あなたと、恋がしたいです。

玉響なつめ

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二十一:ぽろり

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 それから放課後がやってきた。
 紬としては来てほしかったような来てほしくなかったような、複雑な気分だ。

 それでも朝が来て昼が来たのだから、放課後がやってくるのは至極当然のことであり、申し出たのは彼自身なのだから逃げるつもりはない。

「どこで話す?」

「どこでもいいけど、あんまり賑やかじゃないところがいいよねえ」

 のんびりとした、雫のいつもの口調だった。
 それが逆に違和感があって、紬は傍らを歩く彼女をつい見た。

 まるで視線が合わないのに、いつもと同じように振舞う雫を見てようやく彼も思い至る。

(ああ、雫も、緊張してんのか)

 そりゃそうか、と声に出さずに呟いた。
 彼女からすれば断られること前提で申し出たのを、あえてまた言葉にされて傷つけられるようなものだ。緊張するなという方が無理というものだろう。
 そこにひとつも、紬が彼女を選ぶという未来が見えていないというのが何とも腹立たしく、そしてその通りで自分でも落胆する。

 いっそのこと、彼女を選ぶことができたら。
 そうちらりと思った紬は自分のことを殴りたい衝動に駆られる。

(花梨には、ンなこと言うなってどの口が……くそったれ)

 連れ立って歩く放課後の校舎内には、やはり人の姿が多かった。
 同じ学年の人間は早々に姿を消してはいたものの、部活で残る生徒はやはり多い。

 そんな中でこの微妙な話題を気軽に話す気分には到底なれなくて、紬は段々と眉間に皺を寄せていく。

(どうする……図書館、じゃ目立つし。体育館裏……どこのマンガだっつぅの……)

 それでもぶらぶら歩くだけでは結局時間の無駄になる。
 誰かの目について妙な噂でもされれば、雫の迷惑になるだろうと紬は考えた。
 
「……中庭でいいか?」

「うん」

 ぽつりと問えば、雫からは肯定があってほっとする。
 だがすぐに前回と同じ場所だったと思い出して紬は頭を抱えたくなったのだが、自分から言い出した手前なにも言えなかった。
 それに、それならばどこが適しているのかという代案も思いつかなかったから。

(馬鹿か、もう……)

 告白された場所で、答えられなかった場所で、逃げられた場所で。
 それを思えば最悪の選択だと最初に気が付いていいはずなのに、失念しているとはどれだけ馬鹿なのかと自分を罵るもののもうどうすることもできない。

 二人で黙りこくったまま、校舎内を抜けて靴を履き替えて中庭に行く。
 前回と違うのは、飲み物を持っていないことだろうか?

「……悪ィ」

「うん」

 何に対しての謝罪なのか。
 それに対して、何の肯定なのか。

 中庭のベンチに隣り合うように座って、沈黙が落ちる。
 あの時と同じで、遠くから部活をする生徒の掛け声や吹奏楽部の演奏が聞こえてくる。

 同じで、違う環境だった。
 あの時は友達だと思って――今も友達だと思っている。
 でもそこにある『想い』が違っていることが決定的だった。

「俺は、雫の気持ちに応えられない」

「うん」

「お前みたいに、真っ直ぐじゃねえ」

「……違うよ」

「違わねえよ、俺にはそう思えたんだから」

「そっか」

 言葉は、互いに短い。
 一つ話せば、一つ沈黙がある。
 それは気まずいのに、それでもそこにある沈黙は妙に真摯なものだった。
 逃げ出したいと思うのに、一つ一つ言葉にすることでひどく落ち着いていくのも事実だ。

「俺はまだ、花梨が好きだ」

「知ってる」

「お前が、嫌な奴だったらよかったのにとか思うようなヤツなんだよ。悪いな」

「……わたしも、同じようなものだよ」

 雫が笑う。
 力なく、儚いその笑い方はひどく胸が痛かったが、それでもこうやって目を合わせて話せたことに随分と紬の心は軽くなった。
 だがそれはあくまで彼が自分の罪悪感という呪縛から少しずつ解放されたような気分になっているというだけで、雫は傷ついているに違いない。

