36 / 37
【最終章】「腹黒王子と俺、今ではすっかり″恋人同士″です(ただし逃げ場はない)」
11—完—
しおりを挟む昼食時の食堂は、いつもと同じざわめきに包まれていた。
食器がぶつかる音、笑い声、パンを落とした一年生の慌てる声。
——なのに、俺の耳に届くのは、ほんの一部だけだった。
人の目に触れないように窓際のいつもの席に座り、鏡の反射越しに″彼″を見る。
″根津美咲。″
白い皿の上にはサラダとパン、そして彩りのいいオムレツ。
それを左隣の天瀬晴人が丁寧に切り分け、美咲の皿へと運んでやっていた。
「……子供の世話かよ……」
自然と、呟きが漏れる。
それは突き刺すような侮蔑でも、からかいでもない。
自分でも気づかないほど微細な焦りと、嫉妬の混ざった警告だった。
(——騙されてることなんて、いい加減わかるでしょ…?)
あの男は王子様なんかじゃない。
優しくなんか、ない。
一度でも″標的″として視界に入ったら、もう二度と自由には戻れない。
美咲の横では、生徒会長の護堂要が凪と並んで食事をしていた。
相変わらず、誰よりも姿勢が良く、食事もきちんとしている。
——けれど、その隣で凪が無邪気に笑うたび、耳の先がほんのり赤くなっているのが見えた。
あの王子とあの会長が、同じテーブルで“笑っている”。
こんなバランスのとれた構図の中に、自分が立ち入る余地はどこにもない。
——いや、それでも。
「……俺は……」
声にならない声が、喉を震わせた。
美咲の視線が、一瞬だけこちらに向きかけたような気がして、俺はわずかに気を取られた。
その瞬間——
背後からぬるりと伸びてきた白い指が、俺の口の中へと突っ込まれた。
「んっ——!?」
思わず仰け反る俺の舌を、濡れた指先が器用に挟み込む。
湿り気を含んだ指が、口蓋を撫で、舌を弄ぶ。
(っ、澪……!?)
見なくてもわかる。
この背後からの無遠慮な接触は、あいつにしかできない。
「…熱心に。まだ″ファン活動″かよ。まさか、あいつに声かけようとしたのか?」
「…、ぁ″え……っ″…」
耳元で囁く声が、酷く冷たくて、優しかった。
俺の舌を挟んだまま、澪は小さく笑った。
「次にあいつに関わったら、どうなるか……分かってるよな?」
口を閉じることも、振り返ることもできない。
喉側に指が伸びると苦しくて反射的に喘いでしまう。ダラリと口端に涎が溢れて、それを拭くことも許されない。
ただ、席に座ったまま、俺は指をくわえ込まされていた。
——今は、手は、自由なのに。
抵抗出来ない。澪の目を、見るのが怖い。
また、あの熱が籠った目で見られると、身体の奥底まで無理矢理暴かれる感じがして……。
(人に、見られる……)
すぐそこに、俺の“かつての生活”があるのに。
今の俺が口の中を陵辱されているこの姿を、誰かが見たらと思うと、呼吸が止まりそうになる。
「……いい加減、“要らない心配事”ばかり増やすその頭、矯正してやろうか」
にこりと、笑う気配が背中越しに伝わる。
背筋が凍る。
澪は、“守るため”と言いながら、俺のすべてを管理している。
晴人から俺を守る“盾”なんかじゃない。
ただ、晴人と同じ種類の支配者にすぎない。
指が抜かれたあと、舌の先に残った澪の体温と、粘り気が、いつまでも消えなかった。
俺はもう、どこにも戻れない。
自分の身体が、自分のものじゃなくなっていく感覚を噛みしめながら、
鏡に映った“笑い合う幸福なテーブル”を、ただ、ただ、見つめていた。
——あの檻の中の幸福は、
手を伸ばした瞬間、地獄に引きずり込まれる。
俺はもう、それを知ってしまったから。
***
昼休みの食堂。
窓際のいつもの席には、晴人が少し猫背気味に身体を傾けて、美咲の皿の上にスプーンを差し出していた。
「はい、あーん」
「いや……普通に食えるから」
そう言いながらも、美咲はそれを断りきれず、大人しく口を開ける。
(——またこの“甘ったるい演技”だ…)
でも、知ってる。
この“あざとい王子様”が、実はかなり計算高くて、強かで、俺にしか見せない顔をいっぱい持ってるってこと。
