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8:渉ん家に行ってみた。
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晴れ渡る空の下。
あたしは独り、目の前の見慣れない家の前で立ち尽くす。
今日は土曜日。
渉と、渉の家で逢う約束をしている日だ。
でも…こうやっていざここに来たはいいものの、何故かなかなか中には入れなくて。
独り、あたしは緊張しながら渉の家を見上げる。
「…よしっ」
でも、しばらくすると自分に気合をいれて、やっとインターホンを鳴らした。
ドキドキ ドキドキ
『はーい?』
「!」
すると、すぐにそこから渉の声だけが聞こえてきて。
「あ、あの、美希…ですけど」
あたしが少し挙動不審になりながらそう言うと、渉が「ちょっと待ってて」と返事をした。
「…っ、」
ああ、緊張する…。
今日は完全に、渉と二人きりだ。
そう思って待っていたら…
「…こんちは」
「!」
しばらくして、渉が玄関のドアから顔を覗かせた。
「…早かったね。まだ10分くらい余裕あったよ」
「そ、そう?あ…ほら、一応生徒会長だから、」
「ああ、だから時間守ったんだ」
「そうそう」
…って、実はその前から家の前で待機していたわけですが。
どんだけ待ち遠しかったのさ、自分。
あたしはそんな自分を少し恥ずかしく思いながらも、とりあえず渉の後に続いて家の中に入る。
「お邪魔します、」
「どうぞどうぞ。何もないけど、」
玄関に入って靴を脱ぐと、あたしの言葉に渉がそう言って少し笑って見せる。
渉の私服は、ラフな感じ。
この前一緒に夕飯食べた時もそうだったし、最初にストリートミュージシャンやってるの見た時もそうだったけど、ただのTシャツにジーパンが多い。
案内されて渉の部屋らしきところに入ると、そこにはギターがいくつかあった。
「すごーい。これ全部自分の?」
「うん。まぁ貰ったりしたのも、何本か…あるんだけど」
渉はそう言うと、手前にあるあたしも見覚えのあるギターを手に取って言う。
「せっかくだから弾いてみる?」
「え!?」
「簡単だよ。美希、ギターやったこと…」
「…ない」
あたしがそう言ったら、渉は「じゃあやってみなよ」とあたしにそのギターを差し出す。
俺が教えてあげる、と。
「や、ほら、あたしは渉の歌を聞きに…」
「それはまだ時間いっぱいあるから、先に弾いてみなよ。美希なら出来るって」
渉はそう言うと、さっきより更にぐっとあたしにギターを近づける。
…ほんとに大丈夫かな。
あたし、自慢じゃないけどギターって音を聞いたことくらいしかないのよ。
あたしはそう思いながらも、やがて持っていた鞄を部屋の隅に置いてギターを受け取った。
「…どう持つの?」
えっと、確か歌番組とかでバンドが弾いてるの見たことあるけど…
座りながら…こうだっけ?
渉に聞きながらも自分の記憶を辿ってやってみたら、渉がそんなあたしを見て言った。
「そうそう。それで合ってるよ」
「あ、ほんと?」
「で、左手が…」
あたしがただギターを抱えていると、渉があたしの正面に回っていろいろ教えてくれる。
でも何か、さっきから目のやり場に困る。
そんなに真正面で近くにいられると、二人きりだからか余計に緊張しちゃうなぁ。
あたしがそう思って内心ドキドキしていると、そのうちに渉の説明は進んでいく。
ギターって何か…思っていたよりも難しそう。
「左手の、中指と薬指で…」
「こう?」
「あ、もっとこっち押さえた方が音が綺麗に鳴るよ」
「…こう?」
「そうそう」
そして、渉の言う通りに右手で初めてのギターを弾いてみる。
わ、音が鳴った。
いや、当たり前なんだけど。
ちょっと感動しちゃった、今。
渉の説明は初心者のあたしでも分かりやすくて、ギターを弾いていて楽しくなる。
ああ、何かギター欲しくなってきた。
そんなことを思いながら、渉と横に並んで一緒にギターを弾いていると…
「…あ、美希。左手の指、もっと余裕持って押さえた方が、」
「余裕?」
「反って押さえたら綺麗な音が出ないから、もっとこう…」
あたしの隣に座り直していた渉はそう言うと、「ちょっとごめんね」と言ってあたしの左手を直すべく、背中に腕を回してきた。
わ、ちょ、これはヤバイ!抱き寄せられてるみたい!
