【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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風花の標編

第57話

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 12月23日になり、ブランディーズの社員は全員試乗イベントにかかりきりになった。本社ビルの隣に建てた専用ビルがプレオープンとなり、関係各社やマスコミが集まっている。
 現在はタイムマシン実機のあるフロア――搭乗エリアだけが開いているが、来月の本運用が始まる頃には他のテナントも入ることになっている。今はまだ物静かなビルの中で、社員達の熱が高ぶっていた。
 怜史はその渦中にいながら、相変わらず自分はどこか蚊帳の外にいるような気がしながらも、自分がタイムマシンに乗る明後日のスケジュールに想いを馳せていた。

 イベントの仕事は受付を任されている。怜史は慣れないリクルートスーツに身を包みながら、他のインターン生と共に当日の仕事にあたふたとしていた。

 ゲストは抽選で当たった一般客の他に、業界関係者やマスコミなどが雑多に50名ほど集まっている。
 受付が終わると、すぐ隣で開催されるイントロダクションを聞くことになった。進行を務めているのは流生だ。ライトの落ちたステージの隅で無表情で立っている。流生の緊迫した空気が怜史に伝染する。
 だがスポットライトが流生の顔を照らした途端、その表情が一瞬で塗り替わる。

「皆さま、こんにちは! 本日プレビアラインの試乗体験会にご来場いただき、本当にありがとうございます。本日の旅の案内人を務めさせていただく、盛谷と申します」

 粒立った音に怜史は目を見張る。背筋を伸ばした流生は人が変わったように堂々としていた。怜史はOB訪問で見た他人のような流生の顔を思い出す。
 マイクを通して伝わる声は水のように柔らかくて聞き心地が良い。観客も流生の言葉に応えるように、彼に集中している。そこに集まった聴衆一人ひとりに語りかけるかのように、流生は全員の顔を見ながら挨拶を続ける。

「初めに当初の予定より開催が5年も延期となったことをお詫びさせてください。ご期待を寄せてくださっていた皆様をお待たせしてしまい申し訳ございませんでした。ですがようやく、タイムマシンという未来を日本の力でお見せできる準備が整いました」

 流生がマイクを握る手を強める。流生は間違いなく、タイムマシンの光景を見るのを最も待ち遠しく思っていた人間の一人だ。流生がブランディーズでどれだけ熱意を込めていたのかが分かる。

「これから過ごしていただく旅の時間で、皆様に未来の到来を実感していただけるという確信が、僕の中にあります。ぜひ歴史が変わる瞬間の立会人となって、今日という日をお楽しみいただければ幸いです」

 流生が一礼をする。同時に賞賛するような拍手が会場いっぱいに広がる。顔を上げた流生のこめかみには汗が一粒流れ落ちていた。

 怜史も周りに混じって拍手を送る。先輩としての流生の尊敬すべき姿の奥にある、不安定な流生の姿を想起しながら。

 挨拶が終わると怜史達インターン生達は一斉に次の準備に取り掛かる。今度は各タイムマシンの搭乗口までゲストを案内しなければならない。
 タブレットで担当するゲストの名前を確認しながら、こっそり流生のいるステージ脇に近づいた。
 流生と目が合う。迷わずそばに寄った。賞賛を込めて拳を突き出す。すると流生は戸惑いながらその手を包むように握ってきた。

「――っ」

 驚いて流生の顔を見つめる。ステージにいた時とは一転して、憔悴していた。今の語りでほとんどのエネルギーを費やしてしまったのか心配になる。怜史は声を細く絞って、流生に問いかける。

「……大丈夫?」

「……ごめん。平気」

 流生はもう一度握り直してから、すぐに怜史から手を離した。

「平気……君も、次の仕事頑張って」

 そう言い残すと、流生は背を向けて他の社員達と共に、怜史の向かうべき方向とは真逆に去ってしまう。
 気丈に振舞っているだけで、流生はいつも危うい。怜史にだけ見える彼こそが本物の流生だと確信する。
 この時間が、明後日のタイムマシンが、流生にとっても転換点になることを祈らずにはいられなかった。
 その背中をしばらく見送ってから怜史は自分の中でスイッチを切り替えて、またゲストのいる方向へと歩き出した。

***

 二日間は怒涛のように過ぎていき、あっという間に最終日が訪れた。
 訪れたゲストは皆満足そうな様子で帰っていく。例えるなら映画館の上映が終わったあとの空気に似ていると怜史は感じていた。

