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第二部

4-3.ムカつくあいつに本当の気持ちを伝えたら

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 研究所から走り続け、学園に戻ったのは夕方近くになっていた。
 授業はもう終わっているはずだ。
 誰も居ないであろう教室には立ち寄らず、ロシュが居そうな場所を次々と探していく。
 気ままなロシュは授業中はいろいろな場所に行くくせに、人の増える放課後はそうでもない。
 一番ありえそうな図書館が外れとなれば、ひたすらに走るしかない。

「どこに居っちゃったんだろう……?」

 寮は最後にしようと決めたのは、部屋で過ごす二人を見たくなかったからだった。
 この間、つい脚が向いた中庭はどうだろう。
 ほとんど思いつきで向かった先には、見たいような、見たくないような姿があった。
 季節の花が咲く花壇の前にあるベンチ。
 そこには制服姿の女子生徒が腰掛け、すぐ近くに男子生徒が立っていた。
 後ろ姿だが見間違えるはずがない。
 走ってきたからだけではない鼓動を抱えながら、ベンチに一歩ずつ近づく。
 冷たい風に乗ってふんわりと香るのは、甘く痺れるようなラティーファのものだ。
 こんな場所での密会となれば、二人にとって最後の逢瀬なのかもしれない。
 そうだとしたら自分は完全な邪魔者だが、ここで怯むわけにはいかなかった。

「……っ、ロシュ」

 今まで数え切れないほど呼んだ名前なのに、口に出すのに戸惑ってしまった。
 そんな呼びかけに振り向いた顔は、あまり見ることのない表情だった。
 不機嫌な顔はいつものことだが、表情を浮かべないことは少ない。
 赤い瞳は冷たく尖り、自分を拒んでいるようにも見えた。

「なんのご用かしら?」

 無言のロシュを助けるかのように、ラティーファが笑みを向けてきた。
 それほどロシュに信頼されているということなのだろうか。
 もしそうだとしても、今は関係ない。

「ロシュに話があるんです」

「今はわたくしがご一緒しているのだけど?」

「邪魔なのは分かってます。でも、どうしても言いたいことがあって……」

 迫力のある緑色の瞳を瞬かせながら、ラティーファはロシュへと顔を向ける。
 ロシュはそれに答えるかのように、深々とため息をつきながらこちらに身体を向けた。

「なんだよ」

 短い問いかけは苛立った声で、思わず一歩引いてしまいたくなる。
 けれどここで負けてはいけない。
 ローブの中で手の平を握ると、アリシアはまっすぐロシュに向き合った。

「あたし……やっぱり、ロシュと一緒に居たい」

 細めていた目蓋がぴくりと動き、ロシュは小さく鼻で息を吐いた。
 冷めた視線は肌をチクチクと刺し、不快さを滲ませた声が響く。

「俺にはこの女のほうがお似合いなんだろ?
 せっかくお前の意見をくんでやったのに、今さら文句あんのかよ」

「それは……今でも、思ってるよ」

 自分の声が小さくなるのが分かり、つい顔を下に向けてしまった。
 ラティーファと比べて自分では至らないものばかりで、ロシュの助けには到底なれない。
 そんなことは痛いほど分かっている。
 けれど逃げたくないと思ったのだからと、勢いよく顔を上げた。

「一緒に居たら、また迷惑かけちゃうと思う。
 だけどいつか絶対、ロシュに並べるようになるから」

 何をすればそうなれるかなんて分からない。
 それでも、この気持ちだけは変わらない。
 鋭い視線から逃げないように、一歩前へと進んだ。

「離れたいなんて、嘘だよ。あたし……ロシュのこと、好きだから」

 こんなに声も身体も震わせて、凜としたラティーファとは比べものにならないだろう。
 みっともないと思われていても、この気持ちは抑えられない。
 下唇を噛んだままロシュを見つめていると、威厳のある声が割り込んできた。

「わたくしが後ろ盾になってさしあげるというお話、お忘れかしら?」

「覚えてます。だけど、お断りします」

「それはなぜ?」

 まるで試すような視線に対し、アリシアはすぅっと息を吸う。
 素直な気持ちを伝えればいい。
 そう考えたら、言葉を考える必要なんてなかった。

「ロシュを諦めてまで欲しいものなんて、ないから」

 はっきりとした言葉に、息を飲む音が聞こえた。
 魔術師としての立場を考えれば、ラティーファの提案は喉から手が出るほど欲しい。
 だとしても、アリシアの気持ちはもう決まっていた。

「ロシュがあたし以外の女の人と笑いあってるの……嫌なんです。
 見ててすっごく苦しくて、辛くて、悲しくて」

 胸が苦しい理由から目を背けていた。
 ロシュのためだと言い聞かせながら逃げていた。
 本当はこんなに辛かったのに。
 上手く呼吸ができなくなり、目頭がじんと熱くなる。
 ぽろりと流れた涙とともに、アリシアはずっと堪えていたものを投げつけた。

