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三十一:そして、迎える転機
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そして、雫が戻らないまま春が来た。
彼女に渡されるはずだった卒業証書は、受け取り手がいないまま式が進められた。
別れを惜しむ同級生同士、あるいは後輩たち、笑顔で別れつつも再会を約束する者たち、それぞれがそれぞれに新しい門出を胸に抱いたその日。
花梨と紡、そして紬も勿論その場にいた。
彼らの胸にはそれぞれピンクの、卒業生が付ける花が飾られていた。
手には卒業証書の入った筒を持ち、先程までいた校舎を仰ぎ見る。
「卒業かあ……」
「まあ、卒業できて良かったよな紡」
「おー、ほんとほんと。助かったよ紬」
「これに懲りたら専門学校の方はちゃんとやれよ? 今度は手伝えねぇんだから」
「わかってるって!」
いつものように笑い合いながら、じゃれ合いながら。
時々他の人に声をかけられながら校門の方へゆっくりと三人で並んで歩く彼らだったが、花梨が足を止める。
「あっ……」
漏れ出たその声は、どこか悲しそうなものだ。
そして彼女の視線の先を自然と追った二人が見たものは、紬の担任に頭を下げる、二人の老人の姿。
何かを話して、女性の方は泣いているようだ。
そんな老夫婦らしき二人の手には、今、紬たちも持っているものと同じ筒がある。
「……あれね、雫のお父さんとお母さんだよ」
花梨が、ぽつりと言った。
高校生の子供がいる親というよりは、まるで祖父母のようだと紬はびっくりしてもう一度見てしまった。紡も同じことをした。
花梨は、それを咎めるでもなく微妙な顔をしていた。
「雫が入院した時から、ずっとずっと、……なんか、老けちゃった」
花梨の記憶にある雫の両親は、いつも笑顔で彼女を迎えてくれて優しくしてくれた、上品な人たちだった。
あまり体が丈夫でない雫が休んだ時、いつも連絡ノートやプリントを持っていくのが花梨の役割で、家族ぐるみの付き合いもあった。
中学の入院の時も、雫の母親がすごくやつれていったことに花梨も心配した。
でもそれは娘が入院したのだから当然だろうとも思った。元気になれば、雫の両親もまた元気になるだろうと信じて止まなかった。
ところが、高校になっての雫の入院からは――何かが、違っていた。
違っていたと気づいていたのに、それがなんなのか、花梨にはわからなかった。
会いに行けば病室で出会う雫の両親は、変わらず優しかった。笑顔だった。
その笑顔が、疲れていることは気づいていた。
でもそれは雫が心配だからだと思っていた。それは間違いじゃなかった。
ただ。
ただ。
それが、大切な人を亡くすかもしれない恐怖と闘う中で、雫を怖がらせないために作った笑顔だったなんて、知らなかっただけだ。
疎いとそれを誰が責められるだろう。
花梨にとって、雫がいなくなるなんてことは頭の中でこれっぽっちもないのだ。それがごく当たり前だったのだ。
生まれて、両親に愛されて、ちょっとした病気や怪我はするし時には入院だってするかもしれない。
だがその中で命に関わるほどのなんて予想は、していない。
大多数の人間が、そうであるように。
そんなごくごく一部の、レアケースだと思っているような出来事に直面したことはそれまでなかったのだから。
「……雫と一緒に、卒業式やりたかったな」
ぽつりと花梨が言ったそれに、二人は何も返せない。
もし、ここに雫がいたなら。
折角だから記念写真を撮って、きっと雫は進学だろうからその入学式できる服について花梨と話したりなんかして、それぞれが新生活をするまでの間、どこかに遊びに行こうとかそんな計画を立てていたに違いない。
別に今、彼女に遠慮をしているわけではないけれど。
それでも、なんとなしに申し訳ない気持ちがあって、せいぜいカラオケにでも行こうか、くらいにしか彼らの話題はない。
いつまでもそんなんじゃだめだ、と紡は言ったこともある。
だけれど、そんな気分になれないものはなれないのだから仕方がなかった。
とりあえず、自分たちが気づいてあげれなかった、それについて延々と悔やむのだけは止めただけ彼らも前に進んではいるのだが、それとこれは別なのだ。