「…~っ」
「ふんわりした感じで押さえるといいよ」
渉はそう言って、超至近距離であたしに向かって微笑んだ。
その笑顔を間近で見た途端、更にあたしの胸が高鳴り出す。
赤くなる顔を見られたくなくてすぐに顔を背けたけど……きっと不審でしかない。
だからあたしは必死で平然を装って、言った。
「あ…じ、じゃあ、力入れすぎるとダメなんだね」
「うん、そう」
「…思ってたより、難しいなぁギターって」
そう言って、渉に教わったようにギターを弾き続ける。
…そして、その間にしばらく流れ出す沈黙。
二人でそれぞれに弾くギターの音だけが、響く部屋で…あぁ、ギターばっか弾いてないで何か喋んないと。
あたしはそう思うと、やがて渉の方を振り向いて声をかけた。
「あ、あのっ…」
そして、昨日のことを話そうとした。
でも…
「!…えっ?あ、」
「!」
渉を見た瞬間、あたしはまた更に心臓の奥を揺さぶられて、言葉を失った。
だって、その前から渉が、ギターを弾きながらあたしを見ていたから。
渉も急にあたしが振り向いてビックリしたのか、よくわからない声を出してすぐに顔を背けた。
…少し顔が赤く見えたのは、都合良く捉えすぎかな。
…っていうか、なんで今、見てたんだろう…?
あたしはそう思うと、渉の顔を覗き込むようにして言う。
「?…どうかした?」
「…いや、別に」
「…」
「……何でもない」
…何それ。気になるなぁ。
まぁいいけど。
そんな渉に、あたしは手を止めて言葉を続ける。
「…あの、昨日は心配かけてごめんね」
「ん?…ああ、」
「で、あのね、昨日結局何があったのかっていうと…学校から帰ったらいきなり家の家具がほとんど無くなってたんだよねぇ」
「…え」
「あ、意味わかんないでしょ?つまり、突然両親が家から出て行ったの。…家は、あたしにあげるって。……ははっ、勝手すぎ」
あたしはそこまで言うと、まだ全然吹っ切れていないのに…吹っ切れたように笑う。
今は暗い雰囲気にも持っていきたくなくて、そうやってわざと明るく振る舞うけど…
「っ、あー、でも良かった。あたし、独り暮らしとか憧れてたの」
「…」
「家具とかもなんか全部ダサいのばっかだったから、これを機に自分の好きなの買えるじゃん。逆にラッキーだよね」
「…」
でも、渉は…
「…ちょっと、聞いてる?」
全然、笑ってくれない。
しかも、何も言わずに黙ったままで。
そんな渉にあたしがそう問いかけたら…
「…、」
その時、ふいに渉がまたあたしを見遣って、やっと口を開いた。
「…なんで、」
「…?」
「なんで、美希…そうやって笑っていられるの」
「え、」
「あ…それとも、“笑ってるフリ”してるだけ?」
「!」
渉はどこか表情を曇らせてそう言うと、ギターから左手を離してあたしの頭にそれをぽん、と乗っける。
ふわ、とした感触の渉の手。
頭、撫でてくれてる…。
でも、そう思うよりも先に、あたしは言おうとする言葉を失って。
「…っ」
真正面からくる言葉に、抑えていた寂しさや孤独、不安が胸から込み上げてくる。
そして涙を我慢していたら、渉があたしの頭を撫でながら言った。
「…寂しいならそんなふうに笑わなくていいよ。今の美希に余裕がないの、なんとなくわかる」
「!」
「今は俺しかいないから。無理して強がることない。寂しいなら寂しいってはっきり言ってよ」
俺は全部美希の話聞くから。
渉がそう言ってあたしを励ましてくれた途端…あたしはもう堪えきれずに、また、泣き出した。
「…~っ、」
…思えば、あたしの両親は昔からそうだった。
幼稚園に通っていた頃、なかなかあたしを迎えに来てくれなくて…たまに、ハルの母親と三人で帰ったりして。
小学校の授業参観はもちろん、入学式、運動会、親も参加する行事なんかは絶対と言っていいほど来てくれなかった。
それは、中学生になってからも同じ。
あたしがどんなに頑張ってもお父さんやお母さんはそれを知らないし、知ろうともしない。
高校生になった今だって、こうやって生徒会長になったのは…二人に一度でいいから褒めてほしかったからなのに。
だけど…距離がありすぎて、言えなくなってた。
そしたら、あっという間に簡単に離れてしまった。
今、あたしは…二人がどこにいるのかさえ知らない。
「…っ…」
あたしは静かな渉の部屋で、声を殺して静かに泣いた。
その間も、渉はずっとあたしの頭を優しく撫でてくれていて…しばらく涙は止まらなかった。
