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第二部

1-1.ムカつくあいつと再実習したら

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 夕暮れの実習室で、アリシアは二人に見守られながら意識を集中させる。
 呪文は空で言えるほど何度も読み返した。
 精神集中は入学した時から欠かさずやってきた。
 だから絶対失敗しない。
 目の前に広げた召喚陣に自分の血を一滴垂らし、喚び出したい姿を頭に浮かべて呪文を詠唱する。
 薄暗い部屋の中に淡い光が溢れ出し、別の世界と繋がる感覚がした。

「お願い、今度こそ……!」

 淫魔のような禍々しいものではなく、愛らしい姿を見せてほしい。
 とはいえ、あの一件があったからこそロシュへの気持ちに気づけたわけではあるが。
 ていうか、ロシュが言ってたことってほんとなの?
 いやいや待って、今はそんなこと考えてる場合じゃない!
 ついさっき言われた軽口を思い出して感情が揺らいでしまったが、必死に冷静さを取り戻す。
 そうこうしている間に呼びかけはあちら側に届いたらしい。
 一際強い光のあと、召喚陣の上には先程までなかった姿が存在していた。
 これで召喚実習は成功……の、はずなのだが。

「……アリシアさんは、何を呼ぼうとしたんだい?」

「フェアリー、でした……」

 クレメントの問いかけに、アリシアはぽかんとしながら答える。
 なぜならその姿が想定とは大きくかけ離れていたからだ。
 アリシアより少し低い背丈に、長い金髪と同じ色の瞳。
 そして美しくくびれた腹部に、大きく膨らんだ胸部。
 ゆったりとした黄色の布を巻き付けただけの女性的な身体は、正直目のやりどころに困る。
 どう考えても小妖精とは言えない姿は、見た目に反して幼気な仕草で視線を巡らせた。

「わぁ、ここが人間界? 呼んでくれてありがとぉ!」

「ひえっ、喋った!?」

「喋るよぉ! アナタがアタシの主様なのね?」

「あ、あるじ様?」

「主様もアタシの恋、応援してねぇ!」

「こ、こい……?」

「馬鹿、冷静になれ」

 頭を軽く叩いてきたロシュは、ぺたんと座ったままの精霊をまじまじと観察しはじめた。
 想定外の事態に動揺しないのだろうか。
 何より、こんな姿に照れも何もないのだろうか。
 一人でドギマギしているアリシアを無視したまま、ロシュはすっと目を細める。

「その見た目と言動ってことは……リャナンシーだな?」

「正解だよぉ!」

 ロシュの指摘に精霊はにぱっと笑い、嬉しそうに顔を見上げた。
 その視線は興味津々といった雰囲気で、アリシアはなぜか不安感を抱いてしまった。

「ま、待って? リャナンシーって、何?」

「男を誘惑して精気を吸って最終的に破滅させる精霊」

「何それ知らない!」

「だからこんなの精霊図鑑に載せねぇって言ってんだろ。お前、つくづくこれ系に好かれんのな」

 呆れたような口ぶりに何も返すことができなかった。
 前回の淫魔はロシュの魔力を嗅ぎつけたと言っていたが、今回はそんなことはない。
 あたし、向いてないのかな……。
 自分一人の召喚による結果に、アリシアはがくりと肩を落としてしまった。

「まぁいいや。さっさと帰還させろよ」

「させたいんだけど、魔力の道が全然閉じられなくて」

 ロシュの言葉に顔を上げると、動きを試すように身体をくねらせる精霊の姿が目に入る。
 本来ならば精霊は召喚主の意のままに操れるものだ。
 しかし変則的に召喚されてしまった精霊はそう上手くいくはずもない。

「魔力も技術も足りてねぇんだな」

「仕方ないじゃないっ、あたしだってこんなことになるなんて!」

「お前、召喚禁止」

「う……っ、それはあたしもそう思うけど!」

 さらに肩を落としていると、二人の言い合いにくすくすと笑う声が響いた。
 愛らしい少女のような声の持ち主など、アリシアの他に一人しか居ない。
 その場にいる者の視線を惹き付けた精霊は、大きな瞳でロシュを見つめた。

「黒髪のアナタ、とっても素敵ねぇ! 魔力もすっごく美味しそう!」

「誰がやるか。こっちの用は済んだから帰れよ」

「アタシは済んでないもーん。男の人に恋をさせるのがアタシの生きがいなの!」

 まさか、ロシュを狙ってるの?
 淫魔の一件から、ロシュの魔力が精霊にとって非常に魅力を感じるものだとは分かった。
 しかし、この精霊はそれだけなのだろうか。
 どう見ても官能的な女性の姿を前に、アリシアは背中にじとりとした汗を感じた。

「うぜぇ」

「そんなこと言わないでよぉ。アタシって男の理想とする姿になれるの、知ってる?」

「そうやって男を落として食いつぶすんだよな」

「愛と才能を引き換えに生気をもらうだけだよぉ。ほらぁ、見ててねぇ?」

 そう言うと、リャナンシーと呼ばれた精霊はぐにゃりと容姿を歪ませた。
 金色の目はロシュの赤い瞳を見つめ続け、身体は靄のように変形を続ける。
 どう考えても異様な光景なのに嫌悪感を抱かせないのはなぜだろうか。
 そんなあり得ない精霊を前に、アリシアは動くことができなかった。

