【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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風花の標編

第54話

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 東京から帰ってきた刹那は、翌日にひどい高熱を出していた。体調不良も怜史とのことも、家族に悟られたくないと思い、刹那は自室に引き籠もっていた。
 羽毛布団にくるまって、うなされながら夢を見る。

 それは随分と遠い日の、刹那が忘れていた日の記憶だった。

 約十年前。刹那は家族旅行で遠方の港町にやってきていた。刹那の家では例年夏に海に行く。家族の誕生日の前後でも旅行に行くことが多い。だがその時の旅行はそのどちらでもなかった。
 旅行には両親と妹、弟達だけでなかった。家のすぐ裏に住んでいる盛谷の祖母の蔦江と、最近引っ越してきたばかりの母と流生と出琉の兄弟が一緒だった。
 刹那が二人と出会ったのはその時が初めてだった。

***

「な、な! 刹那君はオケモン強い?」

「んー、今厳選してる」

「対戦しよーぜー。俺ズイッチ持ってきてっから!」

 弟の出琉とは年が近く、移動時間の間に打ち解けた。刹那の家の車の後部座席に中央から刹那・出琉・流生の順に並び、しきりに話しかけてくる出琉とゲームで対戦プレイをしていた。
 その真横でずっと本を読んでいる流生のことが、刹那は無性に気になった。
 流生は微動だにせず、本に集中している。車の揺れで時折髪が揺れるものの、瞬き一つしない。視線と同じ方向にまっすぐに伸びたまつ毛が、彼の目元を覆うレンズにぶつかりそうだった。
 刹那が穴が開くほど見つめていると、流石の流生も気が付いて視線を僅かに刹那へと向ける。

「……どうかした?」

 突然視線がぶつかり合って刹那はどきりとした。顔は出琉とそっくりにもかかわらず、寸分も笑わない流生が少し怖くなった。

「……ううん」

 刹那が首を振ると、流生はそれ以上何も言わずにまた本を読むのを再開した。

***

 目的地である海に辿り着いても、流生は海に現れることなくホテルの部屋に引きこもっていた。

 海に繰り出した刹那は出琉と共に浜辺でひとしきり駆け回ってから、それとなく尋ねることにした。

「出琉兄ちゃんの兄ちゃんって、いつも静かなの?」

「うん。すげー頭いいんだぜ。あんな感じだけどゲームも俺より上手い」

「何歳?」

「中三! 高校もめっちゃ偏差値高いところに行こうと思ってたみたいだけど、こっちに引っ越してきたから行けないんだって」

 刹那はそこで出琉から、二人の父が亡くなって引っ越してきたのだと聞かされる。盛谷は母方の実家で、何かと便利だからと祖母と一緒に暮らし始めたのだという。

「……一緒に遊ばなくていいの?」

「遊びたいけど……兄ちゃん俺の誘い、乗ってくれるかなー……」

 出琉が流生を好きなことを刹那はすぐに分かった。出琉の顔は刹那の後ろをちょろちょろと付いて回る妹や弟にそっくりだった。

「喜ぶよ、きっと」

「そうかな」

「分かるよ。俺も兄ちゃんだもん」

「……そっか!」

 ゲームの話をしている時より、泳いでいる時よりも、出琉の目が輝いて見えた。こんなにも気の合う出琉が大好きな兄とはどんな存在なのか、同じ兄としてますます気になった。

***

 その日は夕方ごろから天気が大幅に崩れ、元々予定していた海辺での花火は中止になってしまった。
 刹那は出琉と再びゲームの約束を取り付け、入浴を済ませた後に流生と出琉が泊まるホテルの部屋に遊びに行った。
 扉の先には流生はおらず、窓辺をじっと見つめている出琉一人が残されていた。

「出琉兄ちゃん、流生兄ちゃんは?」

「大浴場入ってからまだ戻ってきてない」

「そっか。流生兄ちゃん戻ってきたら梅鉄やんべ。俺のズイッチさ入ってっけから」

「……刹那、うちのばあちゃんみたいに訛ってるよな」

「え、うん。あんま気にしたごどねぁけど」

 刹那が照れくさそうに鼻の頭をかく。少しからかわれたのかと考えを先走らせそうになったが、刹那の予想とは少し違っていた。出琉は気まずそうに刹那から目を逸らした。少し前に作った笑顔で、じっと唇を固く結んでいた。

