GOD DOG

針ノ木みのる

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碧落の遺児

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リグナムは縛ったロープを切り裂いて立ち上がったはずなのに、

その後はただ呆けたように床へ座り込んでいた。


まるで糸が全部切れた人形みたいに。


いや……それよりもっと痛々しい。

戦いで負った傷じゃなく、心の奥を刺されたみたいだった。


結晶柱の紫光が彼の横顔を照らしたとき――

僕は初めて見た。


リグナムの瞳は、あんなにも“諦め”で濁っていたのか。


沈黙を破ったのは、低くてひどく掠れた声だった。


「セリウス様はカレンデュラ教を頼むと世に託された。そのセリウス様がカレンデュラ教を見限られたなんて……信じられぬ」


「何言ってんの、あんたが洗脳で自白させたんじゃない。疑うなら自分の力でしょ」


ジャケに扱うミズメ。その言葉はリグナムの感情を揺さぶった。


「セリウス様の意思を継いだ世が、どれだけの想いで王位を目指したか、小娘に分かるまい!」


吐き捨てるような、馬鹿にするような声音。

だが、ミズメはたじろがない。


「知らないわよ、そんなの。てか、第一王子なんでしょ?普通は、あんたが家督を継ぐもんじゃないの?」


「普通ならな」


リグナムが顔を上げた。


その瞳の色……青色の虹彩が、ランタンの光を冷たく跳ね返す。


「お前達も教会にいたなら分かるだろう。聖書・第五章十八節」


苦笑いするミズメ。

勉強不足の彼女の代わりに僕は答えた。


「“神は陽であり、生の象徴である。訪れる終焉の日、生に満ちた陽色の目の者に神は意識を宿す。この世界に神を迎えるために、陽色の目の者を途絶えさせてはならぬ”」


するとリグナムはため息をこらえ、答えた。


「だから、世の目は“混ざり物”なのだ。父上の色ではない。それだけで、世は“皇帝の器ではない”と決めつけられたのだ」


彼は自分の胸を拳で叩いた。


「世の血に問題があるわけではない。ただ、生まれついた目の色が違うだけで……世の人生は最初から決まっておった」


声が震えているのを、隠しもしなかった。


「王宮の誰もが囁いた。

“あれは不義の子だ”“母の血が汚れているのだ”

……世は、いつだって“そこにいてはいけない存在”だった」


僕は言葉を失った。


リグナムは続けた。

拳を握りしめ、爪が掌に刺さるのも構わずに。


「世がどれほど努力しようと、どれほど鍛錬しようと……!

“王にはなれぬ者”という烙印は消えぬ!」


その声は怒りより、悲しみに近かった。


「父上は……昔は世に優しかった。だが、陽色の目の弟が生まれてからは世の存在が“邪魔”になった。

信仰は聖書が全てだ。教えとは違う王子など、民が認めぬ」


ミズメがぎゅっと拳を握るのが横目に見えた。


リグナムは深く息を吐いた。


「そして、来年。王血の証明の儀がある。

弟を正統な後継者とするため……世の命は、その前に“片付けられる”」


その言い方があまりにも自然で、

まるで「朝食前の仕事」のようで……逆に胸が痛かった。


「だが……セリウス様は違った」


表情がふっと変わる。

柔らかく、懐かしむように。


「セリウス様。父上の弟にして……世を唯一“家族”として扱ってくださった」


その名前を言うときだけ、声がやけに澄んでいた。


「世が泣けば抱きしめてくださり。

世が倒れれば背負ってくださった。

誰よりも、世の目を気遣い……

“その色は、美しい”と、言ってくださった」


リグナムは震える手で自らの目をそっと撫でた。


「世にとって……唯一の救いだった。

そんな方が、世へ遺した唯一の物がヴァインギアだ。


“これを託す。力を使いこなし、他者に認めさせるんだ、リグナム”

“カレンデュラ様のご加護があらんことを……”」


リグナムの声が震えた。


怒りでも、憤りでもない。

寂しさだ。

孤独の底で震えていた子どものような声だ。


ミズメが息を呑む。


僕は胸がぎゅっと締めつけられた。


敵であっても、許せない相手だったとしても……

この気持ちは嘘じゃなかった。


リグナムは爪を握りしめ、結晶の床を砕いた。


「なのに……!世はその遺志を果たしたかっただけなのに!

世はヴァインギアの声すら聞こえぬ不出来者……!!

そして、セリウス様はカレンデュラ様さえも見限った」


振り返り、僕を睨む。


その目に憎しみはなかった。

あるのは――“羨望”。


リグナムが近づき、僕の顔に手を添える。


ミズメが構えたが、敵意が無いことを僕は悟り、手で止める合図を出した。


僕の目を凝視したリグナムは答える。


「……屈辱だ。

だが……奇妙に、羨ましくもある。

世が……どうしても欲しかった才能が、お主にはあるようだ」


青い綺麗な瞳に吸い込まれそうだった。


瞳に映る僕の目は、反射光で一部アメジストのように輝いて見えた。


顔が近すぎて息が詰まりそうだった。


風もないのに蝋火が揺れたような気がした。


リグナムは顔を手で覆い、小さく呟いた。


「……もう、疲れたのだ。

王にもなれず、家族にも愛されず、国にも必要とされぬ……

第一王子など、名ばかりよ」


その言葉が落ちた瞬間――

神殿の空気が一気に冷えた気がした。


その空気を変えるように、ドロトさんは言い放った。


「リグナム。君の力を貸して欲しい」


その言葉には、洗脳の波長は全く含まれていなかった。

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