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おとぎ話の結末
FAIRY TALE
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「晶馬くん、ヒトの生命はどこからきたんだろう。生んでくれたお父さん、お母さん、その親のおじいちゃんおばあちゃん、そのまた上のひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん。そうやってご先祖さまを辿れば昭和も明治も江戸も通り越し、弥生、縄文、原始時代、大恐竜の時代を遡り、全ての命が始まる太古の海の中の原生物の時代に行き着く。そこは三十八億年前の世界だ。
僕ら人間は、生まれた瞬間から足は二本で鱗もなく毛皮もない。どうして魚で生まれてこないんだろう。どうして鳥じゃない?サルじゃない?どうして人として生まれてこれるの?
それは、受精した卵細胞が細胞分裂を繰り返して胚となり、勾玉みたいな姿となり、心臓や肺が出来、手が生え足が生えて徐々に人間の胎児の姿になっていくからだ。その過程に人類の進化がある。人は十月十日で三十八億年の時をいっきに駆け抜けてくるんだよ。信じられないよね、僕たちの体には生まれた瞬間に三十八億年分の時間が流れている。おぎゃあと泣いた時には三十八億歳だ。
その太古の原生物が一人の人間になるまでには親から子へと何億回の世代交代をしただろう。もしその長い系譜の中の誰かが、ふとした理由で次の世代に命を繋げなかったら。例えば、僕の遺伝子の始まりの原生物が氷河期で凍っていたら。始祖鳥が恐竜に食べられていたら。アウストラロピテクスが大陸移動を途中で止めていたら。江戸時代の先祖が飢饉で我が子を諦めていたら。ひいおじいちゃんが若くして病死していたら、両親が出会ってなかったら。
些細なきっかけで僕はここにいなかった。僕が今ここにいるということは、原始から続く全ての先祖が途中で息絶えることなく、沢山の選択肢の中から僕へと命を繋ぐ選択をしてくれた証明だ。それがどれだけ稀有なことか。
地球には空気と水があり、適切な温度と適切な重力があり、地球全体が巨大な磁石として有害な宇宙線を磁力で防いでいる。あたかも神が命の為に用意したような星だ。広い宇宙といえど、そんな星が出来上がる確率はどれだけあるんだろう。その星に発生した有機化合物が生き物に変化する確率は?僕たちが太古からの命を受け継いで進化してヒトとなり、生まれてくる確率は?
どれも限りなくゼロに近い。だけどそれが重なって、やっと命が生まれる。
偶然が重なり続ける確率の少なさを数学者は奇跡と呼び、聖職者はそこに神の存在を見る。僕らは生まれてきて当たり前じゃない、奇跡だ。以前の人口は百億人。その一人一人が体内に三十八億年の歴史を持つ奇跡の存在だった」
りぃが夢見るように語る。きっと優秀な脳内には、命が進化する膨大な時間と広大な世界がありありと広がっている。
「それがたった一人、百億分の一のエゴで、三十八億年の時間がわずか三十分で消滅した」
その顔が苦痛に歪んだ。
胸が苦しい。生き残った人々の嘆きと苦しみは僕の想像を絶する。想像できるりぃは共感してもっとずっと苦しい。
「種の絶滅とは、この先どんなに悠久な時が流れてもこの星に同じ生命体が発生することがなくなるという意味だ。地上の全ての種にそれが目前に迫っていた。
地表にはまだ次世代に譲り渡す人類の社会がそのまま残っている。なのに渡す相手はもういない。死神が全てに等しく鎌を振るった三十分がなければ、何事もなく次の日がやって来るはずだった。方舟も開かれず、遺伝子の操作もされなかった。当たり前にやってくる筈だったのに、平凡な明日という人類の未来は奪われた。そんなこと、到底許される筈がない。
すると、方舟をあけた科学者が言ったんだ」
『奪われた明日を子供たちに返しましょう』
命の絶えたこの地上を元に戻して、この時間を歴史から抹消しましょう。 命の絶えたこの地上を元に戻して、この時間を歴史から抹消しましょう。そうすれば復元された生き物は本物になる。終末の世界の絶望は私たちしか知らなくていい。未来の子供たちが知る必要はないのです。悪夢の三十分を歴史から葬り去り、この先の人類には傷のない歴史を渡しましょう、と。
