【続篇完結】第四皇子のつがい婚―年下皇子は白百合の香に惑う―

熾月あおい

文字の大きさ
42 / 60
六章 第四皇子、白百合を冀う。

6-6 華燭洞房(一)*

しおりを挟む
 燎琉りょうりゅうはしばらく、ちゅ、ちゅ、と、軽くついばむような、触れるばかりのくちづけを幾度か繰り返した。一度くちびるを離して、吐息の交ざり合う距離で、瓔偲えいしと眼差し見交わす。相手の涼やかな目許は、いまはほんのりと薄紅に染まっていた。

かんざし……」

 燎琉は、ほう、と、吐息をこぼしながら言う。紅蓋頭こうがいとうをとってしまった後、あらわわになった瓔偲の艶やかな黒髪を飾っているのは、いつか燎琉が買って与えた白翡翠の簪だった。

 きれいに結い上げられた髪に挿してあるそれに、燎琉はそっと手を伸ばす。とろりと目を眇めながら触れた。

「婚礼なんだから……もっと華やかなものを挿せばよかったのに」

 そんなことを言いながらも、うらはらに、相手が己の贈った装身具で身を飾っていてくれるのが嬉しくてたまらない。

「殿下がくださったもの、ですから」

 簪に指を伸ばしながらどこか気恥ずかしそうに瓔偲が答えるので、燎琉はますます笑みを深めた。

「外してしまうの……なんか、勿体ない気がする」

 ほう、と、吐息しつつ言いながらも、瓔偲の髪からしずかに簪を抜いてしまう。はら、と、絹糸みたいな黒髪が背に流れる。それを丁寧に手櫛でいてから、ひと房とって、くちびるを寄せた。

「似合ってた。すごく、きれいだ」

「あ、りがとう……ございます、殿下」

 俯いてしまった衛士の戸惑うような声を聴きながら、燎琉は今度は、相手の頬に両のてのひらをそえた。 

 こつ、と、額と額を軽くぶつけるようにする。

 それからまた、どちらからともなく接吻を交わした。

 けれども、今度のそれはすこしだけ大胆だ。幾度か触れあわせたあとで、角度を変え、互いに深く重ねあった。燎琉は瓔偲の細い身体に腕を回し、いだくようにしながら、何度も相手のくちびるを貪った。

「ん……ん、ぁ」

 鼻にかかった甘い吐息が漏れ聞こえる。たまらない気持ちになって、燎琉は身を傾け、し掛かるようにして瓔偲をしとねに横たえた。

 とさ、と、軽い音がする。黒髪が褥にやわらかく広がった。

「瓔偲」

 一度、接吻をほどいて、燎琉は瓔偲を間近から見下ろした。潤んでゆらぐ黒曜石の眸が、こちらを見詰めている。はあ、と、息をつき、改めて瓔偲にくちづけた。

 褥に押し付けるようにして、指を絡め合う。し掛かった恰好で、燎琉はくちづけを続けた。うっすらと開いたくちびるの隙間から舌を挿し入れ、歯列を割って、相手の熱い口の中を探る。

「ん、ぅ……殿、下」

 中に入れた舌先で上顎をからかうようにすると、驚き、おびえるごとく、瓔偲の舌は口中で縮こまった。それを追いかけ、絡め、そのまま、ちぅ、と、軽く吸う。慣れぬ行為に戸惑うらしく、瓔偲の吐き出す呼吸いきはわずかに乱れていた。

 すこし苦しげな、荒い吐息。

 けれども、止められるはずもなかった。

 燎琉は瓔偲に覆い被さったまま、相手の身体からくたんと力が抜けてしまうまで、しばらく熱心にくちづけを続けていた。息継ぎの間にそっと窺うたび、瓔偲の黒眸を覗き込む。いつも理知の光を宿す眸が熱にとろりと潤んでいるのが、なんとも、かわいくてたまらなかった。

 ほう、と、相手が漏れこぼす吐息を聞くだけで、燎琉の身体の奥が熱くなる。

「瓔偲……瓔偲」

 繰り返し熱っぽく名を呼びながら、燎琉は瓔偲の着物のあわせに手指をかけた。もう片方の手では腰の帯を解き、急くようにころもを剥ぎ取って、そのまま瓔偲の素肌を探っている。

 首筋にくちづけをする。白くやわい肌を、ちぅ、と、吸うと、華のような薄紅の痕が散った。たまらなく昂奮する。鎖骨に、肩に、と、次々とくちびるを落としていった。その間も、手指は袷を開いて顕わに剥いてしまった胸元を愛撫し続けている。

「殿下……殿下、あ、の」

 そこで瓔偲が困ったようにちいさな声をあげた。

「どうした?」

 相手の身体を撫でる手を止められないまま、燎琉は熱い呼吸の下で問い返す。こちらを見上げる瓔偲の眸は、潤みつつも、どこか戸惑いに揺れていた。

「あの、もし、殿下がこれをつがいの義務とお思いなら……その、無理にまで、していただかなくても、だいじょうぶです」

 途切れ途切れに紡がれた言葉の意味がよく呑み込めなくて、燎琉は目を瞬く。

「どういう意味だ?」

「えっと、その……わたしはいま、発情期では、ありませんし……だから、御子を授かることは、ないと思いますので」

「……どういう意味だ?」

 問いを繰り返す声は、今度はすこし低くなった。

 この期に及んで、いったい、瓔偲は何を言っているのだろう。ようやく手を止めた燎琉は、すこしばかり眉をひそめて瓔偲を見た。

「それは……お前は、子づくりのため以外では、俺とはしたくないということか?」

 もしもそうなら、瓔偲を前にいま身体が熱をあげつつあるのを自覚している燎琉としては、つらい。けれども瓔偲は、妻になることも母になることもこれまでは想定外だったと言っていたし、もしも彼の心がいまこの場で身も心も燎琉の伴侶つまとなることに追いついていないならば、無理強いはしたくなかった。

