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【第一章】悪の尋問令嬢、″捨てられ王子″の妻になる。
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しおりを挟むあの夜の出来事が″寝室の共有″で終わると思っていた私が、どれほど甘かったか。
今なら過去の自分に三回ほど平手打ちしてやりたいですわ。
「……これは、何かの冗談かしら?」
私の目の前に差し出された羊皮紙には、優雅な筆致で書かれた文字列が五つ。
一読しただけで、喉元からため息が漏れそうになる。
《訂正項目》
一、食事はなるべく同席して摂ること
二、寝室は同じ部屋を使用すること
三、青い宝石を使用したアクセサリーを常に身に着けること
四、他の男性に業務以外で過剰な接近をしないこと
五、昼下がりの一時間は夫婦で過ごす時間を作ること
「……なんですの、これ」
「訂正項目だよ」
目の前の男、ユリウス殿下は、あくまで穏やかにそう返した。
机の上で指を組み、柔らかな微笑を浮かべているその姿は、まるで信仰深き神父様のように“優しげ”で、そして“おぞましい”。
「君の普段の行いでは、僕たちが“擬装夫婦”だとバレてしまうからね。
せめて人前で“夫婦らしく”見えるように、必要なことを書き並べたよ」
「必要、ですって……?」
ゆっくりと息を吐く。上品に、けれど殺意は含めて。
「青い宝石、という項目が非常に気になりますのだけれど?」
「王家の色だよ。僕の印として、君に“触れていて”ほしいからね」
「……………………」
(殺していいかしら?)
思わず心の中で毒が漏れる。だってこれ、“俺のもの”って首輪の代わりではなくて??
「……どうやら、殿下は随分と独占欲がお強いようで」
「違うよ。これは“僕の身の安全”のためだ」
ユリウスは小さく目を伏せ、次の言葉を淡々と続けた。
「僕は“婿養子”だ。王宮から追い出すための政略結婚で、ここに来た。
君と夫婦に見られないだけならまだいい。
……だけど、“叛逆の意思”があると判断されたら、即座に僕は“影”に殺されるだろうね」
「………………」
(こいつ……)
ぞくり、と背筋に冷たい感触が走る。
“王家の影”、王権に従い、裏から粛清を担う暗殺者たち。
その一族に属する人間が、“王位継承権を持ったまま”、“夫婦関係に支障のある立場にある”などと思われた場合……?
もしも″叛逆の意思″があると見做されれば、一族まとめて“即刻処刑”に値する。
「……つまり、あなたが“叛逆者”だと見なされた場合──」
「そのときの“家族”は、君と、君のお父上になるね。」
一族郎党、斬首刑。
王族の血に手をかけた者への処罰は、王国建国以来、変わらぬ“しきたり”として記録に刻まれている。
つまりこの腹黒王子が“危険人物”に仕立て上げられた瞬間、私たちヴァルデューラ家は“反逆の共犯者”になる。
……あの。
…………こっちは完全に、とばっちりではなくて!???
「賢い君なら、言いたいことは分かるよね?」
「……………」
深く、深く、呼吸を整える。
こんなにも殺意を込めずに言葉を紡ぐのは初めてかもしれませんわ。
「……貴方、演技は得意ですの?」
「得意分野だよ」
即答。
「そんな気はしてましたわ」
「君も得意そうだけどね。
心の中では僕のことを散々罵倒してそうだ」
「まぁ~~~~?とんでもございませんわ~~~~?」
こちとら朝昼晩、心の中で千回は罵倒しておりますのに何をおっしゃいますの~~~!?
言葉にはしないけれど、顔面の筋肉がピクリと引きつるのは止められなかった。
「うんうん、そうだね」
またそれだ。何もかも見抜いているような笑顔。
……この男、聞こえていますわよね。私の心の声が。
差し出された訂正項目のリストを睨みながら、私は深く、深く、天を仰いだ。
(こんな協力関係、ふざけてますわ。でも危険因子だと判断されれば″一族郎党即刻断頭″ですのよ……!?)
「……了解いたしましたわ、“旦那様”」
乾いた声で、そう返してやる。
これが仮面夫婦のルールゲームなら──
私はこの舞台で、完璧に“妻”を演じてさしあげますとも。
(そのかわり、私を利用しようと云うのですから、覚悟しておいてくださいましね……?)
***
最近のお嬢様は、少し楽しそうです。
もちろん、見た目はいつも通り。
麗しく、隙がなく、悪夢のように優雅な“バルツァローナ家の奥様”。
だけれど、あの方の瞳の奥に、一瞬だけ光が灯るのを見てしまったから。
それは、ほんの数日前。あの第二王子がいらしてからのことです。
「……奥様、ネックレスのお付け替えをいたしますね」
そう言って手を差し出すと、お嬢様はおとなしく背を向けた。
その日、お召しになっていたのは、お気に入りの真紅のドレス。
胸元のカッティングが深く、そこへアクセサリーの青がよく映える。
淡い青でもなく、濃紺でもない、“王家の青”。
つややかなサファイアが、肌の白さをより際立たせるように光る。
……この色を、彼女が身につける日が来るなんて。
少し、信じられない気持ちでした。
「モニカ、どうかしまして?」
鏡越しに声をかけられ、慌てて背筋を伸ばす。
「い、いえ、何でもございません! とてもよくお似合いで……!」
――昼下がりの庭を歩く、お二人の姿は“絵”のようでした。
春先の風が、蕾のバラを揺らし、芝生には柔らかな光が降り注ぐ。
その中を並んで歩くお嬢様と第二王子殿下。
お嬢様は濃紅のドレスに青いサファイアを添え、殿下はアイボリーのシャツを腕まくりして、涼しげな顔をしておられました。
まるで初夏の恋人たちの散策のように、自然で、柔らかくて。
けれど、よく見ると、その歩幅は少し不揃いで。
お嬢様はいつものように口角を上げていたけれど、視線は少しだけ殿下を避けていた。
殿下はと言えば、優雅に手を組みつつも、じっとお嬢様の表情を観察しているようで。
お互いの動きを見計らい、探り合うような、妙に緊張感のある距離感。
″仲睦まじい″と言い切るには、どこかぎこちなく、
でも″冷えきっている″とも違う、不思議な空気が流れていました。
(……お嬢様が、変わり始めている)
付き人として、長く仕えてきた私には分かります。
あの方は、無理に笑っているときほど、右の口角を少しだけ引く。
そして怒りを抑えているときほど、視線が沈み、呼吸が浅くなる。
なのに今日のお嬢様は、どちらでもなかった。
笑いもしていないし、怒ってもいない。
ただ、ほんの少しだけ……興味を抱いたような目をしていた。
それが少しだけ、私は嬉しいのです。
ユリウス殿下は一体、どこまで見抜いているのでしょう?
そして、お嬢様、
貴女の“仮面”を、本当に破られる日は来るのでしょうか。
それはまだ、私たち従者には知る由もありません。
ただひとつ、はっきりしているのは——
この“夫婦”は、これからもただの仮面劇では済まされない。
そんな、妙な予感がしてならなかったのです。
そんな折でした、婚約パーティの″招待状″が届いたのは。
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