クロワッサン物語

コダーマ

文字の大きさ
13 / 87
【第一章 ウィーン包囲】パン・コンパニオン

パン・コンパニオン(9)

しおりを挟む
 まずは一人目。
 腕を右斜め下に。
 撫でるように動かす。
 手首に確かな感触。
 兵の喉が割れた。

 大勢を相手にする時、剣を痛めては命取りとなる。
 骨を断てば刃が毀れる。
 柔らかな喉はまさに狙い目であった。
 加えて馬上から歩兵を斬るに、喉はちょうど剣の切っ先の位置にあるのだ。
 斬るのではない。
 突くように撫でるだけで良い。

 返す剣でもう一人。
 今度は喉ではなく、耳の辺りに切っ先が触れる。
 そのまま軽く押し込むと──プチン。
 指先に震えが伝わってきた。
 動脈を断ったのだ。
 剣を引き抜くと同時に鮮血の噴水。
 心臓の鼓動に合わせて滝のように血が噴き出す。

 立て続けにもう一人。
 同じ箇所を。
 二人が血を噴き出し倒れる様を見て、敵兵は明らかに怯んだ様子。

「リヒャルト殿、今のうちに!」

 その隙にルイ・ジュリアスがリヒャルトの前に馬をつける。
 戦士とは思えないほど細い腕をつかんで馬上に引っ張り上げ、すぐさま踵を返した。

「退くぞ、急げ!」

 シュターレンベルクは叫んだ。
 先にルイ・ジュリアスを行かせ、自分は一呼吸おいてオスマン兵を一睨みしてから馬首を返す。

 元より偵察部隊。
 犠牲が出た以上、深追いはしてくるまい。
 集落をこのままに去ることは心残りだが、今は門へ向かって一目散に走ろう。
 報告を受けたオスマンの将もすぐさまこの場所の制圧に来るだろう。
 その前にこちらが先んじて兵士を繰り出して、小屋を取り壊しておかなくては。

「閣下、あぶなっ……!」

 先のことに意識が飛んでいたせいか、反応が一瞬遅れた。
 馬の進路にオスマン兵が二人、回り込んでいたのだ。
 人数の優位を当て込んでか、まだ戦う気でいるのだ。

 湾曲した刃が二振り。
 左右からあやまたず、馬上のシュターレンベルクめがけて繰り出される。
 右はこちらの剣で受け止める。
 だが、左が──。
 顎に風圧を感じる。
 迫る刃。
 遠くでリヒャルトの悲鳴。

 その瞬間。
 背後で空気が唸った。
 同時に耳をつんざく叫び声。

「エイッ!」

 少年だ。
 シュターレンベルクのマスケット銃を、兵士の頭めがけ振り下ろしたのだ。
 重い銃底が額にめり込み、異様な音が辺りに響く。
 崩れ落ちる兵士は瞬く間に背後へ流れる。

「悪いな、助かった」

 嫌な感触が手に残ったか、後ろでアワアワ言っている小僧にはシュターレンベルクの言葉など聞こえちゃいまい。
 疾走する馬の上で彼の腰にしがみつくのがやっとという様相である。
 銃を落とさなかったことだけでも褒めてやらなければ。

「ルイ・ジュリアス、怪我はないか」

「はい、閣下。リヒャルト殿も無事です」

「……ああ、悪かったな」

 それぞれ荷物を積んだ二騎は、来た時の数倍の速さでグラシを抜ける。

 その時だ。
 何もない空き地なだけに見通しのきくグラシに、新たな人影が現れたことにシュターレンベルクは気付いた。
 たった一人、だが騎兵だ。
 馬もシュターレンベルクのよりずっと大きなもので、そこに乗る者の体格もまた然り。

「か、かやく……火薬を」

 後ろの小僧が慌ててマスケット銃を抱え直す。
 前に座るシュターレンベルクの鞄に手を突っ込んだまま、何だか不思議そうにこちらの顔を見つめる様子。
 指揮官の背中から緊張が抜けていたのだ。
 数秒の後、グラシに轟く大音声。

