遺言

小倉千尋

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第二章

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 朝は由香里を事務所まで送って行った。
  
「入って、みんなに紹介するわ」

 事務所を見ておくのも悪くは無いだろうと思い、後ろを付いて行った。
  
「お早うございます」

 皆が口を揃えて言う。広くて清潔感のある事務所だった。
  
「みんな聞いて頂戴、こちら荒木俊輔さん。緋村の後を継いで契約書を取り返してくれるわ」

 歓喜の声が上がる。
  
「どうも、荒木です。上手く行くかはわからないが、全力で奪い返すつもりです」

 一人の中年男性が近づいてくる。
  
「私が社長代理の松本です、どうかよろしくお願いします」

 名刺を差し出してくる。松本英二と書いてあった。

「すいません、俺はまだ名刺を作って無いんんです、荒木俊輔といいます。緋村の幼馴染で成り行きで今回雇われました」
「緋村さんの幼馴染ですか、でしたらこちらも安心です。と言うか緋村さんの幼馴染と言う事は社長の先輩にあたるわけですね」
「そうなりますね、ところで俺は契約書を見たことが無いんです、どんなものか見せて貰えますか」
「構いませんよ、社長いいですよね」
「ええ、見たことのないものを取り返すなんて無茶ですもの」
「松本さん用意してちょうだい」
「分かりました、何時でもいいですよ」

 奥の壁際に大きな金庫が備え付けてある、これなら金庫ごと盗むのは無理そうだ。
  
 由香里が手早く金庫を開く、書類が数冊見える。由香里は更に金庫に手を入れ何かを探っている。カチッっと音がしたすると金庫の中からもう一つ金庫が出てきた、かなり厳重に保管しているようだ、松本がどこからか小さいパソコンを持ってきて小さな金庫とケーブルで繋ぐ、由香里はそれを操作し暗証番号らしい文字列を入力するエンターキーを押すと、またカチッと音が鳴り小さな金庫が開いた様だ。小さな金庫から二枚の書類を取り出すと俺に手渡された。
  
「これよ」

 思っていたよりもかなり薄い、ペラペラと捲る、地図や土地の図形最後のページが契約書になっている。表紙をしっかりと目に焼き付けた。
  
「ありがとう、元に戻しておいてくれ」

 由香里に契約書を返す、金庫に入れ閉めて行く。
  
「それにしても厳重過ぎないか? 番号を知っているのは何人いるんだ?」
「これくらい厳重にしないといけないくらい大事な契約書なのよ、大きな金庫は私と山本さんが番号を知っているわ、金庫内の小さな金庫は私しか開けられないわ」
「それなら安心だな」

 事務員がお茶を入れてくれたので応接用のテーブルに移動する。
  
「ちょっと待ってて」

 と由香里は社長室に入って行った。山本が向かいに座る。
  
「私から一つお願いがあるんですが、いいですか?」
「ああ、何でも言って下さい」
「なるべく社長が出勤しないように仕向けてもらえませんか?」
「何か理由がありそうですね」
「はい、先代も今の社長も預貯金を桁外れに持っています、誘拐でもされると危険です。先代はわきまえてて月に数度しか出社されませんでした、出社されても数時間でお帰りになられていたのですが、現社長はその重要さに気付いておられません、私の目に狂いがなければ社長は荒木さんに惚れているようですので、その荒木さんから言われれば聞き入れて貰える様な気がします」
「聞こえてるわよ」

由香里が社長室から顔を覗かせる

「社長、すいません」
「謝らなくてもいいわ、それに俊輔さんに惚れているのも事実よ」

 恥ずかしがる様子もなく言ってのける。俺が恥ずかしかった。皆が結婚するんですか? とか婚約はとか聞いている。
  
「まだお付き合いを始めたばかりよ、先の事なんてまだわからないわ。それと山本さん、話はわかったわ考えてみるわ」

 また奥へ引っ込んだ。
  
「私の予想通りでしたな、荒木さんからもお願いします、大きな取り引きの時だけ出てもらえればいいので」
「わかりました、出勤を控えさせればいいんですね。引き受けましょう」

 由香里が出てきた。
  
「仕方ないから今日は帰るわ、俊輔さん送って貰えるかしら?」
「そのために待っていたんだ」
「ありがとう、帰りましょ」

 席を立った、お疲れ様ですと皆が言う。表に出て車に乗り込む。
  車を走らせながら、質問をする。
  
「どうして出勤に拘るんだ? 理由でもあるのか?」
「拘ってはいないわ、副社長の時の癖が抜けないのよ。家に居ても暇だし」
「出社して何をしているんだ?」
「物件の資料を見てるだけよ、ほとんどの事は山本さんが済ませてしまうんですもの」
「どっちにしろ暇には変わりないな」
「確かにそうね」