「協力できなくてごめんなさい。でもあたし、ロシュのことは誰にも渡したくない。
 だから……あたしから、ロシュを取らないでっ!」

 迷惑とか、我が儘とか、今は何も考えたくない。
 ぼろぼろと流れる涙をそのままにしていると、突然視界が黒に覆われた。
 こんなに突然夜が訪れるはずはない。
 よく知っている体温を感じたと思うと、掠れたような声が聞こえた。

「ようやく気づいたか、ばーか」

 身体を包むものは、いつも一番近くで聞いていたものだった。
 冷たい風から守るかのように抱きしめられ、涙がローブに吸われていく。
 自分を抱きしめてくれている人は誰?
 鋭く冷え切った視線はどこへ行ったのか、どこまでも嬉しそうな声色だった。
 これはどういうことだろう。
 甘い温度に浸りそうになるのを堪えていると、ベンチから立ち上がる気配がした。

「まったく……これで満足なさって?
 ここまで引き延ばされるだなんて、報酬の追加をお願いいたしませんと」

「好きにしろよ」

 ラティーファの呆れかえったような声に、投げやりなロシュの返答。
 慌てて上を向くと、目の前には口の端を引き上げた顔があった。

「なんで……? だって、二人は……」

「お前に避けられて本気でムカついたんだよ。だから、こいつといい関係になった振りをした」

「振り……?」

 まるで意味が分からない。
 窮屈な身体で顔を向けると、ラティーファは眉を寄せて深いため息をついた。
 
「わたくしたちの関係は見せかけだけのものということよ。
 この国は不確定な噂話を広める愚か者が多いのね。嘆かわしいことだわ」

「その割にはしっかり演技してたじゃねぇか」

「それは契約ですもの。まさかこんな馬鹿馬鹿しい茶番に巻き込まれるだなんて……。
 わたくしを痴話喧嘩に巻き込むだなんて、ヘアリダーデ家が黙っていませんわよ?」

 心底不愉快だと言わんばかりの表情に、アリシアの目から最後の涙が落ちた。
 振り……演技……痴話喧嘩……?
 単語を拾っていけば事実は分かるのだろうが、まるで理解が追いつかなかった。

「ま、待って? だってラティーファさんは、お家の人からロシュと結婚するようにって……」

「んなもん、提案された時に断ったに決まってんだろ」

「じゃあ……なんで、こんなことに?」

「支援が欲しければ協力しろと言われましたの。腰が引けているあなたを誘い込むのだと。
 こちらとしては何かしらの縁さえできればいいのですから、お受けいたしましたわ」

 二人のあっさりとした告白により、アリシアにもようやく事態が理解できた。
 結婚がどうこうっていう話は最初から結果が出ていて、あたし一人が振り回されてたってこと!?
 思わずロシュから離れようとしたが、絡んだ腕が緩むことはなかった。

「ひ、ひどいっ! 騙したのねっ!?」

「お前だって騙しただろ。
 自分が得するためとか言いながら、俺のために身を引こうとしやがって」

「だって、ロシュに迷惑かけたくなかったから!」

「お前がどっか行ったら追っかける。その手間のほうが迷惑だろ」

 言われてみればそれもそうだが、ロシュが追いかけてくれることが大前提のものだ。
 ロシュにとって自分を追いかけるのが当たり前だと言われているようで、思わず言葉がでなくなった。

「捕まえたからもういいや。さっさとどっか行けよ」

「本当に失礼な方ね。
 契約通り協力したのです。ミュスティカ家の魔導書、閲覧許可をいただけますわよね?」

「あー分かった分かった。てめぇ、今すっげぇ邪魔だって分かってんだろ?」

「まったく……あなたと夫婦にならずに済んで本当によかったわ。
 こんな野蛮な人間と結婚するだなんて考えられないもの」

 気の置けない会話に聞こえるのは気のせいだろうか。
 心なしか気になってはしまうが、ロシュに強く抱きしめられているのは自分だ。
 そのことが何よりも安心材料になり、不安はすぐに溶けていった。

「最後に言わせていただくわ。あなた、こちらを向きなさい」

 ラティーファの言葉は自分に向けられているようだ。
 渋々腕を緩めたロシュだが、完全に離す気はないらしい。
 すっぽりと包まれながらも身体を向けると、細い眉がぴんと跳ねた。

「わたくしはあなたのことを信頼していると、以前言いましたわよね?」

「あれは……ロシュとの関係を協力させたかったからじゃ」

「わたくし、嘘は言いませんの。本心での言葉を疑うことは無礼よ」

 信じられない言葉だが、遙か高みからの声に背筋が伸びた。

「そこの彼も同じでしょうけれど、家柄だけで見られることが本当に多いのよ。
 行使した魔法に目を向けられたのはどれほどぶりだったかしら」

「そんな……」

 あんなにきれいな魔法なのに。
 ラティーファは優美な仕草で腕を組むと、つんと顎を反らした。

「あなたの勤勉さはこの二週間でよく見えたわ。
 魔法を愛する心を持っているし、十分な力もあるようね」

「でも、あたしなんて二人に比べたら全然……」

「わたくしたちと比べるのがそもそも思い上がりなのよ。
 何もなくてもあなたの後ろ盾になるつもりでしたの。ひれ伏して感謝なさい」

「え……?」

 今、後ろ盾って言った?
 協力も何もできていないどころか、こんな騒動を巻き起こしてしまったのに。
 信じられない気持ちで背後のロシュに目を向けると、さも忌ま忌ましいとばかりの顔をしていた。

