最低ルーミー

皐月なおみ

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エピローグ

2人で

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 大講義堂から人の流れに押し出されるように建物の外へ出ると、外は抜けるような青空が広がっている。九月も半ばを過ぎて少し涼しくなった風を頬に心地よく感じながら、蒼は階段を下りる。

「蒼」

 名前を呼ばれて立ち止まり見回すと、第五棟へ続く遊歩道を結城がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。蒼は人混みからはずれて彼を待った。

「今日はこの講義で終わり?」
「うん。結城は?」
「俺も今日はこれで終わり。でもまだ帰れないだ。ちょっと午後イチで就職課で用事があって」

 話をしながら、ふたり連れ立って歩きだす。とりあえず構内のカフェを目指す。ここ相澤学院大学は緑豊かで広大な敷地の中に、各学部の建物が点在している。カフェまでは公園の遊歩道のように整備された道が続いている。

「蒼、インターン先決まった?」
「うん。人気だったから受かるかどうかハラハラしたけどなんとかね」
「さすがだなー俺はまだ。インターンどころか単位もやばい」

 相澤学園高等部を卒業した蒼はそのまま付属大学へ進学し、三年生になった。学部は違うが同じ大学へ進学した結城とは、同じサークルに所属していて相変わらず友達だ。

「蒼のインターン先ってカメラメーカーだろ? そのままそこねらう感じ?」
「うん、できれば」
「写真の道へはいかないのか?」
「それで食べていける人なんて一握りだよ」

 写真はずっと続けているが相変わらずひとりでもくもくと撮るスタイルである。ときどきネットにもアップするようになったけれどそれだけだ。

「まあな、趣味のままの方がいいってこともあるよな」
「結城は商社希望だっけ?」
「そう、てか何でもいいんだけど営業がやりたくて」
「向いてそう」

 明るくて社交的な彼は、誰とでも距離を縮めることができる。蒼からしてみれば、才能に思える。

「でも今のところ成績もレポートも悪すぎて、エントリーしたとこ全落ち」

 がっくりと肩を落として彼は言った。

「そうなんだ……どんまい」
「ん、だけど落ちた企業の中でひとつだけ、やっぱり特別に受け入れてもいいってとこから連絡があってさ、今日はそこの担当者と就職課で面接することになってるんだよ」
「え、よかったじゃん、なんて会社?」
「株式会社KIIってとこ。結構大手だよ、筧グループ……」

 と、そこで彼は口を閉じた。やや蒼を気遣うような表情になるのは、筧グループという言葉に仁のことを思い出しているのだろう。彼は、高校時代の仁と蒼の噂が、本物だろうと言うことに気がついているはずだ。
 仁が退学した後、ひとりになった蒼は覚悟していたとはいえつらい日々が続いた。周囲には悟られないように振る舞っていたが、一番近くで見ていた彼には気付かれていたのだろう。
 あの頃は、彼の明るさにずいぶんと救われた。根掘り葉掘り聞いたりせずにそばにいてくれたことに感謝しながら、彼を安心させるため蒼はあることを報告する。

「そういえば、最近仁先輩から連絡がきたんだ」
「え? マジで?」
「うん、それからはちょくちょくメッセージのやり取りをしてる」

 和臣を通じて祖父に呼び出された仁は、次の週の頭に実家に帰り、その後寮の部屋に戻ってくることはなかった。
 そのまま彼はアメリカの大学に編入したという。もともと、ジュニアハイスクール時代の成績ではそれができる資格があったようだ。
 日本の高校に通っていたのはただの社会勉強のためだったのだ。そして最速で学位を取得して筧グループ関連企業の経営に携わっているという。
 けれどそれは数カ月前に連絡が取れるようになってから知ったこと。当時は彼のスマホがすぐに解約されたから、会えないだけでなくどこでなにをしているかもわからない日々が続いた。
 それが、仁が祖父と交わした条件だったという。
 蒼とのことはちょっとしたふざけ合いだった。
 もう会わないから、相手には手を出さないでほしい。これからはもっと本気で筧グループの後継者になるべく努力する。
 祖父はそれを了承し、仁を渡米させることで蒼との縁を切らせたのだという。
 それから最速で学位を取得した仁は筧グループでその手腕を発揮した。
 歴史ある企業ということでやや業績に不安があった子会社や部門を次々に立て直したのだという。
 そうしてもう祖父にさえも自分のやることに文句を言わせなくしてから、蒼がやっている写真用のSNSを通じて連絡してきたというわけだ。