 三日目の受付、怜史の隣には体調不良のインターン生の代わりをすることになった流生が立っていた。

「受付もやって今日も司会……ですか?」

「今更無理に敬語使わなくていいよ。今僕らしかいないし」

 流生はぎこちない怜史の敬語を笑った。流生の顔には二日間の疲れが滲んでいる。

「今日も司会……だけど、慣れてきたからなんとかなるよ。最終日だし」

 最終日と口にした途端、流生の顔が一段白くなったような気がした。怜史は正面からは見えないように、流生の背中をさする。

「……本当は、嫌?」

「何が」

「タイムマシン。乗るの」

「試験でも案内でも、もう何度も乗ってるよ」

「そうじゃなくて! ……今日の」

 流生は口を噤んだ。背中に触れてくる怜史の手から静かに逃れる。そのまま顔を下げてしまう。

「……躊躇いは、あるよ」

「……」

「いろんな犠牲を払ってまで、やることなのかって。君と国岡さんの正気を疑ってすらいる……そんなことで、何かが変わるとは思えない」

「タイムマシンで新しい時代が来るってことを、流生は信じていたんじゃないの? それは……何も変わらないことなの?」

 流生の拳が固く閉められる。怜史はその手をしっかりと支えたくなった。だがまた拒絶されるのが怖い。流生の背中の後ろを彷徨って、そして自分も拳を握って流生の脇腹を小突く。

「……俺は流生が頑張ってきたもの、信じてるから」

 怜史は流生を真っ直ぐに見据えながら訴える。言葉は全て本心だった。
 流生がゆっくりと顔を上げる。まだ戸惑いの色が残っている。それでも少しだけ怜史に圧倒されているようだった。
 流生の唇の先が揺れて、一度口を固く閉じる。

「……僕は、」

 流生が何かを言いかけた時、エントランスの自動ドアが開いた。怜史ははっとして、自分が受付の最中だったことを思い出す。
 邪魔されたような気分になりながらも、タブレットでゲスト名簿を確認する。受付が済んでいないのはあと一人だけだ。一覧に『済』と書かれていない場所を探し、その名前を確認する。その瞬間に息が止まった。

「――すんません。タイムマシンの試乗会、ここで合ってますか」

 声を聞いて手が震えた。弾みでタブレットを落とす。タブレットを気遣う余裕などなかった。机の前側に落ちかけたそれを、たった今来た最後のゲストがうまくキャッチする。

「あっぶね……はい」

 彼はタブレットを差し出してくる。怜史はまだ顔を上げられない。タブレットを受け取れない。
 代わりに手を伸ばしたのは流生だった。怜史と同等に驚いているのが分かる、動揺の声を発しながら。

「刹那……」

 怜史は一歩退く。流生の声で、同姓同名ではない確信を持つ。石のように固い首をようやく上へと傾ける。
 履き慣らされたスニーカー。チャコールグレーのジョガーパンツ。黒いダウンのポケットに手を突っ込んで、右側に重心を傾けながらすっと立っている。頭は金髪で、今は根本の地毛が少しだけ見えている。
 そして見つめ合ったら離れられない強い眼力が怜史を見下ろしていた。

 長年同じ時間を過ごしてきた刹那の姿を、今更見違えるはずがなかった。

「なん、で……」

 疑いながら怜史が疑問をぶつける。刹那は嘆息すると、ポケットから封筒を取り出した。ブランディーズが宛名に入っている。

「当たってたんだってよ……あの時」

「……あれは、だって」

 刹那は締切が間に合わなくなるまで、怜史のそばを離れなかった。刹那は出せるはずがない。その時の光景がフラッシュバックして蘇り、同時に刹那が連絡を取っていた茅雪のことを思い出す。
 怜史は頭の中でピースがかちりとはまるような気がした。

「……別に俺は、お前に文句言いに来たわけじゃねえよ」

 それは怜史に向かって言われている言葉だった。自分たちの間にあるわだかまりを微塵も感じさせないような落ち着いた顔で、刹那は怜史に微笑む。そしてすぐに流生に視線を移し替えた。

「あんたに……言わなきゃいけないことがあるから、ここまで来たんだ」

 刹那に言われて流生が目を細める。怜史が受け取らずにいたタブレットを持ち直し、刹那の名前の横に『済』と記す。

「……案内するよ」

 流生は机の前に出て、刹那をイントロダクションが行われる会場へと案内する。
 刹那はほんの一瞬、怜史に振り返ると

「スーツ、なんか見慣れねえな」

 と言って白い歯を見せて笑った。怜史は何の返事もできなかった。刹那はそのまま流生と一緒に受付を離れていく。

 刹那が来た。この最終日に。怜史の中でいろんな気持ちが溢れかえりそうになる。今はまだその顔を見たくなかった。

 呆然としていたその時、怜史の腕時計の針が12時を指した。受付終了時刻だった。刹那をもって、すべてのゲストが集まった。

 依然として固まっている怜史を時間は待ってはくれなかった。遠くで流生が登壇している。客先最後列の端に刹那が座る。
 怜史が思い描いていたのとは違う形で、最後の試乗イベントが始まった。
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