもおばあちゃん。それっておばあちゃんが思い通りにいかないからって駄々こねてるだけだよね」

「っ、このクソガキ――」

 薄ら笑いを浮かべた怜史に苛立って、蔦江は片手を振り被る。怜史は内心でやってしまえと蔦江の行動をほくそ笑んで待った。手を上げられれば有利になると頭が働いていた。

 だが次の瞬間、怜史の前には刹那がいた。怜史を背後に押し退けて、蔦江の平手を刹那が身代わりとなって受けていた。慌てた刹那の足がもつれて、砂利道の上に転ぶ。

「っ刹那!」

 怜史はすぐさま刹那の前で膝をつく。蔦江に向けていた感情の爆発を沈ませて、刹那に手を差し伸べる。それを阻むように蔦江が二人の間に足を無理やり踏み入れた。

「せっかく見込んでやったのになんだいその態度は! 言ったよねえ盛谷の敵を増やすなって。それなのになんだい、他所者なんかを庇ってみっともねえ!」

 見下ろしながらこちらを睨む蔦江に怜史は身震いした。それでもこれ以上何もしない後悔はできないと、決死の思いで転んだままの刹那に覆い被さる。

「出琉さえあればなぁ! お前みたいなたかだか移民の血筋に要はねえんだよ!」

「――果たして本当に、出琉一人さえいれば貴女の願いは叶うんでしょうか?」

 つんざく激昂を誰かの言葉が遮った。低く静かで、だが明確な意思のこもったその声色に、辺りがしんと、静まり返る。
 誰もが声のした方を振り返った。墓地の入り口にはいつのまにか軽のワゴンカーが停まっていた。まさかと思いながら、ようやく声の主に視点が合う。

 その瞬間、怜史の心臓が一瞬動くのをやめた。

「っ! どの面下げておらの前に顔出してんだ!? 流生!」

 蔦江の拳が向きを変え、突然現れた流生へと向けられる。流生は真顔で蔦江を諌めるように両手の掌を蔦江の目の前に突き出した。

「弟の新盆ですよ。線香くらいはあげさせてください」

「線香だぁ!? うちの敷居を跨ごうってなら良い度胸だな!?」

「お墓はお寺のものですよ。蔦江さん」

「呼ぶな! 反吐が出るッ!」

 蔦江は流生に噛み付くばかりの勢いで何度も罵声を浴びせさせた。流生は表情を凍らせたまま、しばらく蔦江の言葉を黙って聞いていた。

「……本当は他に用があってきたんだろう? うちを脅かしに来たって言いな!」

「脅かすって言ったってそんな……ああでも、」

 蔦江の言葉が一度だけ流生に投げかけられたところで、流生はすかさず会話の主導権を握る。蔦江が間髪入れる隙もないまま、バッグから一台のスマートフォンを取り出して彼女の前に差し出した。蔦江は怪訝そうに流生が出したスマートフォンを睨みつけた。

「なんだいそれは」

「タイムカプセルに埋まっていた……出琉の携帯ですよ」

 その言葉を聞いた途端に蔦江の目の色が変わる。流生からそれを奪い取ると、自身が乗ってきた車に向かって一目散に走り出す。

「恵! 出琉の携帯だってよ!」

 車の運転席に向かって蔦江が叫ぶ。すると運転席から流生と出琉の母、恵が同じく慌てた様子で車を降りてきた。
 二人揃って運転席の前にしゃがみ込み、スマートフォンの中身を確認し始める。

「……必ずしも、貴女方にとって良いものが入ってるとは限らないと、どうして思えないんでしょうね」

 流生は冷たく呟いて、蔦江の背中を追いかけた。

 しばらくすると操作を頼まれていた恵が突然スマートフォンを蔦江に手渡し、そして目を覆って泣き出した。
 娘が取り乱す理由を把握できていない蔦江はスマートフォンに目を凝らし、そこに書かれているものを確かめる。
 やがて読み終わると先ほど以上に取り乱した様子で、流生に向かってスマートフォンを投げつけた。それは流生にぶつかることなく、彼のスニーカーの隣に落下した。

 やがて恵と同じく泣き崩れた。鬼のように見えていた蔦江が力無く地面に伏せる様子を、怜史と刹那はただ呆然と見守ることしかできなかった。

 流生はしばらく蔦江たちを見下ろしたあとに、踵を返して怜史達の方へ戻ってくる。怜史か刹那か、どちらとも言えぬ位置に手を差し伸ばす。

「早く行こう、二人とも」

 流生の穏やかな瞳の中に怜史が映り込む。その瞬間に怜史ののどがひゅ、と声にならない音を発した。流生の顔を直視できず、徐々に呼吸がままならなくなっていく。

「怜史っ!」

 刹那が顔を覗き込みながら呼びかける。過呼吸が治らなくなった怜史の背を摩ってくる。
 だがいつものようにもたれかかることはできない。ここは町の中で、何より目の前には正真正銘、本物の流生がいた。
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