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13.水鏡編
64見ず鏡、増す鏡、多鏡 ⑨
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***
校内での騒動はいざ知らず、雷奈は元気に町中を走り回っていた。
図書館、保育園、個人経営の店々……そこここに愛想よく顔を出し、少しばかり世間話をして、ポスターを渡して、見送られる。たまにこのような外回りの仕事をするので、近隣の施設や店舗では雷奈はそこそこ有名であり、それなりに人気者である。
訪問を繰り返している間に、だいぶ日も傾いてきた。もう一時間以内には日没だろう。
最後の目的地である公民館の前に立つと、雷奈は今日の夕飯を想像しながら中に入った。
光丘地区公民館は、数年前――時間がループし始める数年前だ――に改築された、レンガづくりの装いをした新しい建物だ。入ると正面に受付があり、右手奥には螺旋階段、左手には廊下が続いていて、他の棟につながっている。
受付横には黒板風の緑色をした掲示板があり、ちょうど手元のポスターを貼れるだけのスペースがあった。
「こんにちはー!」
「ああ、光丘神社の。こんにちは」
丸メガネをかけた老年の男性が、受付で窓ガラス越しに答える。禿頭の、目つき穏やかな職員だ。
これまでと同じように世間話をし、掲示と置き配布をお願いしてポスターの束を渡す。これで、帰り道の雷奈は手ぶらになった。
そろそろお暇、と思った時だった。
「そうだ、ちょっと頼まれてほしいんだけど」
男性は雷奈を呼び止めて、鍵を一つ渡した。
「体育室の倉庫にね、毎年自治会が使ってる子供神輿があるんだけど、あれがちゃんと使える状態か見てきてくれないかな」
「よかですけど……使える状態じゃないことがあるとですか?」
「うん、去年使おうとしたら、一部壊れていてね。あの倉庫には体育器具も一緒に入れているから、それを出し入れした人が、ぶつかったか何かして壊しちゃったと思うんだよね」
まったくもう、とこぼす男性職員は、怒っているというより困っているというふうだ。
確かに、当日に発覚することを思えば、今確認しておく意義はあるだろう。
雷奈は快諾して、鍵を受け取った。
そう頻繁に来るわけではないが、公民館内の地理は把握している。受付に向かって左手にある廊下を進み、外に出て屋根付きの通路を進んでいった先に、体育室がある。少しだけ小さめの体育館といった内観で、不定期的に体操教室などのイベントに使われている。
体育室自体は施錠されておらず、雷奈は引き戸を開き、靴を脱いだニーハイの足で中に踏み入った。何となく、入る直前に小さく礼をしてしまうのは、剣道道場に通っていた頃の名残りだ。
本館とは別にある体育室は、改築の対象外だったため、照明は昔ながらの水銀灯だ。それゆえ、スイッチを入れてもしばらくは暗い。まだ沈み始めるには早い太陽の光が照らしてくれているので、雷奈は電灯はつけずに、足取り軽くリノリウムの床を駆けていった。
倉庫は一番奥の右端の壁の扉から入れる。借りた鍵で開錠し、中に入って明かりをつけると、雷奈は跳び箱や竹馬などが押し込まれている中を突き進んだ。年に一度しか使わない子供神輿は、一番奥深くに保管されていた。
大きな布のかかった、木製の神輿だ。無論、本物の神具ではなく、あくまでも祭りを盛り上げるためのハリボテだが、装飾の赤と金が映えて、簡素なのに非常に豪奢に見える。
雷奈はホコリに気をつけながら、あちこちを検分した。きっちり見ようと思えば、手を触れる必要がある。その時に下手に傷をつけてしまってはいけないので、見える範囲で観察していった。
立ち位置を替え、いろいろな角度から見て回って、結論を下した。
「異常はなさそう……やね」
ミッション完了、と雷奈はそっと神輿のそばを離れ、来た時と同じように体育器具の間を潜り抜けて、倉庫を出た。外はその間にもじわじわと暗くなり始めていたが、逆に高い天井に設置された電灯は、煌々と明かりを放ってくれていた。
小走りに体育室の出入り口へ向かう。夜まで空いている施設なので、閉館時刻を気にする必要はないが、だからといって待たせるのもよくない。
とっとっと駆け足になって、ちょうど広い空間の真ん中まで来たところだった。
視界の端を疑って、雷奈はハッと振り返った。
バスケットゴールのすぐ上の高さで伸びる、両側面から体育室を見下ろせるギャラリー。
その白い柵の上に、足を空中に投げ出すようにして、人が座っていた。
切りそろえられた長い黒髪に、白い肌。シャツブラウスにリボンタイ、チェックのスカートという制服のような服装。その顔は、三日月雷奈のもの。
「……鏡像……!」
驚愕に硬直する雷奈と裏腹に、軽やかな身のこなしで柵から飛び降りた鏡像は、スカートが翻りきる直前に、危うげなく床に着地した。
しゃがみこんで衝撃を逃がした彼女は、ゆっくりと立ち上がり、不敵な笑みを見せた。
「初めまして。月出づる朏、菜の花の雷菜。あなたを、この世から消しに来た」
