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13.水鏡編
64見ず鏡、増す鏡、多鏡 ③
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「……お前か!」
牙をむいた山戸に、コウは鼻先を上向けるようにして見下す一瞥をやると、前足の先をわずかに動かした。
すかさず振り返った山戸の耳のそばを、尖鋭な風が吹き抜ける。次は目を狙って、その次は喉を狙って、小さな手から間髪入れずに投擲されるもの。クナイだ。
山戸はすばやく手刀を作ると、向かってくるそれらを次々にはじき落した。だが、投げていくそばから、波音の手には無限にクナイが湧いてくる。手にしては投げ、手にしては投げ、しかもその全てが的確に急所を狙っていた。明らかに、素人の手つきではない。
「くそが……!」
山戸は右手を突き出すと、先程波音の眼前に現れたものと同じような、鈍色の盾を生み出した。その陰に身を隠してクナイをやり過ごし、体をひねって後方の灰色猫へと左手を向ける。
先にこちらを叩かなければ、さすがに埒が明かない。山戸は術を込めた左手を、手首の動きでさっと振り下ろした。その動作に従い、コウの小さな頭目がけて、巨大な鉈のような刃が落下する。
ギロチンのごとき刃は、即時展開された半球状の結界術に阻まれた。重力に引かれて向かってくる重い鋼を受け止めながらも、コウは涼しい顔を崩さない。
垂直方向の押し合いの末、コウの結界術に軍配が上がった。刃は勢いを失って地面に転がり、消滅する。
同時、山戸の耳に跳躍音が飛び込んだ。振り仰ぐと、波音が山戸を盾ごと飛び越えながら、身をひねってクナイを一つ投擲するところだった。
退路の邪魔になる盾を消してから、一射を難なく弾く。着地してからももう一撃見舞おうとするのを許さず、山戸は大きく踏み出した。
飛び道具は懐に入られると、その本領を発揮できなくなる。山戸は波音が投擲姿勢に移るより早く、手刀のリーチに到達した。刀ならまだしも、片手で握った小さなクナイでは、勢いよく振り抜かれる手刀を受け止め切れまい。
だが、またも彼の見積もりは突き崩された。右手を伸ばしかけた瞬間、クナイの先端が、彼の左肩を貫いていた。
投擲したのではない。波音は、両手で長い柄を握っていた。一瞬のうちに、クナイの持ち手が直線上に伸び、柄と化していた。それはもはやクナイではなく、鎗だ。
波音は、山戸の肩に埋まった穂をぐっと引き抜いた。傷口から透明な水があふれ出す。舌打ちしながら、山戸は穂先を避ける体勢で右手を突き出した。針のむしろにしてくれようと術を発動しかけるも、直後、頭部に横殴りの打撃が炸裂した。
物理的な衝撃と頭部へのダメージでよろめき、踏みとどまろうとするもむなしく、地面に片手片膝をついた。
こめかみと額の間辺りから、汗とは違う水を流しながら、山戸はつぶっていた目を苦しげに開いた。にらみ上げる視線の先で、波音はさっきと同じ場所に悠然と立っていた。膝にも手にも土一つつけていない姿が旗色を示す彼女の手に握られていたのは、既に槍ではなかった。
小さな鎖でつながれた三本の金属棒。三節棍――剣術を実戦に用いるフィライン・エデンですら、文化としての武道でしか扱わない武具だ。にもかかわらず、波音の構えは、その形状の特徴、運動の性格、得意な間合い、その全てを熟知した者のそれだった。
「さっき言ったでしょ。あたしは最強って」
跪いた山戸を見下ろし、波音は言った。いつもふわふわと天真爛漫な声は、甘さはそのままに地に足をつける。