『命は神の領域。人が命を生み出す行為は進化に掛かった長い時間を踏みにじるものです。その罪は私一人で十分。全ての罪は私が負います』
科学者は、気の遠くなるような数の生物の復元を、方舟に篭ってたった一人で行った。作業には数十年が費やされたが、全てが終わってからも施設から出ずに遺伝子の研究をやり続けた。人々が外での生活を説得しても
『これが私の罪の償い方であり、幸福の追求方法なのです』
そう言って一生を生命の研究に捧げ、施設の中を終の住処とした。
その姿は全てを神に捧げる敬虔な神父のようでもあり、悪魔と取引した黒魔術師のようでもあったという。
科学者はヒトを生み出す際、遺伝子に計画を刻んだ。そのため、社会的条件が満たされれば人類の遺伝子は自然に変化していくようにできている。
時が経ち、現在、人口は以前に追い付きつつあり、文明も再び発展して以前の姿を取り戻してきた。すると数年前から性種の比率に変化が始まった。αとΩの占める割合が減り始めたんだ。それは、これ以上人口が増える必要性がなくなった事を意味している。計画が次のステップに移行したんだ。
この先はαとΩからもβが生まれる確率が上がってβの割合はますます高まっていく。そしてふと気が付くといつの間にかβだけの、つまり本来の男女だけの世界に戻っている。
「今、人類は長い長い時間を掛けて三十分を巻き戻しているところなんだ。巻き戻した先には絶滅の危機がなかった世界が広がっている。その日々が一度目の過去から続く<奪われた明日>だ。そこから始まる新しい日々にはβしかおらず、未来の人々は世界が終わりかけた事を知らない。悪夢の三十分、奪われた数百億の命、生き残った人々の絶望。それらの存在は全て跡形もなく消え去る。最初から存在していないんだ。
未来の子供たちはαとΩの存在をおとぎ話の中で知るだろう。彼らは絶滅しかけた世界なんて思いつきもしない。
晶馬くん、僕たちが生きているこの時間は、未来の人々にとっては架空の物語の世界で、過去の人々にとっては失った楽園の夢だ。どちら側から見ても幻の時間。僕たちは今、おとぎ話の真っ最中なんだよ」
「!」
全ては時の狭間の出来事。
今は過去と未来を繋ぐための仮初めの時間。
僕たちはおとぎ話の住人だった。
僕ら人間は、生まれた瞬間から足は二本で鱗もなく毛皮もない。どうして魚で生まれてこないんだろう。どうして鳥じゃない?サルじゃない?どうして人として生まれてこれるの?
それは、受精した卵細胞が細胞分裂を繰り返して胚となり、勾玉みたいな姿となり、心臓や肺が出来、手が生え足が生えて徐々に人間の胎児の姿になっていくからだ。その過程に人類の進化がある。人は十月十日で三十八億年の時をいっきに駆け抜けてくるんだよ。信じられないよね、僕たちの体には生まれた瞬間に三十八億年分の時間が流れている。おぎゃあと泣いた時には三十八億歳だ。
その太古の原生物が一人の人間になるまでには親から子へと何億回の世代交代をしただろう。もしその長い系譜の中の誰かが、ふとした理由で次の世代に命を繋げなかったら。例えば、僕の遺伝子の始まりの原生物が氷河期で凍っていたら。始祖鳥が恐竜に食べられていたら。アウストラロピテクスが大陸移動を途中で止めていたら。江戸時代の先祖が飢饉で我が子を諦めていたら。ひいおじいちゃんが若くして病死していたら、両親が出会ってなかったら。
些細なきっかけで僕はここにいなかった。僕が今ここにいるということは、原始から続く全ての先祖が途中で息絶えることなく、沢山の選択肢の中から僕へと命を繋ぐ選択をしてくれた証明だ。それがどれだけ稀有なことか。
地球には空気と水があり、適切な温度と適切な重力があり、地球全体が巨大な磁石として有害な宇宙線を磁力で防いでいる。あたかも神が命の為に用意したような星だ。広い宇宙といえど、そんな星が出来上がる確率はどれだけあるんだろう。その星に発生した有機化合物が生き物に変化する確率は?僕たちが太古からの命を受け継いで進化してヒトとなり、生まれてくる確率は?
