湖に還る日

笠緒

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第一章 巡り絡む運命

永禄八年――春が一気に芽吹く日、越前にて

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 空の高い場所を、ピーヒョロロロ、と鳶が飛んでいた。
 そよ、と頬に触れる風は暖かく、肩口で切り揃えられた黒髪がさらりと揺れる。
 くるりと見回した狭い庭には、それでも母が育てた花々が一斉に咲き始めており、色鮮やかな風景が目に楽しい。
 その合間を、何匹かの蝶がひらりひらりと舞っている。
 北国の春は一気にやってくると言われるが、つい先日まで雪の中にあった越前国えちぜんのくにもその例に漏れることなく、白い景色だった庭が嘘のように春の訪れをいっぱいに広げていた。
 暖かな陽気に誘われるように、庭へと視線を流していけば、京と同じくらいの背の高さの樹木からピルルルル、と声が聞える。綿入りした小袖から解放された気軽さから、きょうは、ひいな遊びをしていた手を止め、ゆっくりと部屋から一歩廊下へと足音を落とした。
 きょろりと辺りを見回したが、どうやら母を始め、屋敷に仕える女たちが誰も近くにいないらしい。時間を考えるに、母は妹の昼寝に付き合っているのだろうし、乳母はふたりの姉たちと共に外に散歩にでも出ているのかもしれない。

(さっきないていたのは、なんのとりかしら)

 京は裸足のまま庭へと降りると、声の聞こえた樹へと歩を進めていく。足裏に土の感触が何ともくすぐったい。母や乳母がいる時ならば決して許されない行動であり、少女自身そんなことをしようとした事もなかったが、周りに誰もいないという開放感からか、常の少女よりも幾分思考が大胆になっていた。
 背の高さを伸ばした草木を掻き分けながら、色の濃い葉を覗き込むと、そこには枯草を編んで作られたお椀型の巣があった。鳴き声が聞こえたという事は、きっとこれを巣にしているはずの鳥が近くにいるのだろう。
 春先ということもあり、既に抱卵しているのかもしれない。
 どんな鳥か、と覗き込もうとした、その瞬間――。

「でしょう? それ、実は私もずっと思ってたのよねぇ!」
「なぁんだ、みんなそうだったんだぁ」

 笑い声を含んだ声が、突然響いた。
 咄嗟に少女が身を屈め、草木の中に姿を消すと同時に、廊下の角から数人の女たちが姿を見せた。この屋敷で雇っている侍女たちで、どこに姿を消したのかと思っていたがどうやら乳母などの目がない事で羽を伸ばしている最中らしい。
 先ほど京が遊んでいた部屋の前までやってきた彼女たちは、そこを息抜きの場所と決めたようで一度、二度、周囲へと視線を走らせると麗らかな陽気を締め出すようにピシャリ、戸を閉めた。

「あら? 姫さまは?? さっきまでここにいなかった?」
「え? たまさまなら、御方さまとご一緒にお昼寝されていらっしゃるんじゃないの?」
「やぁだ。玉さまじゃなくて……」
「あぁ……京さまね」

 障子戸の向こう側から聞こえた自身の名に、京はびくっ、と肩を揺らす。
 京が生まれてから物心つく頃まで、この家――明智あけち家は大層貧しく、親類の者と、乳母、それに数人の下男下女のみがいる暮らし向きだった。そんな生活に慣れ切っていたせいか、それとも生来の気質ゆえか。彼女たちがこの屋敷に仕え始めて半年ほどになるが、人見知りをしやすい京はさほど彼女たちと声を交わしたことはない。
 勝手に庭に降りているという後ろめたさが、突然自身が話題に出てきた事により一層膨れ上がってしまう。

(わ、わたくしが……なぁに?)

 緊張で、胸の裡で大きく心臓が音を立てる。

「あの姫さま、愛想ないのよねぇ。目が合っても、すーぐ乳母どのの後ろにぴゃっと隠れちゃうし、可愛げってもんが足りないのよ」
「可愛げって……そりゃ、あなた。妹姫さまに比べたら、幼子といってもご器量は歴然としているじゃないの。比べるだけ可哀想ってもんよ」
「それもそうだけど……、玉さまはご器量の良さもそうだけど、愛想がいいのよ。私が話しかけるといつだって、ぱっと笑って下さるもの」
「まぁわかるけどね。あのお顔見ると、本当何でもして差し上げたくなるもの」
「ほんっと可愛らしいわよねぇ」

