フィライン・エデン Ⅱ

夜市彼乃

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10.三日月の真相編

48三日月××× ⑩

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***

 ガシャン、と後ろで音がした。だが、雷奈は振り返らなかった。それが、棺が崩れ落ちる音だということはわかりきっていたし、何より、今はこの温もりの中にじっと浸っていたかった。
 氷の檻を壊し、雷奈が張った氷壁まで溶かし、彼女自身の凍りついた心を温めてくれたのは、やはり雷奈をよく知る人物だった。片手ずつ雷奈の手を握って、両脇から抱きしめてくる二人の親友。
「氷架璃、芽華実……」
「おかえり、家出少女」
「ずっと声が聞こえとった……空耳やなかとよね? ずっと呼びかけてくれとったとよね?」
「おうとも。まあ、芽華実はずっと泣きじゃくってて声も出なかったから、呼びかけてたのは私だけだけどな。呼びかけながら、私が光術でちょっとずつ氷を溶かして、芽華実がそこを叩いたり引っかいたりして崩してさ」
 顔を上げると、頼もしい笑顔の氷架璃と、鼻梁を真っ赤に染めて涙をこぼしながら何度もうなずく芽華実の顔が見えた。どちらも、雷奈自身の目に浮かぶしずくのせいで、ひどくかすんでいたが。
「あんた、目を閉じたままだったけど、うわごとみたいに返事してたから、聞こえてるんだろうなって信じて呼び続けてたんだよ。……バカだな、独りで抱え込んでさ」
 雷奈の胸に、何かが押し付けられた。目を落とし、受け取るように手をやる。
 そこにあったのは、鈴のついた小さな絵馬。雷奈が裏切りの証として千切り捨てた、一蓮托生の誓いを見届けたお守り。
「……もう、こんなことするなよ」
「……ごめん……なさい……っ」
 声を引きつらせて大粒の涙を落とす雷奈の頭を、氷架璃が鼻をすすりながらぐしゃぐしゃとかき混ぜる。「芽華実もごめんね」と謝れば、彼女はしゃくりあげながら、ぶんぶんと首を横に振った。
「ったく、何が『人間じゃなかったのに、人間の世界に居場所なんてあると?』だ。人間じゃなかったのは、雷夢さんや雷帆ちゃんや、雷華だって一緒だろ。三人はこたえた様子なかったぞ。まあ、雷夢さんと雷帆ちゃんは、ここにくるまでに葛藤とかあったのかもしれないけど、雷奈と同時にカミングアウトされた雷華は平然としてたんだぞ。電話口で『是非とも雷奈を連れ戻してくれたまえ』なんて言ってさ。絶対、畳の部屋でふんぞり返りながら言ってたぞ。ありゃ、あそこが自分の居場所だと信じて疑わないヤツの言葉だろ。……もっとも、そこが当然雷奈の居場所でもあるって意味も含まれてるんだけどさ」
 雷奈と雷華のセリフを、それぞれ大仰にモノマネして見せた氷架璃に、雷奈は思わず吹き出してから、最後の一言には心からの「ありがとう」を口にした。
「雷奈」
 氷架璃のモノマネは芽華実にも好評だったらしく、彼女は笑って涙をぬぐいながら呼びかけた。
「前にね、私が初めて草術の訓練をしていた時、術を使えるようになった私は、私ではない別の存在になってしまうんじゃないかって不安になっていて……その時、フーに言われたの。人間であるとか、猫であるとかよりも、私が私であることのほうが大事だって。確かに、雷奈は人間と人間の子供ではなかったかもしれない。でも、今のあなたは、誰がどう見ても雷奈よ。それに、あなた自身も、自分が誰かなんて、分かっているでしょう?」
 かつて、芽華実のパートナーは言った。
 ――記憶が変わって、性格が変わって、信念も変わって……そしたら、確かに別人かもしれないわね。
 けれど、自らの出生を知った雷奈の中で変わったものは、この中にはない。あなたは誰かと問われれば、彼女にはこの答えを除いて口にする言葉などない。
 私は、三日月雷奈。
 それだけで、十分だ。
「うん……ありがとう、芽華実」
「どういたしまして。……そろそろみんなに知らせないとね」
「おお、そうだった。……おーい、皆の者ー! 雷奈救出作戦、成功じゃー!」
