【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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風花の標編

第55話

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 茅雪から当選チケットを渡されて、刹那の熱は一瞬で引いた。人体の凄さになんとなく感動しつつも、手元のチケットは持て余していた。
 刹那にはもう、必要のないものだった。そしてそれを欲しがっていた怜史も、チケットがいらないほどにタイムマシン事業の近くにいる。

 どうすればいいのか迷った刹那は、怜史を除いた高校時代の友人三人に連絡を取った。

***

「そんで……これをどうするかっつー話よね」

 美彩季が封筒の中身のチケットを見ながらこめかみに手を当てる。茅雪がぎゅっと封筒を持つ手に力を込める。

 連絡をしたその日の夕方、三人は刹那の家まで駆けつけた。大広間で刹那を囲みながら、三人はタイムマシンの抽選が当たったことの詳細と、怜史と東京で別れてきたことを聞かされた。

 悠は呆然となりながらも急いで怜史に電話をしに行った。タイムマシンの抽選を行った企業が、怜史のインターン先かどうかを確かめるためだった。結果はビンゴ。刹那の手元のチケットは、巡り巡って今怜史と繋がった。
 それをどうしたらいいのか、誰も結論を出せずにいる。

 重苦しい沈黙の中、怒りの感情を色濃く浮かび上がらせたのは花音だった。

「ほんっとに……ありえないんだけど。ほんっとに解釈違いだわ。もう担当降りる」

 早口でまくし立てるのはいつもと違わぬ推し活ワードだったが、その口調は穏やかではなかった。

「か、花音落ち着きなよ……」

「全然落ち着いてるけど? 刹那君は怜史君が好きで会いに行ったんだよね? それがなんでこんな風になって帰ってくるわけ? 刹那君ちゃんと教えてよ。花音たちにも納得できる言葉でさあ!」

 花音が刹那に迫るのを、美彩季は両肩を抑えてなんとか止めようとした。
 刹那は顔を上げられずに、ただじっと黙っていることしかできなかった。

「……ごめん。せっかく、お前らが背中押してくれたのにな」

 刹那が搾り出した声に、花音も美彩季も息を呑む。花音は唇をわなわなと震わせて、ずるずると床に座り込んだ。声をしゃくりあげて肩を上下に揺らしている。
 美彩季は叱責するように花音の背中を叩いた。

「あんたが泣いてどうすんの」

「……っ、だって、あんまりだよこんなの、っ!」

 口元を覆う花音の姿を見て、刹那は胸が痛んだ。自分の不甲斐なさが怜史を手放すことに繋がり、自分たちを応援してくれた友人たちを悲しませてしまった。この状況で事実を話せば、きっと怜史が見放されてしまう。
 こんな状況でも、刹那は怜史のことを考えていた。

「……終わっちまったことを俺らでどうこう言っても仕方ねえだろ? 刹那と怜史が決めたことだ」

「そうだよ。うちらはタイムマシンどうするかだけ考えようよ……」

「……じゃあ、花音たちは怜史君抜きでタイムマシンに乗りに行くの?」

 花音の問いかけに刹那も悠も美彩季も、だれも返事ができなかった。半ば板挟み状態の茅雪が、神妙になって固まっていた表情をくしゃくしゃに歪める。

「ごめんなさい……私が勝手に応募してたせいで……」

「いやいや茅雪ちゃんのせいじゃないし……ねっ」

 しょんぼりと小さくなる茅雪を美彩季がなんとか宥めようとする。悠や花音に同意を求めたが、曖昧に頷いたり視線を逸らすばかりだった。いよいよ美彩季もこの状況に圧倒され、茅雪の肩を抱きながら自分も俯いた。

 自分のせいでこんな空気が作られていることに、刹那はもう耐えきれなかった。まだふらつく頭で声を出せと指令を出す。

「……俺、行く気ねえから。行くならおめ達で行ってくんろ」

 そこにいる全員が一斉に顔を上げる。一様に曇った顔を前に、刹那は無理にでも笑みを振りまいた。

「もうちょっと、疲れたんだ。そっとしておいてほしい」

「お兄ちゃん……」

「怜史のことは本当……自分の中で踏ん切りついてるから」

「嘘つき」

 花音が刹那の言葉をばっさりと切り捨てる。真っ赤になった花音の目は、刹那の言葉をこれっぽっちも信用していなかった。

「タイムマシンのチケットがあるって分かって、刹那君本当に一ミリも揺らがなかった?」

「……」

「私の知ってる刹那君は揺らぐよ絶対。たかだか何日かで何年も好きだった気持ちって収まるの? んなわけないじゃん! 私今怜史君のこと信じられなくなってるけど、怜史君のこと大事な気持ち消えたわけじゃないんだよ。ただの友達の私ですらそうなんだよ!」