「あたしは、単身では執行部最強の一番隊に居続けられるほど強くはない。力も強くないし、水術もそんなに上手なわけじゃない。だけど、こーちゃんがあたしを選んでくれたから、あたしはこーちゃんのそばにいられるあたしになるって決めたんだ」
水縹色の瞳から、少しだけ普段の無邪気さが差し引かれる。
「あたしが今もこーちゃんのそばにいられる理由を教えたげる。それは、鋼術による生成が得意なこーちゃんが作り出す、こーちゃん自身も扱えないような多種多様な武具……その全てを、あたしが使いこなせるから。こーちゃんといれば強くなれる、そんな希兵隊で唯一の存在になったから」
差し引かれた無邪気さの分だけ、声に強さがこめられる。
「だから、こーちゃんといる時にあたしは最強なの。他の誰かと比べてあたしが最強になるんじゃない。あたしは他の誰でもなく、こーちゃんといるときに最強になれるんだよ」
三節棍を構える。次の瞬間には違う何かになっているかもしれないそれを、全力で。
「このスタイルはこーちゃんの協力が大前提。だから、最強のあたしは、かみっちゃんや霊ちゃん達と腕試しをしたことはあっても、こーちゃんと手合わせをしたことは一度もないの」
波音の声が冷える。
天衣無縫な少女の声が、その特性上奏でられないと思われていた、挑発の音色を響かせた。
「――どっちが強いかな、こーちゃん?」
「……すぐにわからせてやるよ!」
山戸は牙をむき出すと、バネじかけのように勢いよく立ち上がりながら、波音へ飛びかかった。
波音も果敢に向かっていくと、山戸の鉄拳が顔面を穿つ直前にスライディングですれ違った。
自らの意思とはいえ、姿勢を崩せば劣勢に回る。波音が体勢を立て直す前に追撃を、と踵を返しかけた山戸だが、次の瞬間には彼も姿勢を崩していた。しかも、自ら意図したものではない。
彼の足首に、鎖が巻き付いていた。長い長い鎖は、その端が短い鉄の棒の先端につながっており、幼い手に握られたそれの反対側は、湾曲した刃物になっていた。
鎖鎌と呼ばれる、農工具由来の武器だ。鎌で斬ってよし、鎖で絡めてよし、鎖の先についた分銅を投擲してよしのトリッキーな性格をもつ。
まずは鎖で相手の動きを止めた波音は、Uターンで山戸に向かうと、手にした鎌を振り上げた。
山戸は体勢を立て直しながら左腕をかざした。そこにはすでに、身を守るための鋼が宿っている。肩をやられている身でも、長物なら別だが、稲刈りにでも使うような小ぶりの鎌程度なら片手で受け止められる。
ギィンッ、と刃鳴りを奏でて切り結んだのは、鋼の防御力を宿した左腕と、日本刀だった。
「ぐ……っ」
負傷した左肩に想定外の重さがかかり、山戸の体勢が崩れた。柄を握る波音の手の内はしっかりとしたものだ。合図もなく、直前に、突然変貌した得物にも関わらず。
「っ……この……!」
山戸の空いている右手が手刀の形をとり、波音の喉を突き破ろうとした。が、すぐに硬いものに阻まれる。
波音は反射的に左手を首元にやっただけだ。だが、その手には一瞬前にはなかった黒い手甲がはめられていた。
火花を散らして凶刃を防いだ手甲も、衝撃までは殺してくれない。仰け反るように後方に飛ばされた波音だが、その勢いで地面を転がりながら距離を取ると、静止すると同時に手甲のついた左手を振り抜いた。手甲……だったクナイが、真っ直ぐに山戸に飛んでいく。
山戸は難なくそれを弾き飛ばすが、次の瞬間には二撃目が眼前に迫り、さらなる追撃がその後ろを追ってくる。いかに無駄のない動きをもってしても、片手では凌ぎきれない数、速さのクナイの嵐だ。
手で払い、身をかわし、手で弾き、身をかがめ、ギリギリでやり過ごしていく。飛んでくる順番を見極め、その通りに対処する。わずかな時間差で飛来するクナイを回避するためには、その順番を見誤ってはならない。
