【続篇完結】第四皇子のつがい婚―年下皇子は白百合の香に惑う―

熾月あおい

文字の大きさ
26 / 60
四章 第四皇子、白百合と共に真相に迫る。

4-5 宋清歌との遭遇

しおりを挟む
 宋家の馬車だ、と、そう認識した途端、燎琉りょうりゅうは無意識に息を呑んでいた。

 もちろん、馬車がそうだからといって、そこに乗っているのが宋家の令嬢――燎琉との婚約の話が持ち上がりかけていた、そう清歌せいか――だとは限らない。だが、その可能性が頭の隅を掠めて、なんとなく身を固くしてしまっていた。

 できれば彼女と顔を合わせたくはない、と、おもう――……なぜなら、いまそばにいる瓔偲えいしは、彼女のことを、燎琉の想い人だと認識しているからだ。

 ここで鉢合わせて、瓔偲に要らぬ誤解を与えたくはなかった。

 そんなことを思って、ふと、いったい誤解とはどういうことだ、と、自分の思考を自分でいぶかった。

 清歌は、婚約間近までいった、燎琉の想い人――……それでまちがいないのではないのか。好ましい相手だ、と、彼女と結ばれるならしあわせだ、と、燎琉はつい先頃まで、そう思っていたのではないのか。

 自分の中に急激に起こりはじめている感情の変化に、燎琉は眉根を寄せた。

 困惑は、たしかにある。わけのわからないきもちに戸惑っている。

 けれども一方で、いま清歌と遭遇したくないという思いが自分の真情であることも、紛れもない事実として認めなければならなかった。

 もしもすべての真相が明らかになり、燎琉と瓔偲とがつがったことが誰かの陰謀だと証明されたなら――……燎琉は瓔偲との婚約を破棄して、その後、再び、宋清歌との関係を築いていけるだろうか。瓔偲とのことなど何もなかったことにして、これまでと同じように、彼女と親しく付き合っていくだろうか。この少女をこそ妻に、と、望むだろうか。

 つらつらと考え、ああそうか、と、燎琉は得心する。

 つがいを得るというのは、あるいは、こういうことなのかもしれない。自分の中には、望むと望まざるとに関わらず、たしかな変化が起きてしまっている――……そして、そのことを、自分は決して不快に思うわけではないのだ。

 もしかすると、だからこそ、いま宋清歌と顔を合わせたくないのかもしれないかった。

 燎琉は、自分から急に身を離そうとした瓔偲を、むしろ再びそっと引き寄せる。彼が燎琉から離れようとしたのは、おそらくは、馬車に宋家令嬢が乗っているかもしれないと考えたからだろう。燎琉が宋家のひめと相愛だと思っている瓔偲は、だから、自分が燎琉にもたれかかっている様を彼女が見て、それで誤解でもしては大事ことだ、と、そう配慮したものだろうと思われた。

 でも、そんなことは、気にかけなくてもいい。お前は俺のつがいなのに、と、自分の気持ちを掴みあぐみながらもそう思って、瓔偲を離さずにいるうちに、やがて馬車は燎琉たちの前を通り過ぎようとしていた。

 が、そのまま行き過ぎるかと思いきや、ちょうどこちらの正面で馭者ぎょしゃは馬を止める。瓔偲を腕に抱いたままで、燎琉は顔を上げた。

「お久し振りにございます、殿下」

 馬車の小窓が開き、中から顔を覗かせたのは、まだまだあどけなさの残る少女だ。宋清歌である。

「お姿が見えましたので、ご挨拶を、と」

 清歌はおっとりと微笑みながら言った。

 彼女はいま華やかなきぬを纏い、髪もまたうつくしく結い上げている。更にその身を、かんざしや耳飾り、首にかけた連珠、それから腕輪などで、煌びやかによそおっていた。

 くちびるには薄く紅を刷き、頬にもわずかに頬紅がはたかれている。あるいは、どこかへ出掛けていくところなのだろうか。

「これから後宮へ参りますの。ばん貴妃きひさまからお呼びがありまして」

 燎琉が訊く前に、清歌はそう教えた。

「そうですか。お気をつけて」

 燎琉はごく素っ気なく、当たり障りのないことだけを言った。幾度か会って、親しく言葉を交わした間柄のはずだというのに、口調は妙に余所よそ余所よそしいものになっている。

 だが、燎琉のそんな態度に、清歌は何も思ったりはしないようだ。おっとりと笑ったまま言葉を継いだ。

「殿下がご婚約なさったと、父から聞きました。おめでとうございます。――あ、いけない。これってまだ内々の話でしたわね。でも、もしかして……いまご一緒なさっているのが、その方ですか?」

 こそ、と、そう問う清歌の表情は、いかにも華やいでいて明るかった。そこには、これから燎琉のきさきになる相手への嫉妬も、燎琉が他者と結ばれることに対するわだかまりのかげも、微塵もありはしない。

 強がりではない、と、燎琉は本能的に察していた。

 清歌はたぶん、心の底から、燎琉の婚約を喜んでいるのだ。

「うらやましゅうございますわ」

 少女はさらに、うっとりと続ける。

「第弐性を持つ甲癸の間柄の中には、ときに、出逢った瞬間に惹かれ合う、天定めし魂のつがいとよばれる御二方がいらっしゃったりもするのでしょう? すてきですわよね。わたくしも、そこまで運命的でなくてもいいから、思いを寄せる殿方と結ばれたいわ。でも、実は……今度、それが叶うかもしれませんの」