 氷架璃が口元に手を当てて叫ぶ先を見て、雷奈はぎょっとした。相変わらずの吹雪で見通しは悪いが、それでもはっきり見える距離で、黒髪の少年とセミロングヘアの少女、それに執行着の二人と臙脂のセーラー服の少女が、手分けしながら二体のダークを相手に戦っていた。ガオンの置き土産だろうか。
 呼ばれた彼らは氷架璃の声に一斉に振り返ると、雷奈の顔に視線を注いで、幾分か安堵した表情を見せた。どれも雷奈の見知った顔だ。
 一体のダークを相手にしていた男女が、隣で一緒に戦っていた黒衣の少女に叫ぶ。
「ちょっと離脱するよ!」
「ルシル、あと頼んでいい?」
「任せろ」
 目の前のダークに思い切り一太刀を浴びせ、二人が離れる隙を作ったルシルは、あとを追おうとするそれの前に立ちふさがった。戦闘相手を引き継いだ二番隊隊長に後を任せ、双体のアワとフーは雷奈たちのもとへ駆け寄った。
「ナイスだよ、氷架璃、芽華実。雷奈、大丈夫かい?」
「だいぶひどいケガだし、まだ体温が冷えているわ。氷架璃、しばらくそのまま支えててね。私が回復を……」
 フーは純猫術を発動し、アワは周囲の警戒に入る。希兵隊の三人が相手にしているダークがこちらへ来ることはないだろうが、新手がどこから来るか分かったものではない。
 幸いにも、その懸念は杞憂に終わり、奇襲に見舞われることはなかった。手こずりながらも、無事ダークを二体とも討伐した希兵隊三人組も、駆け足で雷奈たちのほうへ向かってくる。
「ルシル、コウ、霞冴……!」
 脇腹の傷がふさがり始めた雷奈は、なおも治療を続けるフーを邪魔しないように、小さく手を振った。思ったより元気そうな姿に、三人ともほっとした様子で息をつく。進み出たルシルが膝をついて、雷奈の顔を覗き込んだ。
「みんな心配していたんだぞ。……大丈夫か?」
「うん、もう大丈夫ったい。ごめんね、希兵隊も巻き込んじゃって」
 まだ低体温による体力の消耗から立ち直ってはいなかったが、それもフーの術のおかげで回復が見込めていたので、雷奈はそう答えた。凍傷にもなっていなかったようで、手をグーパーと動かしてみせる。
 ルシルはそれを見て、「体もそうだが、その……」と一度視線をそらした。言いにくいことを思い切って言おうとするように、再び雷奈の目を見て、そのまま何かに気づいたように見つめて――。
「……大丈夫そうだな」
 そう言って、微笑んだ。ルシルだけでなく、後ろに立っていたコウと霞冴の目にも、同じものが映っていた。
 強くてまっすぐで天衣無縫な、彼らのよく知る三日月雷奈。その薄茶の瞳には、一点の曇りもない。
 雷奈は笑ってもう一度うなずくと、「そういえば」と一同を見渡した。
「みんな、どうやってここに来たと? 私は時空洞穴ば開いた親父について通ってきたっちゃけど……」
「やっぱりそんなバカなことしてたか。っつーか、ここどこだよ」
「た……種子島」
「種子島!?」
「って、親父は言っとった。嘘ついとる可能性もあるっちゃけど、なーんか見覚えある場所な気もして……」
「ここが種子島……ふむ、吹雪で周りはよく見えないが、ここが雷奈の超人的身体能力を育んだ仙境の地……」
「三日月の身体能力の高さは猫の遺伝だって結論じゃなかったのかよ?」
「でも、あれって猫力発動時の話じゃないでしょ? 雷奈の素じゃないの?」
「きっと万水千山、窮山通谷の極みなのだろう……」
「いや、違うけん。車とかも走っとるけん」
「待って待って、話がずれてる」
 アワはぱたぱたと手を振ってなだめると、咳払いして雷奈に向き直った。
「雷奈、ボクたちも時空洞穴を通ってきたんだよ。偶然、雷奈が落としていったお守りを発見したところで、急に開いてね」
 その言葉に、雷奈は目を丸くしたが、すぐに表情を引き締めた。
「それ、きっと親父が開いたとよ。理由は一つしかなか。きっとみんなをおびき寄せるために……」
 口に出してから、自分はもしかしたら餌だったのかもしれないと気付いて、雷奈は歯噛みした。だとしたら、まんまと引っかかったものだ。
 それを見越してか、アワは平然と答えた。
「罠ではあるだろうね。それはボクたちもわかってる。わざわざ捕らわれの雷奈を見せてきたうえ、ご丁寧にダークのお出迎えがあったことだし。でも、それで雷奈を助けられたんだから、結果オーライだよ」
「頼もしい希兵隊付きだしね」
