フィライン・エデン Ⅲ

夜市彼乃

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14.巫覡の磐座編

69凱風と水魚 ③

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***

 ――幼いころから、「大人びた子」と言われることが多かった。
 雷奈達を見送った後。磐座の壁に背中を預けたリーゼは、スマホのメッセージアプリ画面を見つめていた。その目は字を追うことなく、その指はフリック式キーボードの上を動くことなく。一仕事終えた気のゆるみか、彼女は漠然とした内省の海に、ぼんやりとたゆたっていた。
 友達に遊びに誘われても、正統後継者候補として勉強を優先せねばならなかった。だが、それを苦だとは思わなかった。家がそう決めたのだからそれに従わなければならないのだし、勉強が終われば遊びに行けばいい。中には付き合いの悪さに愛想を尽かして離れていく者もいたが、別に構わなかった。リーゼの立場に理解を示して待っていてくれるのが、本当の友人なのだから。
 各組織への挨拶回りも、特に怖じることはなかった。希兵隊のトップはともかく、一時期の情報管理局長や学院長は、重役としての貫禄をまとった「よその大人」だった。だが、彼らと会う義務をもつ以上、自分は彼らと対等な権力をもっているのだと認識していたので、気後れする理由はなかった。
 フーが正統後継者に選ばれたときも、さしたる感情はわき上がらなかった。どちらかが選ばれれば、どちらかは選ばれないさだめであって、自分が後者となる可能性は十分にあると最初から分かっていた。だから、そうなった時にはと決めていた夢を追うことにした。夢は叶い、現在の職に就けているのだから、不満は一つもない。
 そんな、ある意味ふてぶてしいまでの冷静さが、風中リーゼを「大人びた子」と評させたのだろう。その評価にも、別に異論はない。誹謗されているわけでもないのだから。
 だが、妹の命の危機に狼狽一つしないのは――冷静を超えて、いささか冷徹だっただろうか。
 禊の話を聞いた時、母は絶句し、父は涙し、アワなど一時的な体調不良に陥った。だが、自分は不規則な心臓の早鐘もなければ、呼吸を乱すことも、頭の中を真っ白な無に変えることもなかった。
 無論、最初からそれが勘違いだと気づいていたからではある。周囲が驚駭する中、自分だけは否定材料をもっていたのは確かだ。
 だが、その否定材料を共有されてなお、人間達は少しでも早くフーを救おうと、少しでも多く破門の神託の反証を掲げようと奮闘した。リーゼも最終的にそれに賛成したわけだが、胸の内はそう熱く燃え上がってくれはしなかった。
 それでも――冷たい理性を保ったままの自分で、やはりよかったのだと思っている。
 もし自分がもっと感情的だったなら、周囲の動揺に呑まれて、確かにこの耳で聞いたはずの反証さえ信じられなくなっていたかもしれない。破門の神託を受けていたわけがないと思いつつも、それでも禊が完遂されてしまったら、運悪く最悪の事態に陥ってしまったらどうしようと螺旋のごとき不安に落ちていたかもしれない。フーが他の夢を見ていたことを、早まって口走ったかもしれない。彼女の寝言を馬鹿正直に伝えてしまえば、し、だからと嘘をでっちあげれば、君臨者からどんなにらみが飛んでくるか知れたものではない。
 そう考えると、結果的に自身の動じなさが事態の安定を招いているといえる。
 一つの命題に答えが出たところで、リーゼの意識は目の前のメッセージアプリに戻ってきた。チャット爛の一番上には、最も新しいチャット相手の名前。今日、学校で休み時間中に連絡先を交換した、三日月雷奈のものだ。
 彼女から閉扉の画像が送られてきたら、今度はリーゼのターンだ。まずは風中家全員に、閉扉を証拠にフーの無罪を伝える。そうすれば、当主のウィンディが流清家当主のバブルにそれを伝えるだろう。彼女らに集まってもらったところで、戻ってきた雷奈が、破門の神託の反証をダメ押ししてくれるわけだ。
 それまでにメッセージの下書きくらいはしておこうか。リーゼは、雷奈の一つ下、家族グループのチャットを開き、フリック入力で文字を入力する。
『禊は中止。磐座の入り口前に集合して。あと、流清家にも伝えて。フーは無罪だった』
 このメッセージに、神判の間の扉が閉まっている写真を添えれば、伝わるだろうか。もう少し推敲したほうがよいだろうか。
 リーゼのメッセージはシンプル過ぎる、とよく家族にも言われる。主旨が伝わればそれでいいと思っているが、伝わってすらいなければ意味をなしていない。
 人間達が来ていて、破門の神託がなかったことの証左をでっちあげ……もとい、証言してくれる旨も書き添えた方がよいだろうか。
 再びキーボードに指を這わせた時。
「――何をしているのですか」
 心臓が大きく鳴った。ずいぶん久しぶりな感覚だった。
 リーゼは弾かれたように顔を上げ、しゃがれた声のする前方左の木立を見やった。
 木々の間から、人影が姿を現した。
 一つに結い上げたプラチナブロンドの髪。色白の顔のあちこちには数十年を知るしわが刻まれているのに、ブラウンの双眸は衰えを知らない眼光を放っている。人間界の着物に近い形の伝統装束に包まれた体はしゃんと伸びており、首から下だけ見れば若者と見まがってもおかしくない。
