復讐

小倉千尋

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第一章

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 ニジマスが十数匹釣れたところで夕方になりかけていた。山の夜は早い、焚き火のところに戻る、魚を捌き火に焼べる、持って来た缶詰を開け魚と一緒に食べるともう周辺は暗くなって来ていた。魚は食べ切れなかったので、新鮮な魚はクーラーボックスに入れる。

 タバコを吸いながらウイスキーを煽る、タバコを根元まできっちりと吸うと携帯灰皿に放り込む、山や川を汚すのは好きではなかった。明日も早くに起きて釣りを楽しもうと、二十二時にはテントに潜り込む、釣りは神経を使うので早くも眠りに落ちる。

 四時には目が覚めていたが、まだ外は暗く冷え込んでいる焚き火に当たりながら缶詰を食べ釣りの準備に取り掛かる。ガサガサと茂みをかき分ける音が聞こえた、この辺りに熊は出ないはずだ、猪かもしれない野生の猪は割りと危険なのだ、警戒して音の方を見ていると人が出て来た、若い男だった二十歳を過ぎているのか、それよりもっと若いのか、この距離では見分けがつかない。少なくとも釣りやキャンプに来ている風体ではなかった。

 こちらに近づいて来る、ようやく朝日に照らされた男の服はぼろぼろになっている。所持品は見当たらない、こんな暗い山道を手ぶらで歩いて来たようだ。

「何をしている、山人ではないようだな」
「助けてください、街まで送ってくれませんか?」
「俺は休暇中でな、釣りを楽しみにやって来ている、他を当たってくれ」
「それなら少し食料をわけてくれませんか」
「昨日の残り物だ焚き火のところの魚でも食って行け」

 男はやはり二十歳くらいの顔つきだった、何日も食べてないかのように魚にかぶり付く、俺は無視して川の方へ歩いていった。

 朝まずめに大きいのが六匹も釣れた、朝は缶詰しか食べてなかったので早速食べようとテントのところに戻ると、さっきの男はまだしゃがみ込んでいた、無言で魚を捌き火に焼べる、男も無言でそれを見ている。焼きあがった魚を一匹渡してやると食らいついた。

 俺も無言でかぶり付く、いい塩加減だ美味い、車からミネラルウォーターを二本取り出し一本を渡してやると一気に飲み干した。

「お前何日山を彷徨っていたんだ?」
「一日半ってところでしょうか、水谷祐介といいます二十二歳です」
「俺は神崎隼人だ、祐介お前大学生か」
「いえ、卒業したところです、神崎さんお願いします街まで送って下さい」

 緊迫した様子ではなかったが、わかったと言ってやった。予定より一日早いがこのままだと祐介は明日までここを離れないだろうと思ったからだ。

 焚き火を砂で消火し、手早くテントを片付けると、
  
「慣れているんですね、俺には出来そうもないです」
「慣れれば簡単だ、食い物や水はまだ欲しいか?」
「水をもう一本下さい」

 渡してやるとまた一気に飲み干した、余程喉が乾いていたのだろう。

「こんな山道まで車で来れるなんてすごいですね」
「そのために買った四駆だからな、助手席に乗れ」

 鍵を開けてやると素早く乗り込んでため息を付いた。
 エンジンをかけ、発進させる。

「山道だからかなり揺れる、舌を噛まないように注意しろ、シートベルトをしろ」
「どちらにせよ殺される運命です、舌くらい平気ですよ」
 と言いながらシートベルトを着けている。
 殺される運命と言うのが気にかかった。

「俺は今時珍しく探偵をしている、聞こうじゃないか」
「探偵さんだったのですね、興信所とは違うのですか?」
「同じようなものだ、ただし多少荒っぽい事もしたりする」
「違いがわからないです」
「それでいいんだよ、元々は警官を目指していたが、ちょっとトラブルがあって探偵に落ち着いたんだ」
「何かあったのですか?」
「あまり言いたくはないな、舌を噛むぞあまり喋るな」

 祐介は黙り込んだ

  俺は昔、警官を目指していた時に喧嘩で相手を殺しかけた、裁判で有罪判決が出そうな時に親友の弁護士の天野雄一に助けられたのだ、警官になり損ねた俺に探偵を勧めてきたのも天野だった。儲かりはしないものの何とか食っていける程度には稼いでいる。