そして何より、今このとき、誰よりも俺を必要としてくれていることを。
……気がつけば、胸の中の不安は消えていた。
「美咲くん、今日は午後、実技の授業だったよね? 着替えのタオルは入れておいたよ」
「う、うん。……っていうか、晴人いつのまに荷物触った?」
「朝のうちに。君が二度寝してる間にね」
微笑む晴人の手は、ナプキンで美咲の指を拭っている。
過剰なほどの世話焼き。
でもそれが、いまの美咲には“心地いい”。
(……俺、もう完全にダメになってるかもしんない)
この後に起きる学園を揺るがす問題発言などまだ知らない俺は、ただ晴人から与えられる″幸せの重さ″に笑いそうになって、それも、悪くない気がしていた。
***
食堂の隅、いつもの長テーブル。
美咲と晴人が肩を並べて穏やかに談笑している横で凪と要は、空気となって腰掛けていた。
「……なんか、あのふたり……やけに甘くない?」
ご飯を口に運びながら、凪がぽつりと呟く。
視線の先には、美咲の髪をさりげなく整えてやる晴人の姿。
「甘やかすのも甘えるのも、もはや日常って感じ。……ねえ、要。あれさ、どっちが主導権握ってると思う?」
「……晴人以外いないだろ」
要は箸を止めて、短く答える。
そして、少しだけ目を細めた。
「……順調そうに見えるけどな。……あいつの“本質”を知ってれば、逆に気になる」
「うん。僕も……ちょっと思った。まあ、美咲くんが良いなら、僕はいいんだけど。」
凪が小さく息をつく。
「自分の中の不安とか疑問とか、抱えたまま“幸せ”に順応しちゃってる。……ああやって、晴人の手の中で生きる覚悟、決めちゃったんだね」
「……お前、たまに怖いな」
「褒め言葉と受け取るね」
にっこり笑って茶をすすった凪は、ちらりと晴人に視線を送って——ふと眉を寄せた。
「ていうかさ、なにあれ。甘えん坊キャラ、似合ってなさすぎ」
「やめとけ、藪をつつくな。絶対面倒になる」
その忠告も遅かった。
晴人は、まるで聞き耳を立てていたかのように視線を凪に向け、微笑んだ。
「……へえ。凪が言えること? 僕と同じ手口で要を落としたくせに」
その瞬間、周囲にいた生徒たちの動きが止まった。
ざわ……っ。
「……!? い、今なんて……」
「『手口』って……えっ、え、ええ!? どういうこと!?!?」
要の箸がカタリと落ちた。
「てめえ……っ、晴人……ッッ!!!」
「なに、驚いてるの? 要がそっち側なのなんて、周知の事実じゃないの?」
「周知じゃねえよ!!!」
凪はくすくすと笑いながら口を拭った。
「いやー、晴人に言われると説得力あるね。でもさ、僕は無理やりとかしないから。あくまで“自然な流れ”ってやつ?」
「どこがだ……! てかお前ら口を慎め!!!」
要が赤面しながら声を上げた瞬間、まるでそれを合図にしたかのように——
\\会長が……会長が受け……!??//
\\そっち側って!!?え、まさか…//
食堂全体がざわめきに包まれる。
要は頭を抱えた。
「……もう嫌だこの学園……」
「だいじょうぶだよー。生徒会長でしょ?しっかりしなきゃ」
「そうそう、ほら、俺風紀委員長として力になるよ?」
凪と晴人がさらりとそう言った瞬間、また一斉に視線が要に集中する。
\\会長照れて真っ赤じゃん!!//
\\完全に凪くんが攻めだ……!!!//
「——お前らが!!!騒ぎの!!!原因を作ってるんだよ!!!」
要の叫びが食堂にこだまし、晴人はくすくすと微笑みながら、美咲の皿にサラダを追加していた。
***
食後、廊下を歩きながら、美咲はふと尋ねた。
「なあ、晴人。……澪のこと、改めて聞いてもいい?」
晴人は小さく目を細めて、柔らかな笑みのまま答えた。
「彼は、協力者だよ」
「…朝もそう言ってたよな」
「うん。君に何かあったとき、君の“弱点”を狙う相手を見張る役割。君を守る盾」
そのとき、ちょうど曲がり角の先に、澪の姿が見えた。
彼の隣には……垣根孝。
無言で、ぴたりと背後に寄り添うように歩く姿は、まるで“飼われている”みたいだった。
(……やっぱり、なんか……おかしい?)