山戸の目が、息つく暇もない猛攻撃に慣れ始めた。勢いを落とさず飛んでくる切っ先をいなしながら、前に踏み出す。
直後、その視界に違和感が飛び込んできて、反応が遅れた。
「っ!」
山戸の頬に筋が入る。防御の連鎖が一度切れてしまえば、立て直す間もなく連撃がその身に傷を刻んでいく。右肩と脇腹にクナイが刺さり、右腕とこめかみを鋭いものが切り裂いた。
何のことはなかった。ただクナイの中に、手裏剣が混ざっていただけだった。
対処法はクナイと変わらない。弾くか、避けるかするだけだ。そのはずなのに、突然現れた別物に対する反射的な注視が、防御の律動性を狂わせ、瓦解させたのだ。
山戸は水栓を抜くようにクナイを引き抜きながら、波音を見据えた。
途中から手にわいてくるものに手裏剣が混ざり始めたのを、一瞥もせず手の感覚のみでクナイと判別し、一瞬のラグもなく投げ分けていた波音。驚異的な順応力だが、その肉体はあくまでも小さな少女のそれだ。立て続けの重労働を課され、さすがに疲労がたまったらしく、投擲をやめ、肩で息をしている。
無傷とはいえ、体力の限界に近付いている波音。今の状態の彼女相手ならば、四肢に傷を負った山戸でも肉弾戦で利がある。二本ともクナイを抜き取った山戸は、俊敏性を欠きつつも駆け足で、波音に迫った。
組み合いになれば不利に回ることは、波音自身にも見えていた。ゆえに、彼女は刀印を構える。その指先に水を集め、鋭い刃と化していく。足を負傷した山戸ならば、回避も精彩を欠くだろうと見越したうえでの戦法だ。
狙いを胴の真ん中に定める。命中すればよし、その側面を切り削るだけでも重畳だ。
彼我の間は約二メートル。もう避けられない、されどまだ手は届かない。
そんな距離で、大木すらなぎ倒す水の刃が放たれようとして――その、まさに寸前に。
手刀を構えることなく、鋼術を発動させることもなく向かってきた彼は、苦笑いのような顔で、呆れながらも優しい声で、
「――やめろ、波音」
水が刃こぼれした。刀印がわずかに地を向いた。
向けるべき敵意が揺らぎ、鋭さも固さも失った。
彼我の間は一メートル未満。もう避ける刃はない、そしてもう拳は届く、そんな距離で。
耳から毒を注ぎ込まれたかのように硬直して目を見開く波音の顔面に、山戸の拳が音を立てて迫った。
ガキンッ……と、やはり金属の盾が邪魔をした。
だが、山戸の拳には確かに手ごたえが伝わってきた。
「あう……っ」
「波音ッ!」
山戸の遥か後ろで、コウが叫ぶ。
へこんだ盾が離散すると同時、波音の体が大きく後ろに傾き、そのまま地面に倒れ込んだ。とっさの盾が吸収しきれなかった衝撃は、波音の額を直撃して、脳を揺さぶった。
めまいで起き上がれず、額を押さえて体を丸める波音に、山戸が刀印を向ける。途端に、どこからともなく湧き出した黒い煙が、波音を飲み込んだ。
その意図がありありとわかって、コウは戦慄した。
「波音! 粉塵爆発だ!」
叫ぶ相棒の声を、ぐらぐらする頭で聞きながら、波音は地面に手をついた。火が付く前に、この煙から脱さなければ、鋼術最強の技に殺されることになる。
だが、立ち上がることは叶わなかった。
粉塵の煙は波音を腹中に閉じ込めたまま、充分に満ちた。そこへ向けて、山戸の手は無造作に合図した。
起爆操作だ。
腹に響くような爆音とともに、充満した黒煙が炸裂した。突風が吹き荒れ、身を伏せた山戸の装束がばたばたとはためく。主体のコウは飛ばされないよう地面に伏せるので精一杯だ。