「……」

「出琉さ、」

「――出琉ゥ、こごさいるのが?」

 刹那が出琉の複雑な表情を追究しようとしたその時、部屋の扉の向こうからやけに大きな声とノックの音が聞こえてきた。
 ノックをしてきた主は内側からロックの解除を行うより先に、ドアノブでガチャガチャと音を立てた。出琉は突然血相を変えて、ゲームをベッドに放り出しながら入り口へと駆け込んだ。

「ばあちゃん! ここだよ!」

 出琉の声が異様なほどに張り上げられていたことを、刹那は妙に感じていた。出琉は突然訪ねてきた蔦江に満面の笑みを振りまいて、楽しげな声で会話していた。

「出琉、ばあちゃんがやった上着どこさやってきたの」

「――え?」

 蔦江がハンガー掛けを指差す。そこには流生が来ていたジャケットしか吊るされていなかった。


「皺になるからかけときなさいって、お母さんにも言われてたでしょ」

「ご、ごめんなさ……」

 出琉は慌てふためきながら、自身のリュックを開く。だがその中を見た途端、出琉はぴたりと動きを止めた。
 その背後で蔦江がじっと、監視するように出琉を見つめていた。

 居所のない刹那はひとりでに頭を働かせた。海に出た時、出琉はTシャツ一枚の姿だった。ジャケットを着ていたのは車の中で、そのあとは刹那の記憶にはない。

「ないの?」

 蔦江の凄んだ声が聞こえてきた。出琉が肩を震わせていた。蔦江の祖母らしからぬ異様な空気に刹那も何か怖ましいものを感じ取っていた。

「せっかくばあちゃんがあげたもの、なくしたの」

「な、なくしてない……っ、あるから、ちゃんとあるから……っ」

 出琉は見るからにパニックに陥っていた。日中刹那に見せていた太陽のように快活な表情はどこにもない。青い顔をしてずっと狼狽えていた。

「――どうかしましたか」

 蔦江を中心に渦を巻いていたどす黒い空気に、落ち着き払った声が響く。振り返ればそこに流生が立っていた。出琉が「兄ちゃん」と呼ぶ前に、蔦江が物凄い勢いで流生に食ってかかる。

「流生、海のほうに行ってこい」

「……海?」

 ドスの効いた蔦江のしゃがれ声に刹那も出琉も身をすくませていた。だが流生は片眉を上げるだけで一切動じていない。

「出琉の服がなくなったんだ。海に出た時に置いてきちまったんだろう。お前、行って探してこい」

「ば、ばあちゃん……雨、雨降ってるからさ……明日じゃ……」

「ダメに決まってるだろ!」

「っ」

 癇癪を起こしたように蔦江は金切り声を上げる。出琉は喉の奥からしゃくりあげた声を出すと、そのまま身動きできなくなってしまった。

「ばあちゃんに貰ったもの粗末にしたらどうなる? お前あの家に住めなくなってもいいのか?」

「……っ、よ、くない」

 出琉の目からはぼたぼたと大粒の涙が降りしきっていた。濁流のような蔦江の会話に、刹那は自分がどこか途中で意識を飛ばしていたのかと疑う。たかが上着一枚で出琉が家を追い出されようとしているのが刹那には一切理解できなかった。

「――探してきます。イズ、どの辺りで遊んでた?」

「っ、みな、南の……、大岩門がある……」

「分かった」

 流生はスマートフォンをベッドの上に放り出すと、刹那を一瞥した。その目が何を言いたかったのかは分からない。ただ申し訳なさそうに小さく頭を下げて、そのまま部屋を飛び出した。

