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14.巫覡の磐座編
67風をかたる疾風 ②
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今度は、雷奈たちが沈黙する番だった。沈黙というより、絶句と呼ぶべきかもしれない。ここまでの話の流れを一気に覆すような一言。
これには、アワもハッと顔を上げた。
「どういうことなんだい、リーゼ……」
「ここから先は、風中家の者ではなく、私個人としての見解。私の家族も、もちろん流清家も気づいていない、おそらくは真実」
雷奈、氷架璃、芽華実、そして座り込んだままのアワを見渡して、リーゼは言う。
「アワちゃんは知っての通り、二家の者が夢で神託を受ける際の事象には、昔から共通点がある」
ぴっ、と大人びた長い人差し指を立てると、リーゼは再び話し始める。
「まず、君臨者の姿と声はわからない。見聞きしていないのか、それとも目が覚めたころには覚えていないのかはわからないけれど」
三人は自然とアワに目をやった。当代の正統後継者の一人は、彼女の言葉に小さく首肯する。
姿はともかく、声が分からないのにお告げを聞くとはどういうことかと引っかかる人間達だが、神の啓示とはそのようなものがあってもおかしくないのかもしれない。概念レベルで伝達されるものなのかもしれないし、リーゼが挙げた後者の可能性もある。
立てた人差し指の隣に、ゆっくりと中指もそろえながら、リーゼは続ける。
「そして、もう一つ。――神託の夜、正統後継者は、神託以外の夢を見ない」
凛と言い放たれた二つ目の事象。それを聞いた人間達の肌が、なぜかざわついた。
神聖な夢を見せる夜は、その他の雑多な表象は排斥するかのような。一個人の夜を、見えざる手で意のままに組み替えるような。そんな神の、いわば放縦さを垣間見た心地がしたのだ。
やはり無意識に、三人の視線はアワに向いた。アワは今度は首を振らなかった。その代わりに、大きく目を見開いて「……まさか」とつぶやいた。
「フーは、その夜……」
「ええ」
ツリ目な瞳に大人びた自信を漂わせ、リーゼは断言した。
「あの子は昨日の晩、夢を見ていた。あの子自身の夢をね」
再び、雷奈たちの全身が動揺した。けれど、先程の気圧されるような畏怖とは違う。
やっと、やっと一筋見えた。そんな感覚だった。
「け、けど、なんでわかるんだよ? あんた他人の頭の中が見えんのか?」
少し安堵する余裕が出たからか、氷架璃が口の端に笑みを浮かべてリーゼを茶化す。
それに乗っかるでもなく、怒るでもなく、年長者の余裕をまとって、リーゼは首を横に振る。
「もっと単純なことよ」
「単純?」
「ええ。寝言を言っていたのよ」
寝言。
ちょっと間の抜けた響きに、きょとんとする雷奈達。そんな彼女らにかわいさを覚えたかのように、リーゼはくすっと笑った。
「あの子、すぐ寝言言うんだから。私、夕べはちょっと夜更かしさんでね。廊下を通ったときに、ふすま越しに聞こえて来ちゃった」
「えーと……それは、神託の夢に対する寝言ではなく、っちゃか?」
「神託の途中に寝言なんか言わないわよ。君臨者のお告げなのよ? 神意を拝聴する最中に口を挟めるわけないでしょう。それは絶対にありえない」
微笑をたたえてゆるゆると首を振りながら言うが、態度とは裏腹に言葉は強く断定的で、神を崇める心情がほのめかされていた。悠長な言動の持ち主でも、やはり二家の者だ。
「ということは……フーは、自分が破門の神託を受けたと……勘違いしているということ?」
「私はそう捉えているわ。きっと普通の夢の中で、破門に似たような体験をしたんじゃないかとね」
芽華実の言葉を、リーゼはおっとりと肯定した。
「そして、破門の神託がない限り、禊が行われる部屋――神判の間は扉が開かない。普段は君臨者の力で閉じているものなのよ。だから、私達が何もしなくても、フーはちゃんと戻ってくるわよ」