「あたし、ちょっと挨拶してくるね!」
「……おう」
「オレも行くか?」
「いーよ、まずあたしだけの方がいいって。二人は雫のお父さんたち知らないんだし、いきなり行ったらびっくりされちゃうっしょ」
先程までの悲痛な表情が嘘かのように朗らかに笑った花梨が、待ってて、と言い置いて走り去る。
その背を見ながら、二人は顔を見合わせて何とも言えないままに曖昧に笑った。
「……雫のご両親か」
「どういう気持ちでここ、来たんだろーなあ」
「そりゃ悔しいんじゃねえの」
「まあ、そりゃそうだよな……雫ちゃん、どうしてっかな」
紡の呟きに、紬は答えることはなかった。当然、答えようもなかったというのが正しいのだけれども。紡のそれが答えを望んだものでないとはわかってはいても、紬もまた同じことを思って彼女の両親を遠目に見るだけだ。
花梨が彼らの元にたどり着いたのは、ちょうど教師との挨拶を終えたくらいだったのだろう。
何を話しているのかはさっぱりわからないが、恐らくはあちらも笑顔で「おめでとう」と花梨に言ってくれているのかもしれない。
彼らの様子は遠目に見ても、とても和やかそうだった。
花梨が何かを言ったからだろうか、雫の両親もこちらの方へと視線を向ける。
じっとこちらを見ているであろうことがわかって、なんとなく気まずさを覚えて紬と紡は顔を見合わせてから二人でぺこりと頭を下げた。
「……アイツ、何言ったと思う?」
「仲良くしてた男友達ってちゃんと言ってくれてるといいけどねー」
「なんかこっち来てねえか」
「あれ、ほんとだ」
「マジか」
「マジだね」
もう一度、二人で顔を見合わせる。
なぜだか雫の両親が、花梨に連れられてこちらに歩いてくるのが見えたのだ。
このまま棒立ちで待っているのもなんだか申し訳なさを覚えて、二人はどちらからともなく歩き出す。
どこか、緊張した。
あれほどまでに雫の行方を、現状を顔見知りである花梨にも頑なに話さない彼女の両親が自分たちをどう思っているのか、それは不安の種でしかなかった。
もっと娘のことを気にかけてくれていれば、と思った?
それとも告白を断ったことをに憤慨した?
紬の中にずしりと重さを持ったそれがわずかに頭をもたげたけれど、それはそれで受け止めなければ雫について聞けるはずもないと覚悟を決めた紬は前を向く。
「紬、顔ヤベぇ」
「あ?」
「無愛想極まれりってカンジ」
「……」
紡に注意され、はっとする。
緊張が顔に出ていたらしいと気が付いて、バツが悪くなった紬は視線を泳がせて、深呼吸をした。
それを見て笑う紡を少しだけ睨みつけるが、それもなんだか間抜けな気がして思わず笑うが零れる。
「……悪ぃ、第一印象最悪になるとこだったわ」
「おう、感謝は帰りにコーラ一本でいいわ」
「うるせ、お前が受験前に赤点免れたのは誰のおかげだと思ってんだバーカ」
「バカっていうやつがバーカ」
小声でぽんぽんとやりとりをしている間に、先にこちらに駆けてきていたらしい花梨が首を傾げる。
二人の様子に、また馬鹿をやっているのかと言いたげだ。
「んもー、二人とも高校卒業したんだしいつまでも馬鹿なことやってたらだめだよ? 折角雫の両親が挨拶したいって言ってくれてんのにさ!」
「紬が人見知りだから緊張ほぐしてただけだって!」
「紡が調子に乗ってたから注意しただけだ」
「だからそういうところだって」
けらけらと笑い出した花梨に、追いついた老夫婦の姿を認めて紬と紡が姿勢を正す。
優しげで、どこか寂しそうに笑う女性の手には卒業証書の入った筒。
その女性の肩を抱くようにして寄り添う眼鏡の男性は、疲れた顔をしていたが、それでも彼らに対して穏やかな笑みを浮かべていた。
「初めまして、娘から二人の話もよく聞いていたよ。如月 雫の父親だ、挨拶が遅れてすまないね」
「雫の母です、いつも気にかけてくださって、ありがとう……」
どこか震えるその声に、紬と紡は咄嗟に声が出ず。
ただただ、頭を下げるしかできなかった。
「……今日を境に、君たちも新しい道を歩むんだろう? だから、……今日伝えようと、妻と決めていたんだ」
「えっ?」
雫の父親の言葉に、花梨が目を瞬かせた。