「っ俺も行く……」

 流生に着いて行こうとする出琉の背中を蔦江が引っ張り上げる。同じように蔦江は刹那の腕も掴んできた。

「行がねぇでいい。おめたぢは待っていなさい」

「でも……」

「あんの馬鹿者がいると空気が悪い。いなくなってせいせいするよ。あいつが見つけられなかったらどうしてやろうか」

 蔦江は笑っていた。ふと蔦江と目があって刹那はぞっとした。刹那はこれは蔦江が自ら仕組んでいるのだとすぐに気が付いた。

「っ、トイレ!」

「! ちょっと!」

 蔦江の手から逃れ、刹那は一直線に自分と両親の部屋に向かった。両親に「忘れ物をしたから車のキーを貸してくれ」と頼んだ。両親は顔を見合わせて青い顔をしていたが、それでも強情にキーを渡させた。
 車の中を見に行けば、出琉のジャケットはやはりそこにあった。刹那は雨に濡れないように、自分の服の中にジャケットをしまい込んで持っていく。
 それをそのまま蔦江のところに持って行った。

 ――それが間違いだったと気が付くのは、ずっと後になってからだった。

 出琉のジャケットが見つかったにもかかわらず、蔦江は流生をひどく糾弾し流生を許さなかった。
 間違っていると思っていたのに、刹那は声を上げられなかった。蔦江に逆らうのが怖かった。

 何もできない自分を幼心なりに恥じた。だがそんな刹那に、流生は蔦江の見えないところでこっそりと話しかけてきた。

「探しに行ってくれて、ありがとう」

 静かに微笑む流生は心からそう言っていた。それだけ伝え終わると、流生は刹那の元を離れて行った。

***

 刹那は夢から覚める。十年前から戻ってきて、大きく息を吐く。起きるともう昼を過ぎていた。
 ベッドの横には水と薬が置かれている。体調が悪いのは
 額に腕を当てる。熱はもう下がっているような気がした。

「……あん時、流生に渡してたら、なんか違ったのかな」

 流生が盛谷の家を勘当されたのは、その旅行から帰ってきてすぐのことだった。あれ以来両親も蔦江の言葉に取り憑かれたようになり、流生はいないものとして接することが刹那にも命じられた。

「……なんで、間違ってるって言えなかったんだろ……なんで俺だけでも、普通にできなかったんだろ……っ」

 刹那は一つ違えば未来が違っていたような気がしてならない。ひいては怜史とのことも、こんな結末にはなっていなかったんじゃないかとありもしない可能性に縋りつきたくなる。

 だがもう全て終わった。どうすることもできない。また熱が上がってきたような気がして、刹那は布団の中に閉じこもろうとした。
 だが。

「お兄ちゃん」

 襖越しに茅雪の声が聞こえてくる。茅雪は遠慮がちに襖を開けて顔を出す。

「具合大丈夫?」

「……お前が気付いたの?」

「……うなされてたから」

「そっか……ま、寝てれば治るしよ。伝染るとわりいから」

 刹那は一人でいたかった。優しく茅雪を追い返そうとする。だが茅雪はなかなか動こうとしない。ふと目を向ければ、茅雪の手には白い封筒が握られていた。

「……今、言いたいことがあるの」

「……どした」

「お兄ちゃんが高校生の時、タイムマシンの試乗会の参加キャンペーン、あったでしょ」

「タイムマシン……」

 視界がチカチカと点滅する。怜史のインターン先。そこにいる流生。自分に隠された秘密。タイムマシンという単語ひとつで、刹那の心を黒く染める数多の要素が頭の中を駆け巡った。
 だがそれを茅雪には悟られたくない。刹那はなんとか優しい声色を保とうとした。

「……あったな。俺が出すのすっぽかしたけど」

「当たったの」

「もし当たってたら今頃……え?」

「私出したの。お兄ちゃんがメッセージくれたから。でもあの日お兄ちゃん帰ってこなかったから、私が代わりに出してたの」

 茅雪の声がどんどん大きくなり、いやでも刹那にはっきりと伝わった。刹那はゆっくりとベッドから起き上がる。

「……あれ、当たるの三組とかだったよな」

「でも当たったの! これ!」

 株式会社ブランディーズからの刹那当ての封筒。さらにキャンペーン当選チケット同封と記されている。
 一体どういう因果なのか、刹那はただ笑みを浮かべるしかなかった。
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