赤々とした炎が、爆風で舞い上がった粉塵を食らいつくすように燃え上がる。もうもうと立ち込める煙は、風で緩やかに流されていくまでの間、山戸とコウの視界までもを奪った。近くの隊舎の瓦屋根が破壊されたらしく、ガシャンガシャンと落下して砕ける音が続くのが聞こえた。
建物の損傷は我関せずと聞き流していた山戸は、顔を覆っていた袂をゆっくりと下ろした。薄く粉塵は残るものの、視界に支障はなく、仰向けに倒れた波音の姿を視認した。くったりと目を閉じてはいるが、その体にやけどの一つもないのを見て、山戸は舌打ちする。
「また手出ししやがったな、もう一人のオレ。とっさにシェルターか何かに閉じ込めたか」
同時に立ち上がった山戸とコウの視線がぶつかりあい、敵意の火花を散らす。
「だが、ダメージは免れなかったようだな。とどめといこう。残念だったな、大和鋼。お前が手を貸したとて、あんな無力なチビには、やっぱり荷が重かったんだよ」
嘲笑を浴びせかけて、山戸は波音に一歩近づいた。
コウが叫ぶ。
「波音ッ!」
「殺されたくなけりゃ、邪魔だてしてみろよ。そうなりゃ、お前自らこいつの無力を証明したことに……」
ザシュ、と何かが何かを貫く音がした。
山戸の足が止まった。目を大きく見開く。その両目の間に、白刃が生えていた。切っ先が抜けるのは後頭部。すなわち、前方からの不意打ち。
仰向けのまま頭をのけぞらせていた前方の少女は、一瞬のうちにその目をしっかりと開いて山戸を見据えていた。右腕が、真っすぐに山戸に向けられている。
刀身は、彼女の袖の中から伸びていた。右腕に金属の輪で固定された刃が、三メートルほど伸びて、山戸の眉間を貫いていた。
肌に触れる鋼の感触に任せれば、つうとかあさえいらない。叫び声は、ただの合図だ。
「く……そ……ッ」
「ごめん、さっきの訂正」
仰向けのまま、波音は小さく笑う。
「やっぱり、あたしが最強、かもね?」
バシャン。
大量の水が地面にたたきつけられ、その一部が刃の切っ先からしたたり落ちた。
最も警戒すべき鏡像が、水に返った。
三メートルの刃が源子に返り、空気中に融けていく。ころんと寝返りを打った波音のもとに、主体のコウが歩み寄った。
「大丈夫か」
「んー……まだおでこ痛い……」
「頭だからな、診てもらっておけ。今日はもう休んでいい。よくやった」
「えへへ……ありがと。久しぶりのナイス連携、だったね」
「ああ」
「やっぱりあたしたち、最高のバディだね!」
「それはどうだか」
双体になり、波音の手を引いて立ち上がらせたコウは、急にその声色を厳しくした。
「お前、あの時名前呼ばれて、攻撃やめただろ」
疲れを見せながらも笑顔を浮かべていた波音の表情が、固まった。裏返った声で、気まずそうに返す。
「え、あー……うん。一瞬、こーちゃんだって思っちゃった」
「思っちゃった、じゃねーよ! 惑わされんな! 思うつぼになってたじゃねーか!」
「だって声、全く同じなんだもん……」
「そうかよ、お前は最高のバディとその偽者の区別がつかねーんだな」
「……すねてる?」
「すねてねえ」
顔を背けるコウ。面白半分にのぞきこもうとした波音だが、片腕で俵担ぎにされてしまい、後方の景色しか見えなくなってしまった。
丁寧に横抱きにしてくれなかったことに不服そうにしながら、波音は干された布団のように体を折ったまま、ぺたぺたと額をなでた。
ついでに、遠ざかっていく戦場跡地をちらりと見る。地面はえぐれ、近くの隊舎の瓦は落ちて砕け、壁もはがれている。
これで誰も集まってこないのだから、今本部にはほとんど隊員は残っていないのだろう。損傷を受けた建物の中に誰もいなかったと見受けられるのは幸いだが、だからといってそのままにもしておけまい。
コウはまた、あの最高司令官に大工のまねごとを朗らかに命じられるのだろう。
