上 下
41 / 53
第二部

3-1.ムカつくあいつと留学生のお世話をすることになって

しおりを挟む
 長期休暇が終わったばかりの教室は思い出話に花が咲いているらしい。
 背後からの賑やかな声を聞きながら、アリシアは隣に座るロシュに目を向けた。

「そろそろ留学生が来るんだよね? どんな人だろう」

「どうでもいい」

「もう、少しは楽しみにすればいいのに」

 国内随一であるこの魔術研究学園は、友好国の魔術師との繋がりが深い。
 そのため定期的に留学生が訪れ、またこちらからも向かうことがある。
 今まで同じ学年に来たことはなかったが、今回はこのクラスに入ると聞いていた。
 もしかしたら、友だちになれたりしないかな?
 それは高望みだとしても、同年代の人と話せる機会が増えるのは嬉しい。

「ねぇ、ロシュ。元気ないけど具合悪いの?」

「別に。やる気ねぇだけ」

 元から授業に不真面目なロシュだが、今日は一段と機嫌が悪いように見える。
 今日も鉱物学の先生と揉めるんだろうなぁ……。
 ほぼ毎回繰り広げられる舌戦を思うと、アリシアは今から気が重くなってしまう。
 そんな中、前の扉から担任であるクレメントが入ってきた。

「おはようございます。今日から二週間、一緒に勉強する留学生を紹介しますね」

 穏やかな紹介とともに現れたのは、この国ではほとんど見ることのない姿だった。
 まず目に入るのは腰まで伸びる紫色の髪だ。
 結ぶことなく下ろされた直毛は、歩くたびに嫋やかに揺らぐ。
 色黒の肌にはくっきりとした目鼻が配置され、意志の強そうな緑色の瞳が輝いていた。
 背筋を伸ばした気品ある姿は、どこか別格の存在のように思わせてしまう。
 異国情緒漂う美しい女性は、教室内を見回してから口を開いた。

「わたくしの名はラティーファ。我が国の筆頭魔術師、ヘアリダーデ家の長女よ」

 堂々とした自己紹介に拍手が沸き起こったが、それは当人へのものだけではない。
 友好国の筆頭魔術師となれば相当の立場があるはず。
 そう判断できた生徒たちは、自然と好印象を持たれるように振る舞うのだ。

「なんかすごい人なんだよね? ちょっと、聞いてる?」

 小声でロシュに話しかけるがそっぽを向かれてしまう。
 筆頭魔術師の家系ということは、ロシュと似たような立場なのではないか。
 ふと思い至ったことだったが、それは当人の行動によってすぐに肯定された。

「あなた、ミュスティカ家の方よね? 幼少の頃に会っているのだけど、覚えていらっしゃる?」

 教壇からの声はこちらに向いているらしい。
 この国では家名を重んじることが少ないが、その名前だけはよく知っていた。
 この学園を運営している、この国でも一番の魔術師の家系だ。
 その息子であるロシュは小さく舌打ちをし、じろりと前を睨んだ。

「そんな大昔のこと、覚えてるわけねぇだろ」

「では、これから友好を深めましょう。わたくしに学園を案内してくださる?」

「んなもん他の連中にさせろ」

 あからさまに嫌がっている様子に、他のクラスメイトが我先にと名乗りを上げる。
 しかしその騒ぎを制するかのように凛とした声が響き渡った。

「わたくしはあなたに申し上げているのよ。
 縁のある家系を相手に、まさか断るだなんておっしゃらないわよね?」

 なんだか女王様みたい。
 高みから落とされるような声には人を従わせる音があり、アリシアはぞわりと身を震わせる。
 なのにロシュは再び大きな舌打ちをし、クレメントを睨みつけてからため息を付いた。

「わーったよ、やりゃあいいんだろ」

 不機嫌で不満たらたらでどうみても嫌々と分かる態度の頷きなのに、相手は満足したらしい。
 クラスメイトのざわめきの中、来た時と同じように悠々と扉を出て行った。
 どうやら次の授業に出る気はないらしい。
 そんな我が儘が許されるのも家柄によるものなのだろうか。
 賑わいを取り戻した教室の中で、アリシアはロシュにそっと囁いた。

「ちょっとロシュ、大丈夫? あたしも手伝おうか?」

「いい。それよりお前はリャナをあの男のとこに運んでおけ」

「え、マークさんのとこに? どうして?」

「あの高飛車女、ただ留学してきただけじゃねぇだろ。
 何が目的か分かんねぇけど、面倒に巻き込まれたくなきゃあの女に近づくなよ」

 そう言いながらも、ロシュは真っ向から向き合わなければならないのだ。
 ロシュは自分の家庭にいい印象を抱いていないようだから、無理に聞いていいものではないだろう。
 なんか、大変そうだな……。
 そんな心配の中には、自分でも言い表せない不安感が混じっているように感じる。
 入学してからずっと一緒に過ごしてきたからこそ、疎外感に襲われているのだろうか。
 感じたことのない気持ちを抱えながら、アリシアは一日の授業を必死にこなした。