雷奈達は小さく息を吐きかけた。フーは身投げなどしなくていい。罪になど問われていないのだ。
だが、安堵のため息は途中で飲み込まれた。
今の話は、リーゼのみが知る事象らしい。ということは、フーも他の家族も、今明かされた事実を知らないのだ。
フーは今も重い十字架を背負っている。そして、決まりに従って禊に行こうとしている。神判の間の前にたどり着き、扉が閉まっているのをその目で確認するまで、ずっとその重圧から逃れられずに苦しむに違いない。
そんな想像をして、彼女の親友たちが黙っていられるはずがなかった。
氷架璃が声高らかに言う。
「じゃあ、神判の間とやらの扉を確認するまでもなく、禊をやめさせりゃいいじゃんか! 皆皆様に、『フーは寝言を言ってました、だから神託じゃないと思います!』って進言したらいい話だろ?」
「そうね。それができればいいんだけど」
だが、そこでリーゼはまたも会話に暗雲をかける。
「そうはできないから、ことが複雑になってしまうのよね」
「な、何でだよ」
「では、氷架璃ちゃんに質問。単刀直入にそう言われた二家のひと達は、何と答えるでしょうか?」
小さく人差し指を向けられ、指名された小学生のようにひるんで――ではなく、図々しい態度で答える。
「何って……『それなら破門の神託は勘違いだね。めでたしめでたし』じゃねーのか?」
「氷架璃、短絡すぎったい」
「何だよ、じゃあ何て言うんだよ」
山椒は小粒でもぴりりと辛い。氷架璃が辛口雷奈の頭を肘置きにしてジトッとにらむと、山椒は肘の下から彼女を見上げて反論した。
「二家のひと達は、破門の神託が本当だったとしたら、それば見逃すわけにはいかんとよ? 寝言が勘違いだったとか、リーゼが妹可愛さに嘘ついとったとか、そげな可能性も警戒するっちゃろ」
「そうね……」
芽華実もあごに手を当てて頷いた。
「曖昧な記憶じゃないか、嘘じゃないかを確かめる必要があるかも。だったら、私なら……こう訊くわ。『寝言で何て言ってたの?』って」
「ええ。私もそう思うわ」
想定していた解答に、リーゼが頷いた。
「それを訊かれると、私は詰みなのよ」
淡々と、そう告げる。
雷奈達には、その言葉こそが、これまでで一番不可解な理屈に聞こえた。
芽華実が不思議そうに、というより不安そうに尋ねる。
「どうしてなの……?」
「確かに、寝言を言っていたという事実はこちらに有利な情報。でも、その内容を口にした途端、取り返しがつかないほど不利になるのよ」
雷奈は氷架璃と顔を見合わせた。次いで、芽華実とも顔を見合わせた。
三人とも、全く理解できていなかった。
「いや、それ、どういうロジックだよ……?」
「詳しくは言えない。けれど、さっき芽華実ちゃんが答えたような問いを呈されると、私は口をつぐまざるを得なくなるの」
「まずい内容だったなら、テキトーにでっち上げればいいんじゃないのか?」
「パートナーの神託も破門の神託も夢で受ける私達に、夢に関する嘘はご法度よ。嘘つきはクロの始まりというだけじゃない。しきたりに反するわ」
「しきたりしきたりって……」
氷架璃が小さく舌打ちした。現代社会を生きる少女たちにとっては、伝統や因習といったものは比較的縁遠いものだ。変わりゆく時代の中で、けれど変わらない謂れに絆される様は、見ていてじれったくなる。
「知らんっつの、しきたりなんざ」
「もちろん。人間のあなた達には、私達二家の旧習も、風儀も、慣例も、知ったことじゃないと思うわ」
その言葉に、氷架璃の目が鋭く光った。アワやフーとの間に、亀裂のごとき溝を引かれた心証だった。
胸の温度が沸点に達する、その直前。
「じゃあ! 私が嘘つくったい!」
胸に手を当て、雷奈が一歩踏み出した。
「リーゼも、同じ二家のアワにもできないなら! 私がやるったい! だって私達には、旧習も、風儀も、慣例も知ったこっちゃないっちゃけん!」
リーゼは、そう息巻く雷奈を、わずかに目を見開いて見下ろした。
氷架璃と芽華実がどちらからともなく目を合わせ、頷きあう。
「私も加勢するぞ! 証人は多い方がいいもんな!」
「もちろん、私もよ」
