おとぎ話の結末

咲房

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おとぎ話の結末

NEW WORLD

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「僕こそ……君に……」

 その先の言葉は途切れ、ぎゅうっと抱きしめられた。顔が服に埋まって、ぶわりとりぃの匂いが広がる。それを大きく深呼吸して吸い込んだ。
 すぅぅっ、はぁぁ。
 いい匂い。果物のように甘く爽やかで、花束のように瑞々しくて華やかなこの匂いは、りぃの笑顔そのものだ。これを嗅ぐと僕は全てを包み込まれたように安心する。

「りぃの匂い凄く好き」
「僕も晶馬くんの匂い大好きだよ」

 匂いの元になってるのはフェロモンだ。番えば誘惑の矛先は伴侶だけになり、他の人には分からなくなる。
 このりぃの匂いは僕だけのもの。僕の匂いもりぃにしか分からない。独占欲を満足させる甘美な香り。
 クン……
 その中に霧雨にけぶる花のような匂いがした。
 華やかさの奥底に隠れた微かなラストノート。それは柔らかな雨の中で聞こえる静かな歌のような、朧げな記憶を揺り起こすノスタルジーがある。この匂いがすると僕はりぃを強く抱きしめたくなる。
 彼の中に降っている雨の正体がやっとわかった。慈雨だ。過去の人々が流した涙が、枯渇した大地に命を育む慈雨となって降っている。僕も背中に手を回すと、りぃの腕はゆるまって優しくなった。
 匂いは変化する。
 りぃの匂いは番う前より少しだけ変化して、さらに僕を虜にした。りぃも僕の匂いが変わったって言ってたから、きっと互いに影響し合ってより好ましい匂いになっている。だったらこの雨の匂いも甘やかなものになって欲しい。僕といることで少しでも楽しい歌になってくれたら嬉しい。

「ねえ、りぃ。僕たちに匂いがあるのは、僕たちの体がαとΩだからだよね。だから世界が破滅していなければ、僕たちは匂いを持たないままだった。もし令和の世界に生まれていたとしても、僕とりぃは惹かれ合って一生を共にしただろう。だけど、互いに匂いを持ってないから番という強い繋がりは持てなかった。
 この世界だからこそ運命に逆らってでも欲しいって思いを強くして、互いにしか分からない匂いに心満たされ、互いの片翼として生きていけるんだ。
 なにより、男である僕がりぃの子供を産める。それはこの世界じゃないと駄目なんだ。僕が子供を生めるΩの体で生まれてくるためには、世界は滅亡しなければならなかった。平和な世界じゃ駄目だったんだ」

 滅亡しなければならなかっただなんて随分と酷い言い草だ。だけど、これがこの世界に生まれてきた、Ωの僕の本音だ。この世界も僕の体も本物で、動物も人々も今を一生懸命生きている。この世界をまぼろしにしないで欲しいんだ。
 僕は悲しみを知るりぃの意識を変えたい。

「Ωは可哀そうな存在じゃないよ。愛する人の子供を生める、祝福された存在だ。僕は今この時に生まれてよかった。だって僕とりぃの血を受け継ぐ子供を生むことが出来るんだもの。
 世界の破滅はあってはならない事だった。でも、それがなければ僕たちは今こうやって向かい合っていない。僕が番としてりぃと向かい合う為には、世界は滅亡してαとΩが発生しなければならなかった、僕が運命の番と相性が悪くなければいけなかった、りぃが唯一それを救える稀少種じゃなければならなかった。どれも必要な事だったんだ。
 りぃは偶然が重なることを奇跡と言ったけど、僕とりぃが今ここで向かい合う為には偶然を重ねた奇跡が必然だった。どれひとつが欠けていても僕たちはここにいない。だから僕は全てのものに感謝するよ。未来を諦めずにαとΩを作ってくれた生き残りの人々、僕とりぃに命を繋いでくれたご先祖さま、生んでくれた父さん母さん、僕たちを育んでくれたこの世界。僕をとりまく全ての環境、りぃをりぃとして形作ってくれた全ての事象。りぃと僕をこうやって向かい合わせてくれた全てのものに感謝している。僕はいま幸せだから、世界が全部愛おしいんだ」

 神様、ありがとう。りぃをりぃとして存在させてくれて。僕を、今このカタチでりぃと向かい合わせてくれて。

「りぃ、僕を好きになってくれてありがとう」

 りぃが息を飲んだ。それからくしゃりと顔が歪み、目が眇められる。

「使命を持って生まれてきた僕には、この世界は哀しいものに見えていた。なのに全てを知っても晶馬くんには愛と希望が溢れてる世界に見えるんだね。僕と同じものを見てるのに、どうして晶馬くんの世界はそんなにキラキラしてるんだろう。僕は君が眩しい……。
 晶馬くんは闇を切り裂く流れ星だ。晶馬君が一緒なら、僕はどんなに深い闇でも進んで行ける」

 僕が流れ星?だったら……

「違うよ、見て」

 僕は上を向いた。そこには、夜になると星に変わる鉱石たちが昼の光の中で眠っている。

「この部屋で光を全部遮れば真っ暗になるよね。そうしたら互いの顔も天井も見えない。でも、りぃは天井に星があることを知っているから、心の目には僕の顔も星も見えてる筈だ。見えなくても僕はいて、りぃの頭上には星がある。
 一緒だよ。僕が流れ星ならりぃが進むのは闇じゃない、宇宙そらだ。光の当たらない場所でも遠くて見えなくても、小さな星々がちゃんとある。探せば希望という名の星があるんだ」