 何とか山道を抜け平坦な道に出た、

「ダッシュボードにCDが入っている、何でもいいからかけてくれ」

 祐介は暫く物色し、チャック・ベリーのCDを取り出し、かけ始めた。俺はこのロックの神様とも言われるこの古い音楽が好きだった。
 数時間かけ街まで着く頃には俺は上機嫌になり、

「お前の服はボロボロだ家まで送ってやる」
「じゃあ駅前まで行って下さい、うちは駅の直ぐ側なんです」

 駅前で車を停めると名刺を下さいと言うので一枚くれてやった。依頼してくるとは思えなかったが気紛れだった。

 祐介は駅前の高級マンションに入っていった、見届けてから車を走らせる、俺のマンションも遠くはない、自宅に戻ると同棲中の美雪が家にいた、しかめっ面で、

「早くお風呂に入って臭いわ」

 と言ってくる、釣りで三日も風呂に入っていなかった。すぐに風呂に入り垢と汗を流すとさっぱりした、ついでに髭も剃る。

 風呂から上がると電話が鳴り出した。
  
「はい、神戸です。あぁそうね仕入れも任せるわ」

 短い電話が終わり、こちらに気がついて近づいて俺の体の匂いを確認している。

「合格よ、それでいいわ。お風呂は毎日入ってね」

 もちろん普段は毎日シャワーを浴びたりしている、これでも一応社会人だからだ。

 美雪はこの街で大きなレストランを経営しているのだ、オーナーってやつだ。忙しい時は夜遅くまで帰って来ないし、暇な時は何日も家にいる。稼ぎは俺より一桁も二桁も良かった。

 同棲と言うより俺が居候とでも言った方がしっくりくる。

「あなたが山篭りしている間に仕事の依頼のファックスが何枚か来てたわよ」

 ファックスを見てみる、家出人探し、飼い猫探し、ボディガードどれももう二日も前のものだった。本当に必要ならまた送ってくるだろう、丸めて捨てた。

 その日は一日美雪とまったりくつろいだ。夕食に久しぶりの白米を食べた、おかずは豚足の煮込みと肉じゃがだった。美雪の料理は調理師免許を持っているだけにどれも美味しかった。

 久しぶりのベッドも寝心地が良かったのでぐっすりと体を休める事ができた。

 目覚めると美雪が洗濯をしていた。

「あなたの服匂いが取れなくて苦労したわ」
「今度からは着替えを持っていくよ」

 美味しそうな匂いがしてくる。

「腹が減った」
「もう出来てるわ、一緒に食べましょう」

 ビーフシチューとご飯が並べられる、シチューと交互にご飯を食べる、ビーフシチューがやたらと美味かった。美雪のレストランと同じ味だった。食後はコーヒーを飲みながら美雪と話す。

 今回の釣りの事、祐介を拾った事。

 美雪が何か感じ取ったようだ、祐介についていろいろ聞いてくる、ありのまま話すと。

「水谷祐介、まさかね。ただの迷子じゃないみたいね、荷物も持たず一日半も山中を歩き回るなんて自殺するようなものじゃない?」
「確かにな藪の中をかき分けて進んだから服もボロボロになっていたんだろう。それより祐介に心当たりでもあるのか?」
「人違いだと思うわ、もちろん家まで送ったんでしょ?」
「ああ、高級マンションだったよ、市内の駅前のマンションだ」
「何か引っかかるわ、事情は聞いてあげたのかしら?」
「いや、喋りたくなさそうだったが、殺されると怯えていたな」
「助けてあげて」
「名刺は渡しておいた、気が向けば掛けてくるだろう」

 そこで話は終わりだった。

 この日も仕事の依頼はなかった。夕方まで読書をして過ごし一日が過ぎていった。
 夕食は美雪のグラタンを食べ満腹になるとウイスキーをちびちびと飲んだ、二十三時には眠くなり。

 先に休ませて貰うと言いベッドに入った。

 起きたら美雪は出掛けていた、メモが残されていた、昼食はうちのレストランで食べるように、美雪らしいサバサバとした書き置きだった。

 十時を回っていた、仕事の依頼はない。
 少し早めだが美雪のレストランに赴いた。



 スタッフはバイト以外みんな顔馴染みだった。辛口のカレーを頼む、広めの店内を見回すがまだそんなに混んではいなかった。

 カレーを食べ終えて食後のコーヒーとタバコでくつろいでいた時に不意に携帯の音が鳴り響く、電話を耳に当てると祐介だった。

「何の用だ?」

 殺される運命だと言っていたのを思い出した。
「助けてくれませんか、仕事の依頼です」
「ガキを相手にしている暇はない」
「ちゃんと規定の報酬は払います、これでも一応お金は持っているんですよ、危険手当も別で払います」
「危険な事には首を挟みたくないな」
「もう誰も頼る人がいないんです」