 恥じらう態で、はにかむように、彼女は微笑む。それは実に無邪気で、実に幸福そうな笑みだった。

 燎琉とのことが白紙になり、早くも、清歌には次の縁談話が持ち上がっているのだろうか。宋家ほどの家柄ならば、その令嬢も引く手は数多あまた、この短期間にそうなったとしても殊更おかしいことではないのかもしれなかった。

 自分との婚約も間近だと言われていた少女が、いまや他の男に縁付いていく。それでも不思議と、燎琉の胸は痛みはしなかった。ただ、そうか、と、それだけを思う。

「では、わたくし、参りますね。御機嫌よう、殿下」

 おっとりと挨拶をした清歌が小窓を閉めるのとほぼ同時に、馭者が鞭を当てて、馬を再び馳せさせた。
 馬車が去って行く。その後ろ姿がちいさくなるのを見送りながら、燎琉は、自分の中で、なにかひとつけじめがついたような気がしていた。

「良縁だと思っていたのは、そも、どうやら俺ひとりだったようだ」

 宋清歌が喋りはじめてからこちら、かずいたままでいた燎琉の褙子子うわぎの中で身をちいさく縮こませていた瓔偲に、燎琉は肩をすくめて見せる。口調は、意外にも、自嘲めいた響きを帯びなかった。

 けれども、瓔偲は困ったような表情をする。

「わたしとの婚姻さえなくなれば……殿下にはまた、いくらでもふさわしいお相手が現れます。宋家の御令嬢ではなくとも」

 慎重に言葉を選びつつ、相手は燎琉をそう慰めた。

 けれども燎琉は、むしろ、慰めなど必要としてはいなかった。これもまた、別段、意地になっているわけでも強がっているわけでもない。

 おそらく、自分は真実、さほど傷ついてはいないのだ。それはつまるところ――宋清歌にとっての燎琉がそうであったように――燎琉のほうでも、彼女が特別な何ものでもなかったということの証左だった。

 結局は、ただただ申し分ない相手だ、と、その程度の想いしかなかったということだろう。

 すくなくとも、相手に対する苛烈なまでの慾が、燎琉の中に存在していたわけではなかった。それがわかって、よかった。

 気づきは一抹いちまつ寂寞さびしさをこそ燎琉にもたらしたものの、堪えがたい大きな喪失感はありはしない――……むしろ、どこか、きもちは晴れやかだ。

「ああ、雨がんだな」

 燎琉は空を見上げて確かめ、瓔偲に笑みかけた。

「とっとと帰ろう。このままじゃふたりとも風邪をひく」

 彼の手を引くと、南門のほうへと足を踏み出した。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

前世が飼い猫だったので、今世もちゃんと飼って下さい

夜鳥すぱり
BL
黒猫のニャリスは、騎士のラクロア(20)の家の飼い猫。とってもとっても、飼い主のラクロアのことが大好きで、いつも一緒に過ごしていました。ある寒い日、メイドが何か怪しげな液体をラクロアが飲むワインへ入れています。ニャリスは、ラクロアに飲まないように訴えるが…… ◆いつもハート、エール、しおりをありがとうございます。冒頭暗いのに耐えて読んでくれてありがとうございました。いつもながら感謝です。 ◆お友達の花々緒(https://x.com/cacaotic)さんが、表紙絵描いて下さりました。可愛いニャリスと、悩ましげなラクロア様。 ◆これもいつか続きを書きたいです、猫の日にちょっとだけ続きを書いたのだけど、また直して投稿します。

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

悪役令息(Ω)に転生したので、破滅を避けてスローライフを目指します。だけどなぜか最強騎士団長(α)の運命の番に認定され、溺愛ルートに突入!

水凪しおん
BL
貧乏男爵家の三男リヒトには秘密があった。 それは、自分が乙女ゲームの「悪役令息」であり、現代日本から転生してきたという記憶だ。 家は没落寸前、自身の立場は断罪エンドへまっしぐら。 そんな破滅フラグを回避するため、前世の知識を活かして領地改革に奮闘するリヒトだったが、彼が生まれ持った「Ω」という性は、否応なく運命の渦へと彼を巻き込んでいく。 ある夜会で出会ったのは、氷のように冷徹で、王国最強と謳われる騎士団長のカイ。 誰もが恐れるαの彼に、なぜかリヒトは興味を持たれてしまう。 「関わってはいけない」――そう思えば思うほど、抗いがたいフェロモンと、カイの不器用な優しさがリヒトの心を揺さぶる。 これは、運命に翻弄される悪役令息が、最強騎士団長の激重な愛に包まれ、やがて国をも動かす存在へと成り上がっていく、甘くて刺激的な溺愛ラブストーリー。

死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!

時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」 すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。 王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。 発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。 国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。 後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。 ――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか? 容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。 怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手? 今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。 急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…? 過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。 ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!? 負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。 ------------------------------------------------------------------- 主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。

処理中です...