 マンションに着いた。
  
「あがって頂戴、お茶でも入れるわ」

 今日は特に予定も無いので誘いに乗った。
  
「コーヒーでいいかしら?」
「ああ、構わんよ」

 すぐにコーヒーが運ばれてくる
「で、俺はあまり興味は無いが由香里の預貯金はいくらくらいなんだ?」
「そうね、父の遺産も入ったからちゃんと把握してないけど二百億円くらいかしら?」

 俺は由香里の頭を小突いた。
  
「痛いわ、私何か悪い事をした?」
「それだけの大金を持ってながらふらふら出歩くのは賢いとは言えんな。真っ裸で鍵の開いた金庫をぶら下げて歩いているようなもんだ。今まで狙われなかったのが奇跡としか言いようがない」
「そんな、大袈裟よ」
「いいや本当の事だ大袈裟でも何でもない。山本さんが心配してたのがよくわかったよ」
「俊輔さんもお金が目当てに変わったの?」
「さっきも言ったが俺には興味ない、俺は飯が食えて寝る家があればそれだけで十分だ」
「やっぱり俊輔さんを好きになってよかったわ」
「じゃあ、さっき言った事を守れよ」
「出勤はしたいわ」
「まだわかってないよだな、別れるぞ」
「嫌、わかったちゃんと聞くから別れないで側にいて」

 由香里が泣き始めた
  
「わかったよ、ずっと側にいてやるから泣き止めよ」
「ずっと側に居てくれるの? 本当に?」
「ああ、側で守ってやるから」
「じゃあ、一緒に住みましょ」

 コーヒーをこぼしかけた。
  
「一緒に住むって、同棲しようって言ってるのと同じだぞ、出会ってまだ一週間だぞ」
「出会ってからの期間なんて関係ないわ、お互い愛し合ってるかどうかが問題よ、私は俊輔さんの事が好き、俊輔さんはどうなの?」
「俺も由香里が好きだ」
「じゃあ決まりよ、善は急げって言うでしょ早速一緒に住みましょ」

 少し考えたが一緒の方が何かと便利だ、由香里も守りやすくなるし、監視できる。
  
「わかったよ、由香里の強引さに負けたよ」
 由香里はノートパソコンで引っ越し屋を探し始めた、この行動力と即決力が社長に向いているのかもしれない。
  
「今日の午後から引っ越し出来るところが三軒見つかったわ、私が決めてしまってもいいかしら?」
「ああ、全て任せる。俺は今の大家さんに引っ越しする事を伝えるよ」

 早速携帯を取り出し、管理会社に電話をする。
  
「荒木ですが、仕事の都合で今日の午後に引っ越します。ええ、はいわかりました」

 電話を切り由香里の様子を聞く。
  
「十六時に来てくれるとこに決めたわ」
「住民票やらいろいろ引っ越し手続きしなきゃな」
 じゃあ時間もある事だし市役所に行きましょ、こっちの駐車場ももう一台分用意しなきゃいけないし」
  
 すぐに出掛けた、まず一階のロビーの管理室で駐車場をもう一台借りる手続きを済ませてから役所へ向かう、役所の手続きはすぐに終わり、一旦自分の家に行き、由香里と一緒に持っていく物と廃棄処分する物を分け軽く掃除をした。
  
 俺の携帯が鳴る、管理会社からだった。十六時に引っ越し業者が来る事を伝えると、賃貸契約書と鍵渡しがあるから用意しておくように言われた。待ってる間に他の細々とした物の引っ越し手続きも終わらせた。
  
「俊輔さん、持っていく物は本当にこれだけなの?」
「ああ、自分でも少なさに驚いているよ」

 タンスとノートパソコンと工具入れだけだった。引っ越し業者が来るまでこの家での最後のコーヒーを二人で飲んだ。時間ぴったりに管理会社の人と業者がやって来た。
  
 引っ越しの指示は由香里がしてくれているので、俺は賃貸契約書に退去のハンコを押し鍵も返した。破損箇所もないのでこのまま出て行っていいとの事だった。礼をいい車に乗り込み、引っ越しのトラックの誘導をした。
  
 俺の駐車スペースは由香里の隣だった。
 荷物を運び終えると由香里が料金とチップを渡していた。
  
「やっと終わったわ、忙しい一日だったわ」
「お前の強引さには負けるよ、くたびれた」
「今日からよろしくお願いします、もう二人の家よ好きに使って頂戴」
「こちらこそよろしく頼むよ、引っ越し代いくらだった?」
 俺は財布を取り出したが。
「いいのよ、誘ったのは私なんだし。それに支払いはカードだからいくらだったのか覚えてないわ」
「ちょっと待て、由香里お前財布とカバンにに何枚カードを入れてるんだ?」
「えーと、八枚くらい」
「落としたり盗まれたら大変だ、二枚くらいにして残りはどこか家の中に隠しておけ」
「わかったわ」

