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深川めし疑惑
通りすがりの晃之進
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「のぶじゃねぇか」
声をかけられたのは、永代橋に差し掛かった時だった。たったと歩くりんのあとを追いかけながら、どう思いとどまってもらおうかと考えていたのぶは足を止めて辺りを見回す。
りんもつられて足を止めた。
「おまえさん」
晃之進だ。見回りかなにかの途中なのだろうかと思ったが、どうやらそうでもないようだ。
「たまにはおれも母上に線香をあげようかと思ってよ。家に行こうと思ってたんだが……」
彼はのぶとりんを見比べて「どこに行くんだ?」と首を傾げた。
答えたのはりんだった。
「たまにはお昼を外で食べようかと思いまして」
どこかつんとしたもの言いに気がついたのかどうなのか、晃之進が笑みを浮かべた。
「いいですね、蕎麦でもたぐりますかい? あっちの通りにうまい蕎麦屋がありますよ」
「行き先はもう決まっているのです。深川へ。深川めし屋さんへ行くことになっています」
「深川めし?」
晃之進が怪訝な表情になった。当たり前の反応だ。女が連れ立って食べにいくには少々差し障りがある。
「ええ、そうですよ、悪いですか?」
「いえ……だけど、なんでまた」
「食べたくなったから行くのです」
そしてそっぽを向いてしまう。
一緒に行くつもりはないという意思表示だ。平素の彼女なら絶対にあり得ない受け答えだが、りんの中で今の晃之進は倉之助の側の人間、つまり今の彼女にとって敵なのだ。
一方で、のぶは助かったと思う。りんを袖を引き、通りの脇に連れてゆき、声をひそめた。
「お義姉さん、うちの人に同行してもらいましょう」
「あら、だめよ、のぶ。晃之進さまは旦那さまの味方なのよ」
「でも、いくらなんでもあの深川めし屋にわたしたちだけで行ったら目立ちますよ。……お相手の方に不信に思われてしまうかもしれません。お義姉さんが見に行ったのが知られてしまいますよ。晃之進さんがいればまだましです。わたしがうまく言いますから。もしかしたら、お相手の方と話せるかもしれません」
りんは「知られたら知られても……」とぶつぶつと言っていたが、やがて「まぁ、ならそうするわ」と納得した。
頭に血がのぼって家を出たはいいが、永代橋を渡ろうとした今、少し頭が冷えたようだ。
ふたりして怪訝な顔で待っている晃之進のところへ戻る。
「おまえさん、深川めし屋に行くのは実は事情があるからなんです」
「事情?」
「わたし数日前に、例の大黒屋さんの三毛猫によく似た猫が入船町の深川めし屋に入っていくところを見たんです。でその話を義お姉さんとしていたら、昼食を食べにいくついでに様子をみようということになったんです」
成り行きで仕方がないとはいえ夫に嘘をつくなんてと、のぶの胸がずきずきと痛む。まったくの嘘というわけでもないが本当でもない。
晃之進は「へぇ大黒屋の」と眉を上げた。
「さくが描いた絵によく似てたのです」
「ああ、ならそうかもしれねぇな」
晃之進がそごうを崩した。
「昨日あの絵を大黒屋に見せたら、そっくりだと褒めてたぜ」
「え? 本当に?」
途端にのぶは今どういう状況かも忘れて声をあげる。どんなことでも我が子が褒められると嬉しいものだ。
「もしこれで、本当に猫が捕まったら、今日は赤飯を炊かなくちゃいけませんね」
「いや、あいつは田楽の方が喜ぶだろうよ。いつもよりたくさん食べさせてやれ」
息子を思い出しながら、夫婦でふふふと笑い合っていると、なにやら見られているような気がする。
りんがいつもの彼女らしくないじとっとした目でこちらを見ていた。
のぶは咳払いをした。
「とにかく行きましょう。早くしないと店が混んでしまいます」
声をかけられたのは、永代橋に差し掛かった時だった。たったと歩くりんのあとを追いかけながら、どう思いとどまってもらおうかと考えていたのぶは足を止めて辺りを見回す。
りんもつられて足を止めた。
「おまえさん」
晃之進だ。見回りかなにかの途中なのだろうかと思ったが、どうやらそうでもないようだ。
「たまにはおれも母上に線香をあげようかと思ってよ。家に行こうと思ってたんだが……」
彼はのぶとりんを見比べて「どこに行くんだ?」と首を傾げた。
答えたのはりんだった。
「たまにはお昼を外で食べようかと思いまして」
どこかつんとしたもの言いに気がついたのかどうなのか、晃之進が笑みを浮かべた。
「いいですね、蕎麦でもたぐりますかい? あっちの通りにうまい蕎麦屋がありますよ」
「行き先はもう決まっているのです。深川へ。深川めし屋さんへ行くことになっています」
「深川めし?」
晃之進が怪訝な表情になった。当たり前の反応だ。女が連れ立って食べにいくには少々差し障りがある。
「ええ、そうですよ、悪いですか?」
「いえ……だけど、なんでまた」
「食べたくなったから行くのです」
そしてそっぽを向いてしまう。
一緒に行くつもりはないという意思表示だ。平素の彼女なら絶対にあり得ない受け答えだが、りんの中で今の晃之進は倉之助の側の人間、つまり今の彼女にとって敵なのだ。
一方で、のぶは助かったと思う。りんを袖を引き、通りの脇に連れてゆき、声をひそめた。
「お義姉さん、うちの人に同行してもらいましょう」
「あら、だめよ、のぶ。晃之進さまは旦那さまの味方なのよ」
「でも、いくらなんでもあの深川めし屋にわたしたちだけで行ったら目立ちますよ。……お相手の方に不信に思われてしまうかもしれません。お義姉さんが見に行ったのが知られてしまいますよ。晃之進さんがいればまだましです。わたしがうまく言いますから。もしかしたら、お相手の方と話せるかもしれません」
りんは「知られたら知られても……」とぶつぶつと言っていたが、やがて「まぁ、ならそうするわ」と納得した。
頭に血がのぼって家を出たはいいが、永代橋を渡ろうとした今、少し頭が冷えたようだ。
ふたりして怪訝な顔で待っている晃之進のところへ戻る。
「おまえさん、深川めし屋に行くのは実は事情があるからなんです」
「事情?」
「わたし数日前に、例の大黒屋さんの三毛猫によく似た猫が入船町の深川めし屋に入っていくところを見たんです。でその話を義お姉さんとしていたら、昼食を食べにいくついでに様子をみようということになったんです」
成り行きで仕方がないとはいえ夫に嘘をつくなんてと、のぶの胸がずきずきと痛む。まったくの嘘というわけでもないが本当でもない。
晃之進は「へぇ大黒屋の」と眉を上げた。
「さくが描いた絵によく似てたのです」
「ああ、ならそうかもしれねぇな」
晃之進がそごうを崩した。
「昨日あの絵を大黒屋に見せたら、そっくりだと褒めてたぜ」
「え? 本当に?」
途端にのぶは今どういう状況かも忘れて声をあげる。どんなことでも我が子が褒められると嬉しいものだ。
「もしこれで、本当に猫が捕まったら、今日は赤飯を炊かなくちゃいけませんね」
「いや、あいつは田楽の方が喜ぶだろうよ。いつもよりたくさん食べさせてやれ」
息子を思い出しながら、夫婦でふふふと笑い合っていると、なにやら見られているような気がする。
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