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【第一章 ウィーン包囲】パン・コンパニオン
パン・コンパニオン(10)
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近くに寄るなよと言いたいところを、ぐっと堪える。
「で、市長が呼んでるって? 気が進まんな。何の用なんだ」
「う、うむ。言いにくいのだが、実は……」
その時である。
シュターレンベルクの背後で異様な音が鳴った。
「グゥル、グゥルル~」
四人が注目したのは金髪の少年だ。
彼は顔を赤らめて腹の辺りを押さえている。
「お、お腹……すいてきたかな」
半分呆れつつも、どこか和んだ気持ちになったのは事実。
「仕方ない奴だな」
言いながら、シュターレンベルクは上着のポケットからそれを取り出した。
「ほら、食えよ」
上体を捻って後ろを向いてパンを差し出すと、少年は反射的に手を出した。
「ハッ! くれるのッ?」
受け取る瞬間、シュターレンベルクを凝視する。
頬に赤みが差し、双眸が輝いた。
「あ、ありがとうっ!」
いたく感動したのか、彼を見上げる目は潤んでいる。
少々不躾なくらい見つめられ、シュターレンベルクの方から視線を逸らせた。
大袈裟な奴だ。
そもそもコレはこいつのパンなのに。
小屋で受け取ったものを、食べずにポケットに突っ込んでいたのである。
狭い所に押し込んだせいですっかり潰れてしまっているが、小僧には気にする様子はない。
自分が作ったパンを「オイシイ、オイシイ」と涙を零しながらかぶりついている。
「僕はフランツ・マルギト。フランスでパンの修行をしたパン・コンパニオンなんだッ!」
聞かれてもいないのに、意気揚々と名乗りをあげた。
「フランスで?」と、ルイ・ジュリアスが反応してやる。
「ドイツ語がうまくて驚いたよ。旅行者用の入門書で勉強したのかい?」
自身もフランス出身であるルイ・ジュリアスは、オーストリアに武人としての活躍の場を夢見て帝国入りしたという経緯がある。
この時代、ヨーロッパ内ではわりに頻繁に人の行き来があり、騎士階級の者も理想の働き口を求めて各地を転々とすることが珍しくない。
各国語の簡単な手引書は手に入りやすいのだが、帝国入りした後も言葉の壁にぶつかって苦労していると愚痴りだした。
この男が上官の前でこのようなことを言うのは珍しい。
やはり同郷の者に出会った嬉しさがあるのだろうか。
「フランスのどのあたりだ?」
「パリだよ。パリには何でもあるし、立派なパン職人がいっぱいいるからね」
「そうか、懐かしいなぁ」
「世界一のパン職人をめざして十何年ッ! パリで厳しい修行をつんで、ついに僕はなったんだ。最高峰の製パン技術をヨーロッパに広めるために旅するパン・コンパニオンに!」
「はぁ……」
ここぞとばかり、フランツと名乗った少年は馬の後方でふんぞり返った。
「本当はウィーン目指して来たんだけど、門のところでアヤシイ奴って言われて入れてもらえなかったんだよ。僕はアヤシくなんかないッ!」
甲高い声でいちいち叫ぶ。
そしていちいち両手を振り回す。
かなり挙動不審だ。
これには門兵も困ったことだろうとシュターレンベルクは想像する。
ウィーンの街に入れなかったため、仕方なくグラシの外れに位置する集落に厄介になっていたのだとフランツは打ち明ける。
それなのに、突然やってきたリヒャルトに市壁の中に避難しろと矛盾したことを言われ腹を立て、立て籠もったというところだろう。
「つまりパン屋ってことか。パンを広めにか何か知らんが、今わざわざこのキナ臭い所に来る事ないだろ。本当は何しに来た?」
「うっ……」
素直な性質なのだろう。
フランツは大きく目を見開いて、必要以上に首を振った。
まぁいい。
どうせ大した事はあるまい。
少々抜けたところのある小僧は悪人には見えなかったし、シュターレンベルクに注がれる視線からは憧れにも似た熱っぽさが感じられる。
「パン屋ならちょうどいい。兵士らの食事係をやってくれ」
「いいよ! シュターレンベルク様のために、僕がんばるよ!」
そりゃ頼もしいと冗談めかして返すが、実際食事当番を担ってくれれば有り難いことこの上ない。
何故なら皇帝レオポルトが市を脱出した際に、宮廷の料理人も一人残らず付いて行ってしまったからだ。
逃げたのではない。
皇帝陛下の供をして、旅先でも常と変わらぬ食事をして頂こうというためだ。
そればかりではない。
非戦闘員の避難は奨励していることではあるものの、市内の食堂の親爺も、下働きの女中も、宿の女主人までオスマン軍が近づくという知らせが入るたびにぞろぞろと他都市へ避難していった。
その結果、今は兵士らが交代で食事当番をしているわけだが、これが実に評判が悪い。
戦うつもりで志願したのにメシ係かよと作る方も文句を言えば、不味い飯を食わされる方もこれまた不服。
食卓は単調さが支配していた。
「僕、役に立つよ。食事係をやって、美味しいパンをお腹いっぱい食べさせてあげるよ」
そう言うとフランツはシュターレンベルクの背を思い切り叩いた。
