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【第一章】悪の尋問令嬢、″捨てられ王子″の妻になる。
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しおりを挟む窓のない地下室には、永遠に昼が来ない。
天井に吊るされたガス灯だけが、黄味がかった柔らかな光を放ち、空気に沈む灰色の埃と血の跡を浮かび上がらせていた。
ここはバルツァローナ家の地下塔。
侯爵家の中でも限られた者だけが出入りを許された、尋問と記録の場所。
椅子に縛りつけられた男は、口を噤んだまま虚ろな目をしていた。右手は白くなるほど縛られ、額には汗、下唇は震え、視線は足元の石床を彷徨うばかり。
——彼はまだ、知らない。
この部屋の支配者が、どれほど恐ろしく、そして美しいかを。
「ねぇ、早く話してくださらない? 私、あまり気が長い方じゃありませんの」
その声が降ってきたのは、不意だった。
鈴を転がすような音色。けれどそこに込められたのは、好奇心と、微かな倦怠。
レティシア・ヴァルデューラ。
ゆっくりと近づいてきたその女は、見る者の目を惑わせる魔物のようだった。
露出の多い濃紅のドレスは、波打つようなシルエットで腰から流れ、胸元は大胆に開いている。
まるで仮面舞踏会の踊り子のように艶やかな姿だが、その目つきには甘くない冷気が宿っていた。
レティシアは男の前まで歩み寄ると、ため息混じりに微笑む。
「貴方、教会に侵入して何がしたかったの? 余程のことでもないと、わざわざ“聖域”まで侵入なんてしませんわよね?」
唇が近い。視線が熱い。
艶やかな黒髪が肩に落ち、豊満な胸元が目の前に迫ってくる。だが、男は答えなかった。
沈黙。それは恐怖か、あるいは意地か。
彼女の指が、そっと男の頬に触れる。まるで愛撫のような動きで、耳の下をなぞり、顎を撫で、視線を誘導する。
「ねぇ、話してくださらない? 私、本当はあまり手荒なことはしたくないの」
その言葉が、偽りであるかのような不自然な優しさだった。
彼女は、手元に置かれた調書に目を通す。男の素性、経歴、交友関係。そして″教会への出入り歴″が赤で囲まれている。
ふむ、と鼻で笑って、椅子に腰を下ろした。男と同じ目線に立った彼女は、頬杖をついて小首を傾げた。
わずかに組んだ脚が揺れ、裾から覗いた太ももが、男の視線を引き寄せる。
「一介の宝石商が、どうして教会に? 信仰深いわけじゃないでしょう?……ねえ、何を探していたの?」
「……知らない、俺は、何も知らない……っ……」
「まあ。……何も話さないおつもりなのね?」
声色が、ひとつ、静かに沈んだ。
男は小さく震えた。声の温度が変わったことに、気づいたのだ。
レティシアは椅子から立ち上がり、わざとドレスの裾を揺らすように踵を返した。
艶のあるヒールの音が、石床に反響する。
「“何も知らない人間”が、“聖域”に侵入して、この家に運び込まれることは──″あり得ない″の。」
その背中は扉へ向かうのではなく、壁の棚へと迫っていく。
白い指がカタリと、何かを手に取った。
「ここに来た時点で、貴方の運命はひとつよ。私にすべて話して、楽になること。…簡単でしょう?」
「……っ……」
男の喉が鳴る。ふるふると、震えるように首を振った。
レティシアは、笑わなかった。
真珠のように白い歯を、冷たく噛みしめて──告げた。
「——そう。」
たった一語。
それだけで、部屋の温度が変わったように感じられた。
そして次の瞬間、彼女は棚から“それ”を取り出していた。
カツン。
鉄が石に当たる音が、静かな地下室に小さく響く。
その音に、男は思わず身をすくめる。
レティシアが背後の棚から取り出したもの──それが“道具”であることなど、直感で理解できた。
ちらり、と見たくもないのに視線を向ける。
彼女の手には、銀色の光を放つ鉄製のペンチがあった。
無駄のない造形。刃先はわずかに欠けていて、何度も使われていることが見てとれる。
その刃を、レティシアはまるで恋人の髪を梳かすように指で撫でていた。
「……残念ですわ」
彼女の声音は、冷えた水のように澄んでいる。もう誘惑の甘さはなかった。
レティシアは男の正面に戻ると、ゆっくりと腰を下ろし、ペンチを床に“置いた”。
それは脅しでも見せかけでもない。ただ、そこに“当然のもの”として存在しているだけ。
「素直に話してはくださらないのね」
囁くようにそう言って、レティシアは男の手に指を絡めた。
細く美しい指がまるで慈しむように男の指を一本ずつ、優しくなぞる。
「……ぁ″………」
「″餌″に釣られて話してくれないなら、″罰″で口を割らせるしかありませんものね…。」
男の喉が軋むような音を立てた。
無意識に足を引こうとする。だが拘束された身体は動かない。
「ぁ……あ″ぁ……」
「あら、失禁…?
