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10.三日月の真相編
46三日月のひそむ風雲 ④
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***
「まもなく、この建物の中で殺陣ショーをおこないまーす!」
その客引きの一声で、雷奈の天秤は、使命と好奇心の間でぐらついた。
映画村の殺陣ショーといえば、言わずと知れた本格的な剣劇。これを目当てにやってくる人も少なくないだろう。普段は画面越しの時代劇でしか見られないような、袴姿の侍が白銀の刀で立ち回る姿を、地を踏む振動、動く空気、役者の息遣いを感じながら見られるのだ。
まして、剣道経験者の雷奈が、剣劇に興味を惹かれないわけがなかった。東京に住んでいる以上、映画村の殺陣ショーを生で見られる機会など、そうあるものではない。
「いや、そんなことしてる場合やなか。誰か一人でも見つけないと……。ばってん、殺陣は気になる……。氷架璃も言ってたしね、食べ物以外を楽しめって……」
しかし、他の皆が必死で探している中、自分だけが楽しむというのもいかがなものか。とはいえ、逆にいえば、自分一人が楽しんだところで、他の面子が見つけてくれれば問題はない。
「ま、まあ、今まで探して歩いてきたわけやし、ちょっとくらい息抜きしてもよかよね。大丈夫……うん、よかよか……」
自分自身に言い訳しながら、じりじりと館の敷居へ足を伸ばす雷奈。一歩。また一歩。そのまた一歩で、ひさしの下に入る。
最後にきょろきょろと辺りを見回すと、天秤がガタンと振り切れる音とともに、屋内へと消えた。
どの舞台場でもそうだが、ここも例に漏れず中は薄暗い。この薄暗がりが、演者に緊張の、観客に期待の、それぞれの鼓動の高まりを否応なくさせるのだ。
正面の大きな舞台は、まず真っ赤な幕が目を引いた。次いで、上に掲げられた座名の看板、その左右から天井近くの角に向かって並ぶちょうちん、さらには碁盤の目の天井と、すみずみまで凝らした江戸らしさが目を楽しませてくれる。客席と舞台との間には広めの空間が設けられており、中央の小さなはしごで舞台上から上り下りできるようになっていた。なるほど、舞台の上で派手に、客席の真ん前で大迫力に立ち回りを見せてくれるのだろう、と雷奈の期待はうなぎのぼりだ。
客席は、土曜日ということもあってか、程よく埋まっていた。子連れ、大学生くらいの若者、老夫婦、そして皇学園以外の修学旅行生の姿もいくつも見受けられる。この時代でお目にかかることのできない非日常は、老若男女を魅了するのだ。
雷奈が迷わず最前列の席に座った途端、入り口の戸が閉まって、中は一層暗くなった。けれど、直後には柔らかい照明がぱあっと舞台を照らした。町民姿の男性が明るくアナウンスしてくれる、観劇中のマナーなどの軽い注意事項が終われば、ショーの幕開けだ。
ダダダッ、と力強い足音とともに奥の舞台袖から現れたのは、茶色い着物に黒袴の男。腰を落とし、悔しそうに顔をしかめながら、第一声を張り上げる。
「おのれ、しつこい輩め! ここまで追ってくるとは! いったんこの群衆の中に紛れるとしよう!」
かっと見開いた目に、ハスキーがかった低い声、そして巻き舌のかかった荒々しい物言い。一目で悪役とわかる立ち居振る舞いだ。舞台上から一息に駆け下りてきた男は、急ぎ足で客席前の袖へと消えていく。
ややあって、同じく奥の舞台袖から現れたのは、さっきの男よりも幾分か落ち着いた足取りの侍。彼が何者かは問うまでもない。浅葱色のだんだら模様をした羽織が、彼の身分を雄弁に語っている。
彼は客席をおもむろに見回して言った。
「あの不逞浪士め、逃げ足の速い。この群衆の中に紛れ込んだはずだが……どこにいる?」
歴史に詳しくない者でさえ、その羽織が何を象徴するかは知っていよう。新選組隊士その人は、観客をぐるりと見渡すと、はしごを下りながら、今度は一人一人に目を合わせるようにして、視線をもう一周させた。
「きっと、奴はこの群衆の中から目を光らせてこちらの隙をうかがっているに違いない。つまり、この中で、最も私に強い視線を注いでいる者であろう……」
後半を意味ありげに強調した口調。まさか舞台と客席の間を暗黙裡に分かつ、いわゆる第四の壁を破られると思っていなかった観客の中には、突然目を合わせられて気圧される者もちらほらいた。
が、対照的に雷奈は目を輝かせた。登場人物が観客の中にいるかのような発言、そしてその具体的な特徴にも言及。明言はされていないが、この流れは演劇クラブの活動の折に覚えがある。
観客を一人、巻き込む気だ。
剣道と演劇の二つを嗜んだことのある雷奈にすれば、殺陣ショーの舞台に上がれたならば本望だ。彼女は精一杯の憧憬を両目に込めて、隊士の額金の下の双眸を見つめた。
「最も強い視線を……」
繰り返しながら観客を順繰りに見ていた彼の目が、陽炎すら立ちそうなほど熱烈な視線を送る少女で止まった。修学旅行生にしては珍しいお一人様。言うまでもなく、雷奈である。