 まさか彼女たちも自分たちの話を当の本人が聞いているだなんて思ってもいないだろう。後にして思えば、日頃口うるさい上役である乳母の姿もなく、天気のいい日に気心の知れた仲間と気ままなお喋りに興じた際にぽろりと零れてしまった本音なのだとわかる。
 けれど、本音なのだ。
 間違いなく、それが彼女たちの本音――。
 京は今年で六歳になる。
 彼女たちのうっかり零したその本音が、どういった意味を持つものか。そこにある感情がどういったものなのかくらい、もう既にわかるだけの年齢になっていた。

(……わたくし、は……)

 可愛げがない、のだろうか。
 確かに二年前に生まれた妹の玉は、生まれた当初よりちょっと周りの人間が驚くほどの可愛らしい赤子だった。長じるに連れ、その愛らしさはまさに留まるところを知らず、二歳にして将来が楽しみだと誰もが口にするほどの器量だった。
 そしてちょうど彼女が生まれた頃から、父の仕事がうまくいっているようで、この家の暮らし向きが安定し始め、また末っ子という事もあり、実に子供らしい子供に育っている。

(たしかに、たまは、かわいいわ……)

 何でも京の遊ぶものを取ってしまう困った妹だけれど、それでも「ねぇたま」と、つたない歩みで後ろを追いかけてくる姿は、とても可愛らしい。

(でも、だって……わたくしは、ねえさまだから……)

 赤子ではないのだから、玉のように、我儘など言ってはいけない。
 母や乳母の手を煩わせることのないように、お姉さまらしくいましょうね、と姉たちから告げられ、それを守ってきたのだ。
 だから。

(おかあさまに、おはなしがあるときも、わたくし、がまんしていたもの……)

 京とて、時に母に甘えたい事もあったが、それでも我慢してきたのだ。
 我知らず、母が紙で作ってくれた人形ひいなをぎゅ、と握り締めていると、不意に表の方から「もし、誰もいないのですか」と張り上げた声が響く。
 京の予想通り、外へ出かけていたらしい乳母が、帰ってきたようだ。

「あっ、乳母どのの声じゃない? これ……」
「ちょ……まっずい。ここで息抜きしてたことがバレてしまうわ」

 侍女たちが慌てて障子戸を開け、室内から姿を現した。そのバタバタとした音に驚いたのか、傍らの枯れ木の巣から突然一羽の鳥が飛び出してくる。
 一尺ほどもありそうな大きさのその鳥は、赤茶色にも似た灰色で、腹の色は白。この時期、よく見かける鳥だった。
 京は流石に驚いたものの、先ほどの侍女たちの会話のせいでひどく感情の移ろいに鈍くなっていた。鳥がバサ、と羽を広げ空に飛び立つその姿を、草木の中しゃがみ込んだままただ黙って見送る。

「ん? 鳥……?」

 侍女のひとりが、空に飛び立った事に気づいたようで空へと視線を向けた。

「あぁ、あれ、郭公カッコウじゃない? ちょうど、卵産む季節でしょ」
「そうね。ってことは、やだ。また他の鳥の巣にでも産み付けたんじゃないかしら」
「私、あの郭公のさえずり、好きじゃないのよね……」
「そう? まぁ特徴的だなぁとは思うけど」
「なんかみすぼらしいというか……陰気な感じ、しない?」
「ぷっ。やだ、あなた。それ、京さまみたいって言いたいの?」

 意地の悪い響きを纏わせた言の葉を、周りの侍女はそれでも咎める事なく苦笑で迎える。

「ちょっと、もう。京さまだって、殿と、御方さまの御子よ? そんな言うほど悪いご器量ではないわよ」
「まぁそれはそうだけど……、ってマズいわよ。乳母どのそろそろオカンムリだわ」

 今度こそ、観念したのか、侍女たちはバタバタと足音を廊下へ響かせながら、髪を背で揺らし去って行った。残された京は、ただその足音を拾うように廊下へと視線を這わせる。
 姦しさが廊下の角のその先に消えたその後で、はーっと大きく息を吐き出すが、それでも胸にじわりと滲んだ苦しい気持ちが消える事はなかった。

(かなしい)

 あんな風に、人から思われていたなんて。
 あんな風に、言われてしまう程の子だったなんて。

(はずかしくて、かなしい……)

 口数は少ないものの、物知りで優しい父。
 おっとりしつつも、しっかり者で優しい母。
 いつも遊んでくれる、母に似た優しい姉たち。
 自分を慕ってくれる、可愛い可愛い妹。

(かぞくのなかで、わたくしだけが、だめなこなんだ)

 あんな風に、笑われてしまう程に。
 鼻の奥が、ツンと痛い。
 ぽたぽたん、と落ちたしょっぱい雨が、手に握りしめていた人形ひいなの顔へと落ちる。
 濡れて滲んだその顔は、まるで彼女が泣いているようだと京は思った。
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