人前で泣くなんて、ハル以外は恥ずかしかったのに…凄く不思議。
涙が勝手に溢れ出る今は、この空間が逆に心地いい。
しばらくあたしが泣いていると、ふいに渉が言った。
「…美希、」
「?」
「気分転換に、何か曲弾いてあげるよ。リクエストとかある?」
「え、」
「泣いてちゃギターは弾けないでしょ」
渉はそう言うと、ギターを抱え直して軽く姿勢を整える。
その言葉に、あたしはギターを抱えながら言った。
「…じゃあ、一番最初に聴いたヤツがいい」
「一番最初って?」
「あたしが一番最初に、街中で渉を見かけて初めて聴いた曲」
「…ああ~。わかった。“stars”かな」
渉はそう言ってギターに目を移すと、手始めに軽くギターを弾く。
曲の題名とかを知らなかったあたしは、その時に初めて曲の題名を知った。
…あれ、“stars”っていうんだ。覚えておこう。
そしてその時に聴いた渉の曲も、あたしの心に優しく入り込んだ。
渉だったら、歌手になれそうな気がする。
だって、全部が上手いもん。
…………
…………
その後、いっぱい曲を聴いたあたしはすっかり元気になって、夜は渉と一緒に外食をしに出かけた。
ご飯を食べた後は、渉に付き合ってもらって家具を軽く見たりして。
その途中も、何か「デートしてます」って感じがしてあたしは凄く幸せだった。
…渉は、あたしと一緒にいてどう感じてるんだろう。
ちょっと知りたい気もする。でも、怖くて聞けない。
そして、別れ際。
渉に家まで送ってもらっている途中、一緒に並んで歩いていたら、ふいに何かを見つけたらしい渉が、ふと立ち止まった。
「…、」
「…どうしたの?」
立ち止まった場所は、大きな病院の近く。
どこか遠くの方に目を遣っている渉に、あたしもその視線を辿ってみた。
…でも、辿ったのが間違いだった。
その時、呟くように渉が言った。
「…汐里?」
「!」
そう。
渉がふいに見つけたのは、汐里さんの姿。
あたしもそこに目を遣れば、そこには確かに車椅子に座って誰かと一緒にいる(親の人かな?)汐里さんがいて。
やがて汐里さんも渉に気が付いて、目を見開いた。
「渉くんっ…!?」
その瞬間、あたしの心臓が、嫌な音を立てる。
何で?出来ればこんなとこ、見たくなかった。
「わー!渉くん!久しぶり!」
汐里さんは渉を見て嬉しそうにそう言うと、母親らしき人に車いすを押してもらって渉とあたしの傍にやって来る。
来ないで
来ないで
だけど、そう思っても無理で。
一方の渉も、汐里さんの方へと向かっていく。
…あたしの方は、一切見ない。
「久しぶりだね」
そして汐里さんの傍に行った渉が、笑顔でそう言った。
…あ。
あたし、この笑顔知ってる。
昼間とか、歌うたいながらこんな顔してた。
凄く優しくて、切ない顔。
「…っ、」
二人が、何かを話してるけど、耳に入ってこない。
その姿から目を背けたいけど、渉が笑う度に心臓がまた嫌な音を立てる。
だって…あたしにはそんな満面な笑顔、見せないじゃない。
あたしが悲しいのを堪えていたら、やがて汐里さんがあたしを見て言った。
「…あの子、誰?」
その問いかけに、渉が答える。
「クラスメイト。俺のファン第一号だよ」
「わー!凄い!もうファンが出来たんだ、」
さすが渉くんね。
そう言って、汐里さんも笑う。
…ただのファンじゃないもん。あたしは…
………あたしは?
「あの子、名前は?」
「菅谷美希。生徒会長で、人気者なんだよ」
「へー、凄いね」
…そんな二人の姿に、今度はだんだんイライラが募っていく。
もういいじゃない。
早く帰ろうよ、ねぇ。渉。
そんな楽しそうにしないで。
そう思いながらあたしが唇を噛んでいたら、ふいに汐里さんがあたしの方にやって来て、言った。
「菅谷、さん?」
「!」
「初めまして。あたし、三原汐里」
汐里さんはそう軽く自己紹介をすると、小さく頭を下げる。
そして、言葉を続けて言った。
「これからも、渉くんのことよろしくね」
そう言って差し出された手に、あたしは一瞬ためらってしまう。
でも、それを拒むわけにいかないし。
とりあえず、あたしは汐里さんの手に自分の手を重ねた。
「…うん」
でも…その瞬間、
「…!?っ、」
重なった手が……汐里さんによって何故かいきなり強い力を込められる。
…汐里さん…?
汐里さんは笑顔でいるけど、その手だけは、明らかに怒りが込められていて。
なんで?
なんで?
