明日の「具」足

社 光

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11話

11話「妬きソバ名人」【3/3】

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 ───ジュウゥゥゥ───

 四方八方から焼ける音が鼓膜を打ってくる。昼食に立ち寄った駅ビル内のこの鉄板焼きのお店は、普段であれば20分以上の行列が普通らしい。榊さんの即断即決によってそんなお店に私たちはオープン直後に入店したことで並ぶこと無く座ることができ、私の前の鉄板では今まさに出来上がった太麺の塩焼きそばが音を立てて出来上がったところだった。

「来たね来たね!」
「じゃあ、頂きます」

 榊さんは私の隣、長いカウンターの隣の席で自分の前に置かれたお好み焼きを切り分けていた。6等分にお好み焼きを切り分けようとするその手つきはどことなく手慣れているように見える。

「上手ですね、榊さん」
「あっ、これ?あっはは、そうでもないよ。やったことが多いってだけで」
「そうなんですか?」

 自分の目の前で音を立てる焼きそばを見つめながらも私の意識だけは真横に向いている。榊さんはヘラをお好み焼きに立てて小さな動きでしっかり両断していて、切り分けたピースの1つを私の前に流してくれていた。

「まぁ……集まり?色んな人達とご飯食べることもあったから───」
「どういった感じの人ですか?」
「どういったって……会社とか、大学の人とかよ。ホラ食べよ!焦げちゃうよ哀留!」

 そう言って彼女は箸を割った。真下に意識を向けて湯気を立てる1ピースを掴みあげる。やっぱり、そうなんだ。

「彼氏さんと来たんですか?」
「ン!」

 右手から取り落としたお好み焼きの一片が鉄板に落着し、逆に私と榊さんの周りの空気は周囲の喧騒から切り離されたように浮き上がった。音も匂いも私の間隔から締め出されてただ彼女の荒くなっていく息遣いだけが鼓膜を打ち始める。そんな風な榊さんの姿を見たくなかった私は彼女の方に向き直ることなく、真っ黒な鉄板に視線を落としながら話し続けた。

「やっぱり。今日行った公園も、他のお店も全部……」
「‥‥‥いつ分かったの?」
「分かってはいないです。そうなのかもしれないって、思い続けてはいましたけど」

 枯れ木を見上げていたときの顔。どこか憂いのこもったああいう顔には見覚えが。上手くいった試しがない私が見たことの無い顔、と言ったらそれは上手くいったことがある人の顔、要するに交際歴がある人の顔だ。一緒に住み始めてから今日にいたるまでの不手際を目の当たりにしてきたことで、私は榊さんの中でこの間まで一緒に暮らしていたという「彼」への思いが強まり始めてはいないのか、そんな疑念に支配されていた。

「‥‥‥怒ってる?」
「いえ、分かりもしないことに怒ったりなんてできませんから」
「じゃあ、失望した?」

 声の末端に震えが混じる。かつての相手が忘れられないような図太さがある人間が出すような反応ではないと思った。完全な想像でしかないけど、その内の1つが当たっていたことがその創造の強さを補強してしまっている。

「‥‥‥比べられてるのかなって、そんな気がしてしまって」
「そんな事!」
「全く無いって言いきれます?」

 その時初めて顔を向けると、普通よりも大分暖かいこの室内で彼女の顔はとても青ざめていた。玉のような額の汗は多分鉄板からの熱のせいではなく、分かりやすい位に肩を揺らしながらも榊さんは私から目を逸らすことはしない。

「そうじゃない、違うの」
「でも───」
「信じられないって言うのは分かるわ、でも信じて。貴方と彼を比較したわけじゃないの!」
「何を根拠に信じろって言うんです?!」

 その時に張り上げた自分の声で感覚が現実に戻った。周りのお客の話し声や厨房の慌ただしさは私達への好奇の視線に変換され、ただ乗せられた物をただ焼き続ける鉄板の上の音だけが残される。でも今は、マズいとは感じてもそれでも今は自分を、私を、止められない。

「確かに私は不足してます。エスコートも料理も人並み以下ですし、貴方がどんなものを好むかだって察せません。その辺の適当な男性なんかよりよっぽど鈍感でしょう。でも、だとしてもアナタを悲しませた『彼』よりも、アナタを満たしたいと……そう思って───」
「源さん!」

 そう言った榊さんは席から立ち上がって私の左肩を押し退けるくらいの勢いと強さで掴み、トイレののある店の奥の方に連れて行く。それは多分集まってしまった好奇の視線を躱す為の気遣いだったのだけれど、完全に頭に血が上りきっていた私には気が付くことができなかった。
 
「私が言えたことじゃないのは分かってる、でも落ち着いて!」
「怒ってなんかいないです!」
「動揺してない人は自分からそんなこと言わないわ。……ごめんなさい、私が子供だったの。あんな風な子供じみた行為で貴方を傷つけて───」
「分かってて何で!」
「本当なのかを確かめたかった!気の迷いじゃなく心からそう思えているのかを!結果的に貴方を重ねるようなことになってしまったのは私のせい。貴方は悪くない」
「……っ!」

 血の熱さは臨界点に達する。思考は言葉になる前に蒸発し、行き場の無い感情が私の顔に影を作った。決して向けたくない顔、嫉妬と疑念に満たされた只の醜い女の顔を私は彼女に向けてしまった。それが分かっていてもなお変えることはできない。震えだしそうな右手を僅かに残された理性で押さえつけることがその時の私にできる最大限だったのだから。