そして、そんな彼女に何かを堪えきれなかったのか、雫の母親が目を手で隠した。
「雫は、……手術は成功したし命に別状はないけれど、もう君たちに会うことはないと思う」
彼女に渡されるはずだった卒業証書は、受け取り手がいないまま式が進められた。
別れを惜しむ同級生同士、あるいは後輩たち、笑顔で別れつつも再会を約束する者たち、それぞれがそれぞれに新しい門出を胸に抱いたその日。
花梨と紡、そして紬も勿論その場にいた。
彼らの胸にはそれぞれピンクの、卒業生が付ける花が飾られていた。
手には卒業証書の入った筒を持ち、先程までいた校舎を仰ぎ見る。
「卒業かあ……」
「まあ、卒業できて良かったよな紡」
「おー、ほんとほんと。助かったよ紬」
「これに懲りたら専門学校の方はちゃんとやれよ? 今度は手伝えねぇんだから」
「わかってるって!」
いつものように笑い合いながら、じゃれ合いながら。
時々他の人に声をかけられながら校門の方へゆっくりと三人で並んで歩く彼らだったが、花梨が足を止める。
「あっ……」
漏れ出たその声は、どこか悲しそうなものだ。
そして彼女の視線の先を自然と追った二人が見たものは、紬の担任に頭を下げる、二人の老人の姿。
何かを話して、女性の方は泣いているようだ。
そんな老夫婦らしき二人の手には、今、紬たちも持っているものと同じ筒がある。
「……あれね、雫のお父さんとお母さんだよ」
花梨が、ぽつりと言った。
高校生の子供がいる親というよりは、まるで祖父母のようだと紬はびっくりしてもう一度見てしまった。紡も同じことをした。
花梨は、それを咎めるでもなく微妙な顔をしていた。
「雫が入院した時から、ずっとずっと、……なんか、老けちゃった」
花梨の記憶にある雫の両親は、いつも笑顔で彼女を迎えてくれて優しくしてくれた、上品な人たちだった。
あまり体が丈夫でない雫が休んだ時、いつも連絡ノートやプリントを持っていくのが花梨の役割で、家族ぐるみの付き合いもあった。
中学の入院の時も、雫の母親がすごくやつれていったことに花梨も心配した。
でもそれは娘が入院したのだから当然だろうとも思った。元気になれば、雫の両親もまた元気になるだろうと信じて止まなかった。
ところが、高校になっての雫の入院からは――何かが、違っていた。
違っていたと気づいていたのに、それがなんなのか、花梨にはわからなかった。
会いに行けば病室で出会う雫の両親は、変わらず優しかった。笑顔だった。
その笑顔が、疲れていることは気づいていた。
でもそれは雫が心配だからだと思っていた。それは間違いじゃなかった。
ただ。
ただ。
それが、大切な人を亡くすかもしれない恐怖と闘う中で、雫を怖がらせないために作った笑顔だったなんて、知らなかっただけだ。
疎いとそれを誰が責められるだろう。
花梨にとって、雫がいなくなるなんてことは頭の中でこれっぽっちもないのだ。それがごく当たり前だったのだ。
生まれて、両親に愛されて、ちょっとした病気や怪我はするし時には入院だってするかもしれない。
だがその中で命に関わるほどのなんて予想は、していない。
大多数の人間が、そうであるように。
そんなごくごく一部の、レアケースだと思っているような出来事に直面したことはそれまでなかったのだから。
「……雫と一緒に、卒業式やりたかったな」
ぽつりと花梨が言ったそれに、二人は何も返せない。
もし、ここに雫がいたなら。
折角だから記念写真を撮って、きっと雫は進学だろうからその入学式できる服について花梨と話したりなんかして、それぞれが新生活をするまでの間、どこかに遊びに行こうとかそんな計画を立てていたに違いない。
別に今、彼女に遠慮をしているわけではないけれど。
それでも、なんとなしに申し訳ない気持ちがあって、せいぜいカラオケにでも行こうか、くらいにしか彼らの話題はない。
いつまでもそんなんじゃだめだ、と紡は言ったこともある。
だけれど、そんな気分になれないものはなれないのだから仕方がなかった。
とりあえず、自分たちが気づいてあげれなかった、それについて延々と悔やむのだけは止めただけ彼らも前に進んではいるのだが、それとこれは別なのだ。
「あたし、ちょっと挨拶してくるね!」
「……おう」
「オレも行くか?」