 生き残った人々も絶望の中に希望を見つけた。未来を諦めずにいてくれたから今この世界がある。未来の子供である僕が幸せな世界だと彼らに感謝している。

「この先αとΩがいなくなっても、そのαとΩが生んだ子供たち、その子供が生む孫やひ孫、そのまた子供たちは未来の世界で生きていく。彼らが生きる世界だって僕たちが作った社会から引き継がれていくものだ。
 目に見えるものが全てじゃない。見えなくても星はあるし、おとぎ話として消えるこの時間も歴史に残らなくてもちゃんとある」

 方舟にあった遺伝子は科学者がゼロから作ったものじゃない。歴史を重ねて、それぞれの姿かたちに進化した生物たちのものが保管されていた。だからそれを元に作られた生命にも三十八億年の時間が流れている。それは遺伝子を操作されたαとΩだって同じだ。僕たちにも太古からの命を繋げてもらって存在している。そしてβに戻った未来の子供たちは僕たちが命を繋ぐから存在する。
 太古から続く命のバトンは、僕たちを経由して足跡を残しながら遠い未来に繋がっていく。僕たちの存在は、過去の人々と共に未来の子供たちの遺伝子に刻まれていくのだ。

「僕は、りぃを一人ぼっちにしない。絶対にりぃの手を離さない。そして、りぃの子をたくさん生むよ。りぃに似たら賢くて優しい子だね。僕に似たら平凡だけど運がいい子かな」
「晶馬くん似なら周りの人を幸せにする優しい子だよ」

 りぃがちゅっと音を立ててバードキスをした。不意打ちに驚くと、今度は唇をまれた。顔を覗き込んだ甘い目が笑ってる。

「もうっ」

 頬が熱くなる。この綺麗な顔に一生慣れる気がしない。

「それでね、子供たちはパパのことが大好きなんだ。きっと毎日騒がしいよ。でもそれが楽しいし、成長が嬉しいんだ。その子供たちは更に子供を生んで、その子供たちがまた生んで。世界中に僕たちの子孫が広がっていく。そして、その遠い子供たちは僕たちが行ったこともないような場所に行き、やったこともない体験をしてくれる」
「僕たちの分も子孫が世界を探検してくれるのか。素敵だ」

 りぃの目が子孫が見る地球の果てと遠い遠い宇宙の先の風景を思い描いてうっとりとなった。

「だから僕たちは子供たちが作る未来を信じて、命ある今この時間を一生懸命生きるだけだよ」

 それはいつの時代でも同じだ。流れる時間の一瞬一瞬の主人公は、その時その場に存在している者たちだ。未来の歴史で過去が改ざんされようが消えようが、それを知るすべはなく、その時には生きてないんだから関係ない。後の研究で恐竜に体毛が生えようが体長が変化しようが、当の恐竜たちにはどうでもいい事なのと同じでしょ。αとΩも、未来にはいなくても今この時間に存在して懸命に生きている。幻でも偽物でもない。それが事実だ。
 生き残った人々も未来の繁栄を信じて懸命に足掻いて生きた。その努力の結果が今で、この世界は彼らが未来を諦めなかったから存在している。
 僕は、生を授かって初めて世界が存在することを知った。美しい風景、踊りだしたくなる音楽、おかわりが止まらなくなるご飯、草花や日向干ししたお布団の匂い。かわいい動物、優しい人々。そして大好きな僕の番と出会った。命を授からなければ全て知らなかったことなんだ。
 未来を諦めず、方舟を開けてくれてありがとうございます。

「人の命には限りがあるから、生き残った人々は未来を見届けられない。だから稀少種に望みを託した。君たちは彼らの願いを現実にするための世界の守護者、このおとぎ話の魔法使いだ。
 この先、αとΩがいなくなるなら、その存在は何処に行く?子供たちが読むおとぎ話の中だね。じゃあ過去を知る人が誰もいなくなれば、消えた何十億もの命と生き残った人々の願いは何処に行く?それは計画を見届けた最後の稀少種、りぃの中だ」

 りぃの命が消えれば事実を知る者は誰もいなくなる。貴方が最後の稀少種なら、このおとぎ話は全て貴方の中に収まる。
 僕を見ている、キラキラと輝く金の瞳。これが稀少種の証。宝石のようなここに命と願いは収まり、永遠に眠る。

「りぃ、全ての想いを抱いて眠る貴方はおとぎ話の結晶になるんだ。
 だからりぃが今を悲しい世界だと思えば悲しい物語になるし、幸せな世界だと思えば幸せな物語になる。だったら絶対に幸せにならなくっちゃ。このおとぎ話を幸せな話にする為に、とびっきり幸せにならなくっちゃ」
「それは……責任重大だな」
「大丈夫。おとぎ話の最後はいつもハッピーエンドだもの」

 些細なことにも幸せは隠れてる。どんなに辛い時も小さな幸運を見つけられたら暖かい気持ちになれる。
 僕はりぃの子をたくさん産むから、りぃの周りはいつだって愛と希望で溢れるようになる。

「それにひとりじゃない。僕がいる」

 世界は美しく、未来への希望で満ちている。
 僕がこの素晴らしい世界に感謝する気持ちは、りぃを愛する事で神さまや過去の人々に伝えよう。
 過去を悲しいだけで終わらせず、明日への希望に変えよう。
 思いを込めて手を握ると、りぃがこの上なく幸せそうな顔になった。



 笑ったりぃから、ふわりと花がほころぶ優しい匂いがした。
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