まかせろ、という合図らしい。
馴れ馴れしい小僧だなと指揮官は苦笑する。
だが、これくらいの神経の持ち主の方が籠城戦を担う人員として向いているのかもしれない。
「で、市長が呼んでるって? 気が進まんな。何の用なんだ」
「う、うむ。言いにくいのだが、実は……」
その時である。
シュターレンベルクの背後で異様な音が鳴った。
「グゥル、グゥルル~」
四人が注目したのは金髪の少年だ。
彼は顔を赤らめて腹の辺りを押さえている。
「お、お腹……すいてきたかな」
半分呆れつつも、どこか和んだ気持ちになったのは事実。
「仕方ない奴だな」
言いながら、シュターレンベルクは上着のポケットからそれを取り出した。
「ほら、食えよ」
上体を捻って後ろを向いてパンを差し出すと、少年は反射的に手を出した。
「ハッ! くれるのッ?」
受け取る瞬間、シュターレンベルクを凝視する。
頬に赤みが差し、双眸が輝いた。
「あ、ありがとうっ!」
いたく感動したのか、彼を見上げる目は潤んでいる。
少々不躾なくらい見つめられ、シュターレンベルクの方から視線を逸らせた。
大袈裟な奴だ。
そもそもコレはこいつのパンなのに。
小屋で受け取ったものを、食べずにポケットに突っ込んでいたのである。
狭い所に押し込んだせいですっかり潰れてしまっているが、小僧には気にする様子はない。
自分が作ったパンを「オイシイ、オイシイ」と涙を零しながらかぶりついている。
「僕はフランツ・マルギト。フランスでパンの修行をしたパン・コンパニオンなんだッ!」
聞かれてもいないのに、意気揚々と名乗りをあげた。
「フランスで?」と、ルイ・ジュリアスが反応してやる。
「ドイツ語がうまくて驚いたよ。旅行者用の入門書で勉強したのかい?」
自身もフランス出身であるルイ・ジュリアスは、オーストリアに武人としての活躍の場を夢見て帝国入りしたという経緯がある。
この時代、ヨーロッパ内ではわりに頻繁に人の行き来があり、騎士階級の者も理想の働き口を求めて各地を転々とすることが珍しくない。
各国語の簡単な手引書は手に入りやすいのだが、帝国入りした後も言葉の壁にぶつかって苦労していると愚痴りだした。
この男が上官の前でこのようなことを言うのは珍しい。
やはり同郷の者に出会った嬉しさがあるのだろうか。
「フランスのどのあたりだ?」
「パリだよ。パリには何でもあるし、立派なパン職人がいっぱいいるからね」
「そうか、懐かしいなぁ」
「世界一のパン職人をめざして十何年ッ! パリで厳しい修行をつんで、ついに僕はなったんだ。最高峰の製パン技術をヨーロッパに広めるために旅するパン・コンパニオンに!」
「はぁ……」
ここぞとばかり、フランツと名乗った少年は馬の後方でふんぞり返った。
「本当はウィーン目指して来たんだけど、門のところでアヤシイ奴って言われて入れてもらえなかったんだよ。僕はアヤシくなんかないッ!」
甲高い声でいちいち叫ぶ。
そしていちいち両手を振り回す。
かなり挙動不審だ。
これには門兵も困ったことだろうとシュターレンベルクは想像する。
ウィーンの街に入れなかったため、仕方なくグラシの外れに位置する集落に厄介になっていたのだとフランツは打ち明ける。
それなのに、突然やってきたリヒャルトに市壁の中に避難しろと矛盾したことを言われ腹を立て、立て籠もったというところだろう。
「つまりパン屋ってことか。パンを広めにか何か知らんが、今わざわざこのキナ臭い所に来る事ないだろ。本当は何しに来た?」
「うっ……」
素直な性質なのだろう。
フランツは大きく目を見開いて、必要以上に首を振った。
まぁいい。
どうせ大した事はあるまい。
少々抜けたところのある小僧は悪人には見えなかったし、シュターレンベルクに注がれる視線からは憧れにも似た熱っぽさが感じられる。
「パン屋ならちょうどいい。兵士らの食事係をやってくれ」
「いいよ! シュターレンベルク様のために、僕がんばるよ!」
そりゃ頼もしいと冗談めかして返すが、実際食事当番を担ってくれれば有り難いことこの上ない。
何故なら皇帝レオポルトが市を脱出した際に、宮廷の料理人も一人残らず付いて行ってしまったからだ。
逃げたのではない。
皇帝陛下の供をして、旅先でも常と変わらぬ食事をして頂こうというためだ。
そればかりではない。
非戦闘員の避難は奨励していることではあるものの、市内の食堂の親爺も、下働きの女中も、宿の女主人までオスマン軍が近づくという知らせが入るたびにぞろぞろと他都市へ避難していった。
その結果、今は兵士らが交代で食事当番をしているわけだが、これが実に評判が悪い。
戦うつもりで志願したのにメシ係かよと作る方も文句を言えば、不味い飯を食わされる方もこれまた不服。
食卓は単調さが支配していた。
「僕、役に立つよ。食事係をやって、美味しいパンをお腹いっぱい食べさせてあげるよ」
そう言うとフランツはシュターレンベルクの背を思い切り叩いた。
まかせろ、という合図らしい。
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