……まあ、よろしいですわ。泣くも漏らすも好きになさって?その代わり、今度はちゃんと″お話し″してくださいましね。」
その瞬間、レティシアはスッと立ち上がり、再びペンチを手に取った。
かちり、と鋭い音が室内に響く。
「……ぁ……あ゛……」
情けない声が漏れた。口の端から涎が落ちる。
呼吸が荒く、額には脂汗。体温が急激に下がっていくのが自分でも分かる。
レティシアは、そんな彼の手をそっと取り、その中指を持ち上げた。
「どの指がお好みかしら? 私はね、人差し指より中指の方が“声が出る”と思っているの」
男の瞳に涙が浮かんだ。反射的に首を振る。だが拘束された身体は逃げられない。
彼女の微笑みは、まるで神の祝福のように美しかった。
……そのあと、
部屋の奥深くまで、野太い絶叫が響いた。
魂が引き裂かれるような叫び。喉を潰すような咽び泣き。
しかしレティシアの表情は終始、崩れなかった。
──この女は、悪魔だ。
椅子に縛られた男がそう悟ったときには、もう遅すぎた。
彼の“情報”が吐き出されるまで、部屋に明かりが戻ることはない。
***
(つっかれましたわ~~~~……)
地下塔の分厚い扉を開けた瞬間、私は盛大に心の中で伸びをした。
縛られてるとはいえ、人体の破壊はそれ相応の力仕事ですのよ?か弱い乙女にさせる仕事とは思えませんわ~~~。助手を着けてくださいまし!!
(……湯浴みしたい。バラの花びらと蜂蜜を浮かべて、一晩中浸かっていたい……)
そんなことを考えながら、背筋を伸ばして廊下へ一歩踏み出した、その瞬間——
(———は?)
視界の端。扉の横に、金の髪。
白いシャツの胸元を緩く開け、袖を折り、壁にもたれかかっている。まるで、最初からそこにいたかのような顔で。
「どうして、殿下がここにいらっしゃるのかしら……?」
作り笑いすら浮かばない問いかけが、私の唇からこぼれた。
「……あれが、君の仕事か?」
「……覗き見だなんて、いいご趣味をしていらっしゃいますわね」
「失礼。妻の仕事ぶりを把握しなければと思ってね」
その口ぶりは、皮肉でも嘲りでもない。ただ事実を述べるように、平坦だった。
(監査のおつもり?それとも、この家に入ったものとして″勉強″でもしたいのかしら?)
「冗談はおよしになって。」
静かな声が、廊下に落ちた。
「殿下に汚れ仕事をさせるつもりはありません。この家の“役割”は、この家の者が担います」
それは、確かな拒絶だった。
血のような赤い瞳が真っ直ぐユリウスを捉え、頭の中まで覗くような視線に貫かれる。
レティシアは言い終わるとドレスの裾を翻し、カツカツと塔の階段を登って行った。
残されたユリウスはその背中を呆然と見つめる。
思っていたより彼女は強情で、この仕事へのプライドが厚いらしい。
彼の青い瞳には、“困惑”と“好奇心”と、ほんの少しの“興奮”が混ざっていた。
(鬱陶しいですわ~~~~~~!?)
なんのつもりですの?
わたくしの仕事を覚えるつもり??
馬鹿にすんじゃねぇですわ~~~~~~~!!!
こちとら物心ついた頃から尋問と拷問の教育を受けておりますのよ??
礼儀作法を覚えるより前に、関節の外し方と爪の剥がし方を学んでおりますのよ!??
王家でぬくぬく育ったお坊ちゃんなんて、血を見て卒倒するのがオチでしてよ~~~~!?!?
心の中では火山級にブチ切れていたが、顔は完璧な令嬢スマイルで通す。
あの時、ユリウス殿下は黙って私を見ていた。
彼の目には冷静な観察者の色がある。
それが余計に感に触る。
「……ご忠告をするならば、
殿下のなさるべきは、“好奇心で暗部を覗くこと”ではなく、“陽の下で民を導くこと”と伝えることかしら。」
誰に届くでもない独り言は、
冷たい石の壁に吸い込まれ消えていった。
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