【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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狂い桜編

第52話

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 都心部にある大きなバスセンターから二人は夜行バスに乗った。最後列の三列シートに並んで腰掛ける。

 運転手の案内が始まり、バスはゆっくりと動き出した。

「……よく取れたね。当日なのに」

 ここまでほとんど会話をしてこなかった流生がようやく口を開いた。怜史は辺りの席を眺めて微笑む。

「行き先田舎だもん。誰も用事ないでしょ」

 センター自体は平日とは思えないほど観光客で賑わっていたが、怜史達が乗ったバスには他に誰も乗ってこなかった。
 向かう先には観光地ではない。静かで何も無い、少し寂れた場所なのだから当然だと怜史は思う。

「……うん。電光版、見たよ」

「目的地、分かった?」

「分かったけど……あそこは車無いと無理だよ」

「レンタカー借りれば大丈夫」

「……ごめん、僕免許証置いてきた」

「それじゃ俺が運転するね」

 怜史が財布から免許証を誇示するように見せつけると、流生は呆気に取られたように押し黙った。

「……用意周到だ」

「うーん。そうでもないかも。全部思い付きだから」

「……」

 怜史が恥ずかしそうに笑うと、流生はますます驚いた表情になる。
 ささめく二人の会話を遮断するように、運転手から車内灯を消灯するアナウンスが流れる。二人が顔を見合わせると、世界が閉ざされるように電気が消えた。

「……着いたら、たくさん話そう」

「……怜史、」

「おやすみ流生」

 流生がまだ何か話したげだったことは分かっていたが、怜史は気付かぬふりをした。窓の方を向いて流生に背中を向ければ、流生もそれ以上は何も言ってこなかった。

 怜史は夜景がちかちかとさまざまな色で輝くのを、カーテンの隙間から見つめていた。とても寝られそうな気分ではなかったが、明日のために瞼を閉じた。

***

 午前八時。バスは目的地で二人を下ろした。東京よりも一足早く、冬を間近に控えた風が二人の頬を殴りつける。天候は芳しくなく、重たい雲が頭の上を流れていった。

「流生らしい天気だね」

「どういうこと? それ」

 朝の挨拶よりも先にそう伝えれば、流生は複雑そうに顔を顰めた。
 昨晩バスセンターで見た顔よりも顔色がいいことに、怜史はほっと胸を撫で下ろす。

 怜史はスマートフォンを開き、昨夜のうちに記録しておいたメモ帳に目を凝らす。

「レンタカー、八時から借りれるみたい。行こう」

「……」

「流生、」

「わ……っ」

 怜史は背後で棒立ちになっている流生の腕を強引に引いた。流生の驚く声も無視して、国道沿いに歩き始める。

 程なくして見えてきたレンタカーショップの店舗に入り、怜史は手続きを済ませた。借りたのは流生が乗っているワゴンカーと同じ車種の、黒いモデルだった。

 運転席に怜史が座り、助手席に流生が座る。座席の位置を調整する怜史の姿を、流生はどことなく心配そうに見つめてきた。

「怜史が運転……」

「えっ不安に思われてる?」

「あ、いや……そういうわけじゃなくて、」

 流生は頬をかいて目を逸らす。流生が言いたいことがなんとなく怜史にも分かるような気がした。この立ち位置には怜史も違和感がある。自分が運転席に座れるようになるほどに、時間の経過し自分も変化したということを、思いがけない形で感じ取った。

「出すね」

「……ああ」

 怜史の合図に流生が頷く。エンジンをかけた車が、怜史によって動き出し国道に乗り出す。ハンドルを右手に握ったまま、左手でオーディオをFMラジオに切り替える。ちょうど流れた天気予報は予想通りに曇りのち雨だった。