痛いよ
そう言おうと口を開いたら、それを遮るようにぱっと汐里さんからその手を離した。
「…?」
…何、今の。
わざと?…だよね。
あたしがその自身の手を見つめていたら、汐里さんが渉に言った。
「じゃあ、もう行くね」
そう言って、ニコニコ笑顔で渉に向かって手を振る。
そんな汐里さんに、渉も手を振り返して、その姿を見送った。
…どうしよう。
言っちゃおうかな。
さっきの汐里さんのこと。
離れて行く汐里さんの後ろ姿を見つめながら、あたしは心臓がドキドキと鳴るのを感じてふと渉を見遣る。
…でも、
「!」
汐里さんの後ろ姿を見つめる渉の横顔が、何だか切なげであたしは一瞬にして何も口に出来なくなった。
…ねぇ、渉。
汐里さんって実は…性格が……。
でももしかしたら渉は、それを知らないのかもしれない。
……なんだか、すっごく悔しいけど。
そして結局その日は、渉に家の真ん前まで送ってもらった。
…だけど、
「…?」
渉と別れたあと、何気なくスマホを手にとって、あたしはその時にようやくあることに気がついた。
…────お父さんから、着信が来てる。
…………
美希を無事に家まで送り届けたあと、来た道を戻って一旦家に帰る。
今日は、ストリートライブの日。
ギターとか必要なものを持って、またいつもの場所で歌わなければならない。
本当は誰かと組んでライブをしたい気持ちもあるけど、相手はなかなか見つからないし。
今日までこうやってずっと一人でやってきたから、きっとこれからも同じだと思う。
………これからも、か。
いつまでこんなことしてるのかな。
これから先のことは不安だけど、俺はどうしたってこの道を進まなきゃいけないし。
それに、約束事は守りたい。何より汐里のためだから。
……それなのに。
何か、変だ。
さっき、汐里と偶然会った時もそうだった。
俺ってやっぱり…。
「おにーさん、何聴かせてくれんの?」
「!」
決まった場所でギターを広げていたら、ある一人のおじさんが声をかけてきた。
…うわ、酒くさい。
またかよ、カンベンしてよ。
でも、ストリートライブをしていると、こうやって酔っぱらいに絡まれることも珍しいことじゃない。
それに、いかにも悪そうな年上のおにーさん達に絡まれることだって…あるし。
俺はそんなおじさんに、ギターを抱えて言った。
「片想いの歌です」
「へぇ」
「良ければ聴いて下さい」
俺はそう言ったあと、さっき家から被ってきた帽子をより深く被って、ようやくギターを弾きはじめる。
いつもの歌。
ほとんど変わらない目の前の風景。
俺の曲にふと立ち止まっては…過ぎ去っていく人々。
ただ…今日、一つだけ違ったのは。
「…?」
俺が歌っている最中、ずっと遠くの方からこっちを見つめている一人の男の人の姿。
もっと近くで聴けばいいのに、何故かここに来ようとしない。
……まぁいいけど。
俺はその人から目を逸らすと、手を叩いて聴いてくれている酔っぱらいのおじさんに歌を聴かせた。
汐里 汐里 …
この曲は、元は汐里のために作った曲。
いつも、汐里のことを想って歌ってた。
この心は何があっても無くしちゃいけない。
ずっと俺が持ってなきゃいけないんだ。
じゃないと汐里の夢が…。
「ヒュー!おにーさん、上手いね!」
「…ありがとうございます」
「もっと何か弾いてよ。あ、おにーさん名前は?」
一曲目を歌い終わったあと、おじさんが上機嫌でそう言ってくれた。
…良かった。掴みはOKかな。
俺が自分の名前を言うと、おじさんは自分に言い聞かせるように俺の名前を繰り返し呟いた。
…………
…はぁ。終わった。
あれからいくつか曲を歌い終わったあと、酔っぱらいのおじさんは俺の歌を凄く褒めてくれた。
酔っぱらいだったからカンベンしてよとか思ったけど、何だ、わりと良い人じゃんか。
おじさんは俺に「名前覚えられないから名刺とかちょうだいよ」とか言ったけど、学生の俺がそんなの持ってるわけない。
「明後日もまたここで歌いますよ」って言ったら、「じゃあ覚えてたらまた来るよ」って言ってくれた。
…酔っぱらってるから、忘れてなきゃいいな。
俺はそんなおじさんが帰って行くのを見ると、俺も帰るか、とギターを片付け始めた。
…────すると、その時。
「キミ、ちょっといいかな?」
「?…はい?」
