明日の「具」足

社 光

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9話

9話「グラタンにもご用心」【2/3】

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 行きかう人々、比較的多い帰宅民の間を縫うように駆け抜けながら磐田駅の改札にまでようやくで辿り着くと、そこにスーツ姿の榊さんの姿が見えた。

「すいませんお疲れ様ですお待たせしました!!!」

 もつれかける脚と舌、騒がしい帰宅ラッシュの中でもまだ少し離れた彼女に確実に届くようにと張り上げた声、さっきまでの瀬戸さんと同じような慌てっぷりを20代も折り返した女がより多くの人達の中で再演していた。途中まで急いで帰宅することに傾けていた力が、途中で反対方向の駅に180度転進されたせいで余計な疲れになったことと、その疲れを見せないように誤魔化そうとしたことからの弊害からである。

「あっが!」
「だだ、大丈夫!?」

 言葉に気を取られたせいで足の方が完全にお留守になりお手本のような盛大なズッコケっぷりを榊さんを含めた大勢の前で披露してしまった。ズキズキと痛む膝を手で擦ろうとすると頭上から榊さんの心配そうな声と共に差し出された手が見えて、私は小さく謝りつつ地面から引っ張り上げて貰った。当然周りから注がれるいくつかの冷ややかな視線も同時に受け取ることにはなったけど、むしろ得をしたような気さえ感じたのはこれが彼女の手を初めて握った瞬間だったからかもしれない。

「すいません、こんな所で待たせてしまって」
「そんなこと言わないで、謝るのは私の方でしょ?家でお祝いする予定だったのに急に呼び出したりしてごめんなさい」

 私のズボンの裾を手で払い、改札を通ってホームへと続くエスカレーターに乗りながら優し気に彼女は語り掛ける。

「えっと、何処に行くんですか?」
「浜松」
「ご飯に、ですか?」
「それもあるけど、買い物もしなくちゃでしょ?私だっていつまでも床に直で寝たくないし、貴方にもちゃんと暖かくして貰いたいしね」
「あっ!」

 同棲を始めて4日、最初の夜から今日まで瞬き程に感じるくらい早く時間が流れてきた。そのせいにするつもりは毛頭ないけどお互いの寝床の管理について手を付けられないままに今に至ってしまっている。私は今まで使っていた掛け布団を自分の上に被せ、榊さんには私の掛布団と自分の持ち込んだリュックという枕だけで寝て貰ってしまっている。確かにこれは早急に解決しなくてはいけない課題だ。

「クリスマスを過ぎたらお正月明けまでお店は閉まっちゃうかもしれないから」
「で……でも」
「お金は気にしないで、会社からは貰うもん貰ってるんだから!みなっ、ううん……哀留も新しい綺麗な布団にしましょう?」
「いや……」
「あっ、それともベッドにする?でもあの部屋のロフトには上げられないし、部屋に2つは並べて置けなさそうだから……ダブルになっちゃうかもしれないけど───」
「そうじゃなくて、まだお店開いてるんですか!?」

 さっき流し見たホームの時計は20時半を指していた。飲食店やお酒を飲む場所ならともかく寝具店やデパートの大半はもう閉まっている時間だと思う。

「……あっ」
「えっ!?」

 もっと早く指摘するべきだった。いや、メッセージを貰った時点で要件を聞くべきだったかもしれない。寝具店の営業時間に対する認識のズレを榊さんが自覚した時には、もう既に乗り込んだ東海道本線の車両が動き出した後だった。

「っそっかぁ……そうだ。店舗は20時で閉店だったっけ……」
「まぁ探せばあるかもしれませんけど、大半はそうかと……」
「あぁ~!!!」

 迫真の慟哭どうこく。さっきまでの改札やホームと違って静かな車内に思いっきり鳴り響いたその後悔の音色は一斉に周りの注目を集めてしまい、私は思わず榊さんの口に人差し指を押し当てて強引に制した。

「あっ、アハ、アハハハハ……」

 愛想笑いと冷や汗でなんとか小事なきを得た……と思う。まぁこの乗り合わせのお客の誰か1人にスマホのカメラで撮影でもされていれば、明日のSNSのタイムラインで私たちは時の人になっているかもしれないけど。

「むふっ!」
「あっすいません!」

 押し当てた指の腹にかかった吐息と呻きで彼女の呼吸を阻害していることに気付いてそっと手を離した。彼女が勢い良く吐いた息が生命の息吹なのか、後悔のため息なのか、さすがにこっちから言及するのはナンセンスだろう。

「ごめんなさい……」

 後悔だった。車内用の調声ヒソヒソ声で榊さんは自分が今までの生活で買い物の殆どネットで済ませていたことと、事前に調べていなかった単なる思い付きで誘ったことを話してくれた。まぁ通販大手の社員だった人が自分の会社のサービスを使わない手は無いよね。

「でも、なんで今日行こうと?」
「だって……」

 手に持ったビジネスバッグを胸元で盾にしながらなにやらもじもじする榊さん。学生同士のカップルであれば「カワイイ~♪」と言いそうな仕草だけど、正直年上の社会人にやられるとキツイものも無くは無いので「だってなんです?」と素早く追撃をする。

「だって……クリスマスでしょ?ここに来るまで色々ありはしたけど、ようやく2人で、ちゃんとしたお祝いが出来そうな日が来て、そんな日にプレゼントの1つもできないって言うのは……嫌だったから」

 初めて出会った夜から今日で多分2週間。2人の不誠実から始まってしまった関係とはいっても私と彼女、お互いに対する今の気持ちには何ら差は無いと、私はそう思っている。……そうか。

「今日って、クリスマスでしたね」
「えぇ。でもごめんなさい、これじゃ仕事終わりに遠出する意味なんて無いわよね……」
「そんなこと無いです」

 つり革を握りながらうな垂れる榊さんの視線の先から、私は彼女の落ち込む顔を覗き込んだ。今日1日、あの修羅場を乗り切ってきた末に辿り着いたこのランデブーが意味のないモノだったなんて思わせないように!