 流清キンカ――嫡子よりも嫡子らしく厳粛な、バブルの母だ。
 面倒なことになった。リーゼは乏しい表情の裏で、そう独り言ちた。リーゼとアワは、本来ここへ来る手はずではなかったのだ。
 こと、こと、と舟形下駄の底を鳴らして歩み寄るキンカは、その切れ長な目を片時もリーゼから離すことなく問うた。
「なぜあなたがここにいるのですか。人間のお相手はどうしたのですか」
「学校なら終わりましたよ。今日は午前授業なので。今はもう放課後です」
「結構」
 そう言いながらも、キンカの鋭い視線は、歩みは、いまだリーゼの退場を許さない。
「それで。なぜあなたはここにいるのですか」
 はぐらかせる相手ではないというのはわかっていた。
 まあ、そう来るだろうなと諦めつつ、リーゼは正直に返す。
「人間達に、フーの禊を知られました」
 それを聞いたキンカの目元に、さらなるしわが寄った。
「あなたが出向いていながら、何事です。人間の心の安寧を保証するために、二家の秘術を用いて正体を偽ってまでこの件を秘匿する算段であったのに」
「あら、暴いたのはアワちゃんですよ。私の名前を呼んでしまったから。だから術が解けて、人間達にはすべてを説明しなければならなくなったのです。アワちゃんに情報を共有できていなかったのは、そちらの落ち度ではなくて?」
 キンカの渋面が濃くなった。下手な苦丁茶くちょうちゃにも勝るだろう。だが、次の瞬間には基に戻っていた。
「話の腰を折りました。人間達に禊を知られて、それがなぜあなたがここにいる理由になるのでしょうか」
「……人間達は、フーの無実を主張しています。その証左をもっているとも。それを直接フーやあなたがたに伝えたいと言うので……彼女らを、磐座に」
 平静そうな顔をしながらも、一つ一つの事実を吟味しながら言葉を紡いでいく。
 常日頃より、「嘘つきはクロの始まり」とされているが、こと聖域での嘘はご法度だ。だから、嘘は言っていない。フーの無実の証左はリーゼが言い出しっぺだということを伏せただけで。
「この地が二家以外の者にとって禁足地であることは、重々承知しておりますが――」
 しかし、と続けるつもりだった。
 だが、リーゼの口から出たものは、言葉どころか声にすらならず――ごぼごぼっ、とあぶくの音と化した。
「……ッ!?」
 一瞬だった。気づいた時には、リーゼの口元を覆うように、こぶし大ほどの水の球が浮いていた。
 後退して逃れるより先に、反射的に息を吸い込んでしまい、リーゼの喉に少量の水が流れ込んだ。ぎゅっと気管が閉まった直後に激しく咳き込むのと、水の球がアポトーシスを起こしたように割れて落ちるのとは同時だった。
 スマホを握ったまま反対の手を喉に当ててむせるリーゼ。折り曲げた体を跳ねさせる彼女に、キンカは鋭い睥睨を浴びせた。
「一つ、聖域で嘘をつくなど言語道断。一つ、嘘に人間を巻き込むなど不埒千万。風中リーゼ――いったい何を企んでいるのですか」
 リーゼはまだ喉から喘鳴を絞り出しながら、キンカへと視線を上げた。
 それは、想定外の糾弾だった。二家の者のみに開かれた聖域に人間を連れ込んだことを叱責されるならわかる。それは覚悟していた展開だった。
 だが、一言のもとに「嘘」と断じられた。嫌疑の域を超え、確信に至っている。このあまりに手荒な折檻がその証拠だ。
 あえて虚言を避けていたところへの仕打ちとあって、リーゼはわき上がった反発感をそのまま口にする。
「嘘、など、では――!」
「その嘘がまかり通ると思っているのならば、言語道断、不埒千万の上、不勉強甚だしい。正統後継者に選ばれなかったからといって、少々堕落しすぎではないですか」
 今のリーゼの息絶え絶えな反論など、キンカの立て板に水を流すような説諭の前には微風に等しかった。
 無理に声を出したせいで痛む喉を押さえて、けほけほと咳をするリーゼの――その手元に、キンカの視線が刺さる。
「そのスマートフォン。誰に、何の連絡をしようとしていたのでしょうか」
 指摘を受けて、リーゼ自身もスマホに目をむけた。
 転機と見た。今やスリープ状態になってしまっているスマホだが、開けば書きかけのメッセージが表示されるだろう。ちょうど、フーの無実とその旨を説明するために流清家にも連絡をとってほしいという要請を記した文面。これを見せれば、先のリーゼの言は裏打ちされる――。
(……違う)
 リーゼは今ひらめいたばかりの考えを薙ぎ払った。確かに、これは転機だ。しかし、それは好転ではなく暗転の兆し。
 『禊は中止。磐座の入り口前に集合して。あと、流清家にも伝えて。フーは無罪だった』――リーゼが意味したところは、「禊を中止になった。神判の間が閉まっているところと、人間の証言という証拠を提示するから、磐座の入り口前に集合して。そして、流清家にもフーが無罪だったことを伝えてほしい」だ。
 だが、見方を変えれば――とりわけ、「風中家が禊に介入しようとしている」という前提のもと、「リーゼが嘘をついた」という思い込みの眼鏡を通してキンカが見れば、どう映るだろうか。
 ――禊の中止に成功した。目標を達成したので、磐座の入り口前に集合して。そして、流清家にはフーは無罪だったから何事もなかったのだと嘘を伝えてほしい――そう読み取れないだろうか。
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