波音はそんな正しい予想をしながら、医務室へ運ばれていった。
牙をむいた山戸に、コウは鼻先を上向けるようにして見下す一瞥をやると、前足の先をわずかに動かした。
すかさず振り返った山戸の耳のそばを、尖鋭な風が吹き抜ける。次は目を狙って、その次は喉を狙って、小さな手から間髪入れずに投擲されるもの。クナイだ。
山戸はすばやく手刀を作ると、向かってくるそれらを次々にはじき落した。だが、投げていくそばから、波音の手には無限にクナイが湧いてくる。手にしては投げ、手にしては投げ、しかもその全てが的確に急所を狙っていた。明らかに、素人の手つきではない。
「くそが……!」
山戸は右手を突き出すと、先程波音の眼前に現れたものと同じような、鈍色の盾を生み出した。その陰に身を隠してクナイをやり過ごし、体をひねって後方の灰色猫へと左手を向ける。
先にこちらを叩かなければ、さすがに埒が明かない。山戸は術を込めた左手を、手首の動きでさっと振り下ろした。その動作に従い、コウの小さな頭目がけて、巨大な鉈のような刃が落下する。
ギロチンのごとき刃は、即時展開された半球状の結界術に阻まれた。重力に引かれて向かってくる重い鋼を受け止めながらも、コウは涼しい顔を崩さない。
垂直方向の押し合いの末、コウの結界術に軍配が上がった。刃は勢いを失って地面に転がり、消滅する。
同時、山戸の耳に跳躍音が飛び込んだ。振り仰ぐと、波音が山戸を盾ごと飛び越えながら、身をひねってクナイを一つ投擲するところだった。
退路の邪魔になる盾を消してから、一射を難なく弾く。着地してからももう一撃見舞おうとするのを許さず、山戸は大きく踏み出した。
飛び道具は懐に入られると、その本領を発揮できなくなる。山戸は波音が投擲姿勢に移るより早く、手刀のリーチに到達した。刀ならまだしも、片手で握った小さなクナイでは、勢いよく振り抜かれる手刀を受け止め切れまい。
だが、またも彼の見積もりは突き崩された。右手を伸ばしかけた瞬間、クナイの先端が、彼の左肩を貫いていた。
投擲したのではない。波音は、両手で長い柄を握っていた。一瞬のうちに、クナイの持ち手が直線上に伸び、柄と化していた。それはもはやクナイではなく、鎗だ。
波音は、山戸の肩に埋まった穂をぐっと引き抜いた。傷口から透明な水があふれ出す。舌打ちしながら、山戸は穂先を避ける体勢で右手を突き出した。針のむしろにしてくれようと術を発動しかけるも、直後、頭部に横殴りの打撃が炸裂した。
物理的な衝撃と頭部へのダメージでよろめき、踏みとどまろうとするもむなしく、地面に片手片膝をついた。
こめかみと額の間辺りから、汗とは違う水を流しながら、山戸はつぶっていた目を苦しげに開いた。にらみ上げる視線の先で、波音はさっきと同じ場所に悠然と立っていた。膝にも手にも土一つつけていない姿が旗色を示す彼女の手に握られていたのは、既に槍ではなかった。
小さな鎖でつながれた三本の金属棒。三節棍――剣術を実戦に用いるフィライン・エデンですら、文化としての武道でしか扱わない武具だ。にもかかわらず、波音の構えは、その形状の特徴、運動の性格、得意な間合い、その全てを熟知した者のそれだった。
「さっき言ったでしょ。あたしは最強って」
跪いた山戸を見下ろし、波音は言った。いつもふわふわと天真爛漫な声は、甘さはそのままに地に足をつける。
「あたしは、単身では執行部最強の一番隊に居続けられるほど強くはない。力も強くないし、水術もそんなに上手なわけじゃない。だけど、こーちゃんがあたしを選んでくれたから、あたしはこーちゃんのそばにいられるあたしになるって決めたんだ」