役者は逡巡した。このふりに積極的に応えてくれる客がいるのは僥倖だ。下手な人選をしてしまうと、本人に不快な気持ちをさせてしまうどころか、劇そのものがエンターテイメント性を失い、他の観客たちをも退屈させてしまう。そのため、興味のありそうな客が一人もいない場合は、誰も選ばずに役者のみで話を進める方向に転換するのだが、今の状況からいえば、打ち合わせ通りにいくなら彼女を指名するべきだ。
だが、彼女ははたから見れば小柄でかわいらしい少女だ。不逞浪士の容疑をかけられる役としていかがなものか。そもそも、こんな少女と大の大人が刀を携えて対峙するという絵面は、アドリブとはいえ見栄えするのだろうか。
隊士役とてプロだ。観客をしらけさせたくはない。できれば、文脈上違和感のない相手を選びたいところだ。他に応じてくれそうな人がいれば、彼女には申し訳ないが、そちらを採用したい。
――と考えること、約一秒。
その間、雷奈に視線を止めてしまった以上、言及する他なくなって、彼は即興の言葉を紡いだ。
「……なにやら、あの娘から強い視線を感じるが……だが、奴は隊の仲間を幾人か斬っている。あれはまだ年端もいかぬ娘ではないか。とても不逞浪士には……」
陽炎に加え、目からビームが発射された。相手の視線をわしづかんで、余所へ行かせない強烈なインパクトだ。別の人を暗黙スカウトしようとしていた役者は、先のセリフでくすくすと巻き起こった笑いも耳に届かない様子で、そらせない視線に自身で戸惑っていた。
さらなる臨機応変を重ねる。
「い、いやしかし、奴は凄腕の剣客なのだ。きっともっと、手練れの風格の……そう、もっと上背のある……」
陽炎に加えビームに上乗せして殺気が放たれた。役者は慄きのあまり震え上がった。少女の背後に虎が見える。最後の一言が逆鱗に触れたとは、彼は永遠に気づくまい。
「……て、手練れが可憐なおなごということもあろう……」
スポットのせいではない汗を浮かべながら手招きする隊士に、雷奈は満面の笑みを浮かべて駆け寄った。殺気に気づかなかった他の客たちから巻き起こる笑いが場内を温め、追い風が背中を押してくれるかのようだ。
隊士に小声で案内されたとおり、舞台袖付近にこっそり置いてあった小道具の刀を手に取り、客席前の空間の中央で対峙した。
剣道場では、型稽古の折に模造刀を持ったこともある雷奈だ。竹刀でも木刀でもない、鞘に包まれた剣を手にしたところで、彼女は動じない。それどころか、左腰の正しい位置に手で帯刀して見せた姿に、演者も彼女が素人ではないことをくみ取った。
見えない壁を乗り越えてこちらがわへ来た雷奈に、隊士はすごむ。
「おい、お主。お主が密告にあった土佐藩士だな?」
真に迫る演技は迫力満点だが、怖じる必要はない。飛び入りがボロを出したならば、さりげなくカバーする優しさが顔を出すだろう。そうしてなお、客を魅せるのだ。それがプロというものである。
けれど、それに甘えるほど、雷奈の矜持はぬるくはない。なりゆきで観ることになった劇で、なりゆきで舞台に上がることになったとはいえ、女子中生から他の誰かに成り代わるのに心の準備などいらない。長くやっていたわけではないものの、呼吸一つで何にだってなれる自信がある。
次の瞬間には、三日月雷奈は江戸の町を歩く、男装をした一人の娘だった。
「ふむ、何のことであろうか? 私はそこな道場の娘。兄とともに見廻りをおこなっている者である」
声量よし、テンポよし、ゆったりとした身振りよし。ぶっつけながら様になっている小さな女優に、観客たちは息をのんだ。
ひそかに心の中でガッツポーズをする雷奈。少し前に雷華から聞いた、江戸時代に男装して兄とともに江戸を見回った女剣士の話がイメージをパキッと決めてくれた。聞きかじりを引用しただけなので、粗はあるだろうが、細かい整合性くらいは見逃してくれるだろうと踏んでいる。大事なのは堂々たる態度だ。スポットを浴びている間は、演者の言動が、物語の中の真実なのだ。
隊士は少し迷う素振りを見せた後、「いや」と雷奈の言葉を否定した。
「お主が拙者を人影からうかがっていたことは知っておるぞ。お主が我々の追っているならず者に違いないのだ」
刀身を存分に客に見せつけながら抜刀。そして、目で雷奈にも抜刀を促し、セリフの速度を調節してそれを待つ。双方が構えたところで、
「ようやく見つけたぞ。覚悟!」
隊士は大きな動きで雷奈に斬りかかった。
――この後、胸を貸しながら切り結んで、鍔迫り合いののちに身を引き、「奴の戦法とは違う」と人違いを悟る脚本であったが、飛び入りの雷奈がそれを知る由もない。
というより、本能が勝った。
「はああッ!」
左にさばいて刀をかわし、落ちた剣先近くを己の剣先で巻き上げる。試合でも、この技で何度も相手の竹刀を場外に放り出してきた。本気で柄を握っているわけでもない人間が相手なら、お茶の子さいさいだ。
数拍の無音ののち、隊士の背後でカラァンと刀が床を打つ音がするのを聞きながら、心の中でつぶやく。
「決まった」。直後、「しまった」。
水を打ったように静まり返った場内。観客もキャストも呆然としている。きっと音響も照明も呆然としているに違いない。
(や……やってしまったったい~!)