違和感はあった。影が薄いのをわざと自負するアイツがあんな目立つ男といること自体不自然だし…。
けれど、美咲はその場で立ち止まることはしなかった。
晴人が、自分の横にいる。その事実だけで、自然と歩き出せた。
そのまま、そっと息をつくと、晴人がちらりとこちらを見て微笑んでいた。
「ねえ、美咲くん」
「ん?」
「今なら、ご家族に挨拶したいって言っても……嫌じゃない?」
……その言葉に、思わず足が止まった。
「……は?」
「僕、あのとき言われたから。家族にまで踏み込まれるのが“怖かった”って」
晴人の表情は、いつもより少しだけ弱々しくて——
それは、たぶん、わざとだって分かってるのに。
この顔には、どうしても弱い。
(ほんっと、ずるい……)
「……いいよ」
「え?」
「妹がちょっと、いやかなり煩くなりそうだけど……晴人のこと、ちゃんと説明する」
晴人の目が、ほんの一瞬だけ見開かれた。
「……ありがとう、美咲くん」
心から嬉しそうに微笑んだその顔を見て、
やっぱり俺は、この人から離れられないんだと、あらためて思った。
穏やかな陽射しに照らされる晴人の笑顔は、やっぱりどうしても可愛くて。
もう同人のネタにすることも出来ないほど、俺にとって特別なもので。
———いいよ、晴人なら。きっと俺の家族のことも、尊重してくれるから。
なにより、俺はもう、晴人がいないと生きれないくらい。
天瀬晴人に惚れてしまったから。
—【完】—
116
あなたにおすすめの小説
死神に狙われた少年は悪魔に甘やかされる
ユーリ
BL
魔法省に悪魔が降り立ったーー世話係に任命された花音は憂鬱だった。だって悪魔が胡散臭い。なのになぜか死神に狙われているからと一緒に住むことになり…しかも悪魔に甘やかされる!?
「お前みたいなドジでバカでかわいいやつが好きなんだよ」スパダリ悪魔×死神に狙われるドジっ子「なんか恋人みたい…」ーー死神に狙われた少年は悪魔に甘やかされる??
なぜかピアス男子に溺愛される話
光野凜
BL
夏希はある夜、ピアスバチバチのダウナー系、零と出会うが、翌日クラスに転校してきたのはピアスを外した優しい彼――なんと同一人物だった!
「夏希、俺のこと好きになってよ――」
突然のキスと真剣な告白に、夏希の胸は熱く乱れる。けれど、素直になれない自分に戸惑い、零のギャップに振り回される日々。
ピュア×ギャップにきゅんが止まらない、ドキドキ青春BL!