ふいに、突然俺は知らない男の人に声をかけられた。
…って、あ…この人、さっきからずっと遠くから俺の曲を聴いてた…。
俺が顔を上げると、その人は俺に“ある話”を持ちかけてきた…。
晴れ渡る空の下。
あたしは独り、目の前の見慣れない家の前で立ち尽くす。
今日は土曜日。
渉と、渉の家で逢う約束をしている日だ。
でも…こうやっていざここに来たはいいものの、何故かなかなか中には入れなくて。
独り、あたしは緊張しながら渉の家を見上げる。
「…よしっ」
でも、しばらくすると自分に気合をいれて、やっとインターホンを鳴らした。
ドキドキ ドキドキ
『はーい?』
「!」
すると、すぐにそこから渉の声だけが聞こえてきて。
「あ、あの、美希…ですけど」
あたしが少し挙動不審になりながらそう言うと、渉が「ちょっと待ってて」と返事をした。
「…っ、」
ああ、緊張する…。
今日は完全に、渉と二人きりだ。
そう思って待っていたら…
「…こんちは」
「!」
しばらくして、渉が玄関のドアから顔を覗かせた。
「…早かったね。まだ10分くらい余裕あったよ」
「そ、そう?あ…ほら、一応生徒会長だから、」
「ああ、だから時間守ったんだ」
「そうそう」
…って、実はその前から家の前で待機していたわけですが。
どんだけ待ち遠しかったのさ、自分。
あたしはそんな自分を少し恥ずかしく思いながらも、とりあえず渉の後に続いて家の中に入る。
「お邪魔します、」
「どうぞどうぞ。何もないけど、」
玄関に入って靴を脱ぐと、あたしの言葉に渉がそう言って少し笑って見せる。
渉の私服は、ラフな感じ。
この前一緒に夕飯食べた時もそうだったし、最初にストリートミュージシャンやってるの見た時もそうだったけど、ただのTシャツにジーパンが多い。
案内されて渉の部屋らしきところに入ると、そこにはギターがいくつかあった。
「すごーい。これ全部自分の?」
「うん。まぁ貰ったりしたのも、何本か…あるんだけど」
渉はそう言うと、手前にあるあたしも見覚えのあるギターを手に取って言う。
「せっかくだから弾いてみる?」
「え!?」
「簡単だよ。美希、ギターやったこと…」
「…ない」
あたしがそう言ったら、渉は「じゃあやってみなよ」とあたしにそのギターを差し出す。
俺が教えてあげる、と。
「や、ほら、あたしは渉の歌を聞きに…」
「それはまだ時間いっぱいあるから、先に弾いてみなよ。美希なら出来るって」
渉はそう言うと、さっきより更にぐっとあたしにギターを近づける。
…ほんとに大丈夫かな。
あたし、自慢じゃないけどギターって音を聞いたことくらいしかないのよ。
あたしはそう思いながらも、やがて持っていた鞄を部屋の隅に置いてギターを受け取った。
「…どう持つの?」
えっと、確か歌番組とかでバンドが弾いてるの見たことあるけど…
座りながら…こうだっけ?
渉に聞きながらも自分の記憶を辿ってやってみたら、渉がそんなあたしを見て言った。
「そうそう。それで合ってるよ」
「あ、ほんと?」
「で、左手が…」
あたしがただギターを抱えていると、渉があたしの正面に回っていろいろ教えてくれる。
でも何か、さっきから目のやり場に困る。
そんなに真正面で近くにいられると、二人きりだからか余計に緊張しちゃうなぁ。
あたしがそう思って内心ドキドキしていると、そのうちに渉の説明は進んでいく。
ギターって何か…思っていたよりも難しそう。
「左手の、中指と薬指で…」
「こう?」
「あ、もっとこっち押さえた方が音が綺麗に鳴るよ」
「…こう?」
「そうそう」
そして、渉の言う通りに右手で初めてのギターを弾いてみる。
わ、音が鳴った。
いや、当たり前なんだけど。
ちょっと感動しちゃった、今。
渉の説明は初心者のあたしでも分かりやすくて、ギターを弾いていて楽しくなる。
ああ、何かギター欲しくなってきた。
そんなことを思いながら、渉と横に並んで一緒にギターを弾いていると…
「…あ、美希。左手の指、もっと余裕持って押さえた方が、」
「余裕?」
「反って押さえたら綺麗な音が出ないから、もっとこう…」
あたしの隣に座り直していた渉はそう言うと、「ちょっとごめんね」と言ってあたしの左手を直すべく、背中に腕を回してきた。
わ、ちょ、これはヤバイ!抱き寄せられてるみたい!