反射的に本気を出してしまった雷奈の落ち度だ。女優にあるまじき失態。これは演出としてはまずいだろう。天下の新選組隊士が、人違いで喧嘩を吹っ掛けた小さな少女に、剣戟で負けたのだ。
青ざめた隊士が、唐突にプロ役者の根性を試されて頭をフル回転させていると、
「そう……彼女こそ、彼に剣を教えた剣士の娘だったのです」
劇場の空気すべてにしみわたる声が、誰の耳をも奪った。
完璧な標準語のイントネーションに、歯切れ良い活舌、心地いい抑揚。あまりに清涼で、あまりに優しく、まるで人ならざる者のような美声だった。
実際、彼女は人ではないのだが。
(う……麗楽!?)
彼女は一瞬だけ雷奈に微笑みかけると、再びこの場にいる全員に向けて、心地よい語りを届けた。
「父の流派を熟知した彼女にとって、彼の剣をいなすことなど造作もないのです。たとえ体格の差、経験の隔たりがあろうとも、これが師範の娘の実力……」
この場で呆気にとられていない者などいないのだが、最も愕然としているのは雷奈だ。客席の壁際に立ち、のびやかなナレーションを披露したのは、シルバーグリーンの長い髪にシフォンワンピースの少女。探しびとの一人、音響学研究科の透里麗楽だった。
(いたと!? 観とったと!? 全然気づかんかった……!)
あんなに目立つ容姿をしているのに、だ。その日本人離れした髪と目の色に、そして何より突然のナレーターの出現に、客たちは目を白黒させる。
「ナレーター、外国人……!?」
「ってか、ナレーターとかいるのか……!?」
そんなささやきが飛び交うが、これは紛れもなく、麗楽の助け舟だ。隊士はおもむろに剣を拾い、納めると、いやはやと首を振った。
「そうか……先生のご息女であったか。これは大変な失礼を致した。無礼を詫びる」
そう言って頭を下げる隊士。
さて、そろそろ出番は終わりかと気を抜きかけた雷奈は、背後に気配を感じた。
頭を下げている隊士も、背中をとられている男装の娘も気づいていない。冒頭で登場した茶色い着物の男が忍び寄っていることに。――という新たな筋書きだ。
右手の舞台袖からそろりそろりと出てきた本物の不逞浪士は、チャキ、と鯉口を切ると、抜刀しながら叫んだ。
「見つけたぞ! お主が密告者だな! 新選組もろとも斬ってくれる!」
その声で顔を上げる新選組隊士。
――ここで、雷奈を後ろにかばって不逞浪士と切り結び、今のうちに逃げろと観客席に帰してから、佳境の本格的な殺陣が始まるところだったのだが、それを雷奈が知るよしもない。
というより、やはり反射的な反応が勝った。
「覚悟ぉぁあああっ!?」
途中から悲鳴へと化すセリフ。振り向きざまに放たれた雷奈の水平切りが、男の胴を薙ぎ払い、小柄でもないその体を舞台袖へと打ち返してしまった。
「あ」
「あ」
舞台上の二人にだけ見える裏で、たたらを踏んだ末に裾を踏んでひっくり返った男が、小道具やら看板やらをなぎ倒した。隠しようもない騒音が、気まずい静寂に響く。刀身は、男の袴のちょうど固い帯のあたりに当たったので、骨が折れたとか、内臓が破裂したとか、そんな致命的なケガには至っていないはずだが、劇としては致命的である。
唖然とする雷奈。唖然とする新選組隊士。きっと小道具も演出も唖然としているに違いない。
観客席は再びざわつき始める。「あれ、死んだ?」「劇、終わったくね?」と時間を確認する者もいれば、「結局、殺陣あった?」とショーの存在意義を疑う声まで上がった。
雷奈も隊士役も冷や汗たらたらで立ちすくんだ。不逞浪士も、脂汗と冷や汗を両立させながら、無様に尻もちをついたまま舞台袖で固まっている。
新選組と不逞浪士の剣戟がメインのこのショーで、後者が死んでしまえば、もうすることなどない。そして、死んだ者は戻らない。――聞くだにシビアな一節だが、今は別の意味でシビアな事態だ。
そこへ現れたるは、江戸の芝居小屋を古代ギリシア劇場と間違えたらしいデウス・エクス・マキナ。
「不憫にも、強気な女剣士に命を絶たれた彼――悪者の影武者。そう、あれはあくまでも影武者に過ぎなかったのです。本物の悪者は、その隙を狙っていました」
場違いな澄声が、何とも都合よく不逞浪士を蘇らせる。「影武者?」「不逞浪士の影武者って何だ?」「ってか、『悪者』って言い方」という場内のツッコミをかき消すがなり声とともに、男は再び舞台にあいまみえた。
「そう、あやつはただの影武者! 今度こそこの本物が斬り捨ててくれるわ!」
「危ない、君はあの群衆の中に逃げなさい。ここは私が引き受ける!」
同じように観客のささやきにかぶせて叫ぶ、涙ぐましい努力をする新選組隊士。ああなるほど、そういう流れかと納得した雷奈は、「これにて御免」と適当にセリフを残して観客席に戻った。周りの視線がやや痛い。
一方で、役者たちは、ようやく本調子を取り戻して佳境を迎えた。迫力あるBGMが流れ出すと同時に、不逞浪士が斬りかかり、隊士がそれをいなす、いなす。間合いを取ったところで、双方構えた姿勢でにらみあった。絞られたボリュームが、二人の緊張感を伝えてくる。
二歩分の間合いをゆっくり、じらすように詰め……吶喊とともに互いに斬りかかった。激しさを取り戻したBGMの中、正面で斬り結び、左右の方向を変えてさらに斬り結ぶ。次なる斬撃は、隊士が相手を後方へ送る形で受け流した。
ここまでくると、先の茶番でしらけかけていた客たちも固唾をのんで見入っていた。雷奈も、興奮で高鳴る鼓動を抑えきれないまま戦いの行方を見守る。
クライマックスに向けて、速さも動きの大胆さも増していき、型にはまらない体さばきが本物の命のやり取りを活写する。隊士が斬りかかったのを流し、不逞浪士が背後をとる。「もらった!」とその背に向けて刃を振り上げる。直後――「覚悟!」と振り向きざまの隊士の刀が閃いた。袈裟懸けの太刀筋とともに、ズバアッ、と効果音が響き渡る。訪れた静寂は、物語の終焉の合図だ。
「ぐわああ……ぁ……」
この手のショーでは、斬られ役は死に様が見せ場といわれている。のけぞった姿勢から、ガクンと片膝をつき、うなだれる、一つ一つをたっぷりと見せる。そしてかすれ声で「見事……だ……」と言い残すと、男はバタリと地に伏した。
隊士はそれを見届けると、おもむろに刀を鞘に納め――ようとして。
「斬り伏せられた悪者……しかし、彼の命はまだ尽きていませんでした」
「は?」と隊士の動きが止まる。同じように、観客も「は?」と目が点になる。雷奈に至っては間の抜けた声に出てしまっていた。おそらく、舞台上に転がっている死体も「は?」状態だろう。
ちゃぶ台をひっくり返したのは、もちろん白髪のナレーターである。
「彼は気づきます……斬られたのは、懐に入れていたお守りであることに。そう、彼の無垢な妹がくれたお守りです」
「……」
「……」
固まる場内。役者の技量が問われる超無茶ぶり。それも、これまでストーリー破綻の危機から救ってくれていた助け舟が、反旗を翻して難破船をさらに沈めに来たような形だ。麗楽は何を血迷ったのか。
雷奈は思った。ダブルキャスト制なのかどうかはわからないが、今日のシフトに当たっていたこの二人が気の毒でならない。
とかく、役者の二人は、苦渋の決断を強いられた。なにせ、これまで彼女のナレーションの通りに進めてきたのだ。ここで背くわけにはいかない。
「ふふふ……ははは! ありがとう、妹よ。新選組、覚悟!」
のっそりと立ち上がり、高笑いした不逞浪士は、報復とばかりに隊士に襲い掛かった。隊士はすぐさま、納めかけていた刀を抜き、応じる。
ここから先は想定外のアドリブだ。二、三度斬り結んだ後、隊士は一度距離を取り、「覚悟せよ!」と叫ぶ。不逞浪士役も、それが合図と気づいたのだろう、反撃してきた隊士への反応をわずかに遅らせ、「ぐわああ!」と斬られて見せた。さっきと同じ、いかにも斬りましたというような効果音が鳴り渡る。とっさに合わせる音響もさすがである。
今度こそ終演――と思いきや。
「けれど、彼は気づきます……その身を挺して彼を守ってくれたのは、懐に入れていた、予備の足袋であったことに」
麗楽の透き通ったナレーションが、這い上がってきた役者たちを再びアドリブ地獄に突き落とす。何が何でも不逞浪士を死なせたくないらしい。
もはや呆れ果てた様子の客席。舞台の男は、めげずに震え声を張り上げる。
「ふ、ふはは……やはり伝線したとき用に予備は持っておくものだな!」
就活生のようなセリフの後、男は三度斬りかかる。
「新選組、覚悟!」
ズバアッ。
「ぐわああ!」
「けれど、彼は気づきます……刃を受けたのはその身ではなく、懐に入れていた、おやつの生八つ橋であったことに」
「ふはは、もちもち柔らかい生八つ橋のおかげで助かったようだ……。新選組、覚悟!」
ズバアッ。
「ぐわああ!」
「けれど、彼は気づきます――」
――その日の午前の殺陣ショーは、不逞浪士は結局死なずに、改心して新選組の仲間になるという、支離滅裂でとんちんかんな結末で幕を下ろした。
その後、首をひねりながら劇場から出てくる人々の群れから抜け出して、猛ダッシュする髪の長い修学旅行生と、彼女に手をつかまれて引きずられるように連れていかれる白髪の外国人が目撃されたという。
曰く、「なしてあんなこと言ったと!?」「だって、誰かが亡くなって終わるなんて、悲しすぎるじゃありませんか」「ってか懐にどんだけ入れとーとか!? 胸ぱんぱんになるとよ!? 土佐藩士の人、グラマラス体型になるとよ!?」とささやきあっていたとか、いなかったとか。
「まもなく、この建物の中で殺陣ショーをおこないまーす!」
その客引きの一声で、雷奈の天秤は、使命と好奇心の間でぐらついた。
映画村の殺陣ショーといえば、言わずと知れた本格的な剣劇。これを目当てにやってくる人も少なくないだろう。普段は画面越しの時代劇でしか見られないような、袴姿の侍が白銀の刀で立ち回る姿を、地を踏む振動、動く空気、役者の息遣いを感じながら見られるのだ。
まして、剣道経験者の雷奈が、剣劇に興味を惹かれないわけがなかった。東京に住んでいる以上、映画村の殺陣ショーを生で見られる機会など、そうあるものではない。
「いや、そんなことしてる場合やなか。誰か一人でも見つけないと……。ばってん、殺陣は気になる……。氷架璃も言ってたしね、食べ物以外を楽しめって……」
しかし、他の皆が必死で探している中、自分だけが楽しむというのもいかがなものか。とはいえ、逆にいえば、自分一人が楽しんだところで、他の面子が見つけてくれれば問題はない。
「ま、まあ、今まで探して歩いてきたわけやし、ちょっとくらい息抜きしてもよかよね。大丈夫……うん、よかよか……」
自分自身に言い訳しながら、じりじりと館の敷居へ足を伸ばす雷奈。一歩。また一歩。そのまた一歩で、ひさしの下に入る。
最後にきょろきょろと辺りを見回すと、天秤がガタンと振り切れる音とともに、屋内へと消えた。
どの舞台場でもそうだが、ここも例に漏れず中は薄暗い。この薄暗がりが、演者に緊張の、観客に期待の、それぞれの鼓動の高まりを否応なくさせるのだ。
正面の大きな舞台は、まず真っ赤な幕が目を引いた。次いで、上に掲げられた座名の看板、その左右から天井近くの角に向かって並ぶちょうちん、さらには碁盤の目の天井と、すみずみまで凝らした江戸らしさが目を楽しませてくれる。客席と舞台との間には広めの空間が設けられており、中央の小さなはしごで舞台上から上り下りできるようになっていた。なるほど、舞台の上で派手に、客席の真ん前で大迫力に立ち回りを見せてくれるのだろう、と雷奈の期待はうなぎのぼりだ。
客席は、土曜日ということもあってか、程よく埋まっていた。子連れ、大学生くらいの若者、老夫婦、そして皇学園以外の修学旅行生の姿もいくつも見受けられる。この時代でお目にかかることのできない非日常は、老若男女を魅了するのだ。
雷奈が迷わず最前列の席に座った途端、入り口の戸が閉まって、中は一層暗くなった。けれど、直後には柔らかい照明がぱあっと舞台を照らした。町民姿の男性が明るくアナウンスしてくれる、観劇中のマナーなどの軽い注意事項が終われば、ショーの幕開けだ。
ダダダッ、と力強い足音とともに奥の舞台袖から現れたのは、茶色い着物に黒袴の男。腰を落とし、悔しそうに顔をしかめながら、第一声を張り上げる。
「おのれ、しつこい輩め! ここまで追ってくるとは! いったんこの群衆の中に紛れるとしよう!」
かっと見開いた目に、ハスキーがかった低い声、そして巻き舌のかかった荒々しい物言い。一目で悪役とわかる立ち居振る舞いだ。舞台上から一息に駆け下りてきた男は、急ぎ足で客席前の袖へと消えていく。
ややあって、同じく奥の舞台袖から現れたのは、さっきの男よりも幾分か落ち着いた足取りの侍。彼が何者かは問うまでもない。浅葱色のだんだら模様をした羽織が、彼の身分を雄弁に語っている。
彼は客席をおもむろに見回して言った。
「あの不逞浪士め、逃げ足の速い。この群衆の中に紛れ込んだはずだが……どこにいる?」
歴史に詳しくない者でさえ、その羽織が何を象徴するかは知っていよう。新選組隊士その人は、観客をぐるりと見渡すと、はしごを下りながら、今度は一人一人に目を合わせるようにして、視線をもう一周させた。
「きっと、奴はこの群衆の中から目を光らせてこちらの隙をうかがっているに違いない。つまり、この中で、最も私に強い視線を注いでいる者であろう……」
後半を意味ありげに強調した口調。まさか舞台と客席の間を暗黙裡に分かつ、いわゆる第四の壁を破られると思っていなかった観客の中には、突然目を合わせられて気圧される者もちらほらいた。
が、対照的に雷奈は目を輝かせた。登場人物が観客の中にいるかのような発言、そしてその具体的な特徴にも言及。明言はされていないが、この流れは演劇クラブの活動の折に覚えがある。
観客を一人、巻き込む気だ。
剣道と演劇の二つを嗜んだことのある雷奈にすれば、殺陣ショーの舞台に上がれたならば本望だ。彼女は精一杯の憧憬を両目に込めて、隊士の額金の下の双眸を見つめた。
「最も強い視線を……」
繰り返しながら観客を順繰りに見ていた彼の目が、陽炎すら立ちそうなほど熱烈な視線を送る少女で止まった。修学旅行生にしては珍しいお一人様。言うまでもなく、雷奈である。
役者は逡巡した。このふりに積極的に応えてくれる客がいるのは僥倖だ。下手な人選をしてしまうと、本人に不快な気持ちをさせてしまうどころか、劇そのものがエンターテイメント性を失い、他の観客たちをも退屈させてしまう。そのため、興味のありそうな客が一人もいない場合は、誰も選ばずに役者のみで話を進める方向に転換するのだが、今の状況からいえば、打ち合わせ通りにいくなら彼女を指名するべきだ。