「よかったじゃん! もう会えたの?」
「ううん。それはまだ」

 今はまだメッセージのやり取りのみで実際に会えてはいない。彼がニューヨークにいるからだ。

「そうか、でもよかったな」

 心から喜んでくれている彼に蒼の心はあたたかくなる。

「ありがと、結城」
「いやいや、でもこれでようやく俺も肩の荷が下りたよ」

 そう言って彼は胸をなで下ろしている。不可解なその言葉に、蒼は首を傾げた。

「肩の荷が下りた?」
「ああ、詳しいことは聞けなかったけど仁先輩の退学って、いきなりすぎてどう考えても不自然だっただろ? ふたりのことが仁先輩の家にバレてふたりが引き離されたんだって噂されてた」

 そういう噂は確かにあった。だからかどうなのか、仁がいなくなった後も蒼は皆に同情されてずいぶん優しくされていた。クラスの女子からは涙ぐみながら『私たちはふたりを応援し続ける』と言われたくらいなのだ。

「……それがなんの関係があるの?」

 自分たちの恋を口にされたことを恥ずかしく思いながら蒼は彼に問いかけた。

「いや、だから仁先輩がいない間に、蒼になにかあったらなんか仁先輩に申し訳ないじゃん。仁先輩ロスで、女子の中で蒼人気が上がってたし。密かにお前を守り続けてたんだよ。大学入ってからもお前の交友関係には目を配って……」
「変なこと言うなよ」

 蒼はぷっと噴き出して、懐かしい気持ちになった。仁の件を巡って彼とこんなやり取りをするのは久しぶりだ。

「いや、ネタじゃないって。俺は本当に……」
「俺、守ってもらう必要なんてないし。大学で俺のこと知ってるやつなんかほとんどいないでしょ」

 仁と離れてから蒼は外に出る時もマスクをしなくなった。それは仁がいなくてもひとりでやるという決意表明のようなものだった。
 仁がいなくてもしっかりと自分の足で歩いて彼を待っていたかったのだ。けれど生まれつきの性格は変わらないから、相変わらず友人はそう多くない。大学生としては地味な生活だ。話すのは高校から一緒の結城とサークルのメンバーくらいだ。

「いやいやいや! そんなわけないじゃん」

 結城が声を張り上げた。

「お前目立ってるよ。無駄に可愛いから話しかけづらいんだって。飲み会にもほとんど行かないから、今やレアキャラ扱いよ? 俺経由で来る女子からの飲みの誘いを角が立たないように断ってやってる身にもなれよ」
「なんだよそのレアキャラって」

 蒼は、はははと笑った。

「そんなの俺を口実に結城と飲みたいだけでしょ」

 高校時代をサッカーに捧げた彼は、進学を期に止めたが、いくつかのスポーツサークルに参加している。交友関係も広いからしょっちゅう女の子に話しかけられている。
 結城が呆れたようにため息をついた。

「仁先輩が、心配するのも納得だわ……」
「え?」
「いや。まあ、とにかくよかったじゃん。あ、でも会えないのは寂しいか」
「うん、だけどこれからは国内の事業を中心にやることになったみたいで、昨日帰国して、今日会えることになったんだ」
「え? そうなの⁉︎ やったじゃん。じゃあこれから会いに行くのか?」
「いや、会いに行くんじゃなくて、先輩ここに用事があるらしくて構内で会うことになってるんだ」

 結城が首を傾げた。

「え? 大学に? どういうこと?」
「それがよくわからないんだよ。仕事だって言ってたけど」

 年齢こそひとつしか変わらないが今や複数の企業をとりまとめる立場にいる彼がなぜ蒼の大学に用事があるのか、蒼としても疑問だった。
 けれど仕事と言われてしまえばあまり深くは聞けない。取締役という立場をいくつも兼任している彼の仕事は機密事項ばかりだろうから。