「なあ」

「うん」

「なんで」

「うん」

「俺が、お前に応えられないってわかってて、言えたんだよ」

 聞いても、意味がないことを紬は知っている。
 答えてもらってもそれがなんにもならないことを知っている。

 それでも知りたかった。
 悲しいことに紬が強いと思った雫だって傷ついているし、それを傷つけているのは弱くてひどい人間だと思う自分なのだから矛盾も良いところだ。
 それでも、紬は知りたかった。
 自分勝手だと詰られても良いから知りたかった。

 恋する幸せも、実らない不幸も知った上で。
 同じような・・・・・想いをしているはずの雫が自分と違う行動をとれたのは、他人だからだとわかっている。

「言えたんじゃないよ」

 それまでの笑顔が、消える。
 ただ真っ直ぐに、射貫くかのような視線が紬を捉えた。
 消えてしまった表情は、ただ事実を淡々と語っているのだと、彼に伝えていた。

「言わずに、いられなかったんだ」

 それは、溢れてしまった想い。
 この恋物語で、自分は傍観者であるべきだったと雫は思っている。
 それでも、溢れてしょうがない衝動だった。

 言えば消えてくれる、そんな淡い期待をした。
 それよりもずっと、重症だった。

「言葉にして、紬くんに伝えて。より一層思ったよ。好きだって」

「……」

「代わりでも良いからっていうのも、本気だった。それで紬くんがこっちを少しでも向いてくれるならって。ホラ、最低だったでしょ?」

 花梨が、どんなに素敵な人間なのかは彼女が一番知っている。
 そんな彼女だから紬が恋をしたのだ。その代わりで良いなんて、二人に対して失礼だとわかっていても止まらなかった。

 そのくらい、彼女にとって紬は、誰にも代えられなかったのだ。
 彼がそれを拒否する程に、恋した相手を代えられなかったように。

「言わないでおくつもりだったんだぁ……」

 雫が、力なくそう言った。
 俯くようにして、足をぶらぶらさせて、自嘲の笑みを浮かべて。

 紬は何も言えなかった。
 そんな表情を見たこともなかったし、そんな顔をさせたのが自分だと思うと今更ながらに動揺してしまったからだ。

 強いと思ったのは、ただの錯覚。
 同じように、実らぬ恋にもがく姿は痛々しい。

(俺たちは、何をしてんだろうな)

 もっと簡単に、思い出にできたなら。
 それなら、自分も雫も傷つかずに、前にもっと朗らかに進めるのに。

「……なあ、どうしたい」

「今まで通りには戻れないよ」

「……おう」

「花梨ちゃんに想いを向ける紬くんを見るのが、辛いもん」

「おう」

 気の利いた答えなんて、ない。
 自分たちが我慢することで、『好きな人』が喜んでくれるなら。
 それはただの自己満足だ。
 紡と花梨の姿を見ながら、吐きそうになっていた自分を思えばそれを雫に望むのは酷だと紬は知っているし、望む気はさらさらない。

 じくじくとして胸の痛みを抱いて、その痛みに慣れるのを待つしかないのかと思うと気が遠くなりそうだった。
 それでもそれ以上の答えがあるなら自分の方が知りたいと紬は思うのだ。

 雫が、立ち上がる。
 今度は、綺麗な笑顔だった。

「あのね、紬くん」

「なんだよ」

「下駄箱に、手紙があったでしょ?」

「……あ?」

 自分が出したメモのようなものを、雫もくれていたのだろうか。
 咄嗟に反応できなかった彼に、雫は笑った。

「あなたと恋がしたいです」

 ぽろりと、彼女の目から、涙が零れた。
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