「ほらぁっ、これがアナタの理想の姿よねぇ!」

 自信満々といった声の先に居たのは、変わる前と違ってごくごく普通の姿だった。
 小柄な体型はどちらかというと痩せ気味で肉感に欠けるだろう。
 それに、茶色の髪と瞳だってありきたりで目を引くものではない。
 平凡という言葉をそのまま映したような顔は、アリシアにとって誰よりも目にしてきたものだった。

「えっと……あたし?」

「あれぇ?」

 顔を合わせ、同時にぱちぱちと瞬きを繰り返す。
 双子と言われても頷けるほど酷似した二人は、そのままロシュへと視線を向ける。
 理想どころか手近な人間に化けただけではないか。
 二人のアリシアに見つめられたロシュは、なぜか目尻を赤くしながら睨みつけてきた。

「阿呆なことしてんじゃねぇよ」

「怖ぁい。これって失敗? 成功?」

「うるせぇ。この場で消されたくなかったら元の姿に戻りやがれ」

「そういうことぉ? だったらこの身体であーんなことやこーんなことしちゃってもいいよぉ!」

「んなもんこいつにさせるからいいんだよ」

「あたし何されるの!?」

 突然のとばっちりに目を白黒させていると、リャナンシーは再び靄に包まれた。
 そして元の姿に戻ったかと思うと悩ましげなため息をつく。

「あーあ、せっかく初めて恋できると思ったのになぁ。こんなに主様が好きなら無理かぁ」

「えっ、何言って……」

「よし、消す。クレメント、壊されたくなきゃ部屋に防壁張れ」

 照れ隠しにしては過激すぎる。
 ロシュが見境なく魔法を放とうとする前に、アリシアは慌ててリャナンシーの前に立ちふさがった。

「ちょ、ちょっと待って!? あの、リャナンシー? あなたは一体どうしたいの?」

「素敵な恋がしたいのぉ! それがアタシたちリャナンシーの生きる意味なのよ?」

 ぱちんとウインクをされると、あまりの可愛らしさにきゅんとしてしまう。
 だけどこれって、リャナンシーが恋をするまで解放されないってこと?
 想像以上に困難な条件に思い至り、今度はどっと冷や汗が出てしまった。
 こんな時にどうすればいいのか。
 すがる思いでクレメントに目を向けると、なぜか困惑したような顔をしていた。

「アリシアさんとロシュくんは、その……リャナンシーが見えているんだね?」

「へ? もちろん、こんなにはっきりしてるんですから」

「残念ながら僕には見えないんだ」

「ええっ!?」

 こんなにも存在感のある姿が見えないなんて。
 思っても居なかった事態にロシュの様子を窺うと、予想していたように平然としていた。

「コレは標的の男以外には見えないんだよ。お前は召喚者だから見えてるんだろうけどな。
 で、どうする?」

「どうするって言われても……」

 正直に言ってしまえば、今すぐきちんと送還したい。
 しかしアリシアの魔法の腕ではそれが適わず、別の方法が取れるわけでもない。
 かといって目視できないクレメントが対応するのは難しく、ロシュは最後の手段にすべきだろう。
 三人分の視線が集中する中、アリシアは元の姿に戻ったリャナンシーと目を合わせた。
 異性に恋をさせて生気を吸い、破滅させる精霊。
 その言葉だけを聞けば何がなんでも帰還させるべきだろう。
 だというのに、アリシアはすぐに決断することができずにいた。
 妖艶な容姿と釣り合わない幼気な仕草は、外を知ったばかりの子どものようにも見えるからだ。
 それに、初めての恋と言っていなかったか。
 精霊がどのように生まれ育つのかは俗説でしか知らないが、このまま無下にしていいものだろうか。

「……少しの間だけ、こっちで過ごしてみる?」

「いいのぉ!? やったぁーっ!」

「おい、アリシア!」

 うっかり言ってしまった言葉に歓声と怒号が響き渡る。
 だって、なんか可愛いって思っちゃったから!
 身体は成熟しきっているのに、抱きついて喜ぶところは無邪気だと思ってしまう。
 そんなちぐはぐな姿を見るとロシュの怒りは無視していいような気がしてきた。

「で、でも少しだけだよ! 人に迷惑かけたらすぐ帰ってもらうからね!?」

「分かってるよぉ! えへへぇ、初めての人間界、嬉しいなぁ!」

 頬を染めて笑われるとつい抱きしめ返してしまう。
 妹が居たらこんな感じなのかなぁ……。
 一人っ子のアリシアはついほっこりしてしまった。

「結局、話はついたということでいいのかな?」

「ったく……こいつがこう言うなら仕方ねぇだろ。何かしやがったら強制送還するからな」

「分かった。ありがと、ロシュ」

「美味しそうなお兄さんもよろしくねぇ!」

 夕暮れの実習室で起こった出来事は、またしても外に知られることなく進行を始めた。
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