明日の「具」足

社 光

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3話

3話「肉野菜炒めみたいな、」【2/3】

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 ペダルを回し続けた足が燃えだしそうな程に熱くなってきた辺りで私は卸問屋「岬屋みさきや」の事務所にまでたどり着いた。ここまでかっ飛ばして20分、店長に一応は許可は取ってあるとはいっても代わりの芽衣子をホールに立たせ続けるのは忍びないから余り遅れたくはない。早めに話をつけて店に戻ろう、流石に注文してからすぐにキャンセル不可になるなんて、無いよね……?

「初めて入るなぁ。たまに目の前を通り過ぎるだけだったし」

 白い塗装の四角い建物を昨日の夕飯に空目しながら時代を感じさせる重々しいガラス戸を押し開ける。芳香剤の香りのキツさが血圧の上がった頭に直撃して少しクラっとしながらも奥に進んでいくと来客用の受付のように見える場所にまでたどり着けた。でも、人は誰もいない。中に入ってからここまで誰ともすれ違うことなく辿り着いたそこには対応担当の社員さんのような人影は誰もいない。来る前に時間は確認したから営業はしてるはずだけど───

「どなたですか?」

 キョロキョロと頭だけを動かして気配を探す私に奥へと続く廊下の向こうから怪訝そうな声が問いかけてきた。ツカツカと革靴の甲高い足音が廊下のコンクリートに反響しながら近付いてきて、そうやって現れたのは1人の眼鏡をかけた女性だ。勤務中にしては着崩されているYシャツとカーディガン姿で片手にはコーヒー用の紙カップが握られていて、その表情は声に出すまでも無く彼女の「面倒くさい」という感情を露わにしていた。こういう人を見ればさっきの電派での対応も真実味が増してくる。私はここに踏み入ったことの意義を再認識して改めて受付の担当であろう彼女にここに来た訳を説明しようとした。

「あの、先程お電話させていただいた───」
「ベルを鳴らしていただけます?」

 は?

「ベルを鳴らしてください。そうでないと対応できないんで」
「い、いや……もう目の前に立ってるじゃないですか」
「ですけど、そうしてもらえないと私が規則を破ったことになっちゃうんで……お願いします」

 煮えたぎる憤怒が再び自分の中で温度を増した。もう腹の中から胸の辺りにまでせりあがってきているソレが不意に飛び出さないうちに誠に遺憾ながらも私は彼女のベルを鳴らす。

「はい、こちら岬屋でございます。お客様、本日はどのようなご用件で」
「あのっ……!先程お電話させていただいたんですけど、私喫──」
「……あっ!」

 私が「電話させて頂いた」と言った辺りからどこか引っかかる節があるような難しい表情になっていた受付の女性は、その後思い出したように慌てながら内線の受話器を上げると口元を手で覆って何かをひそひそとまくしたてるように囁き続ける。そして受話器を置いてこっちに向き直った時にはさっきまでの緩み切った顔つきとは似ても似つかない真剣な表情で私を真っ直ぐに見つめてきたのだ。

「申し訳ございません!先程のお電話で16時くらいにいらっしゃるとのご連絡でしたので準備の方がまだ……い、今担当の者が参りますので!ほんの少しそちらで、あぁ……申し訳ありません今座る物を───」
「えぇいや、あの……」
「お待たせいたしましたぁー!!!」

 彼女の態度の急変に驚く私の鼓膜に左側からつんざくような大声が突き刺さった。現れたのは上下灰色のスーツと整髪剤でパリッパリに固めた出で立ちの中年の男性。多分だけどこの会社で1番か3番目くらいに偉い人だろう。少なくとも2番目に偉い人はもう少し気を使った見た目になる、気がする。

「いやぁ申し訳ありません!何分このような来客は滅多に無いもので~。お疲れになったでしょう!?奥の応接室でお話しさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「はい?」
「さささ!」