 カバンと財布からカードを取り出す、ブラックカードばかりだった、タンスに隠している、財布にはまだ三枚カードが入っている。
  
「三枚でも多い」

 と言うと一枚を手渡して来た。
  
「どう言う事だ?」
「一枚あげるから好きに使ってちょうだい、暗証番号は私の誕生日を逆からよ」
「まだわかってないようだな、由香里お前は金持ちの家に生まれて金銭感覚が麻痺しているようだ。まあいい貰うんじゃなく預かっておく。それと現金も持ち過ぎだ、財布に入り切ってないじゃないか」

 由香里は半分くらい抜き出しまた渡してくる。呆れながら同じことを言う。
  
「貰うんじゃなく預かっておく」
「あなた、本当に欲が無いのね。こんな人初めてよ。ますます好きになったわ」
「言っただろう、俺は飯が食えて寝る場所さえあればいいって、それにお前からしたらはした金かも知れないが俺も貯金はある一千二百万ほどだが、同期の中ではこれでも金持ちの方なんだ。一日八時間働いてギャンブルもせずあまり金を使わなくても十年がかりでここまで貯めたんだ、金を稼ぐ事がどれだけ大変かわかるか?」
「わかったわ、お金は大事に使うことにするわ、小さい頃からお金に囲まれていたから、あなたの言うように金銭感覚が麻痺してるのかもしれないわ」
「わかればいい」

「晩ご飯どうする」
「忙しかったから用意出来てないわ」
「ちょうどいい同棲記念にレストランに行こうか?」
「いいわね、そうしましょ」
「ハニーズでいいか?」
「ええ、歩いて行けるから好きなだけお酒も飲めるわね」

 二人で歩いてレストランに向かった、由香里が手を繋いでくる、握り返す。
 レストランに着くと昨日と同じ初老のウエイターがやって来た。
  
「いらっしゃいませ、昨日も来ていただきましたね?」
「よく覚えてるね、今日は記念日なんだ、いい席を頼むよ」
「そうですかサービスさせてもらいます、こちらへどうぞ」

 窓際の席に案内された、ここは駅近くだと言うのに少し丘の様になっていて自然が豊かだ。窓から庭が見渡せる。
  
「失礼ですが、どの様な記念日ですか?」
「同棲記念日なんだ」
「それはおめでとうございます、ご注文をどうぞ」
「俺は超レアのステーキとカルボナーラを」
「私も同じでいいわ」
「かしこまりました、少々お待ち下さい」

 窓からのライトアップされた景色を見ていると。
  
「これ渡すの忘れてたわ、今のうちに渡しておくわね」

 と言って家の合鍵を渡してきた。
  
「ありがとう」

 ステーキが運ばれて来た。いつもと違うステーキだと見ただけでわかる、かなり分厚くて柔らかそうだ
  
「私、食べきれるかしら?」

 頂きますと言い食べ始める。思った通り凄く柔らかい、舌の上で溶けるような食感だった。由香里も驚いている。
  
「何これ、口の中で溶けていくわ」
「高級なブランド物の和牛だな」

 カルボナーラも運ばれてきた。
  
「私もうお肉入らないわ、あなた食べてちょうだい、私はスパゲティを戴くわ」

 俺は平らげたステーキ皿を由香里のと入れ替えぺろりと食べた。カルボナーラはいつもの味だったがこっちも美味かった。
  
「もうこれ以上入らない」
「私もよ」

 談笑していると皿が下げられ、ワインが運ばれて来る。
  
「ワインは注文していないが」
「こちらはサービスでございます」
「あのさっきのステーキがサービスじゃなかったのか?」
「あちらもサービスの極上和牛です、主に記念日用に仕入れております」

 ワインが注がれる、二人で乾杯しグラスをあわせる。
  
「飲みやすいワインね」
「これも高そうだ」

 飲み終えると帰り支度を始め、会計を頼んだが、あまりの安さに驚いた。万札を出し、残りはチップだと言うと喜んでいた。
  
「またのご来店をお待ちしております」

 帰りは手じゃなく腕を組んできた。
 どこから見ても仲の良いカップルに見えるだろう、気分は良かった。
  
 マンションに着いても由香里は鍵を出さない、俺に開けろとでも言っている様だ。先程渡された合鍵を使い部屋に入る。
  
「ただいま」

 と言うと、後ろから抱きしめられ。
  
「おかえりなさい」

 と泣きそうな声で言ってくる。
  
「どうした急に」
「こんな急展開で私のワガママを聞いてくれてありがとう、あなたに出会えて幸せよ」
「まあ、多少強引だったが結果オーライだ、俺もお前に出会えて幸せだ」