どれも限りなくゼロに近い。だけどそれが重なって、やっと命が生まれる。
偶然が重なり続ける確率の少なさを数学者は奇跡と呼び、聖職者はそこに神の存在を見る。僕らは生まれてきて当たり前じゃない、奇跡だ。以前の人口は百億人。その一人一人が体内に三十八億年の歴史を持つ奇跡の存在だった」
りぃが夢見るように語る。きっと優秀な脳内には、命が進化する膨大な時間と広大な世界がありありと広がっている。
「それがたった一人、百億分の一のエゴで、三十八億年の時間がわずか三十分で消滅した」
その顔が苦痛に歪んだ。
胸が苦しい。生き残った人々の嘆きと苦しみは僕の想像を絶する。想像できるりぃは共感してもっとずっと苦しい。
「種の絶滅とは、この先どんなに悠久な時が流れてもこの星に同じ生命体が発生することがなくなるという意味だ。地上の全ての種にそれが目前に迫っていた。
地表にはまだ次世代に譲り渡す人類の社会がそのまま残っている。なのに渡す相手はもういない。死神が全てに等しく鎌を振るった三十分がなければ、何事もなく次の日がやって来るはずだった。方舟も開かれず、遺伝子の操作もされなかった。当たり前にやってくる筈だったのに、平凡な明日という人類の未来は奪われた。そんなこと、到底許される筈がない。
すると、方舟をあけた科学者が言ったんだ」
『奪われた明日を子供たちに返しましょう』
命の絶えたこの地上を元に戻して、この時間を歴史から抹消しましょう。 命の絶えたこの地上を元に戻して、この時間を歴史から抹消しましょう。そうすれば復元された生き物は本物になる。終末の世界の絶望は私たちしか知らなくていい。未来の子供たちが知る必要はないのです。悪夢の三十分を歴史から葬り去り、この先の人類には傷のない歴史を渡しましょう、と。
『命は神の領域。人が命を生み出す行為は進化に掛かった長い時間を踏みにじるものです。その罪は私一人で十分。全ての罪は私が負います』
科学者は、気の遠くなるような数の生物の復元を、方舟に篭ってたった一人で行った。作業には数十年が費やされたが、全てが終わってからも施設から出ずに遺伝子の研究をやり続けた。人々が外での生活を説得しても
『これが私の罪の償い方であり、幸福の追求方法なのです』
そう言って一生を生命の研究に捧げ、施設の中を終の住処とした。
その姿は全てを神に捧げる敬虔な神父のようでもあり、悪魔と取引した黒魔術師のようでもあったという。
科学者はヒトを生み出す際、遺伝子に計画を刻んだ。そのため、社会的条件が満たされれば人類の遺伝子は自然に変化していくようにできている。
時が経ち、現在、人口は以前に追い付きつつあり、文明も再び発展して以前の姿を取り戻してきた。すると数年前から性種の比率に変化が始まった。αとΩの占める割合が減り始めたんだ。それは、これ以上人口が増える必要性がなくなった事を意味している。計画が次のステップに移行したんだ。
この先はαとΩからもβが生まれる確率が上がってβの割合はますます高まっていく。そしてふと気が付くといつの間にかβだけの、つまり本来の男女だけの世界に戻っている。
「今、人類は長い長い時間を掛けて三十分を巻き戻しているところなんだ。巻き戻した先には絶滅の危機がなかった世界が広がっている。その日々が一度目の過去から続く<奪われた明日>だ。そこから始まる新しい日々にはβしかおらず、未来の人々は世界が終わりかけた事を知らない。悪夢の三十分、奪われた数百億の命、生き残った人々の絶望。それらの存在は全て跡形もなく消え去る。最初から存在していないんだ。
未来の子供たちはαとΩの存在をおとぎ話の中で知るだろう。彼らは絶滅しかけた世界なんて思いつきもしない。
晶馬くん、僕たちが生きているこの時間は、未来の人々にとっては架空の物語の世界で、過去の人々にとっては失った楽園の夢だ。どちら側から見ても幻の時間。僕たちは今、おとぎ話の真っ最中なんだよ」
「!」
全ては時の狭間の出来事。
今は過去と未来を繋ぐための仮初めの時間。
僕たちはおとぎ話の住人だった。
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