【完結】僕らにはもう辿り着けない場所がある

松莉あげみ

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青い春編

第7話

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 出琉の葬儀は滞りなく執り行われた。怜史は式場に集まった人の数に圧倒された。中学で見たことのある出琉の同級生や怜史達下級生、出琉の通っていた高校の制服を着た人達、親戚らしき人たちも皆暗い顔で出琉のことを偲んでいた。

 会場には刹那もいた。家族総出で出席していたことに怜史も気付いていた。だが話をしにいけない。それだけの余裕がなかった。

 怜史は未だ自分が見ているものが現実ではないような気がしていた。文化祭の日からずっと悪夢が続いているに過ぎないと思い込みたくなっていた。出琉が死んだ事実を噛み砕けないままに流されるかのようにその場に居着いた。

 棺の中の出琉は出琉ではなく彼に酷似した人形にしか見えなかった。火葬炉から帰ってきた遺骨と生前の太陽のような男の顔が、怜史の頭の中で結びつくことはなかった。

 送っても届かないメッセージは時間が止まったかスマートフォンが壊れたのだと思い込んだ。

 怜史は一週間学校を休んだ。ただひたすら現実から逃れるように布団をかぶって、暗闇の中で出琉のことを想っていた。時の止まったメッセージアプリの画面をあきもせずに眺めていた。

 その後ろではひたすらに刹那からのメッセージが溜まり続けている。通知には、

『大丈夫か』

『美味い飯屋見つけた! 次の土曜の授業のあと行くべ』

『受験勉強やってるか』

『放課後でいいから数学やろ。浅賀の二学期の成績を救ってやる』

 と、どれも怜史を外に出そうと手引きをする言葉だった。 

「……分かってるよ、柏葉」

 刹那の優しさは痛いほど伝わってくる。それでも彼の言葉に応じる気にはなれなかった。

 怜史は自分が学校に復帰した時のことを頭の中で想像した。刹那はきっと怜史に酷く気遣いを見せてくる。出琉の不在が創り出した怜史の心の穴をなんとかして埋めようとしてくる。

(柏葉はいい奴だ……その優しさをうざったいって思うなんて、俺、嫌な奴だ)

 今のままでは出琉が死んだことを刹那に八つ当たりしかねない。怜史はそう想って刹那へのメッセージひとつたりとも既読を付けなかった。

 横たわるのも飽きて怜史はのそのそと布団を剥ぎ取って起き上がる。どうやら今は夜らしい。時計の針は零時少し前を指している。

 時間の感覚もよくわからなくなっていたことを自嘲し、天井に向かって伸びをする。このまま何もかもが分からなくなってこの社会の歯車の中から抜け出せればいいのに、と怜史は現実逃避をする。

 ぼんやりとしている間に時計は零時ちょうどに変わる。

 その時ほんのわずかの間そんな空想に耽って視線を外していたスマートフォンが、一人でに煌々と光り出す。着信だ。映し出されているのは携帯の番号だ。その番号に心当たりはない。

「……はい」

 怜史はろくに考えもせず電話に応じた。ここしばらくの間――自分から遮断していたせいとはいえ――周囲とのつながりがなかった故に寂しさがあったのかもしれない。

「……あっ、も、もしもし……浅賀君の携帯であってる……かな」

 電話をかけてきた相手は怜史が応答するのが意外だったのか声を裏返らせた。電話越しの声では怜史は誰だかピンと来ない。だがその慌て様を上手く隠そうとする不器用そうな年上を一人だけ知っていた。

「……流生さん?」
「そ、そう……よく分かったね」

 流生は照れたような笑い声を発した。怜史は窓辺を背もたれにしながら少しだけ背筋を伸ばした。

「出琉の携帯から探させてもらって……勝手にごめん」
「いや、俺は別に……」
「……ちょっと、心配だったんだ。僕が心配するようなことじゃないのかもしれないけど」

 流生の声が沈黙の続いていた怜史の部屋を、頭の中を静かに満たしていく。海の穏やかな日の波音によく似ていると怜史は思った。

「むしろ、心配とか、迷惑かけてすみません」
「迷惑だなんて思ってないよ……多分僕も、イズのことばかり考えていて、それを誰かと共有したいって思ってるんだと思う」
「……その、家族の人たちとはしないんですか。出琉さんのこと」

 怜史は当たり前の問いかけをしたつもりだった。怜史にとっての出琉は唯一無二だが、出琉にとっての怜史はそうではない。怜史にはそういう自覚があった。出琉のことを分かち合うのに自分以上に適した人間はこの世にごまんといるにも関わらず、流生が自分を選ぼうとすることが不思議で仕方なかった。

 流生は少しの沈黙を引きずりながら、少し声のボリュームを下げて呟く。

「家の中のイズは、誰かの都合良く描いた偽物の出琉だったから」
「……にせもの?」
「君の方がずっと、イズの本質を見極めてたはずだ。あの人たちなんかよりずっと」
「……」

 電話越しの流生の声は怜史には少しだけ怒りを含んでいるように聞こえた。意味深なその言葉を深追いしていいのかと怜史は躊躇う。頭の中の太陽が初めて陰りを見せた。それを知らずにいたい。知っている特別な人間になりたい。理性と欲求が怜史の次の言葉を濁す。それと同じくらい蟠りのように胸の奥で引っかかったものがあった。