 青い案内標識には見知った地元の名前が記されている。怜史はそれとは逆方向にウィンカーを出した。

「どこに行くの」

「……湖」

 前を向いたままに怜史が返事をする。流生は息を止めて、その横顔を複雑な面持ちで見つめていた。

***

「あの頃と全然変わらないね」

 湖の女神像を見つめながら、怜史は感嘆の声を上げた。
 六年前、学校をサボりながら流生に連れられてきた時と全く同じ景色が広がっていた。

 湖に近寄りながらその水面を見据える怜史から、少し離れた場所に流生は立っていた。

 もう切り出していいのかと躊躇しつつ、怜史はおもむろに流生の方を振り返った。流生も同じように怜史を見ていた。視線がぶつかり合うと、流生は唇を噛んで目を逸らした。

「流生」

「……何?」

「……この間、何があったの」

 怜史は言葉を吐き出してからすぐに息を呑んだ。聞かなければ分からない。だが聞くのにはやはり少し勇気が必要だった。

「……刹那には、会った?」

 流生から返ってきたのは質問の答えではなく、新たな問いかけだった。その質問に怜史の心臓が強く脈打つ。

「……刹那?」

「……あの日、僕は刹那を見た。幻覚じゃなければ」

「……」

 流生は自分の肘を掴んで、自信を抱き抱えるように背中を丸めた。眼鏡に湖の光を反射させながら、その奥で瞳が不安げに揺れている。

「刹那は……君以外の誰かと一緒だった……君によく似た、あれがなんだったのかもよく分からない。僕が都合よく見た幻だったならそれでいい。だけど、僕はそれを見ていることが耐えられなかった……っ」

「流生……」

「君の幸福が、君を幸福にするための存在に踏み躙られていたとしたら、許せなかったんだ……」

 流生が地面に膝をつく。怜史は静かに駆け寄って、その肩に手を置いた。

「刹那は……刹那はそんなことしない。俺のことわざと傷つけたりしないよ」

 怜史が肩をさする手に、流生が自分の手を重ねる。そうしながら怜史の言葉に同意するために、こくこくと頷いた。

「君にとってはそうかもしれない、だけど、僕にとっても同じだとは限らないんだよ……僕にとっては、刹那だってあの恐ろしい町の一片に過ぎないと言えば、君にだって分かるだろう?」

「流生……」

「もう守りきれないのは嫌なんだ……大切なものが無くなってしまうのは嫌だ……僕にできることがあるならなんでもする。なんでもしなければならないんだ……ッ」

 怜史の手の甲に流生の指が突き刺さる。悲痛な感情が、怜史にも物理的な痛みとなって伝わってくる。その痛みを分けてもらうことで流生が癒されるならと、怜史は表情ひとつ変えずに流生を見守った。

「……出琉のことを、覚えてるかい」

「忘れるわけ、ないよ」

「……出琉が死んだのは、僕のせいなんだ」

 風が、湖をゆらめかせる。水の粒がいくつも跳ねて、大きな波となって音を立てた。怜史は息をするのを忘れていた。

「あれももう随分前だけど……五年前に、君と刹那に出琉とのメッセージのやり取りを見せただろう? 出琉は家族と折り合いの悪い僕を気遣っていた。だけど結局あいつは僕と他の家族の板挟みになっていたんだ……それが辛くて、あの時僕に家を出たいって相談してきたんだ」

「……」

「だから、僕は出琉と約束をしてた。僕の家の近所のバス停まで来てくれたら迎えに行く。そうしたらもうあの家には帰らないことにしようって……僕は嬉しかった。出琉が母や祖母よりも自分を選んでくれたことに、舞い上がってた……だけど、出琉は、僕の家に向かうためのバスで事故に遭って死んだ、」

 流生の声が詰まる。短く息を吐いて、そこから上手く吸うことができずにいる。怜史は流生にもう一歩近寄って、その背中をゆっくりと撫でた。

「僕に……っバチが当たったのかもしれない。あの町がそんなことは許さないと、僕を幸せにはさせまいとしていたように思ってしまう」

「そんなこと、」

「僕ははあの町に、家族に呪われている……出琉を連れて行くことも許されなかった……ッ、どれだけ離れても逃げ場所がない……っ」

 伝える言葉が見つからなかった。流生の境遇にかつての怜史は激昂していた。流生を傷つけた誰も許してはならないと思っていた。だが妄想を掻き立てて描いた正義のヒーローでは太刀打ちできないほど、流生の悲しみはどこまでも続いている。あれから六年歳月が流れた今も、流生は出琉をなくした渦中にいた。

