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第3章:漂流の寄港地ー学園編
第47:知らなかった殿下の横顔
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「お分かりになりました?」
「私の好みをあそこまで的確に把握しているのは、ヘレナ以外にいないからな」
……いや、いるでしょ!?
毎日殿下の執務室でお茶淹れてる人、何人いると思ってるの!?
「帝国語が随分、上達したな。敬語も俗語も使いこなせている」
「……学園生活のおかげでございますわ」
「そうか」
「今日はどうしてこちらへ?」
「なんだ。夫が妻の顔を見に来たらいけないのか? ……17歳の誕生日を祝いに来た」
「お心遣い、ありがとうございます。ですが、このようなこと、名ばかりの妻にしていただく必要はございません。私に会いに来てくださる時間があるのでしたら、殿下の大切な方のために、貴重なお時間をお使いくださいませ」
「固いことを言うな」
「結婚指輪はお返ししましたし、離縁状もお渡ししました。私のことはもう、存在しない者として扱ってくださって結構です」
「叔父くらいに思ってくれたらいいと言っただろう? せめて、私の妻でいる間くらいは祝わせてくれ」
叔父と妻?
何それ、意味わかんない。
「そういうものなのでしょうか……」
「そういうものだ」
……そういうもの、らしい。
でも私、甘え方を忘れたまま大人になってしまったみたい。
「以前のように、普通に接してくれ。肩が凝って仕方がない」
「それは、命令でいらっしゃいますか?」
「違う。……お願いだ」
表情は変わらないのに、声に切なさが混じっているような気がした。
何かあったのかな……。
殿下らしさがほんの少し欠けているだけで、心を揺らされてしまう。
あの願いは、手放したはずなのに。
「――では遠慮なく。アルフォンス様、わたし、歩き疲れたのでもう寮へ戻ります」
「待て」
「何でしょう?」
「……家まで送っていく」
「いいですよ、そんなの。お忙しいんでしょう?」
「歩き疲れたのだろう? 乗ってくれ」
いつになく強引な殿下に腕を取られ、観念して馬車に乗った。
学園の正門まで送り届けてもらう。
この距離感に、少しだけ昔に戻ったみたいな感じがした。
「ついでだから、寮まで送っていこう」
「すぐ近くだから大丈夫ですよ」
「そういうわけにはいかない。妻がどんな所に住んでいるのか把握しておくのは、夫の務めだ」
「夫の務め、ねぇ。本当は私のことが心配でたまらないんじゃないですか?」
「……そうかもしれんな」
「え!?」
「行くぞ」
「はいはい」
「……」
「あれ?『はい、は1回!』ってやつ、どうしたんです? ……封印?」
「言ってほしいのか?」
「うーん、変な話だけど、敬語を上手に使えるようになった途端、殿下に注意されていた頃を懐かしく思うようになっちゃって」
「ふっ。……そうか」
「私も同じなんですよ」
「何が?」
「『本音で話せる相手がいなくなったことには、案外、堪えている』ってやつ」
「――そうか」
殿下の声が、ほんの少しだけ柔らかく聞こえた。
◆◆◆
「ここが女子寮です。送ってくださって、ありがとうございました」
「ここまで来たんだ。部屋まで送ろう」
「ダメですよ」
「なぜ」
「女子寮は基本的に男子禁制なんです!」
「大丈夫だ」
「いやいや、規則ですから! 大丈夫とか大丈夫じゃないとかいう問題じゃないでしょ!?」
「いいから。――ご苦労!」
低く、腹に響く声。
その瞬間、警護室の護衛がピシッと背筋を伸ばし、足をタンッと揃え、手をサッと掲げて敬礼のポーズを取った。
……え? 今の、何?
まるで訓練時の条件反射みたい。
殿下って、皇子でしょう?
昔から人を動かすことには慣れているんだろうけど……あれは、違う。
命令口調が、板に付きすぎている。
まるで、戦場で兵を動かす人の声だ。
……まさか、ね。
それにしても、通しちゃっていいの!?
殿下ってば、顔パス? ……美男特権?
いやぁー、ダメでしょう?
まったく。慣例も規則も、あったもんじゃないわね。
「――どうぞ」
「ここで暮らしているのか?」
「そうです」
「……喉が渇いたな」
殿下は部屋の中を見回すと、ドカッとソファに腰を下ろし、足を組んだ姿勢でそう言った。
ここ、カフェじゃないんですけど!?
しかも独身女子の部屋に、断りもなく陣取るなんて!
帝国が重視する”礼節”はどこに行ったのよ?