「あーということは、蒼は今日はこれからデートか~。面接の俺とは天国と地獄じゃねーか」

 結城がそう言ってがくっと肩を落とした。

「面接してもらえるなら、有利じゃん。結城なら大丈夫だって」

 蒼はお世辞でもなくそう言った。成績には難ありかもしれないが、直接話をして彼に好印象を抱かない人はそうそういない。営業希望なら尚更だ。

「お前に会って落とそうなんて思わないよ」

 結城がニカッと笑った。

「蒼、お前本当にいいやつだよな。俺、お前と友達になれてよかったよ」
「いや、おおげさ! これくらいで」
「いや、まじでまじで」

 そこで、彼は何かに気がついたように足を止めて、つられて立ち止まる蒼の顔をじっと見た。

「蒼、まつげになんかついてる」
「え?」
「じっとしてろ、とってやるよ」

 そう言って蒼の顔に手を伸ばした。蒼は言われるままに目を閉じて彼がゴミを取ってくれるのを待つ。彼の手が離れたのを感じて目を開いた。

「ありがとう」
「ああ。……それにしても改めて見ると、蒼の目って綺麗だよな。なんか宝石みたい」

 もうゴミは取れたと言いながら近くで蒼をじっと見つめたままの結城に、蒼は恥ずかしくなって頬を染めた。

「なに、いきなり。変なこと言わないでよ」
「いや変なことじゃなくて本当の……」

 とそこで彼はなにかに気がついたように口を閉じた。そしてまずいといった様子で蒼の後ろを見ている。

「結城? どうかした?」

 蒼が首を傾げた時。

「結城、俺がいない間に、蒼に手を出そうなんていい度胸じゃんか」

 聞き覚えのある低い声が背後から聞こえてきて、蒼は口を閉じる。ハッとして振り返り、真後ろに立ち結城を睨んでいる人物に気がついて言葉を失った。
 百八十センチの長身に、少し茶色い髪と瞳、整った顔つきに、圧倒的な存在感。
 仁だ。
 五年ぶりに見る彼は、蒼の記憶よりも髪が少し伸びていて、高級そうなスーツを着こなしている。あの頃よりも格段に大人びて見えるけれどけれどまちがいなく仁だった。
 通りがかった学生たちが、チラチラと彼を見ている。

「ねえ、あれ誰だろ」
「カッコいい! ここの学生かな?」

 ひそひそとそんな声が聞こえた。

「結城、お前まさか……」
「ままままさか! そんなことあるわけないじゃないですか」

 結城が答えて、蒼から一歩後ずさった。

「そう? ならいいけど。久しぶり、結城くん」
「お、お久しぶりです……」

 挨拶しながら彼はずりずりと離れていく。撤収するつもりだろう。

「じゃ、じゃあ俺はこれで」

 それを仁が引き止めた。

「いや、待てよ。久しぶりなのにそれはさすがに冷たくない?」
「で、でも俺、これから就職課へ行かないと」
「知ってるよ、インターンの面接だろ? ちょうどいいからここやろうぜ」

 その指摘に結城が固まった。

「結城悠真、経営学部経営学科三年、大学公認サークルサッカー部所属、希望職種、営業職」

 仁が、すらすらと結城のプロフィールを唱えはじめる。唖然とする結城を見てニヤリと笑った。

「株式会社KIIへインターン希望」
「ままままさか……」

 仁が腕を組んで頷いた。

「その面接の相手って俺。KIIのCEO」
「CEO⁉︎」
「これからは国内の事業を中心にやっていくことになって。その第一歩がこの会社」

 仁が結城を見て眉を上げた。

「この間、インターンの選考についての報告が上がってきてさ、落選した学生の中によく知るやつがいたから、面接しにきてやったんだよ」
「え……そんな、まさか」

 結城が信じられないという様子で呟いた。それはそうだろう。まさか自分がインターンを希望してる先のCEOがかつての先輩だなんて考えもしない。

「嘘だと思うなら、お前の単位取得情報もここで言って証明しようか」
「い、いいです、いいです。信用します」

 慌てて結城が彼を止めた。
 仁がニッと笑った。

「お前と働くの楽しみにしてるよ」
「……てことは?」
「合格、ま、もともと受け入れる予定ではあったけど。面接にきたのは蒼の大学に来てみたかっただけだから」

 つまり彼が言っていた仕事とはこれだったのだ。

「おめでとう、結城くん。就職課には俺から言っておくよ」

 仁がわざとらしいくらいににっこりと笑う。

「ありがとうございます。よろしくお願いしま。それではお邪魔になると思うので僕はこれで……」

 無事にインターン先が決まったにもかかわらずどこかテンション下がった様子で、結城はカフェの方向に歩いていった。
 その背中にひらひらと手を振って、仁が蒼に向き直った。

「ただいま」

 その彼に蒼はすぐには答えられなかった。
 なんだか胸がいっぱいで、夢を見ているような気分だ。彼が急遽帰国することを知らされたのが数日前、けれど本当に会えるまでは信じられないと思っていた。期待しすぎてもしダメになったら、立ち直れないかもしれないという恐怖すら感じたほどだ。そのくらい彼に会いたいという気持ちが強かった。
 この五年間、彼に会いたくて会いたくてたまらなかった。夢に出てきて抱きしめられる寸前で目が覚めて、そのまま泣いたこともある。その彼が今目の前にいる。