水縹色の瞳から、少しだけ普段の無邪気さが差し引かれる。
「あたしが今もこーちゃんのそばにいられる理由を教えたげる。それは、鋼術による生成が得意なこーちゃんが作り出す、こーちゃん自身も扱えないような多種多様な武具……その全てを、あたしが使いこなせるから。こーちゃんといれば強くなれる、そんな希兵隊で唯一の存在になったから」
差し引かれた無邪気さの分だけ、声に強さがこめられる。
「だから、こーちゃんといる時にあたしは最強なの。他の誰かと比べてあたしが最強になるんじゃない。あたしは他の誰でもなく、こーちゃんといるときに最強になれるんだよ」
三節棍を構える。次の瞬間には違う何かになっているかもしれないそれを、全力で。
「このスタイルはこーちゃんの協力が大前提。だから、最強のあたしは、かみっちゃんや霊ちゃん達と腕試しをしたことはあっても、こーちゃんと手合わせをしたことは一度もないの」
波音の声が冷える。
天衣無縫な少女の声が、その特性上奏でられないと思われていた、挑発の音色を響かせた。
「――どっちが強いかな、こーちゃん?」
「……すぐにわからせてやるよ!」
山戸は牙をむき出すと、バネじかけのように勢いよく立ち上がりながら、波音へ飛びかかった。
波音も果敢に向かっていくと、山戸の鉄拳が顔面を穿つ直前にスライディングですれ違った。
自らの意思とはいえ、姿勢を崩せば劣勢に回る。波音が体勢を立て直す前に追撃を、と踵を返しかけた山戸だが、次の瞬間には彼も姿勢を崩していた。しかも、自ら意図したものではない。
彼の足首に、鎖が巻き付いていた。長い長い鎖は、その端が短い鉄の棒の先端につながっており、幼い手に握られたそれの反対側は、湾曲した刃物になっていた。
鎖鎌と呼ばれる、農工具由来の武器だ。鎌で斬ってよし、鎖で絡めてよし、鎖の先についた分銅を投擲してよしのトリッキーな性格をもつ。
まずは鎖で相手の動きを止めた波音は、Uターンで山戸に向かうと、手にした鎌を振り上げた。
山戸は体勢を立て直しながら左腕をかざした。そこにはすでに、身を守るための鋼が宿っている。肩をやられている身でも、長物なら別だが、稲刈りにでも使うような小ぶりの鎌程度なら片手で受け止められる。
ギィンッ、と刃鳴りを奏でて切り結んだのは、鋼の防御力を宿した左腕と、日本刀だった。
「ぐ……っ」
負傷した左肩に想定外の重さがかかり、山戸の体勢が崩れた。柄を握る波音の手の内はしっかりとしたものだ。合図もなく、直前に、突然変貌した得物にも関わらず。
「っ……この……!」
山戸の空いている右手が手刀の形をとり、波音の喉を突き破ろうとした。が、すぐに硬いものに阻まれる。
波音は反射的に左手を首元にやっただけだ。だが、その手には一瞬前にはなかった黒い手甲がはめられていた。
火花を散らして凶刃を防いだ手甲も、衝撃までは殺してくれない。仰け反るように後方に飛ばされた波音だが、その勢いで地面を転がりながら距離を取ると、静止すると同時に手甲のついた左手を振り抜いた。手甲……だったクナイが、真っ直ぐに山戸に飛んでいく。
山戸は難なくそれを弾き飛ばすが、次の瞬間には二撃目が眼前に迫り、さらなる追撃がその後ろを追ってくる。いかに無駄のない動きをもってしても、片手では凌ぎきれない数、速さのクナイの嵐だ。
手で払い、身をかわし、手で弾き、身をかがめ、ギリギリでやり過ごしていく。飛んでくる順番を見極め、その通りに対処する。わずかな時間差で飛来するクナイを回避するためには、その順番を見誤ってはならない。
山戸の目が、息つく暇もない猛攻撃に慣れ始めた。勢いを落とさず飛んでくる切っ先をいなしながら、前に踏み出す。