「あなた達ねぇ……」
心底呆れかえった保護者のような目つきで、リーゼがため息を吐く。
「昨晩フーの寝床にいなかったあなた達が、どんな顔してフーの寝言をでっちあげるのよ。『どうやって寝言を聞いていたのか』って反論されるのがオチじゃない」
「それは、その……か、考えとくったい!」
「それに、さっきも言ったでしょう。フーの禊は、どうせ最後まで進まない。神判の間が開いていないことに気づいたら、いずれにせよそこで一件は終わるのよ。何もあなた達が虚言なんて危険を冒す必要は……」
「あるわ」
確信に満ちた一言と共に、芽華実が進み出る。真っすぐな視線は、揺るぎない信念をまとっていた。
「確かに、その神判の間という部屋が閉まっていることは、フーの無実の証拠の一つになるんだと思う。でも、フーは閉まっている扉を見ても……きっと、すぐには自分の無実に思い至らないとも思うの」
三年間フーのそばにいた芽華実には、分かる。フーは優しい少女だ。心の底から他人を愛し、そのためなら自己犠牲も厭わない人物だ。破門の神託を受けたと思い込んでいる以上、両家への神罰がかかっていると思えば、すぐに禊の中止に切り替えるというのは、彼女には難しい判断だ。
それは、芽華実などよりも遥かに長い時を共に過ごしてきたリーゼにもわかっているはずだ。
「私は、そんなフーに言ってあげたいの。あなたは穢れてなんていないって。たとえ根拠が虚構でも、その言葉は真実なんでしょう。それに、フーやアワの家族を説得するためにも、証拠はいくつもあった方がいいでしょう?」
リーゼはしばし、芽華実の真摯なまなざしを正面から受け止めていた。
やがて、その視線がつぅ……と空間上を滑る。口元に指を寄せ、無言で静かに何度かまばたきをする。
沈黙の裏には、何らかの思考の巡りが垣間見えた。
そして。
「……そうね」
ブラックボックスの中で、どんな吟味が行われたのかは開示されなかった。ただ、出てきた答えは、雷奈達の望む形をしていた。
「……わかったわ。乗ってあげる」
「リーゼ……!」
「ただし、詳細はあとよ。もう時間切れ。今日は午前授業でしょう」
そう言われて、雷奈はスマホの画面を見る。ホーム画面に表示されている時刻に、少しばかり冷や汗をかいた。早歩きで滑り込みセーフというところだ。一時間目が体育などでなくてよかった。
「ばってん、そげな悠長なこと……」
「人間の日常生活を守るために、私はフーのふりをしてここへ来たのよ。人間に学校を無断欠席させたとなったら、巫覡の家の一員としての使命すら果たせなかったことになるわ。禊は準備に時間を要する。放課後からでも、急いで行けば間に合わなくはない」
リーゼの口ぶりに、反論しかけた雷奈は口をつぐんだ。
リーゼは改めて、全員を見渡して言う。
「いいこと。私はもう一度術をかけて、今日だけは皇学園で風中フーとして振舞う。決して私の真名を呼ばないで。術が解けたら大騒ぎになるんだから。全てはその後よ」
その声は、透き通っているのに力強くて、上品なのによく響いた。ぼやけない、輪郭のはっきりとした使命を、状況の上に適切に布置できる者の声だ。
知らず知らずのうちに背筋が伸びているのを感じて――雷奈は、頷いた。
「わかったったい。……一日、よろしく」
「私達でよければ、教室でもサポートするから。だから放課後、必ずフーを助けさせて」
「ったく、一仕事だな」
芽華実と氷架璃も続いて意気込む。
そんな彼女らを、アワは腰を落としたまま、ぼんやりと見上げていた。
その傍らに、ずいっと手が差し出される。
「え?」
「ほら、立てよ」
そう言って見下ろしてくる氷架璃の顔は、逆光で暗かった。けれど、暗がりでもくっきりと、黒い瞳には叱咤の光が宿っていた。
「氷架璃……」
「座り込んでる場合か。話聞いてただろ」
アワは、頷かなかった。けれど、首を横に振ることもせず、ただ氷架璃を真っすぐに見上げていた。
立ち上がるのに足りないもう一息を、氷架璃は揺るがない言葉で突き出した。
「しっかりしろよ、相棒。――フーを助けるぞ」
