人形として

White Rose

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第一章

5 感

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  どうしよう、と月光は頭を働かせる。
  バイトには間に合った。そして時間いっぱいきっちり働いた。そこまでは問題ない。

「月光センパイ、今日はお迎え来ないんですか?」

  隣のロッカーを使っている相沢あいざわ愛理あいりがニコニコと話しかけてきた。

「うん、今日は……ちょっとけんかしてて……」

  本当にどうすればいいのか分からない。一人でも帰れる距離なのだが、店長に知られれば夜の時給が上がる時間に働かせてもらえなくなる。それに……

──翔、絶対まだ怒ってる……。

  それが一番怖い。一人で帰って店長に働かせてもらえなくなるのもある意味怖いが、それより今から帰って怒っている翔と対面するのが嫌だ。

「えー!あんな完璧な弟くんと何で喧嘩になるんですか?!」
「いろいろあって……」

  愛理は明るい性格なのは話しやすくて良いのだが、声が大きくて少し苦手だ。月光より年上なのに先輩と呼んでくるのもなんだか落ち着かない。
  まだバイト歴が一週間の愛理は、二ヶ月働いている月光より短いからそう呼びたいらしいが、月光からすれば普通に呼ばれたい。それに一週間と二ヶ月では大して変わらないと月光は思う。

「それなら送ってあげましょうか?」

  家どこですか、と尋ねてくる愛理に月光はやんわりと断った。誰にも家を教えるなと翔に言われているからだ。すでに怒っている翔をさらに怒らせるような事は避けたい。

  翔には頼めない。そして静奈も、今日退院したばかりなのだから頼むのははばかられる。
  同じ場所でバイトをしている赤城は大抵同じ時間に来ているが、今日はいないので送ってもらえない。
  それなら美颯に頼もうと、スマホを手に取った。ワンコールで出てくれた美颯に、時間があれば迎えをお願いしたいと伝えると、すぐに来てくれることになった。

「あ、もしかしてあの人ですか?えっと、美颯さん」
  何度か迎えに来てもらったことがあるので愛理は覚えていたらしい。
「うん」
「あの人、センパイのこと大好きですよね」
「それはないよ。ぼくの姉と知り合いでたまたま家が隣同士だから仕方なくぼくの頼みを聞いてくれてるだけ」

 話しながら改めて申し訳なく感じた。

「絶っ対そんな事ないですよ。だって月光センパイ見てる時のあの人、異常なくらいに嬉しそうな顔してますし…それと、距離、近すぎません?月光センパイと美颯さん。あと、少し危ない感じがします」

  少し顔を歪めて愛理が言う。だが、愛理の気のせいだとしか思えなかった。

「そうかな……普通だと思うけど」

  美颯に出会ったばかりの頃は、持ち上げられたり髪を触られるのは少し恥ずかしいと思っていたのだが、この二ヶ月の間で慣れてしまって今はもう当然のことになっている。

  近すぎるのは確かに感じるが、美颯は月光を弟のように思っているのだろう。
  そう考えながらロッカーをパタンと閉じる。ほぼ同時に愛理もロッカーを閉めてこちらを向いた。

「そうですか?…まあ私は美颯さんの事よく知らないので何とも言えませんが…あ、でも私の感ってよく当たるんですけど、あの人、あまり一緒にいないほうがいいです」

  少し神妙な面持ちで愛理が言う。

「どうして?」
「んー、よく分かりませんが気をつけたほうが良いですよ、多分」

  気をつけたほうがいいって言われても、あんなに良い人の何に気をつけろと言っているのだろう…
  根拠も何もない愛理の言葉をを信じようとは思えなかった月光だが、適当に頷いておいた。



「センパイのお迎えまだ来ませんよね?来るまで一緒にいます!」
  そう言って月光が座っている小さなベンチの隣に愛理が座った。
「いいよ、もうすぐ迎えくるから」
「でも月光センパイ小さいし可愛いから一人にするのって何か危険な気が…」
  二回ほど断ったが帰ろうとしないので、月光は美颯が来るまでの時間を愛理と二人でつぶした。







「…久しぶりに見たよ、月光に怒ってるの」
  翔の顔を覗き込んで静奈が不思議そうに言う。

  最近は月光に怒ってばかりだ。
  以前は何をするにも翔や静奈に相談してからだった月光が、事件のあったあの日からは勝手に自分で決めることが多くなった。週に一度くらい休めと提案しても聞く耳を持たない。

  両親が健在だったころから、家で作った料理と学校の給食以外の食べ物は口にしてはいけないという決まりを作っていたが、最近の月光は三食中二食をバイト先でもらった物で済ませている。翔がいくら注意しても、家では夜しか食べない。