 その日の夜。
 アリシアは寮の自室で今日の復習をしていたが、まるで集中できなかった。
 それもこれも全部ロシュのせいだ。
 そう思ってしまうのは、一日中不機嫌な雰囲気をビシビシと放っていたからだ。
 留学生とお近づきになりたいクラスメイトからの視線も不愉快だったのだろう。
 その上、放課後になったらすぐにクレメントに呼び出されてしまっていた。
 そのためアリシアは一人でマークの研究室を訪ね、事情を説明しなければならなかった。
 精霊を宿した特異な人型だと知られたら興味を誘ってしまうと言えば、マークも頷いてくれた。
 とはいえ、リャナにとっては好都合だったのだろう。
 マークとまた同棲できると大喜びしていた姿を思い出し、笑みが溢れた。
 こうして一人で過ごすのも久しぶりだ。
 今日はもう勉強は諦め、少しのんびりしてみてもいいかもしれない。
 そう思った時、扉からノックが響いた。
 こんな時間に尋ねてくるのはロシュくらいだが、ロシュならノックなどしない。
 軽く身支度を調えてから扉を開けると、そこに居たのはクレメントだった。

「遅くに悪いね。少しいいかな?」

「はい、もちろん」

 話を聞くために扉を大きく開くと、そこにはもう一人の姿があった。

「まぁ、ここは何? 駱駝小屋でももう少し広いわ」

 部屋を覗き込んで細い眉をひそめたのは、制服姿のラティーファだった。
 
「君には貴賓室が与えられているけど、生徒はこの寮を使っているんだよ」

「この国はずいぶんと領土に困窮していらっしゃるのね。難儀なことだわ」

 これでも十分だと思うんだけど……。
 アリシアはあからさまに蔑む態度に困惑してしまう。
 クレメントも生徒であり賓客でもあるラティーファの扱いには困っているのだろう。
 アリシアと似たような表情をしながら眉を落とした。

「今、寮にいる女子生徒がアリシアさんだけでね。寮内で助けになってあげてくれないかな」

 なんでも、今までは侍女が居る生活が当たり前だったらしい。
 別格だという第一印象は正解だったようで、考えられない立場になぜか感心してしまった。
 とはいえ、断ることはないだろう。
 教室ではクラスメイトの目があるが、寮内では気にする必要がない。
 少しでも友好を深められればと思い大きく頷いた。

「ラティーファさん、よろしくね!」

「下等身分の分際で、わたくしにそのような言葉を使っていいと思っていて?」

 顎を突き出して上から見下され、思わず固まってしまう。
 下等身分って……この国、そんな制度あったっけ?
 現実として受け入れるのに時間がかかっていると、深々としたため息が聞こえた。

「ラティーファさん。母国では上流階級だとしても、ここでの君はただの生徒だ。
 クラスメイト相手にそんなことを言ってはいけないよ」

「あら、この娘はわたくしの侍女になるのではないの?」

「学園内で侍女なんてつけさせるわけないだろう?
 アリシアさんは親切心で協力してくれるんだ。それを忘れちゃいけないよ」

 窘められたラティーファにじろじろと眺められると、正直あまりいい気はしない。
 しかし疲れた表情のクレメントが目に入ったため、アリシアもぐっと言葉を飲み込んだ。
 
「ふぅん……あなた、この国に生まれたことを感謝するべきね。
 本来、わたくしと対等に話せるのはミュスティカ家の彼くらいなのよ?」

「ロシュくん、ね。ここでは家名で呼びあう風習はないんだよ」

 いくら短期とはいえ、文化の違いに辟易しているのだろう。
 ラティーファは大きく頭を振ると、うんざりしたような声を上げた。

「ああ、なんて窮屈なのかしら! お父様の命令なんて早く済ませて帰りたいものね。
 わたくしは部屋に戻るわ。湯浴みの準備はできていて?」

「その辺りは寮母さんに聞くように」

 役割を区別したクレメントの態度に、ラティーファはわざとらしいため息をついて去っていった。
 残った二人は同時に肩を落とし、乾いた笑いを浮かべてしまった。

「先生も大変ですね」

「仕方ないさ。彼女は特権階級を自認しているようで、ほとんどの人を下に見ているんだ」

「あれじゃ、ロシュは怒りそうですよね……」

「さっきまで付き合わされていたけど、ものすごい顔してたね。
 今はリャナさんの件で釘を刺しに行くって研究所に向かったよ」

 ロシュの中で、ラティーファは油断ならない相手と認識されたのかもしれない。
 少しでも話せたらと思ってはいたが今日は難しいだろう。
 クレメントの重ねてのお願いにしっかり頷き、ベッドにごろんと寝転ぶ。
 自分とラティーファは価値観がまるで違うのだろう。
 いくら寮内だけどはいえ、そんな関係で二週間もやっていけるのだろうか。
 そこはかとない不安を感じながらも、アリシアは眠ってしまうことにした。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

サラ・ノールはさみしんぼ

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:260

精霊たちの献身

恋愛 / 完結 24h.ポイント:106pt お気に入り:1,046

甘やかして……?

BL / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

魔拳のデイドリーマー

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:1,057pt お気に入り:8,522

桜の季節

恋愛 / 完結 24h.ポイント:411pt お気に入り:7

黒魔女さんは炎狼を捕まえたようです。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:60

呪物ショップの店主呪戀魔「呪界団地編」

ホラー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:7

ヒヨクレンリ

恋愛 / 完結 24h.ポイント:468pt お気に入り:884

突然の契約結婚は……楽、でした。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:86,600pt お気に入り:2,478

処理中です...