「いーよ、まずあたしだけの方がいいって。二人は雫のお父さんたち知らないんだし、いきなり行ったらびっくりされちゃうっしょ」
先程までの悲痛な表情が嘘かのように朗らかに笑った花梨が、待ってて、と言い置いて走り去る。
その背を見ながら、二人は顔を見合わせて何とも言えないままに曖昧に笑った。
「……雫のご両親か」
「どういう気持ちでここ、来たんだろーなあ」
「そりゃ悔しいんじゃねえの」
「まあ、そりゃそうだよな……雫ちゃん、どうしてっかな」
紡の呟きに、紬は答えることはなかった。当然、答えようもなかったというのが正しいのだけれども。紡のそれが答えを望んだものでないとはわかってはいても、紬もまた同じことを思って彼女の両親を遠目に見るだけだ。
花梨が彼らの元にたどり着いたのは、ちょうど教師との挨拶を終えたくらいだったのだろう。
何を話しているのかはさっぱりわからないが、恐らくはあちらも笑顔で「おめでとう」と花梨に言ってくれているのかもしれない。
彼らの様子は遠目に見ても、とても和やかそうだった。
花梨が何かを言ったからだろうか、雫の両親もこちらの方へと視線を向ける。
じっとこちらを見ているであろうことがわかって、なんとなく気まずさを覚えて紬と紡は顔を見合わせてから二人でぺこりと頭を下げた。
「……アイツ、何言ったと思う?」
「仲良くしてた男友達ってちゃんと言ってくれてるといいけどねー」
「なんかこっち来てねえか」
「あれ、ほんとだ」
「マジか」
「マジだね」
もう一度、二人で顔を見合わせる。
なぜだか雫の両親が、花梨に連れられてこちらに歩いてくるのが見えたのだ。
このまま棒立ちで待っているのもなんだか申し訳なさを覚えて、二人はどちらからともなく歩き出す。
どこか、緊張した。
あれほどまでに雫の行方を、現状を顔見知りである花梨にも頑なに話さない彼女の両親が自分たちをどう思っているのか、それは不安の種でしかなかった。
もっと娘のことを気にかけてくれていれば、と思った?
それとも告白を断ったことをに憤慨した?
紬の中にずしりと重さを持ったそれがわずかに頭をもたげたけれど、それはそれで受け止めなければ雫について聞けるはずもないと覚悟を決めた紬は前を向く。
「紬、顔ヤベぇ」
「あ?」
「無愛想極まれりってカンジ」
「……」
紡に注意され、はっとする。
緊張が顔に出ていたらしいと気が付いて、バツが悪くなった紬は視線を泳がせて、深呼吸をした。
それを見て笑う紡を少しだけ睨みつけるが、それもなんだか間抜けな気がして思わず笑うが零れる。
「……悪ぃ、第一印象最悪になるとこだったわ」
「おう、感謝は帰りにコーラ一本でいいわ」
「うるせ、お前が受験前に赤点免れたのは誰のおかげだと思ってんだバーカ」
「バカっていうやつがバーカ」
小声でぽんぽんとやりとりをしている間に、先にこちらに駆けてきていたらしい花梨が首を傾げる。
二人の様子に、また馬鹿をやっているのかと言いたげだ。
「んもー、二人とも高校卒業したんだしいつまでも馬鹿なことやってたらだめだよ? 折角雫の両親が挨拶したいって言ってくれてんのにさ!」
「紬が人見知りだから緊張ほぐしてただけだって!」
「紡が調子に乗ってたから注意しただけだ」
「だからそういうところだって」
けらけらと笑い出した花梨に、追いついた老夫婦の姿を認めて紬と紡が姿勢を正す。
優しげで、どこか寂しそうに笑う女性の手には卒業証書の入った筒。
その女性の肩を抱くようにして寄り添う眼鏡の男性は、疲れた顔をしていたが、それでも彼らに対して穏やかな笑みを浮かべていた。
「初めまして、娘から二人の話もよく聞いていたよ。如月 雫の父親だ、挨拶が遅れてすまないね」
「雫の母です、いつも気にかけてくださって、ありがとう……」
どこか震えるその声に、紬と紡は咄嗟に声が出ず。
ただただ、頭を下げるしかできなかった。
「……今日を境に、君たちも新しい道を歩むんだろう? だから、……今日伝えようと、妻と決めていたんだ」
「えっ?」
雫の父親の言葉に、花梨が目を瞬かせた。
そして、そんな彼女に何かを堪えきれなかったのか、雫の母親が目を手で隠した。
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