【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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夏の宵編

第35話

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 夏季休暇が終わりいつもの活気を取り戻した教室、生徒たちは朝一に配られた一枚の紙を見ながら頭を抱えていた。
 昼休みになると、怜史達はいつもの如く机を突き合わせた。いつもの談議に勤しみたい反面、例の紙を机の上に広げたままの怜史のせいで、面倒なことが頭をよぎっていく。

「進路なぁ……お前ら決めた?」

 ついに悠がその紙の内容に触れる。進路希望調査表という大きな現実を前に皆顔を顰めて腕組みをする。

「まだ一年だよ? 全然思いつかない、無理!」

 美彩季が大きく項垂れる。そこへ花音が美彩季の頭にのしかかりながら同じく悲鳴を上げた。

「そうだよぉ。再来週の中期考査のことすら考えられないもん……刹那君は実家継ぐの決まってるんだっけ」

「まあ一応。長男だし」

「いいなぁ自営業。未来が決まっててよぉ。楽じゃん」

「……そうかな? どこにでもいける自由の方がいいと思うけど」

 悠が羨ましげに刹那を見る様子を、怜史は瞬きしながら首を傾げる。怜史は会話に混ざりながら進路希望調査表にボールペンを走らせる。

「まさか……怜史、すでに進路が決まってる系……?」

「うん」

「どこ!? 怜史君が行くなら私もそこにする!」

「いや、それは自分で決めて……ん、できた」

 怜史は書いたばかりの進路希望調査表を高々掲げて四人に見せる。
 極細のボールペンのひょろひょろの線で書かれていたのは「工学部」の文字だった。それを見て刹那が瞼をぴくりと動かす。悠ら三人も怜史の成績を鑑みても到底選ぶはずのない選択に驚愕した。

「おいおい正気かよ……お前前期考査数学赤点スレスレって言ってなかったか……? 科学と物理ができても数学も必要なんだぜ……?」

「……これから頑張るし」

「どーしちゃったの急に理系なんて」

「……」

 怜史は少し目線を落とす。何故か申し訳なさそうに肩を萎ませて、進路希望調査表で顔を隠した。

「俺、タイムマシンの応募券出さないでって刹那に頼んだって話したでしょ……? だから、俺がタイムマシン作って、みんなを無償で乗せるんだ……だから」

「……そのためだけの工学部希望?」

 怜史はごく真剣に頷く。しばらく顔を見合わせていた悠と美彩季と花音は、次第に真顔をぷるぷるさせて次の瞬間には満面の笑みを怜史に向けた。

「怜史……お前って可愛いところあるよな……」

「一瞬花音の気持ち分かったわ……あんた、怜史に着いて行きたいって言ってる花音とそう変わんないよ?」

「……え、結構本気なんだけど」

「可愛いね、可愛いね……怜史君の萌えポイント、ファンクラブに速報として流しちゃってもいいかなぁ!?」

 頬を突いたり肩をゆすられたりして怜史が三人に構われる横で、刹那がおもむろに立ち上がった。

「……ちょっと、先生のところ行く用事あったの思い出した」

「ん、そうなの? いってらっしゃい~」

「っ! 待って刹那!」

 教室のドアまで向かっていった刹那を、怜史は慌てふためきながら追いかける。進路希望調査表がひらりと舞い上がった。それを悠が咄嗟にキャッチする。
 美彩季と花音は怜史が刹那の顔を覗き込みながら、何か弁明するように訴えている後ろ姿を、静かに見つめていた。

「あれ、絶対なんかあったと思わない?」

「怪しいよねぇ……元々距離近めだったけど、休み明けてから怜史刹那にべったりじゃん」

「もしかして一夏のなんとか、起きちゃった!?」

「……一夏、ってわけでもなかったりしてな」

 悠は呟きながら怜史の進路希望調査表の第二希望欄を指差す。何も書かれていないように見えたそこには、わずかに『牛』と記したシャーペンの跡が残っていた。

「こりゃ、あとで事情聴取ですな」

 目を輝かせる花音に、悠と美彩季が同意するように頷く。
 三人は先ほど怜史に向けていたものよりもさらに頬を緩ませて、二人が教室をさった方角を生温かい目で見つめた。

***

 怜史が必死に話しかけても刹那は黙ったままだった。刹那はそのまま用事があると言っていた職員室の前を通り過ぎ、校舎の突き当たりでようやく足を止めた。近くにあるのは理科室だけで、昼休みの今は誰もいない。教室から響く喧騒がずいぶんと遠くで篭って聞こえた。

「刹那……っ」

 誰もいないことを見計らって、怜史は後ろから刹那を抱きしめる。顔を近付けると刹那が息を飲む音が聞こえた。

「……工学部、流生のことは全然関係ないよ」

「……分かってる」

「それでも、嫌だった?」

「……自分の器の狭さに絶望してるとこ」

 ため息をついて丸まる背中を愛しく思って、回す腕に力を込める。

「工学部志望なんて、初めて聞いたし」

「ごめん。刹那に先に話せばよかった」

「いいよ……どこに行ってもお前の自由だって思う。ほんとに、心の底から。怜史には自由でいてほしい。何にも縛られないでほしい。だから、お前がやりたいこと全部に俺は賛成する」

「刹那……」

「時々、こんな風にへそ曲げるかもしれねえけど」

「……いいよ。俺も刹那のわがまま聞きたい」

「本当に貴重だからな? 俺長男力高くて、人に甘えるとか苦手なんだからな」

「じゃあたくさん引き出さないと。刹那のレアなところ」

「……見つけた際は、責任取ってもらいます」

 刹那が身体を回して怜史に向き直る。怜史がもう一度抱きしめ直すと、その後頭部に手を当ててそっと自分の顔へ引き寄せる。

「できるだけで良いから、俺の側にいて」

 瞳に怜史のことを映し込んで、刹那は他の何のことも考えられなくなる。人目も憚らずに唇を寄せて、長く長くキスをする。ただでさえ蒸し暑い気温の中で、これでもかというほどに体温が上がっていく。
 それは決して嫌なことではなく、この熱に溶かされるのもやぶさかではないと怜史は思った。そして自分もまた、刹那を溶かしてしまえたらとも思う。

 この夏の永遠を願いながら、二人は次の季節へと歩み始める。

 ――幾度の夏を過ごした先で、大きな嵐が訪れるまでは。
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