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第一章:漂流の始まり――宮廷という伏魔殿
第2話:鎖に宿る誓い
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三度の口付けの余韻がまだ胸に残っていて、控室に戻った瞬間、ようやく大きく息を吐いた。
――やっと、呼吸ができる。
そこは、先ほどの冷たい石造りとは違い、野花の香りが漂う温かな空間だった。
懐かしさを覚えるのは、どうしてだろう?
……まるで、物語が別の章に入ったみたい。
テーブルに活けられた花の彩りに和んだのも束の間――
「――指輪を」
背後から低い声がして、肩が跳ねた。
「え?」
落っことしそうだったから、こっそり抜いてポケットにしまっていたんだけれど。
返せってことなのかな。
素直に差し出すと、彼はそれを細い金の鎖に通した。
まるで光の粒を糸に見立てて織り込んだような、華奢なネックレスだった。
「――後ろを」
言われるまま、くるりと背を向ける。
ふわりとヴェールが持ち上がり、首筋にひやりとした空気が触れた。
どうやら、ネックレスに通して指輪を身につけろということらしい。
金属の冷ややかさに身構えたのに――
あれ……。冷たくない。
どうして?
かすかな温もりが、金属を通して肌に残る。
彼は何も言わない。
ただ、鎖がきちんと収まったのを確かめるように、指先をそっと留めた。
その仕草が、なぜだか心に残った。
「――三度だ」
「え?」
「誓いの口付けは三度。それが帝国流だ」
「えええっ?」
先ほどの痴態が脳裏をよぎり、剥き出しの肩まで赤くなる。
王国の王太子・ランスロットとは幼馴染で仲は良かったけれど、異性として意識したことはなかった。
当然、キスだって初めてだ。
「……初めて、だったのか」
低くつぶやいたその声色は、からかいではなく、意外を含めた思案の響きを帯びていた。
「顔が真っ赤だ。無理をさせたな」
羞恥に駆られて思わず振り返ると、彼はすぐに表情を引き締めた。
けれど――その一瞬の眼差しに、“冷徹”と噂される皇太子の影はなかった。
頬を膨らませて憮然とする私を見て、彼はふっと息を漏らし、無造作に私の頭に手を置いた。
「そんな顔をするな。これから披露宴だ。……構えることはない」
ぶっきらぼうな響き。
なのに、王国語で掛けてくれるその声に、強張りがわずかに緩む。
殿下が席を立つと、そっとヴェールを外した。
額に空気が触れて、ようやく自分に戻れた気がする。
……前髪まで固めるなんて、あの女官たち、ほんと性格が悪い。
質素な修道服に身を包んだ若い女性が、温かいお茶を手元へ運んでくれる。
先ほど、道化メイクを落とすために湧水を汲んできてくれた修道女だ。
彼女の所作は、不思議と心を落ち着かせた。
「……ありがとう」
彼女も、これに気づいたようだった。
化粧道具に手を伸ばしかけた彼女の手に、自分の手を重ねて、静かに首を横に振った。
「待たせたら、かわいそう」
そう伝えると、彼女は何も言わず、そっと一歩下がった。
“待つのには、慣れている”――その苦しさは、私も知っている。
ずっと、あの青年を探していた。
いつか迎えに来てくれると、信じていた。
殿下に“家族”がいることは、婚姻式の説明にやってきた儀礼官から聞かされていた。
でも、“離縁予定”だなんて、さすがに初耳だけど。
まったく!
……でもまあ、好都合かもね。
私はレースの付いた帽子をかぶり、外へ出た。
けれど、帝都への道のりが、私にとって“二度目の洗礼”になるなんて、このときの私はまだ知らなかった。
――やっと、呼吸ができる。
そこは、先ほどの冷たい石造りとは違い、野花の香りが漂う温かな空間だった。
懐かしさを覚えるのは、どうしてだろう?
……まるで、物語が別の章に入ったみたい。
テーブルに活けられた花の彩りに和んだのも束の間――
「――指輪を」
背後から低い声がして、肩が跳ねた。
「え?」
落っことしそうだったから、こっそり抜いてポケットにしまっていたんだけれど。
返せってことなのかな。
素直に差し出すと、彼はそれを細い金の鎖に通した。
まるで光の粒を糸に見立てて織り込んだような、華奢なネックレスだった。
「――後ろを」
言われるまま、くるりと背を向ける。
ふわりとヴェールが持ち上がり、首筋にひやりとした空気が触れた。
どうやら、ネックレスに通して指輪を身につけろということらしい。
金属の冷ややかさに身構えたのに――
あれ……。冷たくない。
どうして?
かすかな温もりが、金属を通して肌に残る。
彼は何も言わない。
ただ、鎖がきちんと収まったのを確かめるように、指先をそっと留めた。
その仕草が、なぜだか心に残った。
「――三度だ」
「え?」
「誓いの口付けは三度。それが帝国流だ」
「えええっ?」
先ほどの痴態が脳裏をよぎり、剥き出しの肩まで赤くなる。
王国の王太子・ランスロットとは幼馴染で仲は良かったけれど、異性として意識したことはなかった。
当然、キスだって初めてだ。
「……初めて、だったのか」
低くつぶやいたその声色は、からかいではなく、意外を含めた思案の響きを帯びていた。
「顔が真っ赤だ。無理をさせたな」
羞恥に駆られて思わず振り返ると、彼はすぐに表情を引き締めた。
けれど――その一瞬の眼差しに、“冷徹”と噂される皇太子の影はなかった。
頬を膨らませて憮然とする私を見て、彼はふっと息を漏らし、無造作に私の頭に手を置いた。
「そんな顔をするな。これから披露宴だ。……構えることはない」
ぶっきらぼうな響き。
なのに、王国語で掛けてくれるその声に、強張りがわずかに緩む。
殿下が席を立つと、そっとヴェールを外した。
額に空気が触れて、ようやく自分に戻れた気がする。
……前髪まで固めるなんて、あの女官たち、ほんと性格が悪い。
質素な修道服に身を包んだ若い女性が、温かいお茶を手元へ運んでくれる。
先ほど、道化メイクを落とすために湧水を汲んできてくれた修道女だ。
彼女の所作は、不思議と心を落ち着かせた。
「……ありがとう」
彼女も、これに気づいたようだった。
化粧道具に手を伸ばしかけた彼女の手に、自分の手を重ねて、静かに首を横に振った。
「待たせたら、かわいそう」
そう伝えると、彼女は何も言わず、そっと一歩下がった。
“待つのには、慣れている”――その苦しさは、私も知っている。
ずっと、あの青年を探していた。
いつか迎えに来てくれると、信じていた。
殿下に“家族”がいることは、婚姻式の説明にやってきた儀礼官から聞かされていた。
でも、“離縁予定”だなんて、さすがに初耳だけど。
まったく!
……でもまあ、好都合かもね。
私はレースの付いた帽子をかぶり、外へ出た。
けれど、帝都への道のりが、私にとって“二度目の洗礼”になるなんて、このときの私はまだ知らなかった。
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