君の隣ではじまる青春

笠緒

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君の隣ではじまる青春

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 むわっとした空気。
 そう形容する以外、どんな言葉があるのだと思うほど、空気が茹った夜だった。
 昼間の陽射しで熱された空気はいまだ火照りを忘れていないようで、頬を撫ぜるそれは少しの涼も与えてはくれない。
 湿気を帯びたぬるい風が、肩口で揺れる髪に絡みつく。
 日頃、運動の邪魔になるので高い位置でひとつで結っているせいでか、首もとで重くまとわりついてくる髪がやや鬱陶しい。いくら夜とはいえ、慣れないことはするものではない、と高見千夏たかみちなつは後悔というにはやや重さの足りないため息を零した。

「夜だってーのに、ほんっとあっついよねぇ……」
「ほんと、それ……風が温風……ドライヤーかっての!」
「まーまー。それでも日中の地獄に比べるとマシだってー」
「陸上部、ほんっと地獄だよねぇ」

 僅か先から数人の女子の話声が聞こえるが、内容はやはりこの暑さを厭うそれ。千夏は、ちっとも涼しさを感じない空気を肌に絡ませながら、全力で彼女たちに心の中で同意した。

(くそぅ。それでも友達と喋りながらなら、ちょっとは気が紛れたかもしれないのにー)

 暑い暑いと愚痴りながらも楽しそうに歩を転がす少女たちへと視線を送りながら、千夏は先ほどとは理由が少々異なるため息を吐く。楽しげな笑い声が街灯がつき始めたばかりの歩道の奥へと消えていくのへ、知らず両足が歩みを止めた。

(あー、あの時チョキさえ出さなければ……っ! ってゆーか、遠慮せずに誰かに付き合ってもらえばよかったー)

 両手にぶら下げていたビニール袋をガシャ、と地面に置くと、食い込んでいた取っ手から解放された手のひらがじんわりと軽く痺れる。地面へ転がる大手スーパーのビニール袋は二重になっており、中には数種類のペットボトルが汗を掻きながら行儀よくそこに並んでいた。

(つーか、五百ミリっつっても六本入ってたら三キロじゃん! で、両方合わせたら六キロじゃん!! 普通に重いわっ!!)

 なにが「筋トレになるね」だ、バカ。
 これを手渡してきた木下という男子バスケットボール部員へと内心悪態をつきながら、千夏は軽く手を組むと、ぐぐ、と空へと腕を伸ばし、凝り固まった背筋を解した。
 伸びと同時に見上げた空は、満天の、とはいかずとも、まぁまぁチカチカ光る星がいくつか見える。
 流石に防犯対策のためにところどころに街灯が設置され、すぐ傍には集合住宅が建ち並ぶこの場所では星の見え方なんてこんなものだろう。

(海の方いったら、もうちょっと見れるかなぁ。つっても、星なんてよく知らないけどね。なんだっけ。夏の大三角??)

 さらりと気休め程度にそよぐ風が、肩口の髪に湿度を孕ます。

(あぁもう。あっつ……)

 髪を一度軽く束ね持ち上げると、生ぬるい風を感じた首筋がそれでもほっと息をした気がした。
 テレビでは毎日どこかの番組で熱中症に関する注意がなされ、顔を合わせるとまず「今日も暑いね」という台詞が飛び出す、そんな夏。
 高校生活、最初の夏休み。
 その、最終日。
 千夏が所属する女子バスケットボール部は、偶然にも小学校や中学校で一緒にプレイしてきたメンツが揃ったせいでか、部活外でも仲がいい。男子バスケットボール部も巻き込んで、夏休みに海で花火でもやろうかという話になったのはごくごく自然の流れだった。
 その噂を聞きつけたほかの部活の面々が面白そうだと言い始め、気づけばバスケットボール部だけでなく、サッカー部、野球部、陸上部、バレーボール部など日頃顔を合わせることも多い運動部員たちが揃うちょっとしたイベントになってしまった。もっとも、家族の予定や旅行などのプライベートな予定が立ちふさがる中で、スケジュールを完全に合わせることは出来ず、参加人数としては二十人ほどの規模なのだが。
 なにはともあれ、ようやく実現したのが今日のこの最終日というわけだ。
 他県から電車で通学する生徒もいるにはいたが、基本的には徒歩、もしくは自転車通学の地元住民で構成される公立高校。壊滅的に偏差値が低いわけでもなく、けれども進学校かと聞かれれば誰もが首を横に振る――そんな学校の唯一の自慢といえば、海まで自転車で十分弱という距離にあることだろうか。
 勿論、南の島に広がる海のような一面の青などどこにも見当たらない、ここ数年海水浴さえできないと言われている都会の海辺だが、それでもこうして夏の思い出作りはくらいは出来るらしい。
 恨みっこなしのジャンケンポン、で負けた人間が荷物運びと事前に決まり、早々に抜け出す予定だった千夏は結論からいえばグーにトドメを刺され、いまに至る。