だが、彼女ははたから見れば小柄でかわいらしい少女だ。不逞浪士の容疑をかけられる役としていかがなものか。そもそも、こんな少女と大の大人が刀を携えて対峙するという絵面は、アドリブとはいえ見栄えするのだろうか。
隊士役とてプロだ。観客をしらけさせたくはない。できれば、文脈上違和感のない相手を選びたいところだ。他に応じてくれそうな人がいれば、彼女には申し訳ないが、そちらを採用したい。
――と考えること、約一秒。
その間、雷奈に視線を止めてしまった以上、言及する他なくなって、彼は即興の言葉を紡いだ。
「……なにやら、あの娘から強い視線を感じるが……だが、奴は隊の仲間を幾人か斬っている。あれはまだ年端もいかぬ娘ではないか。とても不逞浪士には……」
陽炎に加え、目からビームが発射された。相手の視線をわしづかんで、余所へ行かせない強烈なインパクトだ。別の人を暗黙スカウトしようとしていた役者は、先のセリフでくすくすと巻き起こった笑いも耳に届かない様子で、そらせない視線に自身で戸惑っていた。
さらなる臨機応変を重ねる。
「い、いやしかし、奴は凄腕の剣客なのだ。きっともっと、手練れの風格の……そう、もっと上背のある……」
陽炎に加えビームに上乗せして殺気が放たれた。役者は慄きのあまり震え上がった。少女の背後に虎が見える。最後の一言が逆鱗に触れたとは、彼は永遠に気づくまい。
「……て、手練れが可憐なおなごということもあろう……」
スポットのせいではない汗を浮かべながら手招きする隊士に、雷奈は満面の笑みを浮かべて駆け寄った。殺気に気づかなかった他の客たちから巻き起こる笑いが場内を温め、追い風が背中を押してくれるかのようだ。
隊士に小声で案内されたとおり、舞台袖付近にこっそり置いてあった小道具の刀を手に取り、客席前の空間の中央で対峙した。
剣道場では、型稽古の折に模造刀を持ったこともある雷奈だ。竹刀でも木刀でもない、鞘に包まれた剣を手にしたところで、彼女は動じない。それどころか、左腰の正しい位置に手で帯刀して見せた姿に、演者も彼女が素人ではないことをくみ取った。
見えない壁を乗り越えてこちらがわへ来た雷奈に、隊士はすごむ。
「おい、お主。お主が密告にあった土佐藩士だな?」
真に迫る演技は迫力満点だが、怖じる必要はない。飛び入りがボロを出したならば、さりげなくカバーする優しさが顔を出すだろう。そうしてなお、客を魅せるのだ。それがプロというものである。
けれど、それに甘えるほど、雷奈の矜持はぬるくはない。なりゆきで観ることになった劇で、なりゆきで舞台に上がることになったとはいえ、女子中生から他の誰かに成り代わるのに心の準備などいらない。長くやっていたわけではないものの、呼吸一つで何にだってなれる自信がある。
次の瞬間には、三日月雷奈は江戸の町を歩く、男装をした一人の娘だった。
「ふむ、何のことであろうか? 私はそこな道場の娘。兄とともに見廻りをおこなっている者である」
声量よし、テンポよし、ゆったりとした身振りよし。ぶっつけながら様になっている小さな女優に、観客たちは息をのんだ。
ひそかに心の中でガッツポーズをする雷奈。少し前に雷華から聞いた、江戸時代に男装して兄とともに江戸を見回った女剣士の話がイメージをパキッと決めてくれた。聞きかじりを引用しただけなので、粗はあるだろうが、細かい整合性くらいは見逃してくれるだろうと踏んでいる。大事なのは堂々たる態度だ。スポットを浴びている間は、演者の言動が、物語の中の真実なのだ。
隊士は少し迷う素振りを見せた後、「いや」と雷奈の言葉を否定した。
「お主が拙者を人影からうかがっていたことは知っておるぞ。お主が我々の追っているならず者に違いないのだ」
刀身を存分に客に見せつけながら抜刀。そして、目で雷奈にも抜刀を促し、セリフの速度を調節してそれを待つ。双方が構えたところで、
「ようやく見つけたぞ。覚悟!」
隊士は大きな動きで雷奈に斬りかかった。
――この後、胸を貸しながら切り結んで、鍔迫り合いののちに身を引き、「奴の戦法とは違う」と人違いを悟る脚本であったが、飛び入りの雷奈がそれを知る由もない。
というより、本能が勝った。
「はああッ!」
左にさばいて刀をかわし、落ちた剣先近くを己の剣先で巻き上げる。試合でも、この技で何度も相手の竹刀を場外に放り出してきた。本気で柄を握っているわけでもない人間が相手なら、お茶の子さいさいだ。
数拍の無音ののち、隊士の背後でカラァンと刀が床を打つ音がするのを聞きながら、心の中でつぶやく。
「決まった」。直後、「しまった」。
水を打ったように静まり返った場内。観客もキャストも呆然としている。きっと音響も照明も呆然としているに違いない。
(や……やってしまったったい~!)