「私だって……自信があるわけじゃないの。仕事も、それ以外だって。貴方にだっ全てを理解してもらえるなんて思ってない。それでも、心から貴方を愛したいと思った。だから一緒に歩いたの、あの人と初めて廻ったこの道を」
「……」
「罵ってくれていい。でも……信じて」
「……気持ち、悪いですよ……それ」

 心が口を開く。ありのままの思い、自身が作り出した剥き身の刃。純粋な想いなんていう物は得てして鋭すぎるかグロテスクかそのどちらか。そしてその両方を私たちはお互いに曝け出し合った。そんなことをすれば綺麗に纏まってなんかいられないって分かっているはずなのに。
 足音が聞こえた。片側へ遠ざかって行くそれを聞いて初めて彼女が今日何を履いているかに気づいた。我ながら傲慢が過ぎる、たかだか1週間一緒にいたくらいで全てを知った気でいたなんて。次第に音は喧騒の中に飲み込まれていって、私が席に戻るともう隣に彼女の姿は無い。

「ぁあ、あのぉ」
「大丈夫です」

 カウンターの向こうからシェフの1人が気遣ってくれていたけど、その言葉は私の身体を真っ直ぐに突き抜けて中にまではみ込みはしない。ただ心配気な仕草だけが視界に映り込んできて無感情にそれを制して自分の椅子に戻る。目の前の鉄板からは手つかずの焼きそばは退かされ皿の上に盛られていて、私は感謝の言葉を漏らすことも無く、ただがむしゃらに食らい付き始めていた。バリバリと焼かれ続けて硬くなった底面は噛みしめるたびに口の中に突き刺さる。だけど私は止まらない。ただ食べる、ひたすら食べる。共に味わうはずの隣の影を思い浮かべるたびにその端は増々スピードを増していき、味もロクに分からないままに皿の上の物は平らげられていた。

「っぐぅ!!!」

 でも止まれない。自分の中の感情、今日1日の喜びを上書きした濁りはこの程度の量では誤魔化しきれず、私は隣の席でただただ冷え固まっていた彼女の獲物、6つに裁断されていたお好み焼きすらも貪り始めた。その姿はもはや躾の出来ていない野犬かそれ以下の何か不気味な肉塊でしかない。

「お、お客様!」
「───っぐ!」

 気付いた時にはもう遅い。口元にソースを、目元に涙を、胸の中に炎を溜め込みながらどこかの誰かの注意で正気に戻っても、私の眼に映るのは狂乱に怯える他のお客でも、最早お客として私を見ていないシェフの混乱でも無く、ただ1つだけぽかりと空いた隣の席だけだった。

「お会計はお済ですので」
「失礼、しました」





※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※





───ピンポーン───

 何をやってる……。右手に炊飯器左手に衣類の入った袋をぶら下げながら顎でインターホンを押してもまぁ誰が出るはずも無い。右手の荷物を一旦下ろして鍵を開けて中に入り、左手の衣類を半ば投げ捨てるように玄関に放るとそのまま硬く冷たいフローリング床の上に体を投げ出した。

「はあぁ~」

 溜まりに溜まった物、嫌悪、後悔、疲れ、眠気、満腹感をその溜息に乗せるだけ乗せた。出ていったのは全体の2%くらい。残りは自分では決して取り除けない体の中の奥深くにこびりついたままだ。

「つっくぅ……」

 仰向けになって黄ばんだ天井を見上げる。このまま眠ってしまいたい気持ちだったけどそうすれば100%風邪をひくだろう。健史郎アイツ、私が体調崩したら絶対その次の日に様子を見に来るんだよな。ありがたいけど面倒極まりないので渋々体を起こして外着を脱ぎ、外の廊下に置きっぱなしになっていた炊飯器を引き入れて玄関の扉を閉めた。
 シンと空気が流れを止めて冷えた肌が痛み出す。テレビも無いのに五月蠅く聞こえているのは私の頭の中で鳴り響いている耳鳴りだ。ここには誰もいない、いるべき者は誰一人、いて欲しい人さえも。

「あぁ~あ」

 人の言葉を忘れたように、ただ声は音としてだけ機能する。誰の声も、誰の意志も、誰の想いもここには無い。ただ人の形をした燃えカスが、その中をゆったりと歩み続けているだけだ。なんてことは無い慣れ親しんでいたはずの光景、どこか違和感を感じてしまうのは多分視界を埋め尽くしてくれていたゴミの山が無いせいなんだろう。でも関係無い。私はまっすぐに洗面台で手洗いとうがい、そして顔を冷水で6回ほど洗って、そのまま寝床ではなく今度はリビングの床にそのまま寝そべった。でも不思議なことに今度は眠たくはならない。いや、そもそも眠気なんて今は無いのだ。ただ……長く閉じた目を開けたとき、そこに彼女がいてくれるような気がしたから。

───ピンポーン───

 身体に雷流が走ったかのよう。一瞬で臨界点を迎えた心臓に押し出された血流が全身を満たし、私は荒い息遣いで玄関の扉を叩き開ける。

「……」
「おっ……、お、届け物、です」

 外気に肌を撫でられながらただ言われるがままにサインをし、配達員から受け取った大きめの箱。両手でようやく抱えられるほど大きな段ボール箱を開いて中を確認すると、そこに入っていたのは敷き布団と掛布団、一対の2セットだった。

「あ”あ”あ”あ”ぁ”!」

 分かち合う物だけが残されて、分かち合う者はいない。孤独を彩る寒さと静寂だけを持ち帰った愚かな私は、余りにも醜い自分の心から目を背けたいばかりに、気が付けば床に拳を突き立てていた。

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