「すっごく美味しい物、食べに行きましょう!それもクリスマスの楽しみでしょ?」
「哀留……、えぇ、そうね。そうよ!」

 ギリリとプラスチックを握りしめる音と共に榊さんの表情はまたキリリとした精悍さを取り戻す。私達は出会って初めて幸せを味わいに行く。その為に必要のない感情は車窓から放り捨ててしまおう!これから味わいに行く美味しさが今日の私たちの頑張りの証明なのだ!!!

「───次は、浜松。浜松に止まります───」






※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※





 
 駅から街に出ればなんとも気合の無い絵面が私達を出迎える。行きかう人もまばらな駅前、赤信号でも渡れそうな程の交通量の車、そしてこれからやりに行くであろ気配ムンムンの男女とほんの少しの男男に女女。どれもこれも揃いも揃って「クリスマスは終わった」という雰囲気を漂わせてきている。だけどそんなこと無い!私たちのクリスマスはここから!最高にデリシャスな夜を味わいに1歩を踏み出すのだ!

「榊さん、食べられないものって何かあります?」
「え?嫌いな物ってこと?」
「それもありますし、あとはアレルギーとか宗教上駄目なヤツとか」
 
 多少懐疑的な顔をされたけどこれは聞かなきゃいけない。

「シイタケとオクラ、あとはまぁ大丈夫……だと思う。アレルギーは無いし、無宗教だから私」
「分かりました」

 不思議なものだ。信じる神さまも仏さまもいない2人が今、キリスト教の1年で最大のお祝いを殆どロスタイムの様なタイミングでキメようとしてる。でもそれで良い、楽しめるモノを少なくするのも多くするのも人の勝手、後は他人に迷惑を掛けなければ御の字なのだ。
 携帯をポケットから引っ張り出して地図のアプリを開き料理名で検索をかける。出来るだけクリスマスっぽい、冬の寒さとお祝いの豪勢さが感じられる料理。それでいて一応最初の外ご飯だし、余り気張りすぎないようなものにしないと、1人はスーツだけどもう1人は只のジャンパー姿なのだ。

「───グラタンって好きですか?」
「ん!……うん、好きよ。嫌いな人ってあまりいないと思う」
「じゃあ、行かせて頂いてもいいでしょうか?」
「!!!……えぇ。なら、お任せしても良い?」

 強気にハッキリ、初めて一緒に食べる夕食の店を自分が選ぶという宣言を榊さんは一拍置いてから承認してくれた。駅から徒歩10分程の距離にある洋食屋さんに向かって、駅前の真っ直ぐとした大通りを付かず離れず私たちは一緒に歩く。何度もアプリで現在位置を確認つつ、交差点を2つほど通過して店までの距離も半分を切った辺り、榊さんは少し肌寒そうな様子だった。今日は日中が少し暖かく、ジャケット無しのビジネススーツのままで出勤したのが裏目に出てしまったみたい。「ハァー」とかじかんだ手の平に息を吐く彼女の姿を見て咄嗟に私は自分の右手を差し出した。

「!」
「まだ、抵抗あったりしますか?」

 人気は少ないとはいえゼロではない。車線も多くビルの窓にも明かりがちらほら見えるような状況だ。聞いた瞬間に彼女に対して不必要な負い目を抱かせてしまわないかと勝手に不安になりそうだったけど、榊さんは差し出した私の手を冷たい指先でそっと握ってくれた。

「小学校の友達みたいな、そんな感じのノリで握って下されば───」
「そんなんじゃないわ」

 そう言って触れ合った指先はやがて私の手の全体を包み込んでいき、お互いの指と指の間まで隙間なく結びつけるように握り込み彼女は答える。

「皆同じでしょ?少なくとも今日は、そう見えるはずだから」
「あ……アハッ、そうですね」

 笑い声の切れ端と一緒に吐き出した息が真っ白く霧散する。掴み合う手の平にも指にも力は要らない。足音を合わせて1歩、また1歩。恐らく1人で歩く時の半分くらいにまで歩く速さは落ちるけど、その分この幸福は長く続くはずだ。掌は仕事の疲れが固着してお互いに少しずつ、そして私の方がほんの少しだけ多くカサついている、はず。でもそんな疲れのささくれは手と手の結びつきを強くして、2人の間をより強く温めてくれた。多分私と榊さんの体の中で、今一番温かいのがここ。頬を掠める木枯らしも吹き上げる冷風も、対してありもしない周りの目もこの暖かさがあればへっちゃらだ。

「あ、此処ですね」

 それでも有意義な時間は早く過ぎていく。手を繋いでいた残り半分の距離、さっきまでの半分の速さで歩いたにも関わらず、気付いたら目的のお店の前にまでたどり着いてしまっていた。……まぁでも、初めてにしたら、良く出来た方だったかな?

「よし入ろう!寒すぎて凍っちゃいそう!」
「へへ、私もです!」

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