 少し迷ったが興味を注がれたというより、乗ってもいいと思い始めていた。

「十五時に事務所に来い」

 とだけいい一方的に電話を切った。

「奥から美雪が出てきて向かいに座る。
「お仕事?」
「受けるかは決めていない、なんせ二十二歳のガキが依頼人だ」
「祐介君ね、そんな子が依頼なんて余程の事よ、ちゃんと話を聞いてあげてね」

 美雪は俺の仕事には結構興味を持つ方だ、助言も的を得ている事が多い。
  
 わかったといい二本目のタバコに火を付ける。吸い終わるといつも通っているボクシングジムに顔を出す。
  
 ジムの会長が寄ってきた。
 仕事だったのか、釣りだったのかを聞いてくる、ここの会長も釣りが趣味だった。
 釣果を言うと羨ましがっていた。
  
 俺は着替えてミット打ちを始める。一年ほど通っているが、昔習った空手の拳の出し方が抜けていない。いつも会長に指摘される。
 プロを目指しているわけではないので、俺は十分だった。

 気づけば十四時になりかけている、ジムのシャワーで汗を流し事務所へ向かう。

 十五時ぴったりに祐介は事務所を訪れた。

 俺の簡易事務デスクと安物の応接用のソファー一組とテーブルの狭い事務所だ。

 祐介は立ちすくんでいたのでソファーに座れと促す、俺も向き合ってソファーに腰を下ろす。一応各種の依頼内容の料金表を渡すが興味はないようだった。

 なかなか話し出さないので俺から話を切り出す。

「殺されるだの危険手当は出すだのって言ってたよな、あまりに危険だと判断したら警察に行ってもらうぞ」
「警察は駄目なんです、警察にまで手が回っています」

 要領を得ない会話に耳を傾ける。

 何をどう話せばいいのか迷っているようだった。なんせまだ二十二歳だ混乱しているのかもしれない

「一応、引き受けるかどうかお前の身辺調査をさせてもらう、いいな?」
「はい、いいです」

 と言って名前と住所電話番号を聞き出す。

「すぐに殺されるかもしれないのか?」
「わかりません」
「わかった一日かそこらで電話するから、できるだけ家にいてくれ」

 と言って携帯の番号も聞いておいた。

「家は親にも誰にも言わないで下さい」
「安心しろ、探偵には守秘義務ってやつがある、誰にも何も話さない」

 祐介が初めて笑顔を見せて帰って行った。

 水谷祐介、調べるのに時間はかからなかった、地元でいろいろな会社やビルを保有する水谷グループの会長の水谷幸之助の息子だった、兄弟は京子と言う姉が一人だが姉の方は異母の真知子の連れ子だった
本当の母親は祐介を産んで祐介が十歳の時に病死している。その二年後幸之助は子連れの今の義母と結婚していた。幸之助も晩婚だったせいかもう六十を超えていた。

 幸之助はガンのため街の病院に長い事入院している。祐介はすでに何億円もの金を贈与されているようだった、ここまでが調べてわかった事だった。

 簡単に推測すると、もし幸之助が亡くなれば祐介が跡取りだが若すぎる。それを義母と姉が幸之助の後釜を狙っている、それで祐介は何らかの身の危険を感じ隠れていると言う事になるが真相はまだわからない。警察にも手が回っていると言うのもさっぱりわからないままだった。

 翌日祐介に電話をしたが家にはいないようだ、携帯にかけてみると数コールで出た。

「俺だ、神崎だ」

 まわりが騒がしい買い物か遊びに出ているんだろう。

「外か、込み入った話だ、家に着いたら俺の携帯にかけてこい」
「すぐに戻ります」

 電話を切った、十分程で携帯が鳴る。

「祐介です、先程は失礼しました」

 やけに大人びた喋り方をする奴だ。
 昨日調べた事を説明する、

「たった半日でそこまで調べたんですか? その通りです」

 で、これは推測だがと付け加え俺の予想を話した。

「ほとんど合ってます、流石ですね」
「で、警察にまで手が回っているというのはどういう事なんだ?」
「正確にはこの街の寒川組が絡んでいます、義母が寒川組とつるんでいるようなのです、それで俺が父を殺して相続権を奪おうとしているとデマを流しているので、警察には頼れないと言ったとこです」
「おい、今寒川組って言ったな? 寒川雅史が絡んでいるのか?」
「よく知ってますね、その通りです。雅史の息子の登も俺を探しているはずです」