「……ごめん。変な言い方しちゃったね。僕家族とそんなに仲が良くなくてさ、イズは唯一腹割って話せる相手だったから」
「……大丈夫、ですか」
「今に始まったことじゃないから」
「そうじゃなくて……多分、今一番悲しいのって、俺じゃなくて流生さんだって分かったから……だから、大丈夫かなって」
「……」
「あっいや……俺より家族の人たちの方が辛いのなんて当たり前ですけど」

 黙り込む流生を前に怜史は狼狽える。年上相手に妙な気遣いをしてしまったことを不敬だと思った。

 次の瞬間、電話の向こうからため息のような音が聞こえてきた。流生が怜史に呆れたわけではない。流生がただ大きく息を吐きたかっただけだった。それをすぐさま怜史に弁明する。

「す、すみません。俺変なこと言って」
「……あ、いや、違う……その、どちらかと言えば嬉しかったよ。今回のことで初めて気遣われた」
「……」
「気遣ってほしいわけじゃないはずなのにね……どうしても、自分も寂しいって分かってほしくなってしまうんだ。ずるいよね」
「ずるく……ないっす。俺も、誰かに分かって欲しくなるし……」
「はは。じゃあ同じだ」

 流生の笑みに怜史は安堵する。同じ想いを抱えた人間がいる、その事実に荒れ果てた心の内側を静かに撫でられる心地がした。一方的に庇われるよりも分かち合う方が心持ちとして楽なのだと怜史はこの時初めて気が付いた。

「浅賀君と話すとほっとするよ……僕のこと、心配してくれてありがとう」
「先に心配したの、流生さんの方じゃないですか」
「それはそうだけど……心配し合いっこ、持ちつ持たれつだね」
「……ん、そうっすね」
「……遅くにごめんね。浅賀君さえ良ければまた話そう。明日は学校だよね?」
「……あー」

 怜史は苦い顔で口籠もる。出琉のことがあってからサボっていることを流生に伝えることを躊躇した。流生から感じ取れるどこか生真面目な雰囲気に、怜史は自分が不真面目な人間であると捉えられることに少し臆病になった。

 だが。

「まだ……行く元気が出ないか」

 流生の声は電話から抜けて、穏やかな音のまま響いてくる。ただ静かに寄り添うような言葉を聞いて、怜史は甘える仕草で壁にもたれかかった。電話越しにそうしていると流生の方を借りているような錯覚を起こした。

「……はい」
「しょうがないよ。勉強は……まあ忙しい時期だろうけど、きみは、出琉をとても大切に想ってくれていた人だから」
「……るい、さん」

 泣きたいわけではないはずなのに、流生の優しさに充てられて怜史の頬を涙が伝う。涙に濡れた声が電波に乗って流生へと届く。

「……泣かせたね。ごめんね」
「流生さんのせいじゃない……」

 流生は「よしよし」と言って怜史を宥める。いつかどこかで、出琉にもそんな風に励まされた過去があったと思い出す。そこからまた涙がとめどなく溢れていった。

 そこには出琉を失った悲しみと、今電話越しにつながっている流生に下がる弱さの両方があった。

「……じゃあ、僕と気分転換に行こう」
「――え?」

 流生の言葉が突如張り上げられると、驚いた怜史の涙が引っ込んだ。咳払いを一つ挟み、流生は続ける。

「僕、明日大学が休みなんだ。車で少し遠くに出かけよう。みんなには内緒で」
「……」
「……あっいや! 怪しい誘いじゃなくて! 誘拐でもない! もちろん保護者の方にはちゃんと話して……!」
「いく」
「えっ」

 今度は流生の方が驚いて言葉を詰まらせた。大人らしい提案をしてきたかと思えば途端に自信をなくしてしまう。そんな流生を怜史は面白い人だと認識した。少しずつ流生がどんな人間なのか怜史も理解し始める。

「遊びに連れてって……ください。俺、流生さんともっと話がしたい、です」
「……そ、そうか。うん……そうか……」

 噛み締めるような声に少しノイズが混じって、だがすぐにクリアな音声で「分かった」と返事をされる。

「それじゃあ明日、九時に駅前にしよう。それだと学校行くつもりで出てこられるよね」
「はい。学校行くふり、してきますね」
「はは……ご両親には伝えてきてくれよ」
「……はーい」
「明日確認するからね……それじゃ」

 最後はどこか先生じみてしまった流生に膨れながら、怜史は通話の終わった画面を見つめた。久しぶりに人と会話をして喉の奥が掠れているような気がした。頬も少し痛かった。笑っていたのだと思い出した。

「こういうのなんて言うんだっけ……いずい?」

 刹那がしょっちゅう使っている「居心地が悪い」を意味する単語で、自分の内面を抽象的に独りごつ。だがその言葉の真の意味ほど大きな違和感は生まれずに、怜史の心は穏やかなマーブル模様を描いていた。

 どこまでも堕ちていけそうな深い悲しみの中に少しだけ浮ついた自分がいた。それが少し出琉に申し訳ないような気がしながらも、彼なら笑ってくれるのではないかと怜史はその笑顔を思い浮かべる。

 闇世の中で他の星々の光を打ち消す満月が、怜史の部屋の中に光を差し込まれせる。その色がいつもと違って見えた。
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