「さて……行きますかぁ……」

 先ほどまで前を歩いていた他部の女子たちの姿はもう確認出来ず、もうみんな現地へ向かってしまっているのだろう。千夏が髪を束ねていた指を解くと、さらさら、と細い髪が首筋を叩いた。
 そして、地面に転がるビニール袋の取っ手へと手を通し、「よいしょ」と勢いよく持ち上げる。
 ――が。
 刹那、左の手のひらへとツー、という感覚が走り、持ったはずの取っ手が餅のようにずるりと伸びた。疑問符が浮かぶその前に、ブツ、という無情な振動の直後、ガシャンとペットボトル六本が地面へと散らばる。

「は、ぇ……? はぁぁああ!? ちょ、嘘でしょ――っ!?」

 落とした視線の先にあるのは、レンガ色の石畳の敷かれた歩道の上に明らか御臨終を迎えたビニール袋の残骸と、そこから零れ落ちたペットボトルたち。落とした衝撃で炭酸は泡立っているかもしれないが、パッと見容器に損害がないのがまだ救いといえば救いだ。

「って、こっからどーやって運ぶのよぉ、これぇ……」
「なにやってんの?」

 思わずしゃがみ込み、途方に暮れそうになった千夏へと背後から声がかかる。流石に時間も時間であり、一瞬で心臓が汗を掻いた。
 肩越しにバッ、と振り返れば、そこには自転車に跨りこちらへと視線を落としているひとりの少年の姿。だぼっとしたTシャツにデニムというシンプルなその人を視界に収めた瞬間、怯えていた心臓が一気によくない弾み方をし始める。

「え、ぁ……、あ、ぁあ、ああああの、ひしゃしゅぶり!?」

 なにかをいわなければと無理やり出した声は裏返り、おまけに勢いよく噛んだ。
 その声に圧倒されたのか、日頃はやや釣り目がちの目を丸くした少年は一瞬言葉を忘れたように表情を固まらせる。

「や、ちょ……ちがくて。いや、違くないな、違くないけどっ」
「ふはっ、落ち着けって。なにキョドってんだよ」

 彼は半月の唇で笑いを弾くと、自転車を降りその場に止め、千夏の傍らへと腰を下ろした。
 ふわ、と生ぬるい空気が動き、鼻腔に届くのは懐かしささえ覚えるにおい。ドクドクドクドク、と早鐘を打つ心臓を落ち着かせようと、千夏は彼にバレないように、吸い込んだ息をハ、と小さく吐き出した。

「六本?」
「違います……十二本」

 右手に持つ袋を軽く揺らすと、カシャカシャと袋の中でペットボトルが踊る。

「うわ、お前、これひとりで運んでたのかよ」
「あー、うん……。恨みっこなしよジャンケンポーン、で負けて……」
「あー俺、それイチ抜けしたわ」
「うるさいな!」
「てか、俺みたくチャリで行きゃよかったじゃん。お前んち近いんだし」

 転がっているペットボトルを袋の中へと戻しながら視線を向けてくる少年に、千夏は一度言葉を詰まらせると気まずそうに「そうだけど」と唇の先を尖らせた。
 藤野賢一ふじのけんいち
 彼との出会いは、幼稚園にまで遡る。
 同じバス停から幼稚園に向かう彼の家が、千夏の家から徒歩二、三分という距離にあることから母親同士が一気に親しくなり、所謂幼馴染として共に育った。毎日のように同じ時間に同じバスに乗り、同じバスで帰ってきては、互いの家や公園で共に泥だらけになるまで遊び過ごした。
 もっとも、それほどまでに家が近かったのに学区という見えない境界線により見事小学校、中学校は彼と別々になり、成長するに従いお互い学校での付き合いや男女という性差により親しく付き合うことはなくなってはいたが、それでも未だに両家の母親同士は仲がよく、彼の近況を耳にすることも多かった。