「い、いえ! わ、たしの、ことは……よいのですが。殿下が……」

「俺はお前とむつみたい」

 瓔偲の言葉にかぶせるように、燎琉はきっぱりと言った。

 相手ははっと息を呑む。

「俺は、したい。子が出来る時期でなくとも、お前と、想いを交わすために、抱き合いたい。義務とかじゃなくて、お前のことが……好き、だから」

 だから膚を重ねたいと思う、と、そう言って瓔偲を抱き締める。

「殿、下……あの」

「俺はお前が好きなんだ。なのに、なんでいまさらお前は、義務だとか、無理をしているだとか、口にするんだ。俺の気持ちが伝わったから、今日、お前は俺のものに来てくれたんだと思ってたのに……ぜんぜんじゃないか」

 はあ、と、溜め息を吐く。

 それから燎琉は、瓔偲を見下ろしつつちいさく苦笑した。

 先程はお互いに夢中でくちづけを交わしたと思ったのに、ふとした瞬間に、瓔偲の中には、卑屈ともいうべき感情が芽吹くらしい。けれども。それにはきっと、これまで瓔偲が癸性だからと不当に扱われた経験の積み重ねが影響しているのだ。だったら、どれだけ時をかけてでも、燎琉は瓔偲の中のそうした想いを払拭してやりたかった。否、そうしなければならないのだ。

 邪魔などではない、お前が大事だ、お前が唯一だ、と、そう、燎琉が彼にそう伝え続けていけば、いつか、瓔偲がなんのてらいもなく、心の底から笑ってくれる日が来るだろうか。

 努めねば、と、そう思って、燎琉はひとつ大きく息をついた。

「俺はお前が好きだ」

 真っ直ぐに伝える。

「好きなんだ。だから、抱きたい。無理じゃないし、義務でもない。わかったら……おかしなことを言ってないで、黙ってこのまま俺に抱かれろ」

 そこまで言い、けれど、ちら、と、口の端に微苦笑を浮かべる。

「でも、な。もしもお前が厭だと思うのなら……俺は、やめるよ。お前に心をだいじにしたいから」

 蔑ろにはしたくないんだ、と、相手を真摯に見詰めると、瓔偲はこちらの直截な言葉に面食らったような表情を見せた。

 そのまましばらく、彼は黙り込んでしまう。

 けれどもやがて、恥ずかしそうに頬を染め、わずかに燎琉から視線を逸らしながら、言った。

「……いや、では……ありません、殿下」

 ちいさな、ちいさな、声だ。

 けれども、それはたしかに、こちらをゆるすことばだった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

前世が飼い猫だったので、今世もちゃんと飼って下さい

夜鳥すぱり
BL
黒猫のニャリスは、騎士のラクロア(20)の家の飼い猫。とってもとっても、飼い主のラクロアのことが大好きで、いつも一緒に過ごしていました。ある寒い日、メイドが何か怪しげな液体をラクロアが飲むワインへ入れています。ニャリスは、ラクロアに飲まないように訴えるが…… ◆いつもハート、エール、しおりをありがとうございます。冒頭暗いのに耐えて読んでくれてありがとうございました。いつもながら感謝です。 ◆お友達の花々緒(https://x.com/cacaotic)さんが、表紙絵描いて下さりました。可愛いニャリスと、悩ましげなラクロア様。 ◆これもいつか続きを書きたいです、猫の日にちょっとだけ続きを書いたのだけど、また直して投稿します。

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

悪役令息(Ω)に転生したので、破滅を避けてスローライフを目指します。だけどなぜか最強騎士団長(α)の運命の番に認定され、溺愛ルートに突入!

水凪しおん
BL
貧乏男爵家の三男リヒトには秘密があった。 それは、自分が乙女ゲームの「悪役令息」であり、現代日本から転生してきたという記憶だ。 家は没落寸前、自身の立場は断罪エンドへまっしぐら。 そんな破滅フラグを回避するため、前世の知識を活かして領地改革に奮闘するリヒトだったが、彼が生まれ持った「Ω」という性は、否応なく運命の渦へと彼を巻き込んでいく。 ある夜会で出会ったのは、氷のように冷徹で、王国最強と謳われる騎士団長のカイ。 誰もが恐れるαの彼に、なぜかリヒトは興味を持たれてしまう。 「関わってはいけない」――そう思えば思うほど、抗いがたいフェロモンと、カイの不器用な優しさがリヒトの心を揺さぶる。 これは、運命に翻弄される悪役令息が、最強騎士団長の激重な愛に包まれ、やがて国をも動かす存在へと成り上がっていく、甘くて刺激的な溺愛ラブストーリー。

死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!

時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」 すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。 王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。 発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。 国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。 後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。 ――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか? 容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。 怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手? 今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。 急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…? 過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。 ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!? 負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。 ------------------------------------------------------------------- 主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。

処理中です...