あなたの“一丁目一番地”は礼節でしょう? いや、慣例か。
……ああそうか。
私は、慣例の“外”に置かれてるんだった。
便利な時だけ、特別扱い――いや例外扱いか。
はいはい、いいですよ。
サッサと飲んで、気分よく帰ってもらいましょう。
諦めの境地で「粗茶でございますが」と来客用のお茶を差し出すと、「悪いな」と言いつつ美味しそうに喉を潤す。
いきなりやって来たと思ったら、人の部屋で思いっきりくつろいでくれちゃって。本当に『悪い』なんて思ってるのかしら?
「腹が減ったな。急に訪ねてきたお詫びに、夕飯でもご馳走させてくれ」
「だったら……何か作りましょうか? もうこんな時間だし。今から出かけるのも億劫でしょう?」
「いいのか?」
「パスタくらいしかできませんけど」
「十分だ」
前から思ってたけど、殿下って、私に対しては遠慮がないわよね。
台所に立ち、前掛けをかけるていると、すっと殿下が隣に立った。
「……え?」
「働かざる者、食うべからずなんだろう?」
そう言って、上着を脱ぐと腕まくりをして、私の手からジャガイモを受け取る。
皇子なのに。
器用にナイフを操り、慣れた手つきで皮を剥いていく。
「……お上手なんですね」
「昔は、結構やっていたからな」
「え……」
まただ。
知らない殿下の輪郭が浮かび上がっていく。
バターがじゅっと音を立てて溶けていく。
濃厚な香りを胸に吸い込んでいると、火の前を殿下に奪われた。
「ちょ、殿下?」
「……ソースが跳ねると危ない」
それだけ言うと、木べらまで取り上げられる。
その腕の逞しさに、頼もしさを感じてしまう自分がいた。
輪切りにした西洋ネギを炒めると、淡い緑が透けるように色づいた。
小さく刻んだジャガイモを、ミルクと一緒に煮込む。
ほくほくと崩れたそれが、ソースに自然なとろみを加えてくれる。
ニンニクの香りが立ち上がる頃には、部屋の空気が”家庭の食卓”の匂いに変わっていた。
茹で上がったパスタを絡めて皿に盛りつける。
仕上げにチャイブを散らすと、緑が鮮やかに映えた。
冬を乗り越えた頃に食べる、サーフォーク流、早春パスタの出来上がりだ。
湯気の向こうに見える殿下の横顔が、いつもよりずっと近く感じられた。
「私の好みをあそこまで的確に把握しているのは、ヘレナ以外にいないからな」
……いや、いるでしょ!?
毎日殿下の執務室でお茶淹れてる人、何人いると思ってるの!?
「帝国語が随分、上達したな。敬語も俗語も使いこなせている」
「……学園生活のおかげでございますわ」
「そうか」
「今日はどうしてこちらへ?」
「なんだ。夫が妻の顔を見に来たらいけないのか? ……17歳の誕生日を祝いに来た」
「お心遣い、ありがとうございます。ですが、このようなこと、名ばかりの妻にしていただく必要はございません。私に会いに来てくださる時間があるのでしたら、殿下の大切な方のために、貴重なお時間をお使いくださいませ」
「固いことを言うな」
「結婚指輪はお返ししましたし、離縁状もお渡ししました。私のことはもう、存在しない者として扱ってくださって結構です」
「叔父くらいに思ってくれたらいいと言っただろう? せめて、私の妻でいる間くらいは祝わせてくれ」
叔父と妻?