【短編】初対面の推しになぜか好意を向けられています
大河
BL
夜間学校に通いながらコンビニバイトをしている黒澤悠人には、楽しみにしていることがある。それは、たまにバイト先のコンビニに買い物に来る人気アイドル俳優・天野玲央を密かに眺めることだった。
冴えない夜間学生と人気アイドル俳優。住む世界の違う二人の恋愛模様を描いた全8話の短編小説です。箸休めにどうぞ。
※「BLove」さんの第1回BLove小説・漫画コンテストに応募中の作品です
アイドルくん、俺の前では生活能力ゼロの甘えん坊でした。~俺の住み込みバイト先は後輩の高校生アイドルくんでした。
天音ねる(旧:えんとっぷ)
BL
家計を助けるため、住み込み家政婦バイトを始めた高校生・桜井智也。豪邸の家主は、寝癖頭によれよれTシャツの青年…と思いきや、その正体は学校の後輩でキラキラ王子様アイドル・橘圭吾だった!?
学校では完璧、家では生活能力ゼロ。そんな圭吾のギャップに振り回されながらも、世話を焼く日々にやりがいを感じる智也。
ステージの上では完璧な王子様なのに、家ではカップ麺すら作れない究極のポンコツ男子。
智也の作る温かい手料理に胃袋を掴まれた圭吾は、次第に心を許し、子犬のように懐いてくる。
「先輩、お腹すいた」「どこにも行かないで」
無防備な素顔と時折見せる寂しげな表情に、智也の心は絆されていく。
住む世界が違うはずの二人。秘密の契約から始まる、甘くて美味しい青春ラブストーリー!
無口なきみの声を聞かせて ~地味で冴えない転校生の正体が大人気メンズアイドルであることを俺だけが知っている~
槿 資紀
BL
人と少し着眼点がズレていることが密かなコンプレックスである、真面目な高校生、白沢カイリは、クラスの誰も、不自然なくらい気にしない地味な転校生、久瀬瑞葵の正体が、大人気アイドルグループ「ラヴィ」のメインボーカル、ミズキであることに気付く。特徴的で魅力的な声を持つミズキは、頑ななほどに無口を貫いていて、カイリは度々、そんな彼が困っているところをそれとなく助ける毎日を送っていた。
ひょんなことから、そんなミズキに勉強を教えることになったカイリは、それをきっかけに、ミズキとの仲を深めていく。休日も遊びに行くような仲になるも、どうしても、地味な転校生・久瀬の正体に、自分だけは気付いていることが打ち明けられなくて――――。
殿堂入りした愛なのに
たっぷりチョコ
BL
全寮の中高一貫校に通う、鈴村駆(すずむらかける)
今日からはれて高等部に進学する。
入学式最中、眠い目をこすりながら壇上に上がる特待生を見るなり衝撃が走る。
一生想い続ける。自分に誓った小学校の頃の初恋が今、目の前にーーー。
両片思いの一途すぎる話。BLです。
【完結】君の手を取り、紡ぐ言葉は
綾瀬
BL
図書委員の佐倉遥希は、クラスの人気者である葉山綾に密かに想いを寄せていた。しかし、イケメンでスポーツ万能な彼と、地味で取り柄のない自分は住む世界が違うと感じ、遠くから眺める日々を過ごしていた。
ある放課後、遥希は葉山が数学の課題に苦戦しているのを見かける。戸惑いながらも思い切って声をかけると、葉山は「気になる人にバカだと思われるのが恥ずかしい」と打ち明ける。「気になる人」その一言に胸を高鳴らせながら、二人の勉強会が始まることになった。
成績優秀な遥希と、勉強が苦手な葉山。正反対の二人だが、共に過ごす時間の中で少しずつ距離を縮めていく。
不器用な二人の淡くも甘酸っぱい恋の行方を描く、学園青春ラブストーリー。
【爽やか人気者溺愛攻め×勉強だけが取り柄の天然鈍感平凡受け】
好きなあいつの嫉妬がすごい
カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。
ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。
教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。
「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」
ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる