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灯火の少女編
楽園の終わり
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押さえつけられた両手。
背中に伝う草の感触。
白銀の鎧。剣といばらの紋章。
あの夜の、あの騎士。
指が身体を這う。指だけではない。
ほかの、いろいろな部分が、肌を蹂躙する。
身体が跳ねる。声が上がる。自動的に。
その一連の感触には、何故か覚えがある。
あのまま、他の騎士が来なかったら。
そんな、もしもの物語。
二人だけの、ひととき。
閉ざされた、楽園。
すべきことを、一通り終えて。
互いに、息は荒くて。
いつの間にか自由になっている両手を、伸ばして。
騎士の兜を脱がせ、顔を晒して。
その顔は――
***
「ん……」
カーテンから漏れる光が目に痛い。
朝。よく眠れた朝の、懐かしい感覚。
ベッドに一人。それ自体は、いつも通りなのだけれど。
夢を見た。そんな気がする。
けれどそれよりも、自分がつい昨晩。
ここで何を言ったのか、言われたのか。
何をしたのか、されたのか。思い出す。
思考力が回復するにつれ、鮮明に。
蒼い瞳。唇。指先。敏感な肌。自分を掻き回す、硬いもの。熱い感触。
「~~‼」
枕を思い切り抱き締め、顔にめり込ませる。
ひんやりとした細やかな布の感触が顔中に広がる。
それでも、頬の火照りは冷めきりそうになかった。
***
「おはよう」
「お……おは……よ……」
リビングに降り、朝食を用意しているレニに声を掛けられるが、上手く舌が回らなかった。声量も至極不安定だった。
自分が眠るまで彼は一緒で、朝起きた時には隣に居なかったのだから、必然的に自分の方が長時間寝てしまっているということになる。そのことがまず恥ずかしい。
昨晩もそうだが、よくよく考えるとこれまで何度と無く、寝顔を一方的に見られている。恥ずかしい。
テーブルを見ると、朝食の準備はほぼ完了している。ここ最近は一緒に作っていたのに、手伝えなかった自分が恥ずかしい。
慌ててセットしたアンバランスな髪が恥ずかしい。
もう、何もかもが、恥ずかしい。
いつもどおりの手際で、着々と準備されてゆく食事。
それをこなす、金髪で細身の少年。
レニ。わたしをあんなに、可愛がってくれた、人。
意識すればするほど、まともに顔が見られない。手持ち無沙汰になる両手の指が、胸の前で絡む。普段自分がどのように動いていたか、思い出せない。
すると。テーブルに付けずいる挙動不審な自分に気付いたのか、レニが近づいてくる。慌てて目を逸らす――と、その逸らした方向に回り込み、ひょいと顔を覗き込んでくる。
(……っ‼)
ぎょっとしてもう反対側、あまりにも不自然な角度で首と目を逸らしてしまう。行き場を無くした指の動きも、妙な位置で固まってしまった。
「……」
「……」
何かのオブジェのような奇怪な体勢になったまま、固まってしまう。何処を見ているのだろう。見ないでほしい。
「照れてる?」
「……別、に……」
辛うじてそう返すが、この制御不能の奇行を「照れている」状態だと、自分では把握していなかった。だからこれは、別に嘘を付いたわけではないのだが。レニは「君と違って自分は偽らないよ」というニュアンスを込めて――被害妄想かも知れないが――返してくる。
「僕は結構、照れてる」
「……」
そう言われて首と視線を錆びた鉄のような音を立てながら少しずつ戻し、恐る恐る顔を見る。そこに居たのはどう見てもいつも通りのレニだったし、こちらは恥ずかしいポイントが一つ追加され、更に頬が熱くなった。
騙された。僅かな、だが心地よい苛立ちが走り、抗議する。
「……嘘付き」
「嘘は付かないってば」
「嘘付きの台詞。それ」
言い終わるのと同時に、顔を寄せてきたことで笑顔との距離が無くなる。接点は、昨晩と同じ場所。柑橘系の味がほのかに広がる。何かジュースを口にしていたようだ。自分も飲みたい。
「食べようか」と問われ、喉の奥でだけ小さく音を出し、軽く頷いた。
***
三階の書庫。膨大な蔵書を有するその部屋が、気付けば館で一番お気に入りの場所になっていた。レニが外出している時は、ほとんどの時間をここで過ごしている。