反射的に本気を出してしまった雷奈の落ち度だ。女優にあるまじき失態。これは演出としてはまずいだろう。天下の新選組隊士が、人違いで喧嘩を吹っ掛けた小さな少女に、剣戟で負けたのだ。
青ざめた隊士が、唐突にプロ役者の根性を試されて頭をフル回転させていると、
「そう……彼女こそ、彼に剣を教えた剣士の娘だったのです」
劇場の空気すべてにしみわたる声が、誰の耳をも奪った。
完璧な標準語のイントネーションに、歯切れ良い活舌、心地いい抑揚。あまりに清涼で、あまりに優しく、まるで人ならざる者のような美声だった。
実際、彼女は人ではないのだが。
(う……麗楽!?)
彼女は一瞬だけ雷奈に微笑みかけると、再びこの場にいる全員に向けて、心地よい語りを届けた。
「父の流派を熟知した彼女にとって、彼の剣をいなすことなど造作もないのです。たとえ体格の差、経験の隔たりがあろうとも、これが師範の娘の実力……」
この場で呆気にとられていない者などいないのだが、最も愕然としているのは雷奈だ。客席の壁際に立ち、のびやかなナレーションを披露したのは、シルバーグリーンの長い髪にシフォンワンピースの少女。探しびとの一人、音響学研究科の透里麗楽だった。
(いたと!? 観とったと!? 全然気づかんかった……!)
あんなに目立つ容姿をしているのに、だ。その日本人離れした髪と目の色に、そして何より突然のナレーターの出現に、客たちは目を白黒させる。
「ナレーター、外国人……!?」
「ってか、ナレーターとかいるのか……!?」
そんなささやきが飛び交うが、これは紛れもなく、麗楽の助け舟だ。隊士はおもむろに剣を拾い、納めると、いやはやと首を振った。
「そうか……先生のご息女であったか。これは大変な失礼を致した。無礼を詫びる」
そう言って頭を下げる隊士。
さて、そろそろ出番は終わりかと気を抜きかけた雷奈は、背後に気配を感じた。
頭を下げている隊士も、背中をとられている男装の娘も気づいていない。冒頭で登場した茶色い着物の男が忍び寄っていることに。――という新たな筋書きだ。
右手の舞台袖からそろりそろりと出てきた本物の不逞浪士は、チャキ、と鯉口を切ると、抜刀しながら叫んだ。
「見つけたぞ! お主が密告者だな! 新選組もろとも斬ってくれる!」
その声で顔を上げる新選組隊士。
――ここで、雷奈を後ろにかばって不逞浪士と切り結び、今のうちに逃げろと観客席に帰してから、佳境の本格的な殺陣が始まるところだったのだが、それを雷奈が知るよしもない。
というより、やはり反射的な反応が勝った。
「覚悟ぉぁあああっ!?」
途中から悲鳴へと化すセリフ。振り向きざまに放たれた雷奈の水平切りが、男の胴を薙ぎ払い、小柄でもないその体を舞台袖へと打ち返してしまった。
「あ」
「あ」
舞台上の二人にだけ見える裏で、たたらを踏んだ末に裾を踏んでひっくり返った男が、小道具やら看板やらをなぎ倒した。隠しようもない騒音が、気まずい静寂に響く。刀身は、男の袴のちょうど固い帯のあたりに当たったので、骨が折れたとか、内臓が破裂したとか、そんな致命的なケガには至っていないはずだが、劇としては致命的である。
唖然とする雷奈。唖然とする新選組隊士。きっと小道具も演出も唖然としているに違いない。
観客席は再びざわつき始める。「あれ、死んだ?」「劇、終わったくね?」と時間を確認する者もいれば、「結局、殺陣あった?」とショーの存在意義を疑う声まで上がった。
雷奈も隊士役も冷や汗たらたらで立ちすくんだ。不逞浪士も、脂汗と冷や汗を両立させながら、無様に尻もちをついたまま舞台袖で固まっている。
新選組と不逞浪士の剣戟がメインのこのショーで、後者が死んでしまえば、もうすることなどない。そして、死んだ者は戻らない。――聞くだにシビアな一節だが、今は別の意味でシビアな事態だ。
そこへ現れたるは、江戸の芝居小屋を古代ギリシア劇場と間違えたらしいデウス・エクス・マキナ。
「不憫にも、強気な女剣士に命を絶たれた彼――悪者の影武者。そう、あれはあくまでも影武者に過ぎなかったのです。本物の悪者は、その隙を狙っていました」
場違いな澄声が、何とも都合よく不逞浪士を蘇らせる。「影武者?」「不逞浪士の影武者って何だ?」「ってか、『悪者』って言い方」という場内のツッコミをかき消すがなり声とともに、男は再び舞台にあいまみえた。
「そう、あやつはただの影武者! 今度こそこの本物が斬り捨ててくれるわ!」
「危ない、君はあの群衆の中に逃げなさい。ここは私が引き受ける!」
同じように観客のささやきにかぶせて叫ぶ、涙ぐましい努力をする新選組隊士。ああなるほど、そういう流れかと納得した雷奈は、「これにて御免」と適当にセリフを残して観客席に戻った。周りの視線がやや痛い。
一方で、役者たちは、ようやく本調子を取り戻して佳境を迎えた。迫力あるBGMが流れ出すと同時に、不逞浪士が斬りかかり、隊士がそれをいなす、いなす。間合いを取ったところで、双方構えた姿勢でにらみあった。絞られたボリュームが、二人の緊張感を伝えてくる。
二歩分の間合いをゆっくり、じらすように詰め……吶喊とともに互いに斬りかかった。激しさを取り戻したBGMの中、正面で斬り結び、左右の方向を変えてさらに斬り結ぶ。次なる斬撃は、隊士が相手を後方へ送る形で受け流した。
