フィライン・エデン Ⅲ

夜市彼乃

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14.巫覡の磐座編

68風発の誘い水 ⑥

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***

 その光景に、雷奈たちは感嘆すら忘れた。
 社会科の資料集でしかみたことのない光景だった。そう、例えるならそれはウルルの小規模版――さりとて十分に巨大な、ひと続きの岩石だった。
 ごつごつとした黒い岩肌は、高さ十五メートル余りにまで達している。雷奈たちが見ているのは長辺だろう、幅は百メートルほどにまで及んでいた。その中央より左寄りには小さな洞穴がある。そこが入り口のようだ。視線を上に持ち上げると、最上階の三階と思しき高さの右端は、外にせり出すような形になっていた。まるでバルコニーのようだ。ところどころ、岩壁に隙間穴が見えるのが、いかにも自然物らしい不完全さを醸していた。
「これが、巫覡の磐座よ」
 言われずともわかっていたが、リーゼの言葉なくして、三人とも弛緩した体の主導権を取り戻すことは難しかっただろう。自然への畏敬とは、まさにこのことをいうのだと痛感した。
 しばらく磐座を見上げているうちに、またもその壮観に魂を吸い寄せられそうになる。リーゼがすたすたと磐座の外壁近くに歩いて行くのを見て我に返った雷奈は、彼女に問うた。
「この中に……フーが?」
「そうね……」
 雷奈を振り返ることなく、おざなりな返事をするリーゼ。なぜか、壁に背をつけてそっとのぞきこむように、磐座の反対側をうかがっている。
 そして、少し抑えた声量で、改めて答えた。
「ええ、いるわね。もう、中に」
 リーゼの不可解な挙動に、雷奈は氷架璃、芽華実と顔を見合わせた。中にいると言いながら、彼女はこことは反対側の、磐座の外を気にしている。
 何の確認が済んだのか、入り口近くに戻ってきたリーゼに、雷奈が疑問をぶつける。
「えと、反対側に何か見えたと?」
「母さんがいるわ」
 こともなさげなリーゼの答えに、雷奈達は慌てて口を押さえた。
 芽華実がささやき声でうろたえる。
「え? え? ウィンディさんが?」
「この磐座、ところどころに自然の穴が空いているのに気づいた? 母さん、反対側の上の方に空いてる穴から、熱心に磐座内を見つめているみたいよ。十中八九、そこから風を仕掛けるんだと思うわ」
 ウィンディの目的は、禊ノ淵に落下するフーを風術で救い上げることだ。しかも、それがウィンディの術だと、フーにもバレないように。よって、中に堂々と入ることはせず、外ののぞき穴からこっそりおこなうということなのだろう。
「母さんがそうしているということは、もうフーは中に入ってる。すでに神判の間の前までたどり着いているのか、まだ中を進んでいる最中かはわからないけど……」
 リーゼはそう言って、しばらく磐座の頂上を見つめていた。が、すぐにそうしている場合ではないことに気づいたか、雷奈達に水を向ける。
「それじゃあ、雷奈ちゃんたち、出番よ。神判の間の閉扉を証拠に収めつつ、フーを連れ戻してきてちょうだい。……一応訊くけど、この期に及んでいい偽の証言を考えついてないってことないわよね?」
「ふっふっふ……任せて! 完璧ったい! 聖域の中ば歩いとる間に、ト書きの神様が天啓ば下さったとよ……!」
「どんなタイミングで天啓来てんだよ」
 氷架璃が突っ込み、芽華実が音を立てない程度に拍手する。一方のリーゼは、やることさえやってくれればそれでよいというように、あっさりとうなずいた。
「結構よ。この磐座内部を上っていけば、フーに会えるはず。とはいえ、迷子にでもなったら大変だから……」
 リーゼは、ちらとアワに目配せした。彼は一歩踏み出し、頷く。
「ボクが行くよ。禊の間への道は初めてだけど、磐座には毎年入っているしね」
「ありがとう。……なかなか道のりと聞いているけど、大丈夫ね?」
「だからだよ。君じゃなく、ボクが買って出る」
 彼は、神妙な面持ちと真っすぐな視線でそう答えた。そこには、後天的に身についた年長者への敬意と、先天的にもちあわせた紳士的な性格が透けて見える。
 タフな道のり――そこまで勾配が急なのだろうか、と雷奈達は磐座を見上げた。その後ろで、リーゼはふっと目を細めてアワに頷く。
「男前だこと。それじゃあ、お願いするわ。万が一フーが降りてきてすれ違ってしまっても大丈夫なように、私はここに残る。可能性は低いけど、念のために、ね」
「了解。……さあ、行こうか、三人とも」
 高さと「三階建て」という情報から勾配を概算していた雷奈達の前へ、アワが進み出る。先に中に入ってしまう彼を慌てて追う彼女らは――一瞬だけだったが、目にしていた。
 もう、あとはこの磐座を上ればフーを連れ戻せる。そんな、峠を越えたはずの局面で――
 彼の横顔に、ひりつく緊張が貼りついているのを。