「…~っ」
「ふんわりした感じで押さえるといいよ」
渉はそう言って、超至近距離であたしに向かって微笑んだ。
その笑顔を間近で見た途端、更にあたしの胸が高鳴り出す。
赤くなる顔を見られたくなくてすぐに顔を背けたけど……きっと不審でしかない。
だからあたしは必死で平然を装って、言った。
「あ…じ、じゃあ、力入れすぎるとダメなんだね」
「うん、そう」
「…思ってたより、難しいなぁギターって」
そう言って、渉に教わったようにギターを弾き続ける。
…そして、その間にしばらく流れ出す沈黙。
二人でそれぞれに弾くギターの音だけが、響く部屋で…あぁ、ギターばっか弾いてないで何か喋んないと。
あたしはそう思うと、やがて渉の方を振り向いて声をかけた。
「あ、あのっ…」
そして、昨日のことを話そうとした。
でも…
「!…えっ?あ、」
「!」
渉を見た瞬間、あたしはまた更に心臓の奥を揺さぶられて、言葉を失った。
だって、その前から渉が、ギターを弾きながらあたしを見ていたから。
渉も急にあたしが振り向いてビックリしたのか、よくわからない声を出してすぐに顔を背けた。
…少し顔が赤く見えたのは、都合良く捉えすぎかな。
…っていうか、なんで今、見てたんだろう…?
あたしはそう思うと、渉の顔を覗き込むようにして言う。
「?…どうかした?」
「…いや、別に」
「…」
「……何でもない」
…何それ。気になるなぁ。
まぁいいけど。
そんな渉に、あたしは手を止めて言葉を続ける。
「…あの、昨日は心配かけてごめんね」
「ん?…ああ、」
「で、あのね、昨日結局何があったのかっていうと…学校から帰ったらいきなり家の家具がほとんど無くなってたんだよねぇ」
「…え」
「あ、意味わかんないでしょ?つまり、突然両親が家から出て行ったの。…家は、あたしにあげるって。……ははっ、勝手すぎ」
あたしはそこまで言うと、まだ全然吹っ切れていないのに…吹っ切れたように笑う。
今は暗い雰囲気にも持っていきたくなくて、そうやってわざと明るく振る舞うけど…
「っ、あー、でも良かった。あたし、独り暮らしとか憧れてたの」
「…」
「家具とかもなんか全部ダサいのばっかだったから、これを機に自分の好きなの買えるじゃん。逆にラッキーだよね」
「…」
でも、渉は…
「…ちょっと、聞いてる?」
全然、笑ってくれない。
しかも、何も言わずに黙ったままで。
そんな渉にあたしがそう問いかけたら…
「…、」
その時、ふいに渉がまたあたしを見遣って、やっと口を開いた。
「…なんで、」
「…?」
「なんで、美希…そうやって笑っていられるの」
「え、」
「あ…それとも、“笑ってるフリ”してるだけ?」
「!」
渉はどこか表情を曇らせてそう言うと、ギターから左手を離してあたしの頭にそれをぽん、と乗っける。
ふわ、とした感触の渉の手。
頭、撫でてくれてる…。
でも、そう思うよりも先に、あたしは言おうとする言葉を失って。
「…っ」
真正面からくる言葉に、抑えていた寂しさや孤独、不安が胸から込み上げてくる。
そして涙を我慢していたら、渉があたしの頭を撫でながら言った。
「…寂しいならそんなふうに笑わなくていいよ。今の美希に余裕がないの、なんとなくわかる」
「!」
「今は俺しかいないから。無理して強がることない。寂しいなら寂しいってはっきり言ってよ」
俺は全部美希の話聞くから。
渉がそう言ってあたしを励ましてくれた途端…あたしはもう堪えきれずに、また、泣き出した。
「…~っ、」
…思えば、あたしの両親は昔からそうだった。
幼稚園に通っていた頃、なかなかあたしを迎えに来てくれなくて…たまに、ハルの母親と三人で帰ったりして。
小学校の授業参観はもちろん、入学式、運動会、親も参加する行事なんかは絶対と言っていいほど来てくれなかった。
それは、中学生になってからも同じ。
あたしがどんなに頑張ってもお父さんやお母さんはそれを知らないし、知ろうともしない。
高校生になった今だって、こうやって生徒会長になったのは…二人に一度でいいから褒めてほしかったからなのに。
だけど…距離がありすぎて、言えなくなってた。
そしたら、あっという間に簡単に離れてしまった。
今、あたしは…二人がどこにいるのかさえ知らない。
「…っ…」
あたしは静かな渉の部屋で、声を殺して静かに泣いた。
その間も、渉はずっとあたしの頭を優しく撫でてくれていて…しばらく涙は止まらなかった。