「っ、もうやめてくれ……」

 刹那が手で目を覆う。花音ははっと息を呑んで黙り込む。
 刹那は昔と同じ感情で花音を羨んだ。花音のように明け透けに自分の好意に素直にいられたらどれだけ楽だっただろうか。
 だがそんな身勝手を許さない要因がある。相手は流生だ。刹那は流生に町の人間としての負い目がある。そんな流生から怜史を横取りすること自体が、初めから間違いだったような気さえしてくる。

 涙だけは必死に堪えたが、自分の本音を刺激してくる花音の顔だけは見られなかった。

 塞ぎ込んだ部屋の中で皆が次に吸える空気を渇望していたその時、襖が突然開いた。顔を出したのは刹那の母だった。

「刹那……友達来てるところ悪いけど、お客さん」
 
「え?」

 母が襖の前を離れるとその後ろに控えていた女性が、廊下で足を畳み、指先を揃えて深々と頭を下げた。白髪混じりの髪が床につかないすれすれのところで揺れている。

「盛谷さん……」

 女性は顔を上げる。横で見ていた茅雪が目を丸くする。
 現れたのは流生と出琉の母だった。刹那が五年前に見た時より、その歳月以上に歳をとっているように見えた。かつての他人を寄せ付けないような凍てつくオーラはなりを潜めている。
 刹那は思わず居住まいを正し、その場で正座をする。

「刹那さん、ご無沙汰しています……お友達がいらっしゃってる時に、申し訳ありません」

「い、いえ……」

 このタイミングで流生達の母が現れたことに、刹那は動揺を隠しきれなかった。膝の上に作った拳を何度も握り直す。そのしおらしくなった態度からは感じ取れないが、今までに持ち込まれてきた厄介ごとを思えばやはり身構えてしまう。

 流生達の母はバッグから古いスマートフォンを一台取り出して、自分の前に置く。数拍おいてから、刹那はそれが五年前に流生が持ってきた出琉のスマートフォンだと気が付いた。

「覚えて……いますか。うちの母が、あなたに盛谷の跡を継ぐような話をしたことを」

「……はい」

「あの時は本当に申し訳ないことをしました。あなたの意思も尊重せず、子供としてとても恥ずかしいと思います……それは私とて同じ。子供と向き合おうとしてこなかったことを、あの日あの子がこれを持ってきた時にようやく気が付きました」

 流生の母がまた深々と頭を下げる。刹那以外の全員も、そのおうおうしさに圧倒されていた。

「……出ようか、俺たち」

 悠が美彩季と花音と顔を見合わせながら、部屋の奥の縁側に引っ込もうとする。それを刹那が止める。

「盛谷さん、続けてもらっていいですか」

「ええ……こんな考えはおこがましいと思います。ですが、私はもう一度あの子と……流生と話がしたいのです」

「……」

「盛谷の看板は私の代で下ろします。後継も不要です。もう柏葉様や他のご一家にかけたご迷惑は、私が責任を持って償わせていただきます……ですからどうか、流生のことで何かご存じのことがあったらお教えいただけませんか……あの日、貴方は流生と一緒に私たちの元を去りましたから、何か知っていることがあるのかと……」

 刹那はゆっくりと茅雪の持つチケットに視線を移す。
 あまりにも大きすぎる手がかりが、今目の前にある。流生の母にとってはまたとないチャンスだろう。
 だが刹那は考える。これを彼女に手渡していざ流生と鉢合わせた時、流生はどんな態度を取るだろうか。結局は身勝手をしてきた盛谷のエゴに過ぎない。流生はそれを嫌うに決まっている。

 なんの架け橋もなく、親子が繋がることは断じてない。刹那はそう結論づけた。

「……俺が知ってる情報は、あります。だけど、それを使ってあなたが流生に会いに行こうとしても、流生は絶対応じない」

「ええ……そうでしょう。でも、私は」

「――だから、」

 刹那は流生の母の言葉を遮って、茅雪からチケットを奪い取る。自分でも驚くほどに簡単に体が動いた。立ち上がってチケットに記された怜史と流生のいる会社の名前をじっと見つめる。

(これは怜史んとこに駄々こねるために使うもんじゃねえ……俺が、流生に、何にもできなかったことを詫びに行くために使うんだ)

 胸によぎる怜史の影を今はかき消す。夢で思い出した自分の後悔を果たしたいと思った。

「……俺が、流生に話をしてきます」

 流生の母は刹那の言葉を聞いて、見上げた先で大粒の涙をこぼした。
 刹那は自分がまた傷つくことが分かっていた。ここで湧く正義感に何の意味があるのかは分からない。だが動き出さずにはいられなかった。

 流生に謝ることができたのなら、きっと怜史のことも諦めて二人の背中を応援できる。刹那はそんな予感を、千載一遇のチャンスに委ねることにした。
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