アワの目が、一度だけ瞬いた。大きく見開いた瞳は、次の瞬間、決意の形に縁どられ、
「――うん」
彼は、差し出された手を強く握った。
これには、アワもハッと顔を上げた。
「どういうことなんだい、リーゼ……」
「ここから先は、風中家の者ではなく、私個人としての見解。私の家族も、もちろん流清家も気づいていない、おそらくは真実」
雷奈、氷架璃、芽華実、そして座り込んだままのアワを見渡して、リーゼは言う。
「アワちゃんは知っての通り、二家の者が夢で神託を受ける際の事象には、昔から共通点がある」
ぴっ、と大人びた長い人差し指を立てると、リーゼは再び話し始める。
「まず、君臨者の姿と声はわからない。見聞きしていないのか、それとも目が覚めたころには覚えていないのかはわからないけれど」
三人は自然とアワに目をやった。当代の正統後継者の一人は、彼女の言葉に小さく首肯する。
姿はともかく、声が分からないのにお告げを聞くとはどういうことかと引っかかる人間達だが、神の啓示とはそのようなものがあってもおかしくないのかもしれない。概念レベルで伝達されるものなのかもしれないし、リーゼが挙げた後者の可能性もある。
立てた人差し指の隣に、ゆっくりと中指もそろえながら、リーゼは続ける。
「そして、もう一つ。――神託の夜、正統後継者は、神託以外の夢を見ない」
凛と言い放たれた二つ目の事象。それを聞いた人間達の肌が、なぜかざわついた。
神聖な夢を見せる夜は、その他の雑多な表象は排斥するかのような。一個人の夜を、見えざる手で意のままに組み替えるような。そんな神の、いわば放縦さを垣間見た心地がしたのだ。
やはり無意識に、三人の視線はアワに向いた。アワは今度は首を振らなかった。その代わりに、大きく目を見開いて「……まさか」とつぶやいた。
「フーは、その夜……」
「ええ」
ツリ目な瞳に大人びた自信を漂わせ、リーゼは断言した。
「あの子は昨日の晩、夢を見ていた。あの子自身の夢をね」
再び、雷奈たちの全身が動揺した。けれど、先程の気圧されるような畏怖とは違う。
やっと、やっと一筋見えた。そんな感覚だった。
「け、けど、なんでわかるんだよ? あんた他人の頭の中が見えんのか?」
少し安堵する余裕が出たからか、氷架璃が口の端に笑みを浮かべてリーゼを茶化す。
それに乗っかるでもなく、怒るでもなく、年長者の余裕をまとって、リーゼは首を横に振る。
「もっと単純なことよ」
「単純?」
「ええ。寝言を言っていたのよ」
寝言。
ちょっと間の抜けた響きに、きょとんとする雷奈達。そんな彼女らにかわいさを覚えたかのように、リーゼはくすっと笑った。
「あの子、すぐ寝言言うんだから。私、夕べはちょっと夜更かしさんでね。廊下を通ったときに、ふすま越しに聞こえて来ちゃった」
「えーと……それは、神託の夢に対する寝言ではなく、っちゃか?」
「神託の途中に寝言なんか言わないわよ。君臨者のお告げなのよ? 神意を拝聴する最中に口を挟めるわけないでしょう。それは絶対にありえない」
微笑をたたえてゆるゆると首を振りながら言うが、態度とは裏腹に言葉は強く断定的で、神を崇める心情がほのめかされていた。悠長な言動の持ち主でも、やはり二家の者だ。
「ということは……フーは、自分が破門の神託を受けたと……勘違いしているということ?」
「私はそう捉えているわ。きっと普通の夢の中で、破門に似たような体験をしたんじゃないかとね」
芽華実の言葉を、リーゼはおっとりと肯定した。
「そして、破門の神託がない限り、禊が行われる部屋――神判の間は扉が開かない。普段は君臨者の力で閉じているものなのよ。だから、私達が何もしなくても、フーはちゃんと戻ってくるわよ」
雷奈達は小さく息を吐きかけた。フーは身投げなどしなくていい。罪になど問われていないのだ。
だが、安堵のため息は途中で飲み込まれた。
今の話は、リーゼのみが知る事象らしい。ということは、フーも他の家族も、今明かされた事実を知らないのだ。