***

 磐座の中の空気は、意外と生温かった。岩に覆われているため、外気温に左右されにくいのだろう。ただ、湿度の高い感触があるのが不快だった。鼻孔を通る空気には、湿った土の匂いにカビ臭さが混じっていた。コウモリの糞尿の匂いがしないだけマシだろう。
 中は明かり一つなかった。入り口から差す淡い日光だけが、その周辺のみをほのかに照らしていた。
 人間界において、鍾乳洞の類は今や観光スポットとしても人気を博している。ほとんどの場合、そこは鮮やかな色でライトアップされており、足元がおぼつかないということもない。だが、ここはその本質を考えれば、そんなきらびやかな物があるはずもなかった。
 見える範囲で言えば、入り口から入って真正面に壁。左に進むと手すりのついた石造りの階段があり、地下一階に下りられることがわかる。見たところ、上り階段はない。右手に広がる、光の届かない暗闇の奥にあるのだと推測された。天井は、入り口近くだけ低くなっているが、右手の空間は急激に高くなっているらしく、暗くて形状もわからない。
 立ちすくむ雷奈たちをよそに、アワは慣れた様子で入り口側の壁にかけられたものを手に取った。古びたランタンだ。
「……もしかして、明かりってそれだけっちゃか」
「ボク達猫の目ならこれで十分だからね。君達には心許ないと思うから、足元に十分気をつけてついて来ておくれ」
 アワがランタンのスイッチを回すと、カチッと音がして明かりが灯った。見かけのアンティークさによらず、電池式らしい。しかも、意外と光量があった。
 雷奈は何となく、ランタンがかけられていた壁に目をやった。金属製のさびたフックは、二つあった。一つはアワが今手にしたランタンがかけられていたものだ。もう一つは――と考えて、心臓が痛みを伴う鼓動を奏でた。すでに中に入っているであろうが持って行ったのだろう。
 先の道を照らすアワを先頭に、雷奈達は身を寄せ合って進んだ。
 徐々に目が慣れてくると、ランタンの光だけでもある程度中の構造がわかってきた。壁は不規則な起伏のある黒灰色の岩石。天井は相変わらず闇に覆われているが、同じ質感で間違いないだろう。足元ももちろんむき出しの岩。舗装などされていない。
 湿った風を感じながら少し進んだところで、壁に突き当たった。壁には簡素な木製のプレートが取り付けられており、赤い字と矢印で案内表示が書かれていた。
 左向きの矢印の上には、「御前の間」。正月に君臨者に挨拶をするというのは、おそらくこの場所だろう。
 そして、右向きの矢印の上には――。
「……まさか、こちらの道を進むことになるとはね」
 アワの微笑には、灯りでは照らしきれぬ影が浮かんでいた。そっと踵を返すと、右矢印の指す方へと歩みを進めた。
 ここが、清き巫覡と堕ちた罪人を分かつ分水嶺なのだろう。
 雷奈達もまた、「御前の間」へと続く道に背を向け、歩み始めた。
 風中フーが先に足を踏み入れた、「禊の間」につながる道を。
 この時はまだ目に見ぬ、道を。
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