「他の買い出しのメンバーは、地元じゃない子とかもいたし……ひとりチャリで、とか空気読めてないかなって」
「でもそいつらは花火とか軽いもんなんだろ? しかも結局ひとり置いてかれてるし。あ、もしかしてお前、他の女子と上手くいってないとか?」
「ぷっ、もー、なにそれ。違うって」

 明後日の方向に心配をされたが、幸運にもいままでの学校生活においてその手の悩みは抱いたことがない。同じ部の仲がいいメンツは、地元とはいえ家から目的地の海までが逆方向だったため、付き合うといってくれたのを断っただけである。
 藤野は「ふーん。なら、いーけど」と笑いながら、ペットボトルを収めたビニール袋を持ち上げ、そのまま自身の自転車のカゴへと乗せる。千夏が睫毛を一度羽ばたかせていると、彼女の持つビニール袋も奪われ、どさりとカゴの中へと放り込まれた。
 千夏は、ぽかんと彼を見上げる。

「え、待って。持ってってくれんの?」
「は? ってか、じゃあなんのために俺がチャリ止めたと思ってんだよ」
「あ、いや……うん。まぁそうか。そうなんだけど……」
「なんだそれ。つか、お前、女バスだっけ?」
「うん。…………フ、フジっ、はっ、陸上だよね。えと、走高跳ハイジャン
「……あー、うん。そう」

 幼稚園時代のお互いの呼び名は「賢ちゃん」「ちな」であり、一緒に遊んでいた小学校低学年のころも確かそう呼んでいたはずだが、彼と会話をしなくなってから早十年近く。それどころか、同じ高校に通うようになってからもクラスも違うので中々接触を持つことがないまま、今日が恐らくそれ以来、初となる会話である。
 母親からの情報により彼のことは離れていた間のこともそれなりに知ってはいるが、昔のように「賢ちゃん」と呼ぶような距離感にないことはわかっている。かといって幼馴染に対し「藤原くん」というのも他人行儀すぎるかと思い、彼がいま周りからよく呼ばれる「フジ」にしてみたのだが、どうにもこそばゆい。

(っていうか、あれ? 私、ハズした? やっぱ藤野くんの方がよかった? これ??)

 隣で自転車を転がし歩く藤野をちら、と伺い見れば、なにやら僅かに眉間に力を入れ口元を歪に歪めていた。

「……私、なんか変なこといった?」

 恐る恐る訊いてみると、はっ、と弾かれたように彼のおもてが千夏へと向けられる。

「や、いや……。別に……」
「えー、嘘。だって、変な顔してるもん」
「変……っておま……。いや、なんつーか……」

 コロコロと自転車のタイヤが転がる歩道で、藤野の影がぴたりと止まった。それに合わせ、千夏も足音をその場に吸わせながら彼の方へと睫毛の先を向ける。
 ふわ、とふたりの間を、生ぬるい風が通り抜けた。

「そういう感じなんだ、と思って」
「そういう感じ……って、なにが?」
「いや、なんつーか。お前と話すの久々だし? 久々どころじゃねーな。えっと、小二くらいからもう遊ばなくなってたし、えと、八年? くらい話してないし、どういうテンションで話していいかわかんないっつーか……」
「あー……、ね。それは、ある、ね……」

 気まずい話題だからと敢えて積極的に触れ気まずさをなくそうとしても、根本的な解決にはならないものらしい。少女が苦笑いを頬へと浮かべると、同じような笑みを彼も浮かべている。

「や、でもそっちはなんか最初から普通だったじゃん!」

 いかにこちらが困った状態になっていたとはいえ、約十年ぶりに会話したとは思えないほど彼は普通に話しかけてきたし、その後の会話も気負ったところなど見受けられなかった。

「私なんてなんかちょっと緊張しちゃって、声裏返るし、噛むし……っ」
「あぁ、あれはちょっと笑えた」
「ひどっ」
「いや……だからなんか……お前が、その、昔みたいに呼ばないし、ちょっと違和感っつーか……」
「……あぁ……」

 こちらとしては気を遣ってフジアダナ呼びをしたのだが、彼からするとそれは違和感として認識されたらしい。まぁ確かに彼のことを一度もそう呼んだことはないため、そう思われるのも仕方がないのかもしれないが。