 頭に血が上りかけた、雅史は中学生の時の先輩で俺の鼻と肋骨を折り一方的にボコボコにされた相手だった、五対一のほとんどリンチ状態だったのだった。あの屈辱は今でも引きずっている。

「乗った」
「えっ?」
「その依頼を正式に受けると言う事だ」
「ヤクザが絡んでいるのでてっきり降りると言うのかと思ってました」
「俺の私怨も絡んでいるからな」
「寒川組と揉めたんですか?」
「まあ、それに近いな」

 受話器の向こうからすすり泣く音が聞こえてくる。
「どうした」
「いえ、初めて味方が出来たと思うと心強くて」
「男がそんな事で泣くんじゃねぇ、一人でも立ち向かう勇気がないと、この事件は厄介そうだ」
「はい、すみません」
「とりあえず俺が探りを入れる、それまで家で大人しく待っていろ」
「そう思ってさっき食料の買い出しに行ってたんです」
「賢明だ、一つ聞かせてくれ、この前どうしてあんな山中にいたんだ?」
「父の数ある別荘の一つがあの近辺にありまして、そこでのんびり隠れていたんですが、ベンツ二台がやってきたので裏口から逃げて歩いてたのがあの山道って事です、そこで神崎さんに出会ったんです」
「わかった、これから家の電話は使うな、暫くは携帯でのやり取りにする」

 電話を切った

 とりあえず何から始めていいのか見当もつかないので、祐介の父親の幸之助を当たる事にした、病院に向かう、市内の大きな病院だった。

 受付で水谷幸之助の病室を聞く、名前を聞かれた。八百三号室エレベーターで登ると個室だった。ノックをするが返事はない、勝手に入るが誰もいなかった。

 仕方ないので今度は義母と姉が住んでいると言う幸之助の家を尋ねる、大豪邸とでも言うべきか敷地は広大で外から見ただけでもかなり大きな日本家屋と小さいマンションのような建物が二つ建っている、チャイムを鳴らすと使用人らしき中年女性が出てきた。

「幸之助さんは在宅ですか? 病院にお見舞いに行っても留守だったもんで」
「いえ、今は外出許可を与えられ別荘に暫く行くと言って不在です」
「病気の具合は?」
「さあ、ここにおられる時は元気そうでしたがかなりやつれておりました」
「奥さんと娘さんは?」
「お二人ともここ数日戻られていません」
「ありがとう、出直します」

 別荘と言ってもどこの別荘かまでは聞けなかった、怪しまれる。
 幸之助がどれほどの病人かもまだわからない、外出許可が出ると言う事は割りと元気なのかすでに後が少ないかのどちらかだ。
 寒川組にはいきなりは乗り込めない、いきなり手詰まりになった。
 車に乗り込むと祐介から着信があった。

「どうした」
「義母と姉は寒川のところにいるそうです」
「だろうな、家にも帰って来ないらしい」
「そうでしたか、帰って来ないはずですね」
「ところでお前の親父さんはどの程度の具合なんだ? そこだけがわからない」
「末期ガンではないので、ある程度の外出は許されていますが、手術は高齢のため出来ないそうです。後、俺の家近辺で寒川の息子の登が俺を探しているみたいです、迂闊に出歩けなくなりました」
「家の電話を逆探知しているのかもしれないさっきも言ったが家の固定電話は使うなよ」
「わかりました」

 電話を切り考える、寒川の息子をどうにかしないといけない。

 とりあえず家に帰ると美雪が帰っていたので、祐介の身辺調査の結果を話す。

「やっぱり水谷グループの坊っちゃんだったのね」
「水谷グループを知っているのか」
「水谷グループはこの街トップのグループなのよ、この街で水谷の名前を知らない人なんて少ないわよ、あなたもその一人だったなんて」
 美雪は呆れていた。
  
「水谷グループは知っているさ、歳が離れているから、祐介が息子だって事に気付かなかっただけだ」
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