直後、その視界に違和感が飛び込んできて、反応が遅れた。
「っ!」
山戸の頬に筋が入る。防御の連鎖が一度切れてしまえば、立て直す間もなく連撃がその身に傷を刻んでいく。右肩と脇腹にクナイが刺さり、右腕とこめかみを鋭いものが切り裂いた。
何のことはなかった。ただクナイの中に、手裏剣が混ざっていただけだった。
対処法はクナイと変わらない。弾くか、避けるかするだけだ。そのはずなのに、突然現れた別物に対する反射的な注視が、防御の律動性を狂わせ、瓦解させたのだ。
山戸は水栓を抜くようにクナイを引き抜きながら、波音を見据えた。
途中から手にわいてくるものに手裏剣が混ざり始めたのを、一瞥もせず手の感覚のみでクナイと判別し、一瞬のラグもなく投げ分けていた波音。驚異的な順応力だが、その肉体はあくまでも小さな少女のそれだ。立て続けの重労働を課され、さすがに疲労がたまったらしく、投擲をやめ、肩で息をしている。
無傷とはいえ、体力の限界に近付いている波音。今の状態の彼女相手ならば、四肢に傷を負った山戸でも肉弾戦で利がある。二本ともクナイを抜き取った山戸は、俊敏性を欠きつつも駆け足で、波音に迫った。
組み合いになれば不利に回ることは、波音自身にも見えていた。ゆえに、彼女は刀印を構える。その指先に水を集め、鋭い刃と化していく。足を負傷した山戸ならば、回避も精彩を欠くだろうと見越したうえでの戦法だ。
狙いを胴の真ん中に定める。命中すればよし、その側面を切り削るだけでも重畳だ。
彼我の間は約二メートル。もう避けられない、されどまだ手は届かない。
そんな距離で、大木すらなぎ倒す水の刃が放たれようとして――その、まさに寸前に。
手刀を構えることなく、鋼術を発動させることもなく向かってきた彼は、苦笑いのような顔で、呆れながらも優しい声で、
「――やめろ、波音」
水が刃こぼれした。刀印がわずかに地を向いた。
向けるべき敵意が揺らぎ、鋭さも固さも失った。
彼我の間は一メートル未満。もう避ける刃はない、そしてもう拳は届く、そんな距離で。
耳から毒を注ぎ込まれたかのように硬直して目を見開く波音の顔面に、山戸の拳が音を立てて迫った。
ガキンッ……と、やはり金属の盾が邪魔をした。
だが、山戸の拳には確かに手ごたえが伝わってきた。
「あう……っ」
「波音ッ!」
山戸の遥か後ろで、コウが叫ぶ。
へこんだ盾が離散すると同時、波音の体が大きく後ろに傾き、そのまま地面に倒れ込んだ。とっさの盾が吸収しきれなかった衝撃は、波音の額を直撃して、脳を揺さぶった。
めまいで起き上がれず、額を押さえて体を丸める波音に、山戸が刀印を向ける。途端に、どこからともなく湧き出した黒い煙が、波音を飲み込んだ。
その意図がありありとわかって、コウは戦慄した。
「波音! 粉塵爆発だ!」
叫ぶ相棒の声を、ぐらぐらする頭で聞きながら、波音は地面に手をついた。火が付く前に、この煙から脱さなければ、鋼術最強の技に殺されることになる。
だが、立ち上がることは叶わなかった。
粉塵の煙は波音を腹中に閉じ込めたまま、充分に満ちた。そこへ向けて、山戸の手は無造作に合図した。
起爆操作だ。
腹に響くような爆音とともに、充満した黒煙が炸裂した。突風が吹き荒れ、身を伏せた山戸の装束がばたばたとはためく。主体のコウは飛ばされないよう地面に伏せるので精一杯だ。
赤々とした炎が、爆風で舞い上がった粉塵を食らいつくすように燃え上がる。もうもうと立ち込める煙は、風で緩やかに流されていくまでの間、山戸とコウの視界までもを奪った。近くの隊舎の瓦屋根が破壊されたらしく、ガシャンガシャンと落下して砕ける音が続くのが聞こえた。