本は人間を映す。操魔士はその教育の過程で、観察眼と勘が自然と鋭くなる。本棚での並びや使用感を見ただけで、どのような人間が、どれほど、どのように読み込んでいたか、何となく分かる。読むのはもちろんのこと、掃除がてら様々な書を物色するだけで、楽しいものだ。
年代ものの本を多く含んだ、大量の蔵書。恐らくはこの家ごと、親類から引き継いだものなのだろう。ただ、その書庫には奇妙な点がいくつかあった。あっても良さそうなものが、ここには一つも無いこと。妙な書物に、最近読んだ形跡が多かったこと。その時は、特に気にならなかったけれど。
とにもかくにも。この日は入念に得たい知識があったので、それらが無いか漁ってみる。意外にも「その方面」の書は充実していた。これらを読んでいた人達に思いを馳せ、そこでまた体温が上がる。読みながら思わず唸ったり、突っ込みを入れたり、変な声がたくさん出た。誰も居なくてよかった。というか他に誰かが居たら、とてもじゃないが読めはしない。
***
次の夜。いつも彼が飲んでいるワインをねだった。
「わたしにも、ちょうだい」
「ああ、いいよ」
用意されたもう一つのグラスに、芳醇な香りの液体が注がれる。互いにそれを、軽く掲げる。ふとそれを、昨晩の行為へのお祝いのように感じ、少し吹き出してしまう。レニも同じように、小さく笑った。きっと同じことを思ったのだろう。
「お酒、飲んだことは?」
「舐めたことはあるけど。飲むのは初めて」
少しずつ、口にする。飲みやすく度数の低いワインだったが、すぐに顔が火照るのが分かった。血筋的に弱いのかもしれない。そういえば両親とも酒が入るとすぐ、仲良く蛸のようになっていた。
会話が弾む。いつもの五割増しほどの頻度と音量で、返答が返せている気がした。
倍の速度で減ってゆくデキャンタが、空になったところで。
「レニ」
「ん?」
まだ昨日ほどではないが、自分の声が甘くなっている。感情の加速装置。これが、酒の力か。
「今日も、一緒に寝たい」
「うん。僕も」
よかった。笑顔で返す。
続く台詞をわざと、レニがワインを口にしたタイミングで告げる。
アルコールを入れた理由。とてもではないが、何かの後押しを抜きに、これを言う勇気が無かった。
「昨日は、いっぱいして貰ったから、今日はわたしがしたい。レニのこと、気持ちよく、してあげたい」
「……‼」
さすがに少しは意表を突けたようだ。レニの目が一瞬、通常より大きく見開かれる。ちょうど口にしていた液体が、大きく音を立てて飲み込まれる。ワインごと吹き出してくれないかと意地悪に期待したが。
「……酔ってる?」
「かもしれない。でも、そうしたいと思ってた。今日起きてから、ずっと」
「それは嬉しいね」
互いに、残ったグラスの中身を飲み干し机に置く。そのまま指が絡む。
その日は昼間に本で得た知識を、総動員した。
それからは、夜が来るのが、楽しみになった。
***
買い出しで街に出ている途中、ふと思い立つ。
あの護衛達。自分が嬲られるさまを、余さず録画していた。あの二人の精神体には、自分の恥態が記録されている。どう使われるか、分かったものではない。
自分だけの問題ではない。学術院の権威にも関わる。思い返せば思い返すほど、馬鹿な選択をしたと自分を呪ってしまう。
「……」
もう一度ルドガンに会うべきだろうか。あの映像を破棄してもらうよう頼む。実力行使で戦う。もはやいずれも、賢いとは言えない。それどころか映像を盾に、別のことを要求されるかも知れない。
レニに間に入ってもらい、交渉する――それが最も有効のように思うが、ただでさえ世話になっている彼に、これ以上負担をかけたくなかった。
他の誰かを頼ろうにも、知り合いの居ないこの街では、あてなど無い。
思慮を続けたまま歩き、結論が出ないまま、無意識のうちにルドガンの屋敷の前まで着いてしまった。
(どう、しよう……)
しばし立ち尽くすが、ふと見ると正面の鉄格子の門が、鎖で雁字搦めに封鎖されている。その上から、「立入禁止」と書かれた標識も。
「……?」
訝しみ、その奥の建物を見やると、カーテンが全て閉ざされているのに気付く。人の気配は魔素で検知できるが、建物の中からは一切感じなかった。
(……こんな昼間に、誰も居ない?)
しばし呆けて屋敷を眺め続ける。と、街を行く通行人の会話が耳に入った。
「護衛や観客もろとも、皆殺しだって?」
「恨みを買ってる奴は多かったろうからな」
「裏社会からの見せしめって噂もあるぜ」
「相続人も居ないらしい。あの屋敷もしばらくそのままみたいだ」
気になる単語がいくつも耳に入り、思わず振り返る。駆け寄り、その二人組を呼び止めた。
「ま、待って下さい」
「ん?」
「今の話、詳しく聞かせて下さい」
二人はしばし目配せし、話して良いかの判断をするような僅かな間の後、「俺達も聞いた話だけどよ」と前置きした上で、彼等は教えてくれた。
そこで知った話は、自分にとっては驚くべきものだった。より深く調べたい気もしたが、誰かのものである自分がそこまで波風を立てるわけにもいかず。かといって、その誰かに問い質すのも、怖い気がして。問題が解決したなら、これ以上掻き回すべきではないと判断し、胸の内にしまうだけにした。
***
いつもの、交わりの夜。意識が落ちてしまいそうになる瞬間、頭を振って目覚めさせる。その挙動を何度か繰り返していると、レニが尋ねてくる。
「……眠らないの?」
「ん……ぅ……」
眠りたくない理由の元凶が、酷なことを言う。
「……だって、気持ちいいから。眠っちゃうの、もったいない……」
「眠い時には寝た方がいいよ」
「でも……ずっと、こうしてたい……」
ぎゅっと、抱きつく力を強くする。
「そんなに言うなら、明日は一日中、一緒にベッドで過ごそうか」
「えっ。いいの?」
「えっ」
願ってもない話に飛び付くと、冗談のつもりだったのか、軽く困惑した表情を浮かべるレニ。だがすぐ笑顔に戻った。
「……うん、いいよ。だからもう寝な」
「約束よ」
「うん」
我儘な願いを叶えてくれる主人。もうどちらが主人なのか、よく分からなくなっていた。
***
約束となっていた、次の日。朝食を取った後は本当に、ほとんど一日中をベッドで過ごした。何度も何度も抱き合い。疲れたら、裸のまま語らい。回復したら、また抱き合い。お腹が空いたら、キッチンから食料を調達し。それを一日中、繰り返した。
夕食前には二人共疲れ果て、手を握り天井を仰いでいた。学術院のどんな厳しい鍛錬でも、こんなに汗をかいたことはない。
凄まじく自堕落な一日だったが、謎の達成感と、たまらない幸福感があった。
圧縮映像は消滅したものの、己に燻る黒いものが完全に消えたわけではない。時折、どうしてもちらつく瞬間がある。だがそれがあるからこそ、より強く、自分を快楽で塗り潰し、幸福に溺れたいという衝動に駆られる。
この屋敷で、レニとずっと二人で、いつまでも暮らしていけたら、どんなに幸せだろう。でもいつか、遠くない将来に。命を賭してでも為すと決めた目的に、戻らなければならない。束の間の、期限付きの楽園。せめて今だけは、思い切り酔いしれていたい。
乱れた息が整ってきたところで、レニがつぶやいた。
「シャワー……浴びようか……」
「そ……だね……」
***
当たり前のように、自分用のシャワールームに行こうとするレニの腕を掴む。ふくれた振りで、告げる。
「今日は、一緒に過ごす約束」
「え……」
せがむように、レニの腕を全身で抱きかかえる。大浴場の方へ、引き摺るように歩く。
「お風呂、こっちで一緒に入ろ。せっかく広いんだし」
これも、了承してくれた。ここまで来ると、何をお願いすれば拒絶されるのか、知りたくなってくる。
***
風呂場の照明の下で身体を見せ合うのも、互いの身体を洗い合うのも、新鮮だった。また互いに気持ちが昂り、身体が反応し、それに応え合う。
落ち着いたところで。湯船に浸かり、背中をレニに預ける。軽くその腕に抱かれ、身体を撫でられながら。
「ずっと付けてるんだね、そのペンダント」
問われ、何となく指で弄くる。
「うん。無くす前もそうしてた。……ひょっとして、する時、邪魔?」
よく考えたらずっと胸元にあったから、触る時に煩わしかったかも知れない。
「いや。可愛くて似合ってる」
レニが同じようにペンダントを撫でる。
――それをきっかけに、ふと思い立った。
「傷、見たい」
「え?」
「前に言ってたでしょ? 顔に傷があるって。どんなのか見たい」
未だに、見たことがない。化粧で隠しているという、傷。きっと寝る前にだけ、化粧を落としているのだろう。就寝時、一人で寝室に戻りたがる理由が、きっとそれなのだと思っていた。
「見て、楽しいものじゃないと思うけど……」
「レニのことなら、なんでも知りたい。……いや?」
少しだけ困ったような顔を見せる。でもきっと願いを叶えてくれる。何となく分かっていた。
「……分かった、いいよ。ちょっと、向こう向いてて」
そう言うと、湯船から出たレニは身体を洗う鏡台に向かう。言われた通りに背を向ける。
何かで顔を擦るような音。石鹸と一緒に置いてあった、液体が入った小振りの容器が何か気になっていたのだが、メイク落としのようだった。ほどなくして、それを水で洗い流す音。更に、一泊置いて。
「はい。もういいよ」
言われて、振り向く。レニの顔に確かに存在する、その傷に。
「――」
思わず目を見開く。しばし、固まってしまう。
その様を見てか、レニが不安そうに聞いてくる。
「……やっぱり、怖かった?」
「あ、えっ……と……」
何か言わなければ。慌てて言葉を探す。
「確かに、隠した方がいいかもね。レニの顔だと、目立っちゃいそう」
もう少し気の利いた台詞を言うつもりだったが、当たり障りない言葉になってしまう。
「それって、褒めてくれてる?」
「うん、そのつもり、だけど」
実際、そこまでの傷ではなかった。勲章とするには小さく、顔を綺麗に見せるなら多少目に付く、微妙な大きさの傷。
動揺してしまったのは。
その場所と、形に、だ。
***
その夜は、昼間いっぱい一緒に居られた分ゆっくり休もうということになり、寝る時は別々になった。ベッドを共にすると、懲りずにまた、してしまいそうだったから。
きめ細かいシーツに包まれ、一人。ペンダントを手に、思いを馳せる。照らし合わせる。
生まれた一つの疑惑。それを紐解くにつれ、やがて確信に近い閃きとなり、最後には願いのようなものになった。
自分の目的と、手にしている幸せが、一つになる。そんな、夢のような可能性。
だが、それを確かめるには手順が要る。一度、この楽園を終わらせる必要がある。
真実に、たどり着くために。
わたしは、行動を開始した。
背中に伝う草の感触。
白銀の鎧。剣といばらの紋章。
あの夜の、あの騎士。
指が身体を這う。指だけではない。
ほかの、いろいろな部分が、肌を蹂躙する。
身体が跳ねる。声が上がる。自動的に。
その一連の感触には、何故か覚えがある。
あのまま、他の騎士が来なかったら。
そんな、もしもの物語。
二人だけの、ひととき。
閉ざされた、楽園。
すべきことを、一通り終えて。
互いに、息は荒くて。
いつの間にか自由になっている両手を、伸ばして。
騎士の兜を脱がせ、顔を晒して。
その顔は――
***
「ん……」
カーテンから漏れる光が目に痛い。
朝。よく眠れた朝の、懐かしい感覚。
ベッドに一人。それ自体は、いつも通りなのだけれど。
夢を見た。そんな気がする。
けれどそれよりも、自分がつい昨晩。
ここで何を言ったのか、言われたのか。
何をしたのか、されたのか。思い出す。