 訳が分からないまま通されたのは彼が言っていた応接室だった。皮張りのソファーが2つ、低めのテーブルを挟んで並んでいる光景は私が見た限りでは中学の校長室以来だ。そんな場所に私を案内し、委縮しながら震える手でコーヒーカップを持ってくる男性の声は上ずったまま、いかにもおっかなびっくりと言った様子で流石の私もこれには違和感しかない。

「あのすいません、これは一体どういう……」
「いやぁなんと言ったらいいでしょうか、創業50年!地元で細々と経営してきたこの小さな問屋にこのような大きなお話を持ち掛けて下さるとは……!私、岬屋3代目社長としてこれ以上の光栄はございません!」

 謙遜しながらも内側の熱量が滲み出ているせいで血走った瞳が2つギョロリとこっちに向いた。もう無理だ耐えられない!多分ではなく絶対に乗せる人を間違っている神輿の上から、私はようやく自分の立場とここにまでやって来た目的を話し始めた。

「あの!何か勘違いなさってるんでしょうけど!私はさっき電話させてもらった喫茶店の者です!」
「……は?」
「ですから、キャンセルの件でお電話した喫茶エビデンスの者です!」

 熱く激しくかき混ぜられていた部屋の中の空気が一瞬で静止し、私の周りの温度は一気に氷点下まで下降する。邪な目的で尋ねたとしても間違われたのは私の方なのに、まるで裁判所の証人台に立たせられているような息苦しさが胸を締め付けてきた。男はさっきまでの興奮した表情を解いたまま、時間に縛り付けられたみたいに静止していて、その瞳の奥にはさっきまでのキラキラした「期待感」みたいなものが無くなって、代わりに「呆れ」とか「苛立ち」みたいなものがみっちりと詰め込まれていた。

「……何?」
「えっ?」
「だから、何しに来たの?冷やかしにしては随分と手が込んでるし、まぁその手の嫌がらせに命かけてるような奴もいるんだってことか……。さっさと帰ってもらえるか?こっちは大事な仕事の真っ最中なんだよ」

 あぁ聞き覚えがある。この気だるげな声色、喉に何か引っかかったようなだみ声、私の記憶に間違いが無ければこの人が電話に出た担当者に違いない。だとしたら私がここにまで来た理由だって分かってるはず。

「……あんな態度での対応をされたんじゃ帰る者も帰れません。さっきお電話口にいらした方ですよね?」
「だったらどうだっていうんだ?!言っとくけどね、ウチだって可能な限りの対応はするさ。だけど今日は外せない案件のせいで立て込んでる。今日の分の発注業務はもう終わりだ。今更キャンセル作業なんてやってなんてやってたんじゃ手が足りないんだよ!」
「そんな身勝手な……」
「別にキャンセルの期限は明記してない、規約にロクに目を通してないおたくの不手際だろ?良いから帰ってくれ!ウチの社運がかかってるんだ!」
「お忙しいようであれば、お暇した方がよろしいでしょうかね?」

 その時、部屋中に轟いていた2人以外、扉の方から聞こえてきた別の声に、男は単純に驚いて、私は何故か有った聞き覚えに反応してそれぞれ振り向いた。パンツルックのスーツに長い黒髪は頭の後ろで束ねられ、「何にも屈することの無い」という意志を感じさせるような仁王立ちで部屋の入口に立つその姿、その凛々しさ。右手に巻かれた包帯を加味しても全く損なわれることの無いその存在感は彼女を見る人々全てに恐らく伝わっている。そこにいたのはさかき 奈央なお。昨夜湯豆腐に苦戦していた姿とは全く異なる、「株式会社Terra'sの営業部長」としての榊 奈央その人だった。

「こっ!!!これはっ……あ、貴方が榊さん!?お迎えに伺えず申し訳ありません───」
「16時ちょうどに伺うとお伝えしたはずです。前もって当日の服装もお伝えしておいたはずですが?」
「あぁは、いやぁすいません。何分小さな会社でして、連絡の社員からの通達がうまくいっていなかったようで───」
「『ようで』で済まされては困ります。会社の規模が小さければそれだけ通達も容易なはず。社長と言えども社員教育にしっかりと関わっていれば防げた事態のはずですよ?」