「兄上、随分お探ししたぞ。このような所にいらしたか。ご報告があり申す」

「遅いぞ、グイード。この役立たずが」

 隣りのルイ・ジュリアス共々、馬の足を緩めながらシュターレンベルクは返した。
 騎兵はこちらに近付くと、馬上で簡易的な一礼をよこす。
 指揮官が頷いて応じると、グイードと呼ばれた男は二騎の上に四人──一部はずり落ちながらしがみついている様に明らかに顔を顰めた。

 経緯をかいつまんで話すと、集落の取り壊しなどおれがやりますのに、と恨みがましい視線を投げてくる。
 グイード・ヴァルト・シュターレンベルク──指揮官のいとこで、彼を「兄上」と慕う事実上の副官である。

「兄上、即刻お戻りくだされ。市長殿がすぐに話がしたいとおっしゃって……兄上? いつもの銃はどうされた!」

 いちいち声が大きい。
 後ろの小僧がマスケット銃を抱えたままビクリと身を震わせたのが分かった。
 安心しろ、お前が責められてるわけじゃないよと呟きながら、シュターレンベルクは軽く「失くした」と答える。

 今持っているソレは、愛用の物ではない。
 マスケット銃など、どれも同じように見えるものだが、さすがグイード。
 生え抜きの軍人となるために幼い頃よりシュターレンベルクの下についていただけのことはある。

「失くしたから武器庫から一つ取ってきた。安心しろ。どんな愚作でも、それなりに言う事をきかせる術は心得ている」

 そう、数日前までは確かに手元にあった。
 無くなったと気が付いたものの、あえて探さなかったのには理由がある。
 指揮官の愛銃が消えたとなると騒動になるだろう。
 もしかしたらエルミアが盗ったのではないか──そんな思いがあったのだ。
 だから誰にも言わなかった。

 武人が銃を失くしただと──唖然とするグイードに、シューターレンベルクは面倒臭そうに視線を送った。
 屈強と形容するに相応しい大柄な体格に、物々しい造りの革の鎧を着込んでいる。
 この時代には珍しい格好だ。

 銃や砲の発達により、甲冑は無意味なものとなった。
 それらは人間がまとえる程度の厚みの鉄板なら簡単に撃ち抜くからだ。
 中世に比べて装備は軽量化され、その分軍服や将の軍装は華美になった。
 そんな時代に逆らうように古臭い皮鎧を着用しているのは、この男なりの武人のあり方というものを表現しているのであろう。

「その暑苦しいのを脱いだらどうだ。七月だぞ」

 からかうつもりはないが、見てるこっちがむさ苦しい。
 案の定というべきか。
 グイードはむっとしたように口元を結んだ。

 物腰と口調から少々老けて見える従弟であるが、こういう表情をすると若さが表に出る。
 彼はまだ三十歳手前であった。
 「兄上」と呼んで慕ってくれるが、こちらとしてはグイードが七つの時から戦場に連れて行って世話をしているので、どちらかといえば息子のような感覚だ。
 息子といっても頼りになる分、相当口うるさいのも事実なわけで。

「兄上に倣ってカツラは取り申した。だが、この鎧は脱がぬ」

 武人である以上これだけは……と言い出すのを慌てて遮る。

「汗をかかないのか? 何度も言うが、今は七月だ」

「うむ、汗だくだ」

「……だろうな」
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~

川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる …はずだった。 まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか? 敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。 文治系藩主は頼りなし? 暴れん坊藩主がまさかの活躍? 参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。 更新は週5~6予定です。 ※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。

大東亜架空戦記

ソータ
歴史・時代
太平洋戦争中、日本に妻を残し、愛する人のために戦う1人の日本軍パイロットとその仲間たちの物語 ⚠️あくまで自己満です⚠️

処理中です...