思考力が回復するにつれ、鮮明に。
蒼い瞳。唇。指先。敏感な肌。自分を掻き回す、硬いもの。熱い感触。
「~~‼」
枕を思い切り抱き締め、顔にめり込ませる。
ひんやりとした細やかな布の感触が顔中に広がる。
それでも、頬の火照りは冷めきりそうになかった。
***
「おはよう」
「お……おは……よ……」
リビングに降り、朝食を用意しているレニに声を掛けられるが、上手く舌が回らなかった。声量も至極不安定だった。
自分が眠るまで彼は一緒で、朝起きた時には隣に居なかったのだから、必然的に自分の方が長時間寝てしまっているということになる。そのことがまず恥ずかしい。
昨晩もそうだが、よくよく考えるとこれまで何度と無く、寝顔を一方的に見られている。恥ずかしい。
テーブルを見ると、朝食の準備はほぼ完了している。ここ最近は一緒に作っていたのに、手伝えなかった自分が恥ずかしい。
慌ててセットしたアンバランスな髪が恥ずかしい。
もう、何もかもが、恥ずかしい。
いつもどおりの手際で、着々と準備されてゆく食事。
それをこなす、金髪で細身の少年。
レニ。わたしをあんなに、可愛がってくれた、人。
意識すればするほど、まともに顔が見られない。手持ち無沙汰になる両手の指が、胸の前で絡む。普段自分がどのように動いていたか、思い出せない。
すると。テーブルに付けずいる挙動不審な自分に気付いたのか、レニが近づいてくる。慌てて目を逸らす――と、その逸らした方向に回り込み、ひょいと顔を覗き込んでくる。
(……っ‼)
ぎょっとしてもう反対側、あまりにも不自然な角度で首と目を逸らしてしまう。行き場を無くした指の動きも、妙な位置で固まってしまった。
「……」
「……」
何かのオブジェのような奇怪な体勢になったまま、固まってしまう。何処を見ているのだろう。見ないでほしい。
「照れてる?」
「……別、に……」
辛うじてそう返すが、この制御不能の奇行を「照れている」状態だと、自分では把握していなかった。だからこれは、別に嘘を付いたわけではないのだが。レニは「君と違って自分は偽らないよ」というニュアンスを込めて――被害妄想かも知れないが――返してくる。
「僕は結構、照れてる」
「……」
そう言われて首と視線を錆びた鉄のような音を立てながら少しずつ戻し、恐る恐る顔を見る。そこに居たのはどう見てもいつも通りのレニだったし、こちらは恥ずかしいポイントが一つ追加され、更に頬が熱くなった。
騙された。僅かな、だが心地よい苛立ちが走り、抗議する。
「……嘘付き」
「嘘は付かないってば」
「嘘付きの台詞。それ」
言い終わるのと同時に、顔を寄せてきたことで笑顔との距離が無くなる。接点は、昨晩と同じ場所。柑橘系の味がほのかに広がる。何かジュースを口にしていたようだ。自分も飲みたい。
「食べようか」と問われ、喉の奥でだけ小さく音を出し、軽く頷いた。
***
三階の書庫。膨大な蔵書を有するその部屋が、気付けば館で一番お気に入りの場所になっていた。レニが外出している時は、ほとんどの時間をここで過ごしている。
本は人間を映す。操魔士はその教育の過程で、観察眼と勘が自然と鋭くなる。本棚での並びや使用感を見ただけで、どのような人間が、どれほど、どのように読み込んでいたか、何となく分かる。読むのはもちろんのこと、掃除がてら様々な書を物色するだけで、楽しいものだ。
年代ものの本を多く含んだ、大量の蔵書。恐らくはこの家ごと、親類から引き継いだものなのだろう。ただ、その書庫には奇妙な点がいくつかあった。あっても良さそうなものが、ここには一つも無いこと。妙な書物に、最近読んだ形跡が多かったこと。その時は、特に気にならなかったけれど。
