軌跡 Rev.1

ぽよ

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5章

3限

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 仁は4限の授業に向かった。つまり俺は1人になった。卒論は少しだけ進んだ。仁に日本語表現を聞きながら書いたがどこまで正しいかさっぱり分からない。しかし、俺よりは多分まともな日本語の感覚だと思う。いろんなことを指摘してもらった。
 結局書けたのは前書きだけだった。たった数百文字だけだったが、ギリギリ日本語としては読めるものになったはずだ。データをプリントアウトし、教授の元に持っていく。

「今こんな感じで書いてるんですけど」
「お前は堅実にやってきてたからな。まぁ、添削はしておこう」
「お願いします」

 データを受け取った教授は、また卒論が怪しい学生の相手に戻った。あの紙が見られるのはいつになるのかというほどの喧騒の中、ふと思い立った。

「過去の論文読んでみるか」

 もちろんいろんな知識を得る上では読んでいる。しかし、文章の書き方や、論理の構築という意味では読んだことがなかった。過去に読んだ論文リストを見返しながら、紙の束を漁る。残しておいて正解だった。前書きから、最後の謝辞まで全部読んでみる。
 どんな構成なら間違いじゃないのか、どんな言葉なら適切なのか。使うべき評価はどういったものなのか。目を向けるべきはそもそも何か。疑問点が出てきた時は教授に聞いたほうがいいのかもしれない。一回リストアップしてから聞いてみよう。そうすれば何か見えてくるものが変わるかもしれない。

「徳川、今日中には添削して返すようにするから、ちょっと待っててくれ」
「わかりました」

 考え事をしていたら、教授に話しかけられた。今日中に帰ってくるなら、考え事をしても思い浮かばないかもしれない。とは思いつつも、自分の力を確かめたいというのもある。たった数ヶ月研究しただけで何かが変わるなら研究職というのはもっとポピュラーになっているだろう。そういう観点から考えても何も変わってないことはなんとなく予想がついていた。しかし、やってみたくなったのだ。

「うーん」

 やってみるのはいいものの、やっぱり何ひとつわからない。とりあえずリストアップはできた。なんとなくではあるが。普段の話し言葉とは違う言語で書かれているような気がする。日本語なのに、日本語のような気がしない。改めて見返してみた。仁にアドバイスをもらいながら書いたというのに、自分の日本語能力とはこんなものだったのかと絶望する。
 唸りながら、できることをやる。進捗は一つでも多い方がいいんだ。しかし、焦るのは良くない。ここはひとつ、落ち着くことにしよう。

「ちょっと外出てきます」

 研究室の人間に声をかけて外に出た。ちょっと、ゆっくりしよう。それからでも、再スタートできる。そう思い、賢は大学の構内へと出た。
 研究室から出て外の空気を吸う。息苦しさはない。まだまだ残暑の残る構内を歩く。特に何をするわけでもない。だらだら歩く。

「とりあえず一休み」

 校内に設置されている木のベンチに座る。大学の中で言えば、そこそこ立派で、宣伝写真にも使われる建物の前に置かれている。どうやら宣材写真はここに学生を座らせて撮っていると思われる。賢には無縁な話だが。これまた賢には無縁な話だが、ここでタバコを吸って大事になった学生がいるらしい。自分の身分がなんであるかを考えれば、構内で吸うということは控えると思うのだが。と考えていても吸う人間がいるという事実はあるのだ。そういう人間とは理解し合える気がしない。そんなことを考える昼下がり。
 何をしようか。特に何をするわけでもなく出てきた。目的もなければやるべきこともない。
 ガヤガヤするほど人がいるわけではないが、往来と呼べるくらいの人間は常に動き回っている。授業が終わった教授や、遅刻して大慌てで講義室に向かう学生。会議が終わったのか、そこそこの人数で出てくる事務職と思われる人間達。ゆっくり一休みしてから、立ち上がった。

「コンビニにでも行くか」

 学内にあるコンビニに向かって歩く。 コンビニは色々売っているが流石にコンビニの値段でしか売っていない。学外に出れば歩いて10分ほどのところにスーパーがあるため、売れ行きはそんなに良くないらしい。考えてみれば当たり前の話なのだが、何も対策を打っているようには見えなかった。
 入ってみたのは良いものの、食べたいものも欲しいものもあるわけではない。賢としては、そもそも生協もあるのになぜ作ろうと思ったのか分からない。一通りふらふら歩いたところで、研究室に戻る。現実に引き戻される。それもまた人生だと思いながら、歩いていく。

「めんどくさくなってきたな」

 めんどくさくなってきたが、やらなければ終わらないこともある。4限が終われば仁も来る。それまで、じっくり考えることにしよう。

「ただいま」
「おかえり」

 気がつけば研究室の前にいた。扉を開けると、研究室は、やけに静かだった。同じ研究室の学生が1人居ただけだ。

「他の奴らは?」
「ドタバタしながら出ていったよ」
「そうか」
「まぁそのうち帰ってくるでしょ。あ、教授が添削置いてったよ」
「あ、ありがとう」

 机の上に置いてある朱書き。もはや訂正が多すぎて何がなんだかさっぱり分からない。やはり日本語というのは難しい。

「ところでお前は行かなくていいのか?」
「俺は別に困ってないし」
「あーなるほど」
「まぁあれだ」
「なんだ?」
「卒論、頑張って書こうな」
「おう」

 2人して困った顔をしながら笑う。いよいよながら、ここまできたんだと実感する。仁をゆっくり待ちながら、訂正箇所を見るとしよう。賢はパソコンを立ち上げて、卒論のワードファイルを立ち上げた。これから始まる、戦いに向けて。
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