 由香里が落ち着いたので部屋に入る。
  
「コーヒータイムにしましょ」
「俺のコーヒーは大きなマグカップで入れてくれ」
「わかったわ、この大きさでいいかしら?」
 手に持ったマグカップを見る。
「ああ、ちょうどいい大きさだ」

 二人でくつろぐ。
  
「そう言えば由香里お前、今朝から俊輔さんじゃなく、あなた、になってるな」
「その方が親近感があって良くない? いつまでも俊輔さんじゃおかしいわ。それにあなたもたまに、お前、って読んでるわよ」
「嫌なら止めるが」
「ううん、嬉しいからお前でいいわ」

 何かのメロディーが鳴った。
  
「お風呂が沸いたわ」
「先に入っていいぞ」
「一緒に入りましょ」

 少し迷ったが今更裸を見られても恥ずかしくはない。
  
「ああ、いいぞ」
「脱衣所で服を脱ぎシャワーで軽く汗を流してから湯船に浸かる。風呂がかなり広いので二人で入っても十分なスペースだった。
「背中流してあげる」

 体を洗っているとそう言われた、黙って背中を向ける、子供の頃親にされたっきりだ、懐かしい感じがする。
  
「俺も流してやろう」

 由香里はロングの髪を結ってアップにしているので楽だった。
  
「何かいいわね」
「俺は懐かしい感じがしたよ」
「私もよ」

 シャワーで泡を流してやる。
 二人で風呂から上がりパジャマに着替え、並んで歯を磨いた。
  
「これからも一緒に入ってくれる?」
「俺は構わないが」
「じゃあ決まりね」

 由香里は嬉しそうに微笑んでいる。
  
「ここに住んでから八年間、男がいなかったって聞いたが学生時代はどうだったんだ? 正直にいうがお前はかなりの美人だモテないハズがない」
「うーん、モテたのは事実だけどまともに付き合った人はいないわ、付き合った瞬間にお金を貸してくれとか、いきなりホテルに行こうとかお金か体目的なのよ、その日の内にすぐに別れたわ」
「って事は昨日は初体験だったのか?」
「そうよ、あなたでよかったわ」
「荒っぽく扱ってしまったな、すまん」
「気にする必要はないわ、私も嬉しかったんだから。何か愛されてるって感じが凄くよかったわ」
「それならよかった。ところでベッドルームを見たことが無いんだが見てもいいか?」
「そこの部屋よ」

 開けると清潔感のある広い部屋だった。ベッドはダブルベッドだ、これなら窮屈な思いはしないだろう。
  
「どう? 何か気になる事でもあった?」
「ないね、チャラチャラした部屋じゃなくてよかったよ」
「私はシックな色合いが好きなの、それにぬいぐるみとかも置かないわ」
「気に入った」
「ありがとう」
「ウイスキー置いてるか?」
「あるわよ、私も飲むわ」

 ウイスキーをちびちびと飲みながら他愛もない話で盛り上がった。
 お互い酒に強い方じゃない、酔が軽く回って来る。
  
「今日はいろいろあったし、そろそろベッドに入るか?」
「そうね」

 リビングの明かりが消えた。二人でベッドに潜り込む。
 寝心地の良さそうなベッドだ、快眠出来そうだと考えていると、緊張した顔で覆いかぶさってきた。何度もキスをされる、パジャマも脱がされた。由香里も裸になっている。由香里から求められるのは初めてだった
  
 由香里はどうしていいのかわからない顔付きになったので反対に押し倒し応えた。
 何度も抱いた俺も由香里ももう限界だったそのまま横になる。睡魔が襲ってくる。

「ありがとう、愛してるわ」

 その声に反応しようとしたが気付けば朝になっていた。
  
 起き上がると服を来てリビングに入る。由香里が朝食の準備をしていた。
  
「おはよう」

 と言葉を交わし、由香里を背後から抱き締める。
  
「昨夜は言いそびれたが、俺も愛してる」

 由香里は器用にくるっとこちらに向き直り涙目で見つめてくる。
  
「やっとちゃんと言ってくれたわね、ありがとう愛してるわ、幸せにしてね」
「ああ、わかったよ。パンが焦げるぞ」

 慌ててトースターからパンを取り出す。
 二人で朝食をとり、リビングでコーヒーを飲んだ。
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