不老ふしあわせ

くま邦彦

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第三章 和二一族( 太康十年・西暦二八九年)

ボルテの力

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 五月も半ばが過ぎ、いよいよアキトモは、ボルテに出発の旨を伝えた。あまりにも居心地がいいため、これ以上出発を引き延ばすと、アキトモも、一族の皆も新天地を目指す決意が鈍る恐れがある。誰だって、この先当てもない不安に突き進むより、今の安心を望むものだ。
 しかし、アキトモの後ろには数千人の一族の生活がかかっている。この地でワニ一族の全員が生活できる訳がない。やはり新天地を見つけるしか方法はないのだ。
 決意を新たにするため、アキトモはボルテに頼んで、連れてきた二十五頭の馬を、すべて山羊と食料、そして水に交換してもらった。この月の終わり、アキトモは駱駝十頭、山羊二十頭と九十九人を引き連れて、ボルテの落を発った。
 出発に際し、アキトモはこっそりとボルテに丸薬を五個手渡した。丸薬の効用と扱い方は昨晩のうちに話をし、いざというときに役立ててほしいと告げた。
 ボルテは礼だといって、狼の牙で作った首飾りをアキトモに送った。アキトモはこれまでに、これほど大きくて白い牙を見たことがなかった。落の羊を襲ってきたとき、ボルテが仕留めたもので、これほど大きな狼を狩れるのなら、丸薬など必要はないかもしれない。
 道中は、山羊に大いに助けられた。山羊はわずかな草の臭いをかぎ分け、水のある所を探しながら、この不毛の地を導いてくれた。駱駝とアキトモ一行は、山羊の後を、信じてついていくだけだった。
 ただ、食料として山羊を一頭、また一頭と減らすに従って、砂漠を抜け出せるか食料が尽きるか、その不安の中で一行は耐えた。駱駝は、飲まず食わずでも数日間は何の変化もない。人間が鞭でも当てない限り、動こうともしない。むしろ、背負っている穀物が減っていく分、軽くなるので喜んでいるかもしれない。ただ、山羊の代わりに駱駝を食おうと言い出す者がいないので、駱駝の数は減らない。そのためか、いつも駱駝は笑っているように見える。
 十月に入る頃、アキトモ一行はやっと砂漠を抜け出すことができた。アキトモ一行にとって、この二年は決して無駄ではなかった。これまで農耕の知識しかなかった彼らに、牧畜の技術が備わり、馬や駱駝を操ることもうまくなった。
 アキトモの一行が辿り着いたところはバヤンノールという、西に向かう隊商の出発基地となる村だった。百人の大集団がやってきたのだ。隊商といえど、これだけ大人数の集団はめったにない。さっそく、この地の亭長がやってきた。
 アキトモが牌符を見せようとすると、「お前のぶら下げているのは、ボルテの狼牙ではないのか」と大声を上げてきた。「そうだ。彼からもらった」と答えると、「ボルテの兄弟分か。わかった、わかった。何か困ったことがあったら、いつでも儂を呼んでくれ」と言って立ち去った。牌符など見ようとしない。
 一年間、生活を共にしてきたが、アキトモは改めてボルテの実力を知ることとなった。
「いずれボルテは拓跋の部族長に、いや鮮卑の族長になるのかもしれない。その日がくるのを見たかった」とアキトモは呟いた。
 村の中央にある宿屋の主人に、駱駝を馬に交換したいのだがと言うと、一刻も経たないうちに、十頭の駱駝がニ十頭の馬に代わった。礼を言うと、ここでも「ボルテによろしく言ってくれ」と、酒の入った壺までつけてくれた。やはり、首から下げた狼牙の力だろう。 
 残りの山羊も穀物に代え、ここから進路を東へと変えた。
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