 流生と付き合った頃に胸の内で誓っていた、出琉の代わりを務めるなど、自分には役者不足であったことを怜史はここに来て痛感する。

「……流生はもう、一人じゃないよ」

「……」

「流生は自分で居場所を見つけて、今の職場にいるんでしょ……家族のことも、五年前に流生が自分でけじめつけたんだ……もう、絶対、追いかけてきたりしないよ」

「けど……」

「国岡さんも言ってた。国岡さん、流生の味方だって……俺も。流生がいてほしいって言うなら一緒にいる。だからもう、流生が孤独に思う必要はないんだよ」

 気付けば怜史は流生の両肩を支えていた。自分の身体では支えきれないほどの背中が今はとても小さく見えた。過去にもそんなことを思ったことがあるような気がすると、どこか懐かしい思いに駆られながら、流生に精一杯寄り添う。

「君も……国岡さんも、相変わらずだ。良いって言っても踏み込んでくる……とてもお人好しな人なんだ。僕なんかのために……どうして、」

 流生がゆっくりと怜史を見る。やつれた顔で、怜史の両頬に手を伸ばしてくる。

「……刹那は、どうしたんだ? 僕の見たものがまやかしだとするなら、刹那が君を僕の寄越すはずなんか無いんじゃないか」

 今日一番の真剣な顔に、怜史は口を噤む。焦燥し切った流生に、刹那との現状を伝える気には到底起きなかった。それを話せばきっと流生は内省することで押し潰されてしまう。
 流生に話せることはないか、怜史は必死になって考えたが、やはり言葉は一つも浮かんでこなかった。その代わりに、流生を安心させようとその両手に触れる。

「……刹那は、本当に優しいから。俺が流生のところ行くの許してくれた」

「そんなことは……僕が前に見たものが勘違いだとしたら、僕はあいつにも酷いことをしてる……合わせる顔が、ない」

「大丈夫なんだよ……俺にとっての、刹那は本当に優しくて、良い奴なんだ……」

 無理やり浮かべた笑顔がどれだけ流生への目眩しになったのかは分からない。怜史の必死さが伝わったのか、いずれにしても流生はそれ以上は怜史に訴える言葉が見つからなかったらしい。

 怜史はそのまま流生を自分に引き寄せる。地面に膝が擦れて痛むのも感じぬままに、流生を抱き抱えた。

「今は流生の話が聞きたい。流生のことを助けたいんだ」

「れい、じ……」

 強張っていた流生の方の力が抜ける。全体重を預けるように、怜史の胸で項垂れた。

「……叶わないって、分かっているけど、聞いてくれるかい」

「聞くよ……なんでも」

「僕は、ずっと……っ」

「……うん」

 流生は自分を包む怜史の腕を掴む。その上にぽつぽつと雨粒が降り出す。雨に濡れる女神の像に向かって、流生はゆっくりと顔を上げる。そこに何を見出しているのかが知りたくて、怜史も一緒に同じ方角を見つめた。

「ずっと……出琉に会って、謝りたかったんだ……っ」

 流生の声が、何もないこの湖中に響き渡った。女神は表情を変えずにそこに佇んでいる。だが怜史はすぐに、流生の視線の先にいたのはおそらく女神ではないことに気が付く。

 流生が見ているのは写真に残された弟の姿だ。
 兄弟二人での最後の旅行の中、土砂降りの中で笑顔でピースサインを作る出琉の姿だった。

 そんな単純でありきたりな願いを、怜史はずっと知っていた。その願いをお互いに持ち合わせていたからこそ、怜史と流生は一番最初に惹かれあったのだから。

「……会いに行こう」

「……っ、どうやって」

「俺たちにはあるよ。見れなかった景色と巡り会うための、タイムマシンがさ……っ」

 気付けば怜史も鼻を啜っていた。
 結末は変えれずとも、きっとこの未来を打開するための何かが見つかるはずだと怜史は信じている。信じる他になかった。

(だってきっと、世界はそのためにタイムマシンを生み出したんだから)

 怜史がやるべきことが、ようやくその頭の中で像を結ぶ。罪滅ぼしのための試練が、懐かしい人の姿になって現れると、怜史に向かって静かに微笑んでいるような気がした。
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