【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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狂い桜編

第39話

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「……おっかねえ、目に遭った」

 十月。刹那は三日間の休暇をとり、東京へとやってきた。怜史の住所をあてに最寄駅を探り、ようやく辿り着く頃には刹那は限界まで消耗し切っていた。

 新幹線を降りた途端に現れる人の波。膨大な数ある電車の路線。地元の路線の五倍の車両があるはずなのに、全てが満員状態の電車。同じ名前の違う路線の駅。その何もかもが未体験の刹那は、
 位置情報が怜史の家の近所を指す頃には、日が暮れるどころか完全に夜になっていた。

「行くか……あんまり遅えとあいつ寝ちまうかもしれないから……」

 背中に背負った荷物がやけに重いが、自分を奮い立たせて進む。
 駅から怜史の家までは十分程度だった。それが分かるのは単純に地図アプリに示されているからではなく、帰宅途中の怜史と電話をすることがよくあるからだった。いつも電話をしながら怜史が見ている景色を自分も歩いている。そう思うと刹那は感慨深くなった。

 刹那は道を進んでいくごとに顔がにやけそうになった。自分の足で怜史の元へ行く。それは自分が起こす行動の中で最も自分の心を震わせるものであると思った。

 駅から直進する大きな道路を横に逸れ、急勾配な坂を登ると、以前に怜史から教えられた名前と一致するマンションが見えてきた。
 壁はレンガ風の模様で、エントランスは椿の木が植えられている。人気のない静けさは刹那の緊張を助長させた。

「よし……」

 刹那は意を決してマンションの中に足を踏み入れる。階段を登って四階、この建物最上階へ向かう。部屋まで連なる眩い外灯たちが刹那の姿を照らす。
 刹那は辿り着いた扉の前で、407と記されていることを何度も確認する。震える手を持ち上げて、インターホンを押す。

 だが。

「……あれ?」

 待つこと数分。怜史は出てこない。扉が面している場所に窓がなく確認はできないが、どうやら留守であることを察する。

「……嘘だろ」

 希望を込めてもう一度ボタンを押すも状況は変わらなかった。不在という事実に愕然とし、急に背中の荷物が重みを増したような気がした。

 刹那は慌てて怜史とのメッセージを遡る。サプライズといえど今のような事態を避けるべく、今日の怜史の予定は確認していた。三日前のメッセージには確かに『今日は何もないよ』と怜史自ら発言している。

「買い物……とかか?」

 刹那は見知らぬ土地にいることが急激に心細くなった。
 その時スマートフォンの充電が残り十パーセントを切っていることに気が付いた。度重なる不運を前にして、疲労感も相まって頭の中は冷静に思考できるスペースを狭めていく。

 リュックの奥にしまい込んだモバイルバッテリーを探そうと、怜史のドアの前にしゃがみ込む。そこへよその住人が帰宅したのか階段を上がってきて、マンションの共有部でリュックを漁っている刹那を不審そうに見つめてきた。

「……あっすいません、全然怪しい者じゃなくてですね」

「……」

 刹那が弁解しようとすれば住人はより疑いを深めた目を向けて、そそくさと自宅の中へと消えていった。
 都会の人は冷たいのだと風の噂で聞いた話を思い出し、刹那はがっくりと肩を落とした。

「……とりあえず、どっか他で充電器探そ」

 孤独を紛らわそうと次なる行動を声に出しながら、刹那は一旦マンションの外に出ることにした。

***

 刹那はマンションと同じ区画に公園を見つけた。夜も深まり出す時間に訪れている者は刹那ただ一人だった。都合がいいと思いながらベンチに駆け込む。
 まだ焦りの治らない気持ちのままリュックからモバイルバッテリーを発掘し、スマートフォンが充電中になったところで胸を撫で下ろす。
 怜史と連絡がつくまではここにいようと、公園の自販機で炭酸水を買ってベンチで息をついた。
 秋風よりもずっと冷たい水が喉に染み込んでいくと、頭の先までずっと冷えていくような気がした。

 公園は草木に囲まれた穏やかな場所だった。遊具はほとんどなく、刹那の座るベンチと砂場、錆びた滑り台が一つずつあるだけだった。
 刹那は都内はビルだらけで植物が呼吸する場所はないと思い込んでいたが、どうやらそうではないことにほっとした。風に揺れる木の葉の下に自分の居場所を見つけた気がして、刹那は大きく息を吸い込んだ。
 
 そよぐ葉の群れの中、少し違う軌道を描いて揺れるものがあった。刹那が目を凝らす。そして顔を顰めた。木の枝に見えたのは桜の花だった。
 狂い咲きの桜はその白い姿を夜空に浮かばせて、じっと刹那を見つめているようだった。
 この街から浮いてしまっている刹那と、秋の季節にそぐわない花。自分とのそんな共通点が刹那の気持ちを和らげていく。

 その時だった。

「……うぅ」

「うぉ!?」

 それは人の呻き声だった。突然背後から聞こえてきたそれに、刹那は驚き飛び上がる。
 ベンチの背もたれに遮られて見えない不審者に思わず身構える。

 目を細めながら恐る恐る覗き込んだ。

「――え、」

 そこには横たわる少年の姿があった。
 艶やかな黒髪が隠すのは陶器のように白く透き通る肌。息をこぼすのは薄紅色の小さな唇。オーバーサイズの黒いパーカーの上からでも分かる全体的に華奢な体躯。なぜか片方ないビビットイエローのスニーカー。

 ――あまりにも怜史に酷似した人間だった。

 刹那は本気で目を疑った。怜史に会いたいと思いすぎる気持ちが幻覚か、あるいはこの世ならざる何かを呼び込んでしまったのではないかと、頭が目の前の存在を簡単に受け入れようとしない。

 だが不思議と怜史と勘違いすることはなかった。怜史だけを特別と認識する刹那の直感が確信している。

「だ、大丈夫ですかー……?」

「う、うぅ~……」

 声をかけてみると唸り声が返ってきた。起き上がる気配はない。刹那はもう少し近付いてその肩を揺さぶってみることにする。

「おーい……おーい、」

「……ぁだってぇ、」

「ん? ……大丈夫かー、おーい」

「……いらなぁい! 踊りにきてんのッ!」

「うわっ……酔ってんのかこれ」

 突然腕を振り乱して声を荒げる様子に、酒盛りで酔った親族を思い出す。もっぱら酒に強い刹那は解放することに慣れていた。やむなしと息を吐いて腕まくりをする。
 見た目は怜史と同じでも酔っ払いであれば容赦はいらないと、今度は無理やりに起こす。

「ちょっと! こんなとこで寝てたら危ねえから起きろって」

「……んん、ぅ?」

 ようやくその瞳が開く。ぐったりとした表情で刹那をとらえる。そして唇を緩く開いて、にこりと笑顔を浮かべた。その顔はやはり怜史そっくりだった。
 違うと分かっていても一瞬脳が錯覚を起こして、胸を高鳴らせてくる。

「……おにーさん、誰?」

 少年は刹那の手を無遠慮に掴んだ。それを手綱によろよろと起き上がると、刹那の胸に顔を寄せてそこで息を吸った。

「いい匂い~……」

「ちょっと……」

 くすくす笑う声はマイペースで、刹那の調子を狂わせていく。
 頭上に咲く桜のように、『何か』が捻れておかしくなっていく。
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