「やー、だって……いま、みんなそう呼ぶから。私ひとり違うのも変かなって。ってか、そっちなんて、ずっと『お前』呼ばわりじゃない」
「だからいっただろ。俺もテンションわっかんねぇんだって。つか、お前はいまなんて?」
「ん? アダナ? 小学校の時の友達は、ちーちゃんが多いかなぁ。中学からの友達はたかみんって人が多いね」
「あぁ、なんか人によってバージョン違うなって思ってた」
「あはは、バージョンって」

 千夏は、頬を高い位置にし笑い声を落としながら、再び歩き始めた影を追う。けれど、見上げた視線の先にいる人の発言が、不意に心に引っかかった。

(……違うバージョンで呼ばれてるの、気づいてたんだ……?)

 クラスも一組と六組で離れており、部活も陸上部とバスケットボール部。校庭と、体育館。運動部ということもあり、部活全体で考えればでそれなりに交流はあるとはいえ、藤野と自身の生活は学校ではほぼ重なり合うことがないというのに、それでも気づいていたのか。

(や、まぁそれはフジってアダナを知ってた私も同じこといえるんだけど)

 幼いころのみを知り合う仲というのは、複雑だ。
 関係ない、興味ないと素知らぬフリをするのは不自然で、けれども積極的に絡んでいけるほどいまの相手とは親しくない。
 一度収まったはずの心臓が、再びドクンドクンと大きく鳴り出す。
 涼を感じない風が、ふわりと鼻腔を擽る。
 きっと当時とは洗剤や柔軟剤のにおいも変わっているだろうに、彼のにおいにどうしても昔懐かしさを感じてしまうのは、きっと「彼の家」のにおいが記憶の片隅にいまだ残されているからだろう。
 その事実に、どうしようもないほどに優越感を覚えてしまう。

(ダメだ。意識するな、意識するな、意識するな……)

 知らず熱が集まり出す顔に、いまが夜でよかったと心から思う。

「髪」
「え? 髪??」

 肩口で揺れる髪へと指で触れながら小首を傾げると、こちらへと向けられていた藤野の視線がふい、と流れ前方へと貼り付いた。

「いつもと違くね?」
「……あ、あぁ。部活中でもないしね、下したんだけど……。え、変!?」
「や、変ではないけど。でもなんか……見慣れないから、違和感。俺の中のイメージは、こう、ふたつに結んでるまま」
「あはは、なにそれ。そんなこといったら、私だって話には聞いてたけど、高校入って久々に見たらめっちゃフ……フジの身長伸びてて吃驚したよ」

 最後の記憶にある彼の姿は、確か中学一年生のころ。
 その頃は千夏と身長差は大してなかったはずなのに、気づけば頭ひとつ分近い差が出来ている。

「あー、つか、結局フジそれでいくんだ?」
「……もう後には引けないことっていうのが世の中にはあるんだよ」
「ふはっ。つか、俺の身長のこととかくだらねーこと母さん言いふらしてたのかよ……」
「うちのお母さんとお宅のお母さん、ツーカーだよ」
「知ってる」

 ウンザリしたように半眼になる藤野に、千夏は込み上げてくる笑いを弾けさせる。

「笑いごとじゃないっつーの。ったく、どんなこと言いふらされてるか、わかったもんじゃねーな」
「あとは、夕飯はどんぶり飯二杯食べることとか? 牛乳、毎日二リットル飲むとか? エンゲル係数やばいっておばさん嘆いてたよー」
「それいうなら、お前は小六くらいからダイエット初めたとかで夕飯あんま食わなくなったけど、腹減ったっつって結局チョコとか食っててなんも意味ねぇっておばさん笑ってたな」
「ちょ……っ、それは! ってもう、お母さんてばなんでそんなこと喋ってんのっ!?」

 昔話という名の羞恥プレイにお互い呻きながら、それでも街路樹が並ぶ歩道へと足音を転がしていくと、不意にふわり、磯のにおいが鼻腔を擽った。同時に、ザザ……ン、と引いては寄せ、寄せては引いていく波の音が耳朶を掠める。
 ふ、と視線を辺りに流せば、数十メートル先に防波堤に腰かけるいくつかの影が確認出来た。どうやら無事、みんなの待つ目的地に到着したらしい。
 浜辺ビニール袋の取っ手が裂けたときにはどうなることかと思ったが、結果的に数年ぶりに幼馴染と「再会」し、会話も出来た。夏の終わりというシチュエーションがそう思わせるのか、なにかが始まる予感を感じつつも、とりあえず昔はなしに花も咲き、楽しい時間が過ごせたことは万々歳だろう。

