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三十三:半年後

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 どうしたら良いのか、各自の中で結論が出ないままにあっという間に彼らは新生活の波に飲み込まれた。
 学生服ではない生活は、最初の頃こそ少しだけ照れくさくもあったが次第にそれが当たり前になってしまえばなんていうことはなかった。
 バス通学だったものが電車通学になり、紬と紡は一緒の登校だったものが別々の時間になり、帰宅時間も変わり。
 親は少しだけ、老けたような気がすると双子としてはそこが心配だったが口に出すと両親ともにどちらからも説教を食らうことになるので何も言わずにバイトにいそしむことにした。
 そのバイト代から自分たちの交通費や教材費を払い、学費を親に負担してもらいつつ奨学金も視野に入れている。
 やはり双子で同時に進学ともなればそれ相応に必要であることは彼らだってわかっていたし、何度となく話し合う中で親をようやく納得させることができたのだ。
 ただそれには、ある程度の成績を残すことと言われているので必死ではあるのだが。

 とはいえ、時間が過ぎていく中で新しい生活というのは慌ただしい。
 それが少なくとも、紬には救いだった。

 救いというには大袈裟だったのかもしれない。
 あの卒業式の日に、雫の両親に会って聞かされた話は彼を少なからず荒れさせた。結局のところどうすることも出来ずに悶々とする日々だった。

 それでも日が経てば新生活をしなければならず、その手続きや新しい環境、学ぶべきことの多さ、自由度が増えた分だけ加算された責任……それらをどう受け止めるのか、自分自身で考えることが増えたように思う。
 今までは親の言いつけを守ったり、教師に言われるままだったりした部分を選択できるというのはありがたくも面倒だと思う程度には、紬は相変わらず不器用なほど真面目だったのだ。

 半年もすれば、自然とあの荒れた心は少しばかり落ち着きを取り戻し、考えることもできた。

(……今、どーしてんだろな)

 あの日、雫の両親は、彼女は命を取り留めたが周囲の環境を受け入れ切れずにふさぎ込みがちで、家に閉じこもっているのだと言っていた。
 それでもいつかは時間が解決してくれる。
 そうも言っていたけれど、自分が周りに流されることで落ち着いたような、そんな時間は彼女にあるのだろうか、と思う。

 そんなことをぼんやりと考えながら、バイトの制服をロッカーの中に突っ込んでやや乱暴に閉める。少しばかり立て付けの悪いその古いロッカーは、最近働き出した紬の私物なんてまだほとんどない。

「それじゃ、お先失礼しまっす」

「ああ、お疲れー。明日も頼むよー!」

 ぺこりと頭を下げて出た所で、背中にかかる声に紬はまた軽く会釈だけして出る。

「ん、ああ……花梨か」

 大学を終えて向かったバイトが終われば、もうすっかり外は真っ暗だ。
 まだ初秋ということもあってじっとりとした暑さが残る気候に、紬は張り付くシャツに煩わしさを覚える。

 首元に感じた気持ち悪さを乱暴に袖で拭いつつ、スマホの通知を見て指を滑らせる。

「相変わらずスタンプ多いな」

 別に、あの件があっても花梨と紬、紡は繋がっている。まったく関係に変化はない。
 時々時間が会う時に会って、一緒に食事をし、遊びにだって行く。

 そして時々、雫のことも、口に出す。
 ただそれだけだ。

 進路が別になって紡との関係も消えてしまうのではと怯えていた花梨だったが、すっかりとそんな不安はなくなったらしく今は新生活を謳歌しているのだからおかしなものだ。
 だが、紬だってそんな彼女に対して狂おしいほどに想いを寄せて吐きそうなほどに苦しんでいたのが、今や嘘のように穏やかなのだから人のことは言えない。

(思い出、か)

 花梨からのメッセージにあったその言葉に思わず笑みが零れた。
 苦いものが滲んだのは、彼女のメッセージそのものではなくて、あんなに恋焦がれた彼女への思い出が自分でも気が付かないうちに思い出になってしまっていたことに対する何とも言えない気分の問題だった。

 綺麗ごとを言うわけではないが、恋をして、恋が実らなくて、それがひと段落して「よし! 次に行こう!!」とそんな風に自分の中で区切りが生まれるものだとばかり思っていたのだ。
 それがいつの間にかよくわからないうちに、実らないことに苦しんで、同じように苦しむ人がいて、その人に会えなくて……新しい環境で出会う人たちがいて、自分がいた世界が小さいものだったのだと知る。
 そんな怒涛の中でいつの間にか・・・・・・思い出になっていたことに戸惑わずにはいられない。

 それを、よりにもよって恋した相手からのメッセージで自覚するのだから救われない。
 むしろ花梨からのメッセージだからこそ、紬もふとしたことで認識できたのかもしれないけれど。

『雫と思い出作りをしようと思うの』

「……そーかよ」

 ぽつりと呟く。

 あの日から、紬の中で今度は雫のことがあの日のままだ。
 花梨は、泣いて泣いて、割り切って、新しく関係を築き直すのだと張り切って実行しているらしい。
 あまり相手にもしてもらえないどころか、過去友人だったことを思い出せないことに泣かれ、申し訳なさから会うのを拒否される日もあるのだと笑っていた。
 少し、泣きそうな顔で。

 紡は、雫に会うことを拒否した。
 あの頃の雫が自分の中の雫で、今はまだ割り切れそうにないから、とはっきりとした答えだった。

 それぞれがそれぞれに出した答えは、紬の中で花梨への想いが『思い出』とはっきり言えるようになったように変わっていくのだろう。
 いつかは花梨が雫から離れることもあるかもしれないし、紡がひょんなことから雫と出会って言葉を交わし合うのかもしれない。

(……俺は、どうするかな)

 会いたいと言えば、花梨が雫の両親にも、雫にも話を通してくれるだろう。
 それを受け入れるかどうかはあちら次第だし、それに対して拒否されようがチャレンジするかどうか、それもまた紬次第だ。

 ただ正直に、怖いと思う。
 それを認められるくらいには、紬はあの頃よりも成長していた。

(新しい関係、……新しい、関係?)

 雫が何も覚えていないのは、雫の責任ではない。
 ただ、紬の中であの日のままの雫は、ぼんやりと朧げな癖に悲しげだった。

 そんな顔をさせたのは自分で、向けられた恋心も自分で。

 彼女の中で、それが綺麗さっぱり消え失せているのだと知るのは、怖かった。

「ああくそ、どうすっかなあ……」

 だからと言って、紬には紡のように会わないということを選ぶつもりが微塵もなかった。
 それが一番、本人を困らせているのだ。

(会わなきゃ、俺は何も区切りがねえ)

 区切りなんて作らずとも、花梨への想いと同じでいつの間にかどうにかなるものだとようやく理解できたところだ。
 それでもそれはそれでけじめがなくて、紬自身が嫌なのだ。

 と言っても、会うとなれば覚悟がいる。
 その覚悟そのものは、今の所、足りなかった。

 会いたい、だけれど会いたくない。
 まるで恋する乙女のようなその感情に振り回される紬は、がしがしと乱暴に己の頭を掻きむしって夜の街を抜け、とりあえず明日の課題提出に向けて意識を切り替える。
 
 そうすることで、一旦保留にすることができると、最近そんな方法ばかりを知ってしまったことを呆れつつ紬は未だ答えが出せずにいるのだった。
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