 男は額から脂汗をたらしながら一瞬こっちに恨みのこもった視線を投げつけた。出口が塞がれて完全に退出のタイミングを失ったにも関わらず、昨夜の跳ねたお湯にもんどりうっていた姿とは全く違う彼女の堂々とした振る舞いに私は思わず目を奪われていた。

「いやぁはぁ……ままお掛け下さい!今回の商談、その後内容で弊社への印象も変わりましょう!」
「そのつもりでしたが……やはり日を改めた方が良さそうですね」
「!なっ───」
「何故とは言わせませんよ。貴方も分かっているでしょう。この業界において誠意とは時間と同義なもの、お話への返答や日時の調整にここまでの時間がかかっているようでは、とても弊社と対等に取引ができる会社とは思えません。今回はご縁が無かったということで……」
「まっ、待ってください!せめてお話だけでも……今日はそこの女性からの謂れの無いクレーム対応に時間を足られまして───」
「『謂れのないクレーム』ですか……。御社のサイトを拝見させていただきましたがかなり前時代的なレイアウトに思えます。確定までの確認画面もなく問い合わせフォームに至ってはこれでは意図的に隠されているのかと疑いかねません。一個人としても、岬屋はTerra'sテラスの取引相手としてはふさわしくないと、判断せざるを得ない。これは既に確定したことです」
 彼女からの容赦のない追い打ちに男は唇を静かに噛みしめる。信じられない、余りにも現実味がない……まるで深夜2時くらいにやっている意識高い系のドラマのワンシーンでも見ているかのようなスカッとする光景が、今私の目の前で繰り広げられているのだ。しかも片方は見知った人物の知らない顔によって……

「そこの貴方」

 冷徹な口調のまま彼女が呼びかける他の人間がこの場に自分しかいないことに一拍置いて気付く。私が顔を向けると榊さんはさも初対面かの様に表情も声色も変えることなく部屋を出るように促してくれた。

「こんな場所で、これから済ませられる用事は無いでしょう?」

 そう言いながらどこか語尾が少し上ずっているようにも聞こえたけど、真横で唇をかみしめるこの中央分け男が気付くような素振りも無いのでまぁ大丈夫だろう。もっとも気付かれたところでって感じだけどね……。

「それでは今日はここで。また改めて建設的な話し合いができることを願います」
「……大変、失礼をいたしました……」




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※





 帰り道。自転車を押しながら早足で歩き続ける私の横を榊さんはぴったりと付いてくる。本来の目的もあの光景の前ではなんだかどうでもよくなっちゃって、岬屋から出て店長にどう謝るかを考えながらトボトボ歩く私の前をしばらくの間彼女はタッタカとかなりの早歩きで差を広げていた。だけどそのうち向こうのペースが急激に落ちてきて今のような形になり、20分くらいの間この陣形での無言の帰路を私たちは共有している。

「……」
「……何の用だったの?」
「ふぁ!……はい?」
「何の用でいたのあそこに?岬屋なんて企業向けの問屋じゃない。あんな会社の社屋にわざわざ1人で出向くなんてどんな用事だったのかって……単純な興味よ」

 そう問いかける榊さんは昨日とは違うクール状態のままだ。でもさっきみたいな冷たすぎるような雰囲気も抑えられていて、言うなれば中間形態。

「べ、別に……言う程の用じゃありません」
「そう……まぁ関係ないか。下手なこと言って立場を悪くしたくないとか?」
「くっ……」
「あっ、ごめんなさい……。冗談のつもりだったんだけど」
「──右手、大丈夫ですか?」

 視界の端に映り込む彼女の右手の甲。幾重にも巻かれた白い帯が私に自分のしでかした事の重大さを再認識させる。具合を心配するのは当然の事だったけど、何故か彼女は意外そうな声を出して自分の右手をまじまじと見つめて小さく驚いたような素振りをした後、唐突にその手を擦りだした。