とにもかくにも。この日は入念に得たい知識があったので、それらが無いか漁ってみる。意外にも「その方面」の書は充実していた。これらを読んでいた人達に思いを馳せ、そこでまた体温が上がる。読みながら思わず唸ったり、突っ込みを入れたり、変な声がたくさん出た。誰も居なくてよかった。というか他に誰かが居たら、とてもじゃないが読めはしない。
***
次の夜。いつも彼が飲んでいるワインをねだった。
「わたしにも、ちょうだい」
「ああ、いいよ」
用意されたもう一つのグラスに、芳醇な香りの液体が注がれる。互いにそれを、軽く掲げる。ふとそれを、昨晩の行為へのお祝いのように感じ、少し吹き出してしまう。レニも同じように、小さく笑った。きっと同じことを思ったのだろう。
「お酒、飲んだことは?」
「舐めたことはあるけど。飲むのは初めて」
少しずつ、口にする。飲みやすく度数の低いワインだったが、すぐに顔が火照るのが分かった。血筋的に弱いのかもしれない。そういえば両親とも酒が入るとすぐ、仲良く蛸のようになっていた。
会話が弾む。いつもの五割増しほどの頻度と音量で、返答が返せている気がした。
倍の速度で減ってゆくデキャンタが、空になったところで。
「レニ」
「ん?」
まだ昨日ほどではないが、自分の声が甘くなっている。感情の加速装置。これが、酒の力か。
「今日も、一緒に寝たい」
「うん。僕も」
よかった。笑顔で返す。
続く台詞をわざと、レニがワインを口にしたタイミングで告げる。
アルコールを入れた理由。とてもではないが、何かの後押しを抜きに、これを言う勇気が無かった。
「昨日は、いっぱいして貰ったから、今日はわたしがしたい。レニのこと、気持ちよく、してあげたい」
「……‼」
さすがに少しは意表を突けたようだ。レニの目が一瞬、通常より大きく見開かれる。ちょうど口にしていた液体が、大きく音を立てて飲み込まれる。ワインごと吹き出してくれないかと意地悪に期待したが。
「……酔ってる?」
「かもしれない。でも、そうしたいと思ってた。今日起きてから、ずっと」
「それは嬉しいね」
互いに、残ったグラスの中身を飲み干し机に置く。そのまま指が絡む。
その日は昼間に本で得た知識を、総動員した。
それからは、夜が来るのが、楽しみになった。
***
買い出しで街に出ている途中、ふと思い立つ。
あの護衛達。自分が嬲られるさまを、余さず録画していた。あの二人の精神体には、自分の恥態が記録されている。どう使われるか、分かったものではない。
自分だけの問題ではない。学術院の権威にも関わる。思い返せば思い返すほど、馬鹿な選択をしたと自分を呪ってしまう。
「……」
もう一度ルドガンに会うべきだろうか。あの映像を破棄してもらうよう頼む。実力行使で戦う。もはやいずれも、賢いとは言えない。それどころか映像を盾に、別のことを要求されるかも知れない。
レニに間に入ってもらい、交渉する――それが最も有効のように思うが、ただでさえ世話になっている彼に、これ以上負担をかけたくなかった。
他の誰かを頼ろうにも、知り合いの居ないこの街では、あてなど無い。
思慮を続けたまま歩き、結論が出ないまま、無意識のうちにルドガンの屋敷の前まで着いてしまった。
(どう、しよう……)
しばし立ち尽くすが、ふと見ると正面の鉄格子の門が、鎖で雁字搦めに封鎖されている。その上から、「立入禁止」と書かれた標識も。
「……?」
訝しみ、その奥の建物を見やると、カーテンが全て閉ざされているのに気付く。人の気配は魔素で検知できるが、建物の中からは一切感じなかった。
(……こんな昼間に、誰も居ない?)