彼女は、雷奈と同じ声で、そう宣戦布告した。この体育館へ雷を落とすことも星を降らせることも厭いそうにない、爛々とした深紅の目をしていた。
校内での騒動はいざ知らず、雷奈は元気に町中を走り回っていた。
図書館、保育園、個人経営の店々……そこここに愛想よく顔を出し、少しばかり世間話をして、ポスターを渡して、見送られる。たまにこのような外回りの仕事をするので、近隣の施設や店舗では雷奈はそこそこ有名であり、それなりに人気者である。
訪問を繰り返している間に、だいぶ日も傾いてきた。もう一時間以内には日没だろう。
最後の目的地である公民館の前に立つと、雷奈は今日の夕飯を想像しながら中に入った。
光丘地区公民館は、数年前――時間がループし始める数年前だ――に改築された、レンガづくりの装いをした新しい建物だ。入ると正面に受付があり、右手奥には螺旋階段、左手には廊下が続いていて、他の棟につながっている。
受付横には黒板風の緑色をした掲示板があり、ちょうど手元のポスターを貼れるだけのスペースがあった。
「こんにちはー!」
「ああ、光丘神社の。こんにちは」
丸メガネをかけた老年の男性が、受付で窓ガラス越しに答える。禿頭の、目つき穏やかな職員だ。
これまでと同じように世間話をし、掲示と置き配布をお願いしてポスターの束を渡す。これで、帰り道の雷奈は手ぶらになった。
そろそろお暇、と思った時だった。
「そうだ、ちょっと頼まれてほしいんだけど」
男性は雷奈を呼び止めて、鍵を一つ渡した。
「体育室の倉庫にね、毎年自治会が使ってる子供神輿があるんだけど、あれがちゃんと使える状態か見てきてくれないかな」
「よかですけど……使える状態じゃないことがあるとですか?」
「うん、去年使おうとしたら、一部壊れていてね。あの倉庫には体育器具も一緒に入れているから、それを出し入れした人が、ぶつかったか何かして壊しちゃったと思うんだよね」
まったくもう、とこぼす男性職員は、怒っているというより困っているというふうだ。
確かに、当日に発覚することを思えば、今確認しておく意義はあるだろう。
雷奈は快諾して、鍵を受け取った。
そう頻繁に来るわけではないが、公民館内の地理は把握している。受付に向かって左手にある廊下を進み、外に出て屋根付きの通路を進んでいった先に、体育室がある。少しだけ小さめの体育館といった内観で、不定期的に体操教室などのイベントに使われている。
体育室自体は施錠されておらず、雷奈は引き戸を開き、靴を脱いだニーハイの足で中に踏み入った。何となく、入る直前に小さく礼をしてしまうのは、剣道道場に通っていた頃の名残りだ。
本館とは別にある体育室は、改築の対象外だったため、照明は昔ながらの水銀灯だ。それゆえ、スイッチを入れてもしばらくは暗い。まだ沈み始めるには早い太陽の光が照らしてくれているので、雷奈は電灯はつけずに、足取り軽くリノリウムの床を駆けていった。
倉庫は一番奥の右端の壁の扉から入れる。借りた鍵で開錠し、中に入って明かりをつけると、雷奈は跳び箱や竹馬などが押し込まれている中を突き進んだ。年に一度しか使わない子供神輿は、一番奥深くに保管されていた。
大きな布のかかった、木製の神輿だ。無論、本物の神具ではなく、あくまでも祭りを盛り上げるためのハリボテだが、装飾の赤と金が映えて、簡素なのに非常に豪奢に見える。
雷奈はホコリに気をつけながら、あちこちを検分した。きっちり見ようと思えば、手を触れる必要がある。その時に下手に傷をつけてしまってはいけないので、見える範囲で観察していった。
立ち位置を替え、いろいろな角度から見て回って、結論を下した。
「異常はなさそう……やね」
ミッション完了、と雷奈はそっと神輿のそばを離れ、来た時と同じように体育器具の間を潜り抜けて、倉庫を出た。外はその間にもじわじわと暗くなり始めていたが、逆に高い天井に設置された電灯は、煌々と明かりを放ってくれていた。
小走りに体育室の出入り口へ向かう。夜まで空いている施設なので、閉館時刻を気にする必要はないが、だからといって待たせるのもよくない。
とっとっと駆け足になって、ちょうど広い空間の真ん中まで来たところだった。
視界の端を疑って、雷奈はハッと振り返った。
バスケットゴールのすぐ上の高さで伸びる、両側面から体育室を見下ろせるギャラリー。
その白い柵の上に、足を空中に投げ出すようにして、人が座っていた。
切りそろえられた長い黒髪に、白い肌。シャツブラウスにリボンタイ、チェックのスカートという制服のような服装。その顔は、三日月雷奈のもの。
「……鏡像……!」
驚愕に硬直する雷奈と裏腹に、軽やかな身のこなしで柵から飛び降りた鏡像は、スカートが翻りきる直前に、危うげなく床に着地した。
しゃがみこんで衝撃を逃がした彼女は、ゆっくりと立ち上がり、不敵な笑みを見せた。
「初めまして。月出づる朏、菜の花の雷菜。あなたを、この世から消しに来た」
彼女は、雷奈と同じ声で、そう宣戦布告した。この体育館へ雷を落とすことも星を降らせることも厭いそうにない、爛々とした深紅の目をしていた。
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