「そういや、あんたら、美雷の制止を無視して飛び込んだよな。副隊長おいてけぼりで。あとで美雷に大目玉じゃね?」
「う」
 氷架璃の指摘に、仲良し同期三人組は口をそろえてうめいた。その息の合いように吹きだしてから、フーがきょろきょろと周りを見回す。
「それにしても、ガオンがいないのが妙ね。てっきり、不意打ちを食らわせてくるかと思ったけれど」
「確かにそうね。まあ、いないほうがほっとするけど……」
「いや、でも、ガオンが時空洞穴を開かないと、私たち帰れないんじゃ……」
 霞冴の言葉に、両脇のルシルとコウが「それな」と指を向けた。
「種子島というのは、文字通り島なのだろう? どのように本土と行き来するんだ?」
「ルシル、知らないのかー? 人間界生まれ人間界育ちの私が教えてやろう、種子島にはロケットって乗り物が……」
「どこ行く気っちゃか!? ちゃんと飛行機あるし! まあ、この悪天候じゃ飛ばんけど」
「ルシル、お前、北海道行くときに飛行機っつーその乗り物に乗ったんだろ?」
「乗ったな」
「……揺れたか?」
「悪いことは言わん、お前は乗らないほうがいい」
「オレ帰れねーじゃねえか」
「でも、そんなに揺れるんだったら、私もちょっと不安かも……。私も帰れないのかな……」
「安心しろ、霞冴。もし気分が悪くなってしまっても、私がついているから大丈夫だ」
「ありがとう、ルシル……私、頑張るね!」
「前から思ってたけど、お前、時尼に甘くねえか?」
「待って待って、話がずれてる。君たちホント緊張感ないね!?」
 アワが再び軌道修正に入った。何かと頼りない印象のアワだが、やっぱりいてくれてよかった、という思いは胸にしまっておく氷架璃だった。
「帰り道の問題もそうなんだけどさ、そもそも、この悪天候……おかしいよね?」
「そうね、人間界学で、種子島は南の島だと学んだわ。温暖なはずなのに、この吹雪……」
「え? けど、人間界の南のほうには氷でできた島があるんだろ? それに近いんじゃねーの?」
「南極の話してる!? それはもっと極端に南の話だよ! 種子島は温暖なの!」
「へー。詳しいな、流清」
「ボクたちが正統後継者だってこと、忘れてない!? どれだけ人間界学に心血注いできたと思ってんの!? っていうか、いちいち話をずらさないでくれる、希兵隊員ズ!?」
 肩で息をするアワ、舌を出して両手を上げるコウ。温かい同情の目で見守る氷架璃と芽華実。雷奈はといえば、苦笑しつつも、この雰囲気に戻ってこられた幸せをひしひしと感じていた。
「つまり、温暖な気候で、ましてやまだ十一月なのにこの猛吹雪っていうのはおかしいよねっていう話!」
「うん、アワの言う通りったい。親父が術で起こしたもので間違いなか。……もっとも、私は氷猫に会ったことなかけん、こんなことできるのかわからんっちゃけど……」
「可能よ。氷猫の術、つまり氷術で吹雪も起こせるわ。ただ、これは氷術の規模じゃない。天候ごと操られているから」
 氷術で起こせる吹雪というのは、せいぜいその場限りのものだ。だが、今の空には暗雲が立ち込め、そこから雪が吹き降りている。見渡す限り厚い雲に覆われている様子からして、相当な規模。これは、天候に作用する術によるものだ。
「今頃、異常気象でニュースになってるんじゃ……」
 顔を引きつらせてスマホを取り出す芽華実。インターネットを立ち上げ、ニュースがトップに出てくるのが売りのブラウザを開く。
 その画面を、横から伸びた手のひらが押さえた。
「……いや」
 驚いて視線を上げた芽華実の隣で、手を伸ばした氷架璃も顔を引きつらせていた。
 芽華実のスマホ使用を制しながら、彼女は向かって正面遠方を見つめていた。そこに戦慄の対象が具体的に存在しているのだということは、皆おのずとわかった。
 彼女の視線を追って、全員の顔が同じ色に染まる。
「トップニュースは異常気象なんかじゃない」
 白い風の向こうから近づく、闇色の影と深紅の眼光。
 ざく、と深雪が踏みつぶされる音とともに、その全貌があらわになった。
「――巨大な猫型UMA現る、だ」
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