ここまでくると、先の茶番でしらけかけていた客たちも固唾をのんで見入っていた。雷奈も、興奮で高鳴る鼓動を抑えきれないまま戦いの行方を見守る。
クライマックスに向けて、速さも動きの大胆さも増していき、型にはまらない体さばきが本物の命のやり取りを活写する。隊士が斬りかかったのを流し、不逞浪士が背後をとる。「もらった!」とその背に向けて刃を振り上げる。直後――「覚悟!」と振り向きざまの隊士の刀が閃いた。袈裟懸けの太刀筋とともに、ズバアッ、と効果音が響き渡る。訪れた静寂は、物語の終焉の合図だ。
「ぐわああ……ぁ……」
この手のショーでは、斬られ役は死に様が見せ場といわれている。のけぞった姿勢から、ガクンと片膝をつき、うなだれる、一つ一つをたっぷりと見せる。そしてかすれ声で「見事……だ……」と言い残すと、男はバタリと地に伏した。
隊士はそれを見届けると、おもむろに刀を鞘に納め――ようとして。
「斬り伏せられた悪者……しかし、彼の命はまだ尽きていませんでした」
「は?」と隊士の動きが止まる。同じように、観客も「は?」と目が点になる。雷奈に至っては間の抜けた声に出てしまっていた。おそらく、舞台上に転がっている死体も「は?」状態だろう。
ちゃぶ台をひっくり返したのは、もちろん白髪のナレーターである。
「彼は気づきます……斬られたのは、懐に入れていたお守りであることに。そう、彼の無垢な妹がくれたお守りです」
「……」
「……」
固まる場内。役者の技量が問われる超無茶ぶり。それも、これまでストーリー破綻の危機から救ってくれていた助け舟が、反旗を翻して難破船をさらに沈めに来たような形だ。麗楽は何を血迷ったのか。
雷奈は思った。ダブルキャスト制なのかどうかはわからないが、今日のシフトに当たっていたこの二人が気の毒でならない。
とかく、役者の二人は、苦渋の決断を強いられた。なにせ、これまで彼女のナレーションの通りに進めてきたのだ。ここで背くわけにはいかない。
「ふふふ……ははは! ありがとう、妹よ。新選組、覚悟!」
のっそりと立ち上がり、高笑いした不逞浪士は、報復とばかりに隊士に襲い掛かった。隊士はすぐさま、納めかけていた刀を抜き、応じる。
ここから先は想定外のアドリブだ。二、三度斬り結んだ後、隊士は一度距離を取り、「覚悟せよ!」と叫ぶ。不逞浪士役も、それが合図と気づいたのだろう、反撃してきた隊士への反応をわずかに遅らせ、「ぐわああ!」と斬られて見せた。さっきと同じ、いかにも斬りましたというような効果音が鳴り渡る。とっさに合わせる音響もさすがである。
今度こそ終演――と思いきや。
「けれど、彼は気づきます……その身を挺して彼を守ってくれたのは、懐に入れていた、予備の足袋であったことに」
麗楽の透き通ったナレーションが、這い上がってきた役者たちを再びアドリブ地獄に突き落とす。何が何でも不逞浪士を死なせたくないらしい。
もはや呆れ果てた様子の客席。舞台の男は、めげずに震え声を張り上げる。
「ふ、ふはは……やはり伝線したとき用に予備は持っておくものだな!」
就活生のようなセリフの後、男は三度斬りかかる。
「新選組、覚悟!」
ズバアッ。
「ぐわああ!」
「けれど、彼は気づきます……刃を受けたのはその身ではなく、懐に入れていた、おやつの生八つ橋であったことに」
「ふはは、もちもち柔らかい生八つ橋のおかげで助かったようだ……。新選組、覚悟!」
ズバアッ。
「ぐわああ!」
「けれど、彼は気づきます――」
――その日の午前の殺陣ショーは、不逞浪士は結局死なずに、改心して新選組の仲間になるという、支離滅裂でとんちんかんな結末で幕を下ろした。
その後、首をひねりながら劇場から出てくる人々の群れから抜け出して、猛ダッシュする髪の長い修学旅行生と、彼女に手をつかまれて引きずられるように連れていかれる白髪の外国人が目撃されたという。
曰く、「なしてあんなこと言ったと!?」「だって、誰かが亡くなって終わるなんて、悲しすぎるじゃありませんか」「ってか懐にどんだけ入れとーとか!? 胸ぱんぱんになるとよ!? 土佐藩士の人、グラマラス体型になるとよ!?」とささやきあっていたとか、いなかったとか。
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∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
※小説家になろう様にも掲載させていただいています。
※作者創作の世界観です。史実等とは合致しない部分、異なる部分が多数あります。
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※上記同理由で、予告等なしに更新停滞する事もあります。
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※御都合主義がそこかしに顔出しします。設定が掌ドリルにならないように気を付けていますが、もし大ボケしてたらお許しください。
※誤字脱字等々、標準てんこ盛り搭載となっている作者です。気づけば適宜修正等していきます…御迷惑おかけしますが、お許しください。
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