何それ、意味わかんない。
「そういうものなのでしょうか……」
「そういうものだ」
……そういうもの、らしい。
でも私、甘え方を忘れたまま大人になってしまったみたい。
「以前のように、普通に接してくれ。肩が凝って仕方がない」
「それは、命令でいらっしゃいますか?」
「違う。……お願いだ」
表情は変わらないのに、声に切なさが混じっているような気がした。
何かあったのかな……。
殿下らしさがほんの少し欠けているだけで、心を揺らされてしまう。
あの願いは、手放したはずなのに。
「――では遠慮なく。アルフォンス様、わたし、歩き疲れたのでもう寮へ戻ります」
「待て」
「何でしょう?」
「……家まで送っていく」
「いいですよ、そんなの。お忙しいんでしょう?」
「歩き疲れたのだろう? 乗ってくれ」
いつになく強引な殿下に腕を取られ、観念して馬車に乗った。
学園の正門まで送り届けてもらう。
この距離感に、少しだけ昔に戻ったみたいな感じがした。
「ついでだから、寮まで送っていこう」
「すぐ近くだから大丈夫ですよ」
「そういうわけにはいかない。妻がどんな所に住んでいるのか把握しておくのは、夫の務めだ」
「夫の務め、ねぇ。本当は私のことが心配でたまらないんじゃないですか?」
「……そうかもしれんな」
「え!?」
「行くぞ」
「はいはい」
「……」
「あれ?『はい、は1回!』ってやつ、どうしたんです? ……封印?」
「言ってほしいのか?」
「うーん、変な話だけど、敬語を上手に使えるようになった途端、殿下に注意されていた頃を懐かしく思うようになっちゃって」
「ふっ。……そうか」
「私も同じなんですよ」
「何が?」
「『本音で話せる相手がいなくなったことには、案外、堪えている』ってやつ」
「――そうか」
殿下の声が、ほんの少しだけ柔らかく聞こえた。
◆◆◆
「ここが女子寮です。送ってくださって、ありがとうございました」
「ここまで来たんだ。部屋まで送ろう」
「ダメですよ」
「なぜ」
「女子寮は基本的に男子禁制なんです!」
「大丈夫だ」
「いやいや、規則ですから! 大丈夫とか大丈夫じゃないとかいう問題じゃないでしょ!?」
「いいから。――ご苦労!」
低く、腹に響く声。
その瞬間、警護室の護衛がピシッと背筋を伸ばし、足をタンッと揃え、手をサッと掲げて敬礼のポーズを取った。
……え? 今の、何?
まるで訓練時の条件反射みたい。
殿下って、皇子でしょう?
昔から人を動かすことには慣れているんだろうけど……あれは、違う。
命令口調が、板に付きすぎている。
まるで、戦場で兵を動かす人の声だ。
……まさか、ね。
それにしても、通しちゃっていいの!?
殿下ってば、顔パス? ……美男特権?
いやぁー、ダメでしょう?
まったく。慣例も規則も、あったもんじゃないわね。
「――どうぞ」
「ここで暮らしているのか?」
「そうです」
「……喉が渇いたな」
殿下は部屋の中を見回すと、ドカッとソファに腰を下ろし、足を組んだ姿勢でそう言った。
ここ、カフェじゃないんですけど!?
しかも独身女子の部屋に、断りもなく陣取るなんて!
帝国が重視する”礼節”はどこに行ったのよ?
あなたの“一丁目一番地”は礼節でしょう? いや、慣例か。
……ああそうか。
私は、慣例の“外”に置かれてるんだった。
便利な時だけ、特別扱い――いや例外扱いか。
はいはい、いいですよ。
サッサと飲んで、気分よく帰ってもらいましょう。
諦めの境地で「粗茶でございますが」と来客用のお茶を差し出すと、「悪いな」と言いつつ美味しそうに喉を潤す。
いきなりやって来たと思ったら、人の部屋で思いっきりくつろいでくれちゃって。本当に『悪い』なんて思ってるのかしら?
「腹が減ったな。急に訪ねてきたお詫びに、夕飯でもご馳走させてくれ」
「だったら……何か作りましょうか? もうこんな時間だし。今から出かけるのも億劫でしょう?」
「いいのか?」
「パスタくらいしかできませんけど」
「十分だ」
前から思ってたけど、殿下って、私に対しては遠慮がないわよね。
台所に立ち、前掛けをかけるていると、すっと殿下が隣に立った。
「……え?」
「働かざる者、食うべからずなんだろう?」
そう言って、上着を脱ぐと腕まくりをして、私の手からジャガイモを受け取る。
皇子なのに。
器用にナイフを操り、慣れた手つきで皮を剥いていく。
「……お上手なんですね」
「昔は、結構やっていたからな」
「え……」
まただ。
知らない殿下の輪郭が浮かび上がっていく。
バターがじゅっと音を立てて溶けていく。
濃厚な香りを胸に吸い込んでいると、火の前を殿下に奪われた。
「ちょ、殿下?」
「……ソースが跳ねると危ない」
それだけ言うと、木べらまで取り上げられる。
その腕の逞しさに、頼もしさを感じてしまう自分がいた。
輪切りにした西洋ネギを炒めると、淡い緑が透けるように色づいた。
小さく刻んだジャガイモを、ミルクと一緒に煮込む。
ほくほくと崩れたそれが、ソースに自然なとろみを加えてくれる。
ニンニクの香りが立ち上がる頃には、部屋の空気が”家庭の食卓”の匂いに変わっていた。
茹で上がったパスタを絡めて皿に盛りつける。
仕上げにチャイブを散らすと、緑が鮮やかに映えた。
冬を乗り越えた頃に食べる、サーフォーク流、早春パスタの出来上がりだ。
湯気の向こうに見える殿下の横顔が、いつもよりずっと近く感じられた。
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