【完結】悪の尋問令嬢、″捨てられ王子″の妻になる。

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【第一章】悪の尋問令嬢、″捨てられ王子″の妻になる。

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夜の廊下はひっそりと静まり返っていた。

昼間の熱気は消え、蝋燭の炎が壁に影を揺らしている。
私は湯上がりの身体を絹のガウンに包み、肩まで垂れた髪の滴を指先で拭いながら、自室へ向かっていた。

ようやく……ようやく、何も考えず横になれる時間でしてよ…。
血の匂いが染みついた皮膚を洗い流し、蜂蜜と花びらの香りに包まれていた私は、ほんの少しだけ“人間らしい幸福”を感じていた。

だというのに———。
寝室の手前で、白く長い指が私の手首を掴んだ。

曲線を描く石柱の陰から現れたその影は、私の行く先を塞ぐように前に立つ。

金の髪に、夜の静けさを纏う笑み。
昼にも見た、やけに優雅で感に触る顔が、私の半歩手前で微笑んでいる。


「……どうかなさいまして?」

私は声を低くして問いかけた。
“何かご不満でも?”という意味を含めて。


「やっぱり、夫婦が寝室を分けるというのは——外聞が悪いかなと思ってね」

その言葉に、心の中で盛大に目をひん剥いた。
外聞ですって? 今さら??
こちらとて望んでこうしているのですが!?!?

けれど私はあくまで淑女。にっこりと微笑み返し、丁寧に返答する。


「ご安心くださいまし。ここは“暗部の城”ですわ。秘密を漏らす従者なんて、一人もおりません」
「…………そう。」

ひとつ、短く間を置いたその声には、納得したような声色が含まれていた。

……なのに、腕を掴む手は離れない。


「……あの、殿下? 手を離してくださらないと、困りますわ」

視線を逸らさず、なるべく冷静に言う。
が——次の瞬間、彼の唇が笑みに歪んだ。 


「困る……そうだね。困るよね」
「……はい?」

「僕も、困ってるんだ。君が一緒の寝室に来てくれないと、“王家の影”になんて報告されるか分かったものじゃなくてね」


ふわりと、殿下は穏やかな笑顔を称えながら、
長い睫毛が顔に影を落とす。


「……あら、まさか。私を脅してますの?」
「いいや? 夫婦の悩みを打ち明けている“だけ”だよ」

あっさりと返されたその声は、やけに静かで、
レティシアの口元が、無意識に引きつった。

(こいつ……)

まさか、ここまで性格が悪いとは思っていなかった。
腹黒い? いいえ。これはもう、漆黒です。


「……分かりましたわ」

唇を整え、笑顔を作る。


「寝室は、同じにいたしましょう」

 

その瞬間、彼の表情がほんの少し、緩んだように見えた。
けれどそれも束の間、すぐにいつもの柔らかな仮面に戻る。


「ありがとう、助かるよ」

彼はそう言って、ようやく私の手首を離した。

助かる、助かるですって??面の皮が厚いにも程がありますわ。
″王家の影″に監視されているのは貴女だけじゃない、夫婦になった私も当然彼らに″選定″されている立場ですのよ?

レティシアは静かに息を吐き、踵を返す。
つい先ほどまで血と汗にまみれていたこの身体を、再び冷たい戦場へと運ぶために。
寝室という“仮初めの戦場”へ。





***







「で?」

ユリウスは、寝室の扉を閉めると、こちらへ向き直った。


「君は普段からあんなことをしているのかい?」

……は?

「″あんなこと″、とは?」

何の話かと眉をひそめると、彼は涼しい顔で続けた。


「自分の身体を使って、男を陥落するような真似のことだよ」
「……っ、なっ……」

喉の奥で悲鳴のような音がこぼれた。
ちょ、ちょっと待ちなさいな。

「か、陥落……ですって……?」

何よそれ。何ですのその言い方。
なにかこう……こう……っ!

「ひ、人を、娼婦みたいに言わないでくださる!?」

私はこの通りスタイルには恵まれておりますけれど、
わたくしの身体に、これまで誰一人として触れさせた者などおりませんことよ!?
手首一本、唇ひとつ、すべて手つかずで未開の地ですわ!??

それをなんですの? なぜ、そういう解釈になりますの??

「…で、殿下には、関係のないことですわ…っ!!!」

怒りを抑え、冷たく切り捨てたつもりだった。
が、彼は静かに、しかし刺すように囁き返す。


「僕は君の“夫”だよ」
「ええ。“白い結婚”のね」

こちらも負けじと視線をぶつける。
何を今さら“夫”ぶって。あんな冷たい結婚式をしたくせに。
それにあなたが最初に言ったことでしょう?″私を愛するつもりはない″と。

 

互いの間に沈黙が落ちる。

火花を孕んだ視線だけが、夜の寝室を灼くように交錯していた。

───睨み合いの後、先に口を開いたのは私だった。

 

「仕事に口を出されるのは、好きじゃありませんの。
 気に障ることがあるのでしたら、文字にして提示していただきたいですわ」


殿下の眉が、わずかに動いた。

 
「……君は随分、合理主義だね」
「貴方に夢なんて見ておりません。もちろん、貴方もそうでしょう?」

視線を外し、レティシアは小さく息を吐く。
——いけない。こんなに言葉に棘ばかりつけては。
私は淑女。落ち着いて、話さなくては。
ゆっくり瞼を閉じると、腹の奥がシンと冷えていった。


「これから長い付き合いになるのですもの。良い“契約相手”でありたいと思いますわ」


その言葉に、ユリウスは静かに瞬きをした。
彼女と話していると、毎回予想していない反応が返ってくる。
ユリウスは片手を口元に添え、くすりと笑った。


「……ふふ。僕を脅しているの?」
「いいえ? ただの夫婦の意見の擦り合わせですわ」
「…………」

少しの間、彼は黙っていた。けれどその顔には、薄い愉悦の色が滲んでいる。


「面白い。いいよ、君の提案に乗ろう」
「……?」
「君の仕事に関して、僕は口を出さない」

あっさりとした了承に、私は思わず目を細める。


「……そうですか。案外、物分かりがよろしいのね」
「うん。その代わり——」
「“代わり”?」

彼は笑っていた。わずかに目を細め、慈しむような、けれど底の見えない微笑み。


「訂正項目に関しては、文字に起こして君に提示するよ」

「……訂正項目?」

「夫婦としての決め事のようなものだよ。君と、僕のね」


その言い回しには、なんとも言えない圧迫感があった。
微笑みを保ちつつ、少しずつ距離を詰めてくる蛇のように。
あるいは——獲物の逃げ道を塞ぐ王子様。


「ふふ……まるで契約書ですわね」

私はそう返しながら、彼の青い目をじっと見据える。
けれど。

(ああ、やっぱり、こいつ——)

この男は、やはり“いい性格”などしていない。

そう、確信せずにはいられなかった。

 

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