人前で泣くなんて、ハル以外は恥ずかしかったのに…凄く不思議。
涙が勝手に溢れ出る今は、この空間が逆に心地いい。
しばらくあたしが泣いていると、ふいに渉が言った。
「…美希、」
「?」
「気分転換に、何か曲弾いてあげるよ。リクエストとかある?」
「え、」
「泣いてちゃギターは弾けないでしょ」
渉はそう言うと、ギターを抱え直して軽く姿勢を整える。
その言葉に、あたしはギターを抱えながら言った。
「…じゃあ、一番最初に聴いたヤツがいい」
「一番最初って?」
「あたしが一番最初に、街中で渉を見かけて初めて聴いた曲」
「…ああ~。わかった。“stars”かな」
渉はそう言ってギターに目を移すと、手始めに軽くギターを弾く。
曲の題名とかを知らなかったあたしは、その時に初めて曲の題名を知った。
…あれ、“stars”っていうんだ。覚えておこう。
そしてその時に聴いた渉の曲も、あたしの心に優しく入り込んだ。
渉だったら、歌手になれそうな気がする。
だって、全部が上手いもん。
…………
…………
その後、いっぱい曲を聴いたあたしはすっかり元気になって、夜は渉と一緒に外食をしに出かけた。
ご飯を食べた後は、渉に付き合ってもらって家具を軽く見たりして。
その途中も、何か「デートしてます」って感じがしてあたしは凄く幸せだった。
…渉は、あたしと一緒にいてどう感じてるんだろう。
ちょっと知りたい気もする。でも、怖くて聞けない。
そして、別れ際。
渉に家まで送ってもらっている途中、一緒に並んで歩いていたら、ふいに何かを見つけたらしい渉が、ふと立ち止まった。
「…、」
「…どうしたの?」
立ち止まった場所は、大きな病院の近く。
どこか遠くの方に目を遣っている渉に、あたしもその視線を辿ってみた。
…でも、辿ったのが間違いだった。
その時、呟くように渉が言った。
「…汐里?」
「!」
そう。
渉がふいに見つけたのは、汐里さんの姿。
あたしもそこに目を遣れば、そこには確かに車椅子に座って誰かと一緒にいる(親の人かな?)汐里さんがいて。
やがて汐里さんも渉に気が付いて、目を見開いた。
「渉くんっ…!?」
その瞬間、あたしの心臓が、嫌な音を立てる。
何で?出来ればこんなとこ、見たくなかった。
「わー!渉くん!久しぶり!」
汐里さんは渉を見て嬉しそうにそう言うと、母親らしき人に車いすを押してもらって渉とあたしの傍にやって来る。
来ないで
来ないで
だけど、そう思っても無理で。
一方の渉も、汐里さんの方へと向かっていく。
…あたしの方は、一切見ない。
「久しぶりだね」
そして汐里さんの傍に行った渉が、笑顔でそう言った。
…あ。
あたし、この笑顔知ってる。
昼間とか、歌うたいながらこんな顔してた。
凄く優しくて、切ない顔。
「…っ、」
二人が、何かを話してるけど、耳に入ってこない。
その姿から目を背けたいけど、渉が笑う度に心臓がまた嫌な音を立てる。
だって…あたしにはそんな満面な笑顔、見せないじゃない。
あたしが悲しいのを堪えていたら、やがて汐里さんがあたしを見て言った。
「…あの子、誰?」
その問いかけに、渉が答える。
「クラスメイト。俺のファン第一号だよ」
「わー!凄い!もうファンが出来たんだ、」
さすが渉くんね。
そう言って、汐里さんも笑う。
…ただのファンじゃないもん。あたしは…
………あたしは?
「あの子、名前は?」
「菅谷美希。生徒会長で、人気者なんだよ」
「へー、凄いね」
…そんな二人の姿に、今度はだんだんイライラが募っていく。
もういいじゃない。
早く帰ろうよ、ねぇ。渉。
そんな楽しそうにしないで。
そう思いながらあたしが唇を噛んでいたら、ふいに汐里さんがあたしの方にやって来て、言った。
「菅谷、さん?」
「!」
「初めまして。あたし、三原汐里」
汐里さんはそう軽く自己紹介をすると、小さく頭を下げる。
そして、言葉を続けて言った。
「これからも、渉くんのことよろしくね」
そう言って差し出された手に、あたしは一瞬ためらってしまう。
でも、それを拒むわけにいかないし。
とりあえず、あたしは汐里さんの手に自分の手を重ねた。
「…うん」
でも…その瞬間、
「…!?っ、」
重なった手が……汐里さんによって何故かいきなり強い力を込められる。
…汐里さん…?
汐里さんは笑顔でいるけど、その手だけは、明らかに怒りが込められていて。
なんで?
なんで?