「あ、っと。フジ、ありがとう。ほんと、助かったよ」
「ん? あぁ、いいって。どの道、向かうとこ一緒だしな」

 浜辺への階段を下り、砂の上になんとか自転車を止めようとしている藤野にぺこり、頭を下げると、そっけない声が頭上から降ってくる。ちら、と上目遣いに顔の上にかかる前髪の隙間から彼を覗けば、唇の端を僅かに持ち上げた少年の姿。
 やや釣り目がちな眦が、願望からかいまは柔らかく溶けている気がする。

(う、わ……)

 いまの笑顔は反則だ。
 静まったはずの心臓が再び主張をし始め、伏せた顔が熱を孕む。

「お、ちーちゃん来たー」
「マジで? 遅いねって、みんな超心配してたんだよー」
「ちーちゃーん、よかったよぉ」
「たかみん、大丈夫? なんか木下が超重たいもんひとりで持たせてたんだって? みんなでマジでシメといたからっ!」

 一足先に集合場所であるこの海辺に来ていたらしい女子バスケットボール部員が千夏に気づき、手のひらをこちらへ向けぴらぴらと振ってきた。

「おぉ、違うバージョン」
「……ん。女バスの友達」

 千夏は助かったとばかりにパッと顔を上げると、海風に揺れる髪を抑えながら友達の方へとおもてを向ける。街中よりも幾分冷たい潮風が、火照る頬に心地よい。

「木下、あいつ自分はペットボトル三本くらいしか買ってきてなかったって。残りは竹ちゃんと吉本に持ってこさせてたんだよー」
「ほんとマジ最低なんだけど、あいつー」
「ちょ、ほんとに? 私、十二本持ってこさせられたよー! あとで私もシメていい?」
「やったれやったれ」
「あははっ。えっと、じゃあとりあえず、飲み物どこ置けばいーかなぁ? 竹ちゃんたちが持ってきたの、どこに置いてあるの?」

 藤野の自転車のカゴに入れていたビニール袋を取り出しながら、女子バスケットボール部の面々へと声をかけると、「こっちー」と手招きされる。千夏は再度振り返り、藤野に「ありがとね」と頬の位置を高くした。
 そして、片方の腕に取っ手のちぎれた袋を抱え、もう片方の手にビニール袋をぶら下げながら、友達の待つ方向へとザクザクと足音を砂浜に数歩、刻み始める。
 ――次の、瞬間。

「ちな」

 背後から、先ほどまで耳朶に触れていた声が、千夏を呼んだ。
 幼いころに呼んでいたその呼び名のままに、あの頃とは違う声で名を紡ぐ。
 ばくん、と跳ね喉元を飛び出しそうになる心臓を、なんとか飲み込み、肩越しに振り返ると、そこには予想通り藤野の姿があった。けれど、視線は引いては寄せ、寄せては引くを繰り返す海へと向けられていた。
 思わず出てしまったのだといわんばかりに、口許が拳に抑えられている。
 暗くて確認は出来ないが、きっとその目尻には朱が走っていることが容易に知れる仕草だった。
 知らず赤くなる頬に、トクントクンと、胸の鼓動に合わせて時が刻まれていく。

「な、なん……っ、急、にっ、名前……とかっ」

 さっきまで「お前」だったくせに。

「……るせー」

 藤野は俯き、口許を抑えていた手でくしゃりと前髪を潰しながら消えるような声で呟いた。少女にしか聞こえない程度の小さなその声は、けれども辺りのざわめきを凪いだかのように千夏の周囲の音を奪い、砂浜に静かに響く。

「…………、俺バージョンがあってもいいかと思ったんだよっ」

 ぷいっ、と逸らされたままの視線が物語るのは、恥じらいとほんの僅かな後悔と――。

(それと――)

 八年ぶりに幼馴染へ戻ったと思っていたその日は、なにかが始まる予感に、息の仕方も忘れるほどの、とてもとても暑い夏の終わりの夜だった。
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