しばし呆けて屋敷を眺め続ける。と、街を行く通行人の会話が耳に入った。
「護衛や観客もろとも、皆殺しだって?」
「恨みを買ってる奴は多かったろうからな」
「裏社会からの見せしめって噂もあるぜ」
「相続人も居ないらしい。あの屋敷もしばらくそのままみたいだ」
気になる単語がいくつも耳に入り、思わず振り返る。駆け寄り、その二人組を呼び止めた。
「ま、待って下さい」
「ん?」
「今の話、詳しく聞かせて下さい」
二人はしばし目配せし、話して良いかの判断をするような僅かな間の後、「俺達も聞いた話だけどよ」と前置きした上で、彼等は教えてくれた。
そこで知った話は、自分にとっては驚くべきものだった。より深く調べたい気もしたが、誰かのものである自分がそこまで波風を立てるわけにもいかず。かといって、その誰かに問い質すのも、怖い気がして。問題が解決したなら、これ以上掻き回すべきではないと判断し、胸の内にしまうだけにした。
***
いつもの、交わりの夜。意識が落ちてしまいそうになる瞬間、頭を振って目覚めさせる。その挙動を何度か繰り返していると、レニが尋ねてくる。
「……眠らないの?」
「ん……ぅ……」
眠りたくない理由の元凶が、酷なことを言う。
「……だって、気持ちいいから。眠っちゃうの、もったいない……」
「眠い時には寝た方がいいよ」
「でも……ずっと、こうしてたい……」
ぎゅっと、抱きつく力を強くする。
「そんなに言うなら、明日は一日中、一緒にベッドで過ごそうか」
「えっ。いいの?」
「えっ」
願ってもない話に飛び付くと、冗談のつもりだったのか、軽く困惑した表情を浮かべるレニ。だがすぐ笑顔に戻った。
「……うん、いいよ。だからもう寝な」
「約束よ」
「うん」
我儘な願いを叶えてくれる主人。もうどちらが主人なのか、よく分からなくなっていた。
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凄まじく自堕落な一日だったが、謎の達成感と、たまらない幸福感があった。
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「え……」
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落ち着いたところで。湯船に浸かり、背中をレニに預ける。軽くその腕に抱かれ、身体を撫でられながら。
「ずっと付けてるんだね、そのペンダント」
問われ、何となく指で弄くる。
「うん。無くす前もそうしてた。……ひょっとして、する時、邪魔?」
よく考えたらずっと胸元にあったから、触る時に煩わしかったかも知れない。
「いや。可愛くて似合ってる」
レニが同じようにペンダントを撫でる。
――それをきっかけに、ふと思い立った。
「傷、見たい」
「え?」
「前に言ってたでしょ? 顔に傷があるって。どんなのか見たい」
未だに、見たことがない。化粧で隠しているという、傷。きっと寝る前にだけ、化粧を落としているのだろう。就寝時、一人で寝室に戻りたがる理由が、きっとそれなのだと思っていた。
「見て、楽しいものじゃないと思うけど……」
「レニのことなら、なんでも知りたい。……いや?」
少しだけ困ったような顔を見せる。でもきっと願いを叶えてくれる。何となく分かっていた。
「……分かった、いいよ。ちょっと、向こう向いてて」
そう言うと、湯船から出たレニは身体を洗う鏡台に向かう。言われた通りに背を向ける。
何かで顔を擦るような音。石鹸と一緒に置いてあった、液体が入った小振りの容器が何か気になっていたのだが、メイク落としのようだった。ほどなくして、それを水で洗い流す音。更に、一泊置いて。
「はい。もういいよ」
言われて、振り向く。レニの顔に確かに存在する、その傷に。
「――」
思わず目を見開く。しばし、固まってしまう。
その様を見てか、レニが不安そうに聞いてくる。
「……やっぱり、怖かった?」
「あ、えっ……と……」
何か言わなければ。慌てて言葉を探す。
「確かに、隠した方がいいかもね。レニの顔だと、目立っちゃいそう」
もう少し気の利いた台詞を言うつもりだったが、当たり障りない言葉になってしまう。
「それって、褒めてくれてる?」
「うん、そのつもり、だけど」
実際、そこまでの傷ではなかった。勲章とするには小さく、顔を綺麗に見せるなら多少目に付く、微妙な大きさの傷。
動揺してしまったのは。
その場所と、形に、だ。
***
その夜は、昼間いっぱい一緒に居られた分ゆっくり休もうということになり、寝る時は別々になった。ベッドを共にすると、懲りずにまた、してしまいそうだったから。
きめ細かいシーツに包まれ、一人。ペンダントを手に、思いを馳せる。照らし合わせる。
生まれた一つの疑惑。それを紐解くにつれ、やがて確信に近い閃きとなり、最後には願いのようなものになった。
自分の目的と、手にしている幸せが、一つになる。そんな、夢のような可能性。
だが、それを確かめるには手順が要る。一度、この楽園を終わらせる必要がある。
真実に、たどり着くために。
わたしは、行動を開始した。
0
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