「へ?……あっ!あはは……だ、大丈夫大丈夫。そっちが心配しているような状態にはなってないから……安心はしなくていいけど気遣ってくれてありがとね」
「?」

──ピルルルル──

 彼女の笑いに対する違和感を感じているとスマホの着信の振動がズボンのポケットから太ももに伝わってきた。マナーモードの画面を開くと画面にはデカデカと「店」の一文字が映し出されている。私は榊さんに軽く断りを入れて自転車を少し先の歩道の中に止めて電話に出た。掛けてきたのはは三ツ矢店長、覚悟を決める時が来たみたい。

「……ふぅ、はいもしもし源です」

「──あぁ……源さん、今どこです?──」

「今ですか?あぁ……えぇっと豊田町駅の辺りなんですけど」

「──うん、成程……買い出しはあとどれくらいで終わりそうですか?──」

 いかん。

「はいえぇっと……すいません今何時でしたっけ!?」
「え?えぇっと……16時17分」

 電話口の上司ではなく横に立つ他所の重役さんに時刻を教えてもらった。店を出たのが3時半少し後、今日は12時入りの18時上がりで休憩は30分だから既にもう倍以上のオーバーランをしてるのは間違いない。芽衣子には別のお詫びが必要になりそうだな……。

「すいません、もうすぐ戻ります!それでその……ご報告しなければいけないことがありまして──」

「──オーナメントの事?──」

 ギクリという驚きの震えと何故という疑問の息が同時に体から出て来た。店長はまるでこっちの顔が見えているかのように穏やかな口調で私に詳しく話し始める。まず1つは私が飛び出した直後にお客が引いて全く来客がなくなった為、今日は早めの退勤扱いで大丈夫だということ。そしてもう1つは直近で出されていた発注申請のキャンセル受付のメールが届いていたことだった。

「──先方の企業アカウントで直接届いててね。何事かと思いましたが……理由は聞かなくても大丈夫そうですね──」

「すいませんでした……」

「──大丈夫。いきなり新しい仕事を押し付けてしまった私の責任でもありますから。今回は運が良かった、あそこは電話での問い合わせでも中々キャンセルできなかったんですよ。明日の分の食材は明日の出勤時で大丈夫なので、今日はゆっくり体を休めて下さい。お疲れ様でした──」

「はい、お疲れ様でした……」

 電話が切れてツーツーという音が聞こえてくるのと一緒に体を真っ二つに裂きそうなくらいの冷たい木枯らしが吹きつけてきた。予期せぬ1日の仕事納め、自分の不甲斐なさとかだらしなさ、不誠実さに言及されるでもなく許されて自由になったことによるありがたさ、彼の寛大さを感じつつも私の心は何処か宙ぶらりんのままだ。叱ってくれた方が良かったとは言わないけど……何というか──

「どうしたの?」
「ムカムカする」
「え?」

 情けなさすぎる。電話の応対が気に入らなくて職場放棄とか……私がウチのお客だったらドン引き間違いなしだ。20年以上生きてきてこんなことで、自分見失ってしまうようじゃ……とても駄目でしょ。

「すいません、この後ってお仕事に戻られるんですか?」
「えっ!あっ、この後は……何もないよ。このまま帰ろうかと思ってたところ」

 榊さんの目は輝きに満ちていた。自分の仕事とか行動に疑いなんて持たない大人の証、私が持っていない存在の芯。直接見たら忘れられないあの刃の様な眼光の内側には、きっと私に必要なが秘められてるはず!

「昨日はご馳走になってしまいましたので……お返しと言えるかどうか分かりませんけど、夕食を家で取って行かれませんか?」

 厚顔の極みであるという自覚はあった。でもなぜか欠片程の恥ずかしさも無く言い切ることができたその申し出を私自身が完全に吐き出す前に、榊さんはにこやかに「喜んで」と言ってくれた。もしかするとその時私が感じた嬉しさは、この暮らしが始まって初めての事だったのかもしれない。
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