痛いよ
そう言おうと口を開いたら、それを遮るようにぱっと汐里さんからその手を離した。
「…?」
…何、今の。
わざと?…だよね。
あたしがその自身の手を見つめていたら、汐里さんが渉に言った。
「じゃあ、もう行くね」
そう言って、ニコニコ笑顔で渉に向かって手を振る。
そんな汐里さんに、渉も手を振り返して、その姿を見送った。
…どうしよう。
言っちゃおうかな。
さっきの汐里さんのこと。
離れて行く汐里さんの後ろ姿を見つめながら、あたしは心臓がドキドキと鳴るのを感じてふと渉を見遣る。
…でも、
「!」
汐里さんの後ろ姿を見つめる渉の横顔が、何だか切なげであたしは一瞬にして何も口に出来なくなった。
…ねぇ、渉。
汐里さんって実は…性格が……。
でももしかしたら渉は、それを知らないのかもしれない。
……なんだか、すっごく悔しいけど。
そして結局その日は、渉に家の真ん前まで送ってもらった。
…だけど、
「…?」
渉と別れたあと、何気なくスマホを手にとって、あたしはその時にようやくあることに気がついた。
…────お父さんから、着信が来てる。
…………
美希を無事に家まで送り届けたあと、来た道を戻って一旦家に帰る。
今日は、ストリートライブの日。
ギターとか必要なものを持って、またいつもの場所で歌わなければならない。
本当は誰かと組んでライブをしたい気持ちもあるけど、相手はなかなか見つからないし。
今日までこうやってずっと一人でやってきたから、きっとこれからも同じだと思う。
………これからも、か。
いつまでこんなことしてるのかな。
これから先のことは不安だけど、俺はどうしたってこの道を進まなきゃいけないし。
それに、約束事は守りたい。何より汐里のためだから。
……それなのに。
何か、変だ。
さっき、汐里と偶然会った時もそうだった。
俺ってやっぱり…。
「おにーさん、何聴かせてくれんの?」
「!」
決まった場所でギターを広げていたら、ある一人のおじさんが声をかけてきた。
…うわ、酒くさい。
またかよ、カンベンしてよ。
でも、ストリートライブをしていると、こうやって酔っぱらいに絡まれることも珍しいことじゃない。
それに、いかにも悪そうな年上のおにーさん達に絡まれることだって…あるし。
俺はそんなおじさんに、ギターを抱えて言った。
「片想いの歌です」
「へぇ」
「良ければ聴いて下さい」
俺はそう言ったあと、さっき家から被ってきた帽子をより深く被って、ようやくギターを弾きはじめる。
いつもの歌。
ほとんど変わらない目の前の風景。
俺の曲にふと立ち止まっては…過ぎ去っていく人々。
ただ…今日、一つだけ違ったのは。
「…?」
俺が歌っている最中、ずっと遠くの方からこっちを見つめている一人の男の人の姿。
もっと近くで聴けばいいのに、何故かここに来ようとしない。
……まぁいいけど。
俺はその人から目を逸らすと、手を叩いて聴いてくれている酔っぱらいのおじさんに歌を聴かせた。
汐里 汐里 …
この曲は、元は汐里のために作った曲。
いつも、汐里のことを想って歌ってた。
この心は何があっても無くしちゃいけない。
ずっと俺が持ってなきゃいけないんだ。
じゃないと汐里の夢が…。
「ヒュー!おにーさん、上手いね!」
「…ありがとうございます」
「もっと何か弾いてよ。あ、おにーさん名前は?」
一曲目を歌い終わったあと、おじさんが上機嫌でそう言ってくれた。
…良かった。掴みはOKかな。
俺が自分の名前を言うと、おじさんは自分に言い聞かせるように俺の名前を繰り返し呟いた。
…………
…はぁ。終わった。
あれからいくつか曲を歌い終わったあと、酔っぱらいのおじさんは俺の歌を凄く褒めてくれた。
酔っぱらいだったからカンベンしてよとか思ったけど、何だ、わりと良い人じゃんか。
おじさんは俺に「名前覚えられないから名刺とかちょうだいよ」とか言ったけど、学生の俺がそんなの持ってるわけない。
「明後日もまたここで歌いますよ」って言ったら、「じゃあ覚えてたらまた来るよ」って言ってくれた。
…酔っぱらってるから、忘れてなきゃいいな。
俺はそんなおじさんが帰って行くのを見ると、俺も帰るか、とギターを片付け始めた。
…────すると、その時。
「キミ、ちょっといいかな?」
「?…はい?」
ふいに、突然俺は知らない男の人に声をかけられた。
…って、あ…この人、さっきからずっと遠くから俺の曲を聴いてた…。
俺が顔を上げると、その人は俺に“ある話”を持ちかけてきた…。
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