「こんな高飛車な女と結婚なんて虫酸が走るな。引き取る男なんているのかよ」

「こんな不遜な男に捕まる迂闊さは考えものですが、この約束は守ってさしあげるわ」

 やっぱり仲が悪いわけではないようだ。
 どちらかといえば似た者同士な二人を前に、アリシアは久しぶりに笑みが浮かんだ。

「この男に愛想が尽きたらわたくしの国にいらっしゃい。
 この学園のような矮小な世界でないことを約束するわ」

 そう言って、ラティーファはくるりと背中を向けて歩きだした。
 伸びた背筋は凛々しくて、風になびく紫色の髪は黄昏に映える。
 そんな後ろ姿に向かって、アリシアは思い切って声をかけた。

「ラティーファさん、ありがとうございますっ!」

 大声を出すなんてみっともないと言われるかもしれないけれど。
 しかしちらりと振り返ったラティーファは、唇に艶やかな笑みを浮かべていた。

「わたくしのことはラティと呼びなさい。親しい者はそう呼ぶわ」

 今度こそ最後とばかりに、優美な姿は去っていった。
 美しい後ろ姿にどれだけ見とれていたか。
 耐えかねたかのように抱き寄せられ、あまりの強さにうめき声をあげる。

「ちょっとロシュ、強い!」

「いつまでも見てるお前が悪い」

「だってやっぱり美人だし格好いいなって、ぐぇ!」

 潰された小動物のような声が出てしまったが、ロシュは力を緩めるつもりがないらしい。
 後ろからぎゅうぎゅうと抱きしめられると、それがロシュの気持ちの強さなのではと思ってしまう。
 アリシアはとんと頭を肩に預けたが、目の前にある顔はあまりいい色をしていない。
 体調でも悪いのかと思っていると、薄い唇がつんと尖った。

「ずっと一緒にいるって言ったの、誰だよ」

「あたし、だよね」

「約束守れよ。お前は妙なこと考えなくていいから」

「そんなのやだ」

 はっきりと言葉を返すと、ロシュがむっとしたのが分かった。
 しかしアリシアはじっとロシュを見上げ、目を逸らすことなく言った。

「あたし、ロシュのことをちゃんと知りたい」

「……お前を巻き込みたくないんだよ」

「もっと巻き込んでよ。教えてくれないとまたこんな風になっちゃうよ?」

「お前なぁ、それ自分で言うか?」

「言うよ。あたし、ロシュに迷惑かけてばっかりだよね。
 でも一緒に居てくれるんでしょ? だったらあたしもそうするから」

 大事な人と居るためなら迷惑なんて思ったりしない。
 そうリャナに教えられたのだから、ここで退く気にはなれなかった。
 今も抱きしめてくれる腕に触れ、離れることのない顔に頬を寄せた。

「頼りないと思うけど、ロシュの力になりたいの。駄目?」

 触れた場所が冷たく感じるのは、自分の体温が上がっているからなのだろう。
 温めるように押し付けると、吐息とともに肌をこすりつけられた。

「分かったよ。じゃなきゃ、またお前一人で暴走しそうだしな」

「う……そうだけど」

 観念したような声での指摘は当たりすぎて言い返せない。
 しかしロシュの機嫌が直るのはまだのようで、ぐりぐりと顔を押し付けられた。

「それより前に、俺に言うことあるんじゃね?」

 声が寂しげに聞こえるのは気のせいではないだろう。
 抱えていた気持ちを吐きだすのに必死で、一番初めに言うべきことを忘れていた。
 自分の中で勝手に判断して避けた事実はなくならないのだから。

「ごめんなさい」

「ん、許す。俺もごめん」

 そう言って、冷えた唇が押し当てられた。
 ようやく触れてもらえたことで、収まったはずの涙が再び零れてしまう。
 拭ってくれる指に縋り付くと、ロシュがふっと笑い混じりの息を吐いた。

「お前、顔ぐっちゃぐちゃだな」

「えっ!? やだ、見ないでっ!」

「無理。お前の泣き顔、可愛すぎ」

 睫毛に残る涙に唇を寄せられ、つい目を閉じてしまう。
 そうすると再びキスの雨が降り、アリシアは口を開くすきをなくしてしまった。
 言葉の要らない触れ合いが心地よい。
 吐息だけが聞こえる距離で触れ合いながら、目尻をぺろりと舐められた。

「あの女にまで見せやがって。俺だけに見せろよ」

 そんな独占欲が嬉しくて、頷いてから唇を寄せる。
 これからも泣かせると言っているようなものだが、今はどうでもよかった。
 唇を合わせて微かに舌で触れ合い、今までの距離を埋めようと追いすがる。
 もっと深く繋がりたい。
 ふわりと浮かんだ気持ちが届いたのか、ロシュは足元に魔法陣を放って低く呪文を唱えた。
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