フーは今も重い十字架を背負っている。そして、決まりに従って禊に行こうとしている。神判の間の前にたどり着き、扉が閉まっているのをその目で確認するまで、ずっとその重圧から逃れられずに苦しむに違いない。
そんな想像をして、彼女の親友たちが黙っていられるはずがなかった。
氷架璃が声高らかに言う。
「じゃあ、神判の間とやらの扉を確認するまでもなく、禊をやめさせりゃいいじゃんか! 皆皆様に、『フーは寝言を言ってました、だから神託じゃないと思います!』って進言したらいい話だろ?」
「そうね。それができればいいんだけど」
だが、そこでリーゼはまたも会話に暗雲をかける。
「そうはできないから、ことが複雑になってしまうのよね」
「な、何でだよ」
「では、氷架璃ちゃんに質問。単刀直入にそう言われた二家のひと達は、何と答えるでしょうか?」
小さく人差し指を向けられ、指名された小学生のようにひるんで――ではなく、図々しい態度で答える。
「何って……『それなら破門の神託は勘違いだね。めでたしめでたし』じゃねーのか?」
「氷架璃、短絡すぎったい」
「何だよ、じゃあ何て言うんだよ」
山椒は小粒でもぴりりと辛い。氷架璃が辛口雷奈の頭を肘置きにしてジトッとにらむと、山椒は肘の下から彼女を見上げて反論した。
「二家のひと達は、破門の神託が本当だったとしたら、それば見逃すわけにはいかんとよ? 寝言が勘違いだったとか、リーゼが妹可愛さに嘘ついとったとか、そげな可能性も警戒するっちゃろ」
「そうね……」
芽華実もあごに手を当てて頷いた。
「曖昧な記憶じゃないか、嘘じゃないかを確かめる必要があるかも。だったら、私なら……こう訊くわ。『寝言で何て言ってたの?』って」
「ええ。私もそう思うわ」
想定していた解答に、リーゼが頷いた。
「それを訊かれると、私は詰みなのよ」
淡々と、そう告げる。
雷奈達には、その言葉こそが、これまでで一番不可解な理屈に聞こえた。
芽華実が不思議そうに、というより不安そうに尋ねる。
「どうしてなの……?」
「確かに、寝言を言っていたという事実はこちらに有利な情報。でも、その内容を口にした途端、取り返しがつかないほど不利になるのよ」
雷奈は氷架璃と顔を見合わせた。次いで、芽華実とも顔を見合わせた。
三人とも、全く理解できていなかった。
「いや、それ、どういうロジックだよ……?」
「詳しくは言えない。けれど、さっき芽華実ちゃんが答えたような問いを呈されると、私は口をつぐまざるを得なくなるの」
「まずい内容だったなら、テキトーにでっち上げればいいんじゃないのか?」
「パートナーの神託も破門の神託も夢で受ける私達に、夢に関する嘘はご法度よ。嘘つきはクロの始まりというだけじゃない。しきたりに反するわ」
「しきたりしきたりって……」
氷架璃が小さく舌打ちした。現代社会を生きる少女たちにとっては、伝統や因習といったものは比較的縁遠いものだ。変わりゆく時代の中で、けれど変わらない謂れに絆される様は、見ていてじれったくなる。
「知らんっつの、しきたりなんざ」
「もちろん。人間のあなた達には、私達二家の旧習も、風儀も、慣例も、知ったことじゃないと思うわ」
その言葉に、氷架璃の目が鋭く光った。アワやフーとの間に、亀裂のごとき溝を引かれた心証だった。
胸の温度が沸点に達する、その直前。
「じゃあ! 私が嘘つくったい!」
胸に手を当て、雷奈が一歩踏み出した。
「リーゼも、同じ二家のアワにもできないなら! 私がやるったい! だって私達には、旧習も、風儀も、慣例も知ったこっちゃないっちゃけん!」
リーゼは、そう息巻く雷奈を、わずかに目を見開いて見下ろした。
氷架璃と芽華実がどちらからともなく目を合わせ、頷きあう。
「私も加勢するぞ! 証人は多い方がいいもんな!」
「もちろん、私もよ」
「あなた達ねぇ……」
心底呆れかえった保護者のような目つきで、リーゼがため息を吐く。
「昨晩フーの寝床にいなかったあなた達が、どんな顔してフーの寝言をでっちあげるのよ。『どうやって寝言を聞いていたのか』って反論されるのがオチじゃない」