建物の損傷は我関せずと聞き流していた山戸は、顔を覆っていた袂をゆっくりと下ろした。薄く粉塵は残るものの、視界に支障はなく、仰向けに倒れた波音の姿を視認した。くったりと目を閉じてはいるが、その体にやけどの一つもないのを見て、山戸は舌打ちする。
「また手出ししやがったな、もう一人のオレ。とっさにシェルターか何かに閉じ込めたか」
同時に立ち上がった山戸とコウの視線がぶつかりあい、敵意の火花を散らす。
「だが、ダメージは免れなかったようだな。とどめといこう。残念だったな、大和鋼。お前が手を貸したとて、あんな無力なチビには、やっぱり荷が重かったんだよ」
嘲笑を浴びせかけて、山戸は波音に一歩近づいた。
コウが叫ぶ。
「波音ッ!」
「殺されたくなけりゃ、邪魔だてしてみろよ。そうなりゃ、お前自らこいつの無力を証明したことに……」
ザシュ、と何かが何かを貫く音がした。
山戸の足が止まった。目を大きく見開く。その両目の間に、白刃が生えていた。切っ先が抜けるのは後頭部。すなわち、前方からの不意打ち。
仰向けのまま頭をのけぞらせていた前方の少女は、一瞬のうちにその目をしっかりと開いて山戸を見据えていた。右腕が、真っすぐに山戸に向けられている。
刀身は、彼女の袖の中から伸びていた。右腕に金属の輪で固定された刃が、三メートルほど伸びて、山戸の眉間を貫いていた。
肌に触れる鋼の感触に任せれば、つうとかあさえいらない。叫び声は、ただの合図だ。
「く……そ……ッ」
「ごめん、さっきの訂正」
仰向けのまま、波音は小さく笑う。
「やっぱり、あたしが最強、かもね?」
バシャン。
大量の水が地面にたたきつけられ、その一部が刃の切っ先からしたたり落ちた。
最も警戒すべき鏡像が、水に返った。
三メートルの刃が源子に返り、空気中に融けていく。ころんと寝返りを打った波音のもとに、主体のコウが歩み寄った。
「大丈夫か」
「んー……まだおでこ痛い……」
「頭だからな、診てもらっておけ。今日はもう休んでいい。よくやった」
「えへへ……ありがと。久しぶりのナイス連携、だったね」
「ああ」
「やっぱりあたしたち、最高のバディだね!」
「それはどうだか」
双体になり、波音の手を引いて立ち上がらせたコウは、急にその声色を厳しくした。
「お前、あの時名前呼ばれて、攻撃やめただろ」
疲れを見せながらも笑顔を浮かべていた波音の表情が、固まった。裏返った声で、気まずそうに返す。
「え、あー……うん。一瞬、こーちゃんだって思っちゃった」
「思っちゃった、じゃねーよ! 惑わされんな! 思うつぼになってたじゃねーか!」
「だって声、全く同じなんだもん……」
「そうかよ、お前は最高のバディとその偽者の区別がつかねーんだな」
「……すねてる?」
「すねてねえ」
顔を背けるコウ。面白半分にのぞきこもうとした波音だが、片腕で俵担ぎにされてしまい、後方の景色しか見えなくなってしまった。
丁寧に横抱きにしてくれなかったことに不服そうにしながら、波音は干された布団のように体を折ったまま、ぺたぺたと額をなでた。
ついでに、遠ざかっていく戦場跡地をちらりと見る。地面はえぐれ、近くの隊舎の瓦は落ちて砕け、壁もはがれている。
これで誰も集まってこないのだから、今本部にはほとんど隊員は残っていないのだろう。損傷を受けた建物の中に誰もいなかったと見受けられるのは幸いだが、だからといってそのままにもしておけまい。
コウはまた、あの最高司令官に大工のまねごとを朗らかに命じられるのだろう。
波音はそんな正しい予想をしながら、医務室へ運ばれていった。
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