  それが原因なのか、月光は二ヶ月で随分痩せてしまった。
  まともに働ける人が一人もいない状態での暮らしだ。焦る気持ちも分かるが、倒れやしないかと翔は常にひやひやしている。

「何かあった?」

  月光の手から奪った食器を片付けた後、夕飯の支度をしてからずっと同じ場所に立っていた翔の頭を静奈が撫でた。

「……俺は子どもじゃないから」

  イライラしている翔を静奈が笑う。

「中学生が何言ってんの。それに月光は喜んでくれるよ」
「じゃあ月兄にしてやれ」

  自分が周りの中学生に比べて大人びている自覚はある。だが、もしそうでなかったとしても、中学生にもなれば姉に頭を撫でられて嬉しいなんて思わないはずだと翔は思った。

「はいはい。じゃあ……ちょっと聞きたい事あるからあっち行こ」
  先ほどまでみんなで寿司を食べていた机を指さして静奈が言う。
  翔は大人しくそれに従った。


「……取り敢えず、聞かせて。私がいない間、知らない人で誰かここに来た?」

  真剣な眼差しで静奈が尋ねる。

「月光の友だちの錬さんに何度か来てもらってる。あとは美颯さん。俺は誰にも教えてない」

  学校の友達にも言っていないし、月光がバイトで知り合った人にも教えていない。月光には、誰にも言うなとしっかり口止めしておいた。何度も頷いていたし、自分でも個人情報を教えるのが危険だということくらい理解しているはずなので、きっと誰にも言っていない。

「れんさん……誰?危なくないの?」
「月兄と同じ時期に定時制に通い始めたらしい。バイトも同じだ」
「あぁ、あの子ね……教えて大丈夫なの?」

  なんで教えたの、と咎めたいのを抑えているのが伝わってくる。

「月兄に届いてた手紙のことは知ってるだろ?高校に入りたての頃は月兄、怖がってたらしくて、錬さんは月兄を宥めてくれてたんだ。月兄は錬さんを信じきってて、俺も、悪い人ではないと思う」

  最近になって聞いたことだが、月光は手紙の事を、翔と静奈がさらに過保護になるのを恐れて言えなかったのだそうだ。だが黙っているのも怖くなって錬に相談したらしい。

「あの子、どこに住んでるの?」
「男だ。住所は月兄が知ってるんじゃないか?まぁ危ない人ではないからそんなこと気にしなくていいだろ」

  よほど心配なようで、身を乗り出して尋ねて来る静奈に苦笑しながら答えた。

「そっか、翔が言うなら間違いないね、よかった……怪しい人とか近所にうろついてない?」

「大丈夫だ。今のところ見かけてない。警察がよく見回ってくれてるからな。月兄宛ての手紙だって一通も届かない」

  余程心配だったのだろう。その後も沢山質問された。


「……思ってたより安全だね」

  良かったー、と言いながら静奈が寝転がる。

「…じゃあさ、さっき月光に何を怒ってたの?」
「…最近、ずっと休みなしで働いてるんだ。だから日曜くらい休んでくれって頼んだんだけど聞き入れてくれなくて…、それに危ないんだ。父さん達を殺した犯人はまだ捕まってないし、もし出くわしたら月光一人だと逃げきれない。犯人以外だって危険なことは沢山あるのに……」
「んー、まぁ確かにそうだね。月光、小さいし可愛いから…」

  実際、月光は今までに何度も誘拐されかけたことがある。
大抵は月光が狙われているが、一度だけ三人一気に誘拐されてしまった。それをきっかけに静奈と翔は護身のためにいろいろ習い始めた。そして今まで、月光が拉致されかけると、翔か静奈が大声で人を呼んだり知っている護身術をフル活用して月光を守っていた。

「…帰りはどうするの?…あ、それより無事に着いたか確認した?」
「さっき店に電話をかけた。問題ない」

  その時に、二十二時にお迎えをお願いします、と店長に言われたので一応はいと答えておいた。

  月光がバイトをしているのは休日の朝から十七時までと、平日の昼と学校が終わった後の二十二時から五時までだ。
  月光はまだ十六歳なので本来なら深夜の時間帯は働けないし、他にも色々と違反をしているが、月光は店長に事情を話して頼み込んだらしい。

  今日は十七時までのはずだ。
  それを五時間もオーバーした時間を言われたということは、月光が勝手に時間を伸ばしたのだろう。

「じゃあ迎えはどうするの?私が行く?」
「いや、静姉今日は疲れてるだろ?…俺が行く」

  時計を見るとまだ迎えの時間まで余裕があったので、夕食を完成させて月光の分にラップをかけた。
  いつもなら自分と美颯の分にも同じようにするが、今日は静奈がいるので先に食べることにした。

  美颯を呼びに行き、三人で夕食を食べた。
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