「それは、その……か、考えとくったい!」
「それに、さっきも言ったでしょう。フーの禊は、どうせ最後まで進まない。神判の間が開いていないことに気づいたら、いずれにせよそこで一件は終わるのよ。何もあなた達が虚言なんて危険を冒す必要は……」
「あるわ」
確信に満ちた一言と共に、芽華実が進み出る。真っすぐな視線は、揺るぎない信念をまとっていた。
「確かに、その神判の間という部屋が閉まっていることは、フーの無実の証拠の一つになるんだと思う。でも、フーは閉まっている扉を見ても……きっと、すぐには自分の無実に思い至らないとも思うの」
三年間フーのそばにいた芽華実には、分かる。フーは優しい少女だ。心の底から他人を愛し、そのためなら自己犠牲も厭わない人物だ。破門の神託を受けたと思い込んでいる以上、両家への神罰がかかっていると思えば、すぐに禊の中止に切り替えるというのは、彼女には難しい判断だ。
それは、芽華実などよりも遥かに長い時を共に過ごしてきたリーゼにもわかっているはずだ。
「私は、そんなフーに言ってあげたいの。あなたは穢れてなんていないって。たとえ根拠が虚構でも、その言葉は真実なんでしょう。それに、フーやアワの家族を説得するためにも、証拠はいくつもあった方がいいでしょう?」
リーゼはしばし、芽華実の真摯なまなざしを正面から受け止めていた。
やがて、その視線がつぅ……と空間上を滑る。口元に指を寄せ、無言で静かに何度かまばたきをする。
沈黙の裏には、何らかの思考の巡りが垣間見えた。
そして。
「……そうね」
ブラックボックスの中で、どんな吟味が行われたのかは開示されなかった。ただ、出てきた答えは、雷奈達の望む形をしていた。
「……わかったわ。乗ってあげる」
「リーゼ……!」
「ただし、詳細はあとよ。もう時間切れ。今日は午前授業でしょう」
そう言われて、雷奈はスマホの画面を見る。ホーム画面に表示されている時刻に、少しばかり冷や汗をかいた。早歩きで滑り込みセーフというところだ。一時間目が体育などでなくてよかった。
「ばってん、そげな悠長なこと……」
「人間の日常生活を守るために、私はフーのふりをしてここへ来たのよ。人間に学校を無断欠席させたとなったら、巫覡の家の一員としての使命すら果たせなかったことになるわ。禊は準備に時間を要する。放課後からでも、急いで行けば間に合わなくはない」
リーゼの口ぶりに、反論しかけた雷奈は口をつぐんだ。
リーゼは改めて、全員を見渡して言う。
「いいこと。私はもう一度術をかけて、今日だけは皇学園で風中フーとして振舞う。決して私の真名を呼ばないで。術が解けたら大騒ぎになるんだから。全てはその後よ」
その声は、透き通っているのに力強くて、上品なのによく響いた。ぼやけない、輪郭のはっきりとした使命を、状況の上に適切に布置できる者の声だ。
知らず知らずのうちに背筋が伸びているのを感じて――雷奈は、頷いた。
「わかったったい。……一日、よろしく」
「私達でよければ、教室でもサポートするから。だから放課後、必ずフーを助けさせて」
「ったく、一仕事だな」
芽華実と氷架璃も続いて意気込む。
そんな彼女らを、アワは腰を落としたまま、ぼんやりと見上げていた。
その傍らに、ずいっと手が差し出される。
「え?」
「ほら、立てよ」
そう言って見下ろしてくる氷架璃の顔は、逆光で暗かった。けれど、暗がりでもくっきりと、黒い瞳には叱咤の光が宿っていた。
「氷架璃……」
「座り込んでる場合か。話聞いてただろ」
アワは、頷かなかった。けれど、首を横に振ることもせず、ただ氷架璃を真っすぐに見上げていた。
立ち上がるのに足りないもう一息を、氷架璃は揺るがない言葉で突き出した。
「しっかりしろよ、相棒。――フーを助けるぞ」
アワの目が、一度だけ瞬いた。大きく見開いた瞳は、次の瞬間、決意の形に縁どられ、
「――うん」
彼は、差し出された手を強く握った。
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