「なんだよ、蒼。久しぶりに会う彼氏に挨拶もなしかよ」

 しかも穏やかな笑みを浮かべている仁は、蒼が思い返していた彼の何倍もカッコいいのだ。
 たまらずに、蒼は彼の胸に抱きついた。

「せん……ぱ……」

 大好きな彼の香りを吸い込んで腕に力を込めて彼の存在を確認する。夢の中のように消えてしまうことも、目が覚めることもなかった。彼が身につけている高級そうなシャツを汚してしまうかも知れないと思いつつ涙を止めることはできなかった。

「おかえり……なさい。せんぱ……」
「遅くなってごめん」

 蒼の髪に低い声が囁いた。
 蒼はぶんぶんと首を横に振る。帰ってきてくれた、それだけで十分だ。
 寂しかった気持ちも、つらかった夜も、今すべて吹き飛んだ。また彼に会えた、それだけで。
 それは仁も同じ気持ちのようだった。

「蒼、やっと会えた」

 髪に感じる吐息が少し震えていた。

「ね、あれ蒼くんじゃない?」
「あ、ほんとだ……」

 通り過ぎる女子生徒たちの囁き合う声が聞こえる。そこで蒼はここが外だと思い出し、慌てて顔を離した。こんなところで抱き合ってたら、注目を集めるのは当然だ。

「す、すみません……」

 言いながら身体を離そうとするけれど、仁の腕にがっちりと囲まれていて無理だった。

「なんだよ」

 じたばたする蒼に仁が不満そうにした。

「ちょ、ちょっと人目が……」
「べつにこのくらい普通だろ」
「普通じゃないですよ。先輩、ここ日本ですよ」

 そんなやり取りをしていると。

「やっぱり蒼くんだ」

 女の子たちがまたヒソヒソと話しだす。足を止めて完全に蒼たちに注目している。
 仁が彼女たちをチラリと見て蒼に問いかける。

「蒼あの子たち、友達?」
「……いえ」
「お前有名なの?」
「違いますけど」

 蒼は聞かれたことに正直に答える。が仁は納得しなかった。

「名前知ってるみたいだぜ」
「飲み会の参加率が悪いから、レアキャラ扱いされてるって結城が言ってました」 

 仁が渋い表情になった。

「蒼、お前ここでもファンを増やしてたのか。結城をボディーガードに仕上げておいて正解だな」
「な、なんですかそれ。変な誤解しないでください」

 再会して五分でさっそくいらぬ心配をする仁に呆れながら蒼は事実を説明する。

「人気があるのは結城ですよ。あいつ顔が広いから。一緒にいると自然に覚えられるんだと思います」

 ネットニュースで検索するとこの五年間の彼の功績は素晴らしいものだった。有能な後継者がいる筧グループはこれからも業績を伸ばし続けるだろうと言われている。それなのに、こんな小さなことにこだわるのがおかしかった。とても世間で知られている筧仁と同一人物とは思えない。
 仁がため息をついた。

「蒼、お前、相変わらずだな……」

 その時。

「てかさ、あれってもしかして……。ほら結城が蒼くんには本命がいるから飲み会に来ないみたいなこと言ってたじゃん」
「え? じゃあ……そういうこと?」

 その言葉の内容に、仁がパッと彼女たちを振り返る。ビクッとする彼女たちに向かってにっこりと微笑んでひらひらと手を振った。 
 女の子たちからきゃーという声があがった。

「絶対そうだよ」
「てか。めっっっっちゃ! お似合いだね」
「いいもの見た~!」

 口々に言い合って、きゃいきゃいと話しながら去っていく。
 その反応に満足したのか、仁がようやく蒼を腕から解放した。

「先輩……」

 蒼はジロリと彼を睨むが仁の方はどこ吹く風である。

「行こう、蒼」

 そう言って蒼の手を繋いで歩き出した。

「わっ、せ、先輩」

 いきなりの彼の行動に驚きつつ、蒼も彼について歩きだす。
 久しぶりの彼の手の温もりに、心にあたたかいものが広がった。すれ違う人が振り返り自分たちを見ているが、そんなことは気にならなくなっていく。
 本当に帰ってきてくれた。
 それだけで、ほかにはなにもいらない、そんな気分だ。
 心底嬉しそうに笑みを浮かべて颯爽と歩く仁の綺麗な横顔に向かって問いかける。

「行くって、どこにですか?」

 仁が振り返り、ニッと笑った。

「決まってるだろ。ふたりきりになれるとこ」

 目の前に広がるのは、雲ひとつない真っ青な空。
 手を繋ぎ歩